外へ その1
「そう怒るな」
「怒って当然だと思いますけどね……!」
翌日、ミレイユはアヴェリン達と共に、アキラを伴って喫茶店に来ていた。以前、マジックショーもどきを見せた、あの喫茶店である。
本日は休日という事もあり、昨日の慰労も兼ねて連れてきた。ご機嫌取りのようにも見えるが、実際言葉だけの謝罪だけでは不誠実かもと思って、消え物を与えるよりもこうして共に外へ出かける事を選んだのだ。
寝起きから機嫌が急降下に悪かった事を、ユミルが昨日の落下と合わせてからかった為、尚のこと機嫌が悪かった。
今はそのユミルも、隣の席でルチアと共に何か甘い物を食べている。
ミレイユはコーヒーとショートケーキを、アヴェリンはモンブランを食べてご満悦な笑顔を見せながら、不機嫌顔のアキラへ指差すようにフォークを持ち上げた。
「何が不満なんだ。ミレイ様とて謝罪の気持ちを、こうして表明しているではないか。それをいつまでもグチグチと……」
「女子じゃないんだから、甘いもので絆されたりしませんよ……」
「だが、これは美味いぞ。コーヒーは時に苦すぎると感じるものだが、こうして甘いものと一緒に飲むと実に――」
「師匠の好みは、この際どうでもいいです……」
アキラが深い溜め息を吐いて、目の前に置かれたコーヒーを啜った。
実際に敵と戦って死ぬ目に遭うのと、遊び半分で殺されかけたというのは、心境としては随分違って感じたのだろう。
ミレイユとしては別にアリを持ち上げて落として遊ぶ、というような幼稚な気持ちでやった訳ではないのだが、受け手としてのアキラにそう思えないのは当然かもしれない。
ミレイユは今日も被ったツバ広帽子の下から、困ったように眉根を寄せた。
「別に遊び心でやった訳じゃないんだ」
「分かってますよ。魔術士の行う制御っていうのは、リスクと表裏一体で使ってるんですよね。制御の失敗は、きっとああいう死の危険を実感するものでもあるんでしょう。でも――」
何かを言い切る前に、ミレイユは自分のショートケーキを小さく切って、フォークでアキラの口にねじ込んだ。
突然の事に口の動きを止め、ミレイユもフォークを引かないものだから、そのまま口を閉じてケーキを食べる。フォークを引き抜き、ひらひらと左右に振りながら口の端に笑みを浮かべた。
ウブな年頃の男子は、それだけで顔を赤くして俯いてしまった。
「だがまぁ、分かっているなら結構だ。今のお前が仮に無理して覚えても、近づく地面に対して何も出来なかったように、制御に失敗した魔術に対して何も出来ないだろう。その恐怖を乗り越えて、尚やっていける自信を先に身に着けろ」
アキラは複雑そうな顔を見せながらも頷いた。
実際、アキラは初心者で見習いと言えるレベルにも達していない。本来なら物心つく頃には魔力の制御も手足を動かすように出来ていて当然なのに、それが出来ない。
下地が有るなら話は違ったが、アキラは今まずそれを作らなくてはならない時期なのだ。
それでも空想と信じていた魔術が実際にあり、それを身に着けていると実感したなら、やはり妄想が花開く部分もあったろう。
実際、覚えさせるだけなら可能なのだ。
まだこちらでは試していない事だが、ミレイユには自身が修得した魔術を他人に覚えさせる能力がある。
しかし、だからそれで手を出したいと思うようでは困るのだ。
車に憧れる幼児がアクセルを踏むようなものだ。道理を知らない子供が、ハンドルを握れないにも関わらず触れてよいものではない。自分だけではなく多くの者が、その犠牲になる可能性がある。
口で言えば分かるとは言うが、人間は実際その身に起きなければ実感できない生き物だ。アキラもその実感を手に入れた今、後は言葉で理解してくれるだろう。むしろ言葉で理解させる為に必要なプロセスだったとも言える。
そこまで考えて、ミレイユはふと隣のアヴェリンがフォークを凝視しているのに気が付いた。左右に揺れるそれを、まるで揺れる房に凝視する猫のように、一点を見つめて動かない。
「どうした、アヴェリン……?」
「う、あ、いえ……」
声を掛ければ、視線を彷徨わせてから自らのモンブランに向き直る。
再びモンブランにフォークを入れようとして、気づいたように顔を上げた。
「その……フォークは変えた方がよろしいかと」
「そうか……、ナプキンで拭くだけでいいじゃないか?」
「それはなりません! アキラもそう思うだろう!」
詰問するように突然水を向けられて、アキラは反射的に顔を上げた。
話は聞こえていたようで、フォークとケーキの間で視線を迷わせた後、ぎくしゃくとした動きで頷く。
「ええ、まぁ、ですね……。気になるなら店員さんに声を掛けて、変えて貰うのがいいと思います」
「別に拭くだけでいいと思うが……」
ミレイユとしてはそこまで潔癖という訳ではなかった。
というより、潔癖だったらあちらの世界で生きていけない。日本のように清潔である国というのは、世界的に見ても希少なのだ。
しかし断固としてアヴェリンが許さないという姿勢を崩さないので、ミレイユの方が折れる事にした。別にそこを拘るつもりもない。
それで了承して店員を呼ぼうとしたのだが、今日もテラス席を使っている為、すぐ傍に店員が見当たらない。声を上げればすぐに来るのだろうが、どうせなら何かのついでに頼みたい。
そう思っていると、未だにフォークを凝視するアヴェリンが気にかかった。
「……どうした、アヴェリン」
「あ、いえ……、ショートケーキも良いものだと思っていた次第でして。別に他意は……」
「そうか。……なら食べるか?」
「よろしいのですか!」
アヴェリンが目を輝かせて、ミレイユの食べかけショートケーキとフォークを見比べた。
勿論だ、と頷いて、店内入口付近に見えた店員へ向けて手を挙げる。すぐに気づいた店員は輝く笑顔でテーブルの傍に立った。
「ご注文ですか?」
「ああ、ショートケーキ一つ。……それと、申し訳ないがこれの代わりを」
そう言ってフォークを指差せば、得心した顔で受け取り、注文内容を確認して店内に下がっていく。ふとアヴェリンを見返せば、不貞腐れた顔で唇を突き出しては、モンブランをフォークで
「なんだ、どうした?」
「いえ、別に。甘味はいい……非常にいいものです」
「……じゃあ、その顔は何だ。別にという風には見えないが」
深く追求するつもりもなかったが、何だか放って置けなくて声をかけたのだが、それを止めたのはアキラだった。
ただ無言で顔を横に振って、それ以上触れるなと警告している。
その諦観したかのような表情に引き摺られて、ミレイユもそれ以上声をかけるのはやめにした。
そうしている内に店員が帰ってきて、換えのフォークとショートケーキを運んで来た。
それに礼を言うと、底が見え始めていたコーヒーに新しく注いでくれる。おや、と思っていると、店員からにこやかな笑顔と共に告げられた。
「サービスです」
「すまないな、ありがとう」
「いえ! でも、お客さん全然来てくれないんですから、ずっと待ってたんですよ」
別にすぐ来るとも、また来るとも言ってなかった気がするが、普段目にする事のないマジシャンが身近にいると知れば、期待してしまうものなのかもしれない。
「期待していたのは私だけでもないですけど。今日も来てないって、落胆して帰っていく子もいて……それもまた可愛そうで」
「そんなに噂になってたのか?」
「いえ、そういう事でもなく……!」
店員は持っていたプレートを胸に抱いて、恐縮したように顔を振った。
「別に約束してた訳じゃないから、いつ来るか分からないよ、って教えてあげてるんですけど……。どうしても、もう一度会いたいらしくて」
「もう一度? あの時の子供か?」
「ええ、その子です。莉子ちゃんっていうんですよ、もし会ったら名前呼んで上げて下さい。きっと喜びますから」
見せたマジックショーもどきに、とても興奮して喜んでいたのを覚えている。まるで自分が魔法使いになったように思えたせいもあるだろうが、ショーが終わった後も、くっついて傍を離れたがらない程に懐かれたのを思い出す。
その時の事を思い出して、ちらりと笑うと、店員がほぅ、と溜め息を吐いて頬に手を当てた。
「帽子の下って、やっぱり見せられないんですか?」
「ん……、そうだな」
今日も日差しはそこそこあるが、元よりテラスには日傘代わりのパラソルがある。その上さらに帽子を被っている姿は、少し異常にも見えるだろう。
波打つように広がるツバである故に、時折ちらりとその表情も見えるのだが、やはり全貌は伺えない。しかし、その鼻から下しか見えないせいで、余計に想像を働かせてしまうらしい。
素顔が見たくて気になるようだが、アキラの方へ視線を向ければ、やはり否定の意が伝わってくる。
「外では見せるなと言われてる」
「まあ……事務所とか、そういう所から? やっぱり、知られると拙いんですか?」
「そうだな……、騒ぎになるから外では必ず帽子をしろと……」
言って、ミレイユは帽子を深く被り直した。
元より座っているミレイユと立っている店員では、その視点の高さから見えるものでもないだろうし、仮に目線の高さを調節しても、その波型の流線型が視線を絶妙に遮ってくれる。
四方八方から見られるようなら他の者たちが壁になるし、それもまた完全ではないだろうが、今のところは問題なくやれている。
もっと人が多いところなら、視線ずらしの幻術でも使えばマシになるかもしれない。
「へぇ……! 有名なんですね、やっぱり色んな舞台でやってるんですか?」
「そうだな……」
これ以上詳しく聞かれたら、その内ボロが出るだろう。
どうやって意識を逸したものかと考えていると、新しい客が来店したようだ。そちらに接客しようと断りと礼をしてから、店員はその対応するべく離れていった。
ミレイユが帽子をのツバをなぞりながら溜め息を吐いて、横から前から視線を感じて意識を向ける。
アキラとアヴェリンの二人が、それぞれ気まずいものを見る様な表情をしていた。
「嘘を吐いてた訳じゃないですけど、その内嘘だとバレそうですね」
「何かカバーストーリーでも考えないといけないかな」
「そこまではせずとも、しかし体の良い言い訳程度は用意しておかなくては、後々の面倒を引き起こしかねないかと」
そうだな、と頷いて、注いで貰ったばかりのアイスコーヒーに口を付けた。
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