外へ その2

 アヴェリンがモンブランを食べ終わり、新しく届いたショートケーキにフォークを入れた時だった。アキラは何の気なしに呟いた程度の認識だったろうが、それは実に大きな議論を呼び起こす話題だった。


「僕から見たら全然分かんないですけど、師匠たち三人って誰が一番強いんですか?」

「お前……、時々そうやって危ない発言を気軽にするよな」


 ミレイユが呆れてグラスから口を離し、アヴェリンが鼻に皺を寄せて威嚇するようにアキラを見ている。もし口にフォークを入れたままでなければ、さぞ迫力のある画だったのだろうが、如何せん口の端についたクリームもそれを台無しにしていた。


「いや、ほんと単なる雑談と言いますか。最近内向魔術を鍛えたお陰で力量差がハッキリ見えてきたんですけど、三人とも遙か高みにいるのは分かっても、じゃあ三人で一番高いのは、となると全く見えなくて……。スミマセン、ちょっと気になっただけです……」


 最終的には尻すぼみになって、アキラは身を縮めて俯いた。

 その様子を見ながら、ミレイユは小さく笑ってグラスを置く。アヴェリンに目を向け、隣の席で談笑している二人に目を向ける。視線が合って、何でもないと手を振って、再びアキラに目を戻した。


「まぁ、別に隠すような事でもないが……。そうだな、お前は誰だと思う?」

「そこが難しいところで……」


 アキラはあっさりと許されたと見えて、気軽な調子で顔を上げた。腕を組んで首を傾げ、難しい顔をして唸る。


「勿論、僕は師匠が一番と言いたいんですけど、やっぱり魔術の優位性は単なる近接戦闘では覆せないかなと……」

「うん、分かる話だ」

「でも、たぶん生粋の外向魔術士であるルチアさんが、師匠を前にしてそのスピードに着いていけるのか、とも思うんですよ」

「なるほど」

「じゃあ、ユミルさんはどうかな、と思っても、彼女の戦闘スタイルがよく分からなくて……。魔術も使うけどトロールを殴り飛ばすような力もありますし。両方使うタイプなら、上手いことやってどちらにも勝てるのかな、と思ったり……」


 そして、ちらりとアキラはミレイユを見てきた。

 その考察は合っているか、と確認するような目だった。それに頷いてみせると、くすぐったいような笑顔を見せた。


「確かにユミルは両方使えるタイプだな。長く生きてるだけに器用なんだ」

「長く生きてる事を理由にされては、アレも立つ瀬がないと思いますが」


 アヴェリンの指摘は確かだったが、ミレイユは笑うだけでそれ以上何も言わなかった。

 アキラは正解を引き当てたと感じて笑みを深くしたが、しかしミレイユは首を横に振る。


「勝ちを拾える事が、つまり強いという意味にはならないだろうが、どちらにしても違う。ちょっと卑怯な答えになるが、一番はいない、というのが正解だ」

「そうなんですか……?」


 アキラは落胆したような顔を見せたが、己の師匠にも面目が立ったように見えて、喜んでよいのか迷うような仕草だった。


「でも、一番はいないということは、皆さん横並びで強いんですか?」

「そういう意味じゃなく、三竦みの格好だ。どちらか一方には勝てても、もう片方には勝てない。これは力量というより相性の差だ」

「三竦み……」

「誰もが高い力量を持つが故に、単純な力のぶつかり合いなどしないが、しかしそれでも勝てる相手、勝てない相手が生まれる」


 ミレイユがそう解説しても、アキラは今一納得できていないようだった。

 それもその筈、アキラが見ているアヴェリンや、たまたま目に入ったユミルなど、その戦闘スタイルの全貌が見えている訳でもない。


 ルチアなど完全に外向魔術士とした見た目で、接近戦に持ち込まれたら勝てないようにしか見えないだろう。アヴェリンと最も相性の悪い相手で、これに勝つことは出来ないと思っているのかもしれないが――。


「因みに、アヴェリンはルチアには勝てない。しかしユミルには勝てる」

「ミレイ様……!」


 アヴェリンが焦ったような抗議の声を上げてしまい、それがまた、より説得力を増す原因になった。

 しかし、アキラにはそれが意外に思えたらしい。目を丸くし、口も開いてアヴェリンを見ている。

 ミレイユは笑って手を振った。


「相性の差だ、そう言ったろう? 単に外向魔術士に勝てないというのではなく、ルチアが専門とする氷結魔術に弱いんだ」

「氷結使いなら、誰にでも負けるという意味でもないぞ、念のため言っておくが」

「勿論、分かってます!」


 アヴェリンのドスが効いた声に、アキラは背筋を伸ばして頷く。

 実際、アキラが予想したとおり、大抵の魔術士ならアヴェリンの速度に追いつけない。魔術の制御をしながら猛攻を躱して反撃をするのは至難の業だ。


「だが、何故ルチアが対応できるかというと、無詠唱を取得している部分にもある」

「無詠唱って……別に今の魔術って、詠唱しないんですよね?」

「ああ……、それは昔の名残だ。無詠唱もまた単に詠唱しない、必要としないという意味じゃないが……つまり異常な速度で魔術を行使するから、詠唱していないように見える、無詠唱と呼ばれる所以だ」

「じゃあ魔術制御も、早く使える人を見て無詠唱だと表現するって事ですか?」


 ミレイユは首肯する。実際に手の平の上に光を収縮させて、そして一応周りを見渡したあと、周囲から気づきにくい色に直して実演してやる。

 広げた手の上で光が広がり、そして握り締めると共に収縮し、単なる光に力がこもる。まるで線を引いたかのように光の堺が明瞭で、触れれば硬い感触を返して来そうですらある。


 魔力制御の一般的なプロセスを見せて、ミレイユは光を消した。

 光の発生から――つまり魔力を外に出して制御を開始してから、その終わりまで数秒。今はわざと標準的な中級者程度に合わせた速度で行ったが、それでも五秒未満という短い時間だった。


「今の行程は実に平均的な速度だが、初撃でアヴェリンを止められなければ、同じ時間耐え切って二撃目を与えねばならない。それを出来る奴がどれほどいるか……」


 それに、いつでも常にどんな状況でも同じ事が出来る者ばかりじゃない。初撃を受けてもなお、命ある限りアヴェリンは足を止めない。その殺意の風を受けても冷静であり続け、そして接近戦のスペシャリストの猛攻を凌げる者は多くない。


「じゃあ、それはルチアさんが凄いってことになるんですね? 五秒どころか、一秒くらいでポンポン魔術を使ってくると」

「まぁ、そういう認識でもいいが。アヴェリンに限らず、接近戦闘を得意とする者に氷結魔術は天敵だ」

「そう……なんですか?」


 アキラの間の抜けた顔に、アヴェリンは頬を張って窘めた。

 パチンと小気味良い音が耳に拾い、突然の張り手にアキラが目を白黒させている。


「ちょっと師匠、何で今殴られたんですか」

「今の間抜け面が気にくわなかったからだ」

「嘘でしょ……雑に人を殴りすぎですよ」


 アキラの嘆きに全く耳を貸さず、アヴェリンは続けた。


「お前は受けた事がないからな……、熱を奪うという攻撃は対処方法が分かっていても対応が難しいんだ。動きが鈍るし、何より凍るというのは何も肌ばかりではないしな」

「……武器も凍るから、っていう事ですか?」

「違う。着ているモノも凍るからだ。自分の身体にぴったりと合った牢獄を用意されるようなものだ。関節部分が凍って動かなければ、ろくな身動きも取れなくなる」

「鎧を着込んでも、その下には肌着や何やら身に着けるものだ。冷気は幾らでも鎧の隙間から入り込むから、冷気対策をした防具も意味を為さない。一度肌着を凍らせれば、そこから氷結部分を肥大化させ、鎧との隙間を埋めて動けなくさせる、なんて事もあった」


 予想以上に対処困難な攻撃方法と知って、アキラは思わず固唾を呑んだ。

 アキラの頭にあったのは、昨日見せたルチアの氷刃だろう。あれを飛ばしたり、あるいは杖の先に埋めて振るうような攻撃をしてくるのだと勘違いしたに違いない。

 それは遥か格下相手にする攻撃方法で、ルチア本来の戦い方としては、今さっきミレイユが説明したような運用を好む。


「熱を奪われれば身体は十全に動いてくれない。それでもどうにか身体を熱し前進しても、地面と接した足底を氷結させられれば身動きができなくなる。その部分を砕きながら進もうと同じ速度では進まないし、地面を凍らせられれば滑って進めなくなる」

「それって……話を聞いただけでも、どうしたらいいか分かりません」


 アキラが青い顔で顔を横に振った。自分ならどうするかを考えても、力押ししか出来ない内向魔術士では上手い対抗策を生み出せないのだ。


「だから天敵だと言うんだ。だが逆に、外向魔術士だと対抗策は色々ある。口に出すとキリがないから言わないが、単純なシールドを張るだけでも冷気の侵入は防げるしな」

「なるほど……」


 唸るようにして頷き、感心したようにルチアを見る。

 そして、その正面に座るユミルを見て、アキラは眉根を寄せた。同じように外向魔術を使えるなら、ユミルもまたアヴェリンの天敵になり得るとでも思ったのだろうか。

 顔の向きを戻した時、やはり同じような質問をしてきた。


「でも、じゃあ何でユミルさんには勝てるんですか? 氷結使いじゃないってだけで、外向魔術士は敵じゃなくなるんですか?」

「勿論、そうじゃない」


 アヴェリンは頭を振って、ショートケーキを口に入れた。咀嚼する度、眉がだらしなく緩むが、コーヒーを口に含んで口内の甘みを流すと、改めて口を開いた。


「アレは広く魔術を習得しているから、だからこそ多くの魔術士に対するカウンターを用意できる。それに対抗する多くの搦め手も有する……、つまり魔術士殺しだな。接近戦も出来るから、搦め手から抜け出せるような奴でも剣で勝てる」

「じゃあ、一流の戦士には勝てないという事ですか?」

「それも違う。搦め手が強いというのは、魔術に精通していない戦士にも通用するものだ。魔術士相手に翻弄するような戦い方が得意とはいえ、だからそれを戦士に応用できないという意味じゃない」


 そこまで聞くと、やはりアヴェリンに勝ち目がないように見える。

 アヴェリンもまた一流の戦士だが、その搦め手を複数用意されたら勝てないと想像するのが普通だが、しかし普通でないのはアヴェリンの方だ。


 ミレイユは指を立てて、教え子に向かう教師のように説明する。指をゆらりと、タクトを振るように動かした。


「まず、前提としてアヴェリンを接近させてはいけない。それは分かるな?」

「はい、近接戦闘では勝ち目がないからですね」

「そう、ならば足止めが必要になるが、氷結以外だと、それも難しい」

「……ですかね? 電撃とかでも動けなくできそうですけど」


 ミレイユは満足したように頷く。まさしくそれは、期待していた指摘だった。


「そう、普通なら止まる、普通の戦士なら。だが、それじゃアヴェリンは止まらない。例え炎でも同じこと、多少の傷などまるで気にすることなく突っ込んでいく」

「ああ、……分かる気がします」

「実際、アヴェリンの――というより優れた内向魔術士の怖いところはそれだ。大抵の傷は予想より通りが悪いし、息をするように治癒していく。筋力も持久力も常人とは桁外れで、疲れを待つという選択肢が取れない。翻弄させているつもりが、自らの魔力を擦り減らしているだけと気づくんだ」

「うわぁ……」


 そしてアヴェリンの能力は、それぞれ一流を超えるものだ。気を許せば目にも留まらぬ速さで接近を試みる。殺意の乗った物理的な暴風のようなもので、これの接近を阻止するように魔術を放っても、弾き飛ばし距離を取ったところで勝利にはならない。

 アヴェリンの体力と気力がなくなるまで、同じ事を繰り返すしかないのだが、先に尽きるのは魔術士の魔力だ。


「だからアヴェリンの意識を刈り取るような一撃か、それが無理なら接近させないだけの豊富な魔力がいる。そして最低でも治癒を上回る程度の魔術を、行動不能に出来るまで続けなくてはならない。それも、接近するより早く発動させる事が条件だ」

「でも、師匠は一歩で十メートルは接近して来るじゃないですか」

「そうだ、無詠唱に近い程度の制御能力は必須になる。アヴェリンの防具は魔術耐性を上げる効果を持つから、そもそも威力は低く発動が早い低位魔術は意味がない」

「それ、詰んでません……?」


 アキラが引き笑いをしてアヴェリンを見た。

 威力の高い魔術は当然、発動するまでの時間が長くなる。発動する前に接近してくるのだから、中級魔術以下の物を選んで使うしかないのだが、それでは接近を許さなくても倒す事はできない。


 いつでも接近する準備をし、そして実際弾き飛ばすような魔術を使わなくてはならず、そして相手はいつまでも元気に動き続けるのだ。

 磨り減っていく魔力を自覚して、相手は絶望するだろう。

 自分と相手の根比べ、という図式になるのだが、しかしアヴェリンは相手を殺すと決めたら絶対に諦めない。通常、魔術士が一対一で相手するには分が悪すぎる相手だった。


「だから、アヴェリンを倒すなら最上位レベルの氷結使いを当てるしかない」

「ああ、だからルチアさんになるんですか……」


 またも唸ってアキラは頷く。しきりに頷いて、感嘆めいた溜め息を吐いた。

 己の師匠がとんでもない力量を持つのだと、ミレイユから信頼されているのだと知れて満足していて、そしてアヴェリンもまた満更でもない笑顔を浮かべていた。

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