魔力と鍛練 その10

 しかし気づいた時には遅かった。

 身構えるよりも早く魔術は発動し、アキラは宙に舞った。

 足は地から離れ、身体が浮き、空を飛ぶ。


「ああああァァァァァ……!」


 発動した魔術は、空を飛んでいるようには見えなかった。アキラはドップラー効果で声を細くさせていきながら、恐ろしい速度で上空に飛び上がっていく。


 それを見上げながら、ルチアがのんびりとした口調で言う。


「あれは飛ぶというより射出というのでは?」

「まったくねぇ……。これを作った奴の性根が見えようってもんだわ」

「既に砂粒のような大きさにしか見えん。どれほどの速度で飛び上がったのか……。この魔術、そうと知らずに使って、生還できる奴なんているのか?」


 ユミルとアヴェリンも同じような呆れた声を出して、この魔術に散々な評価を下す。

 そう、この飛行術という魔術は、飛行とは名ばかりで直上へ恐ろしい速度で飛ばされるというもの。無論、着地について何か案がなければ、地上で潰れて死ぬ事になる。


 全く実用性もなく、自殺用と言っても過言ではない。これが神から下賜された魔術と知れれば、何故このような魔術を作ったのかと当時の魔術士は想像した。

 空を望むな、という神からの明確なメッセージとして受け取ったのだ。以降、禁忌として飛行術は扱われるようになり、そして使い手は当然として口に上がる事すらなくなった。

 だから、その飛行術を体験できるのは相当珍しい事でもある。そのような説明をしたところで、アキラは決して喜んだりしないだろうが。


 いつまでも落ちてこないアキラを見上げて待つ四人は、ユミルがポツリと言った一言で現実に引き戻された。


「そういえば、あの子ちゃんと着地できるの? 幅五メートルとはいえ、ここって上空からすれば点にしか過ぎないワケで、初めての降下で成功するとは思えないんだけど」

「……それは考えてなかったな。しかし上空には風もないし、流される事もないだろう」

「重心の位置とかで幾らでもズレるわよ。そしてあの距離でしょ? 上手く狙えるかしらね……狙う方法さえ知らないんじゃない?」


 さしものミレイユも、これには自分の失敗を悟らざるを得なかった。

 落下するアキラに合わせて陣を張り直すか、誰かが上空で誘導してやる必要がある。ミレイユは素早くアヴェリンとユミルに目配せし、そしてどうするかを即座に決めた。


 陣を張り直すのは確実性に欠ける。ならば他の誰かに、空中でアキラを陣に誘導して貰った方が確実だ。ミレイユはユミルの肩に手を置いた。


「頼むぞ、ユミル。行ってくれ」

「は? いや、何でアタ――ァァァァァァ……!」


 有無を言わせずユミルを射出した。

 問答している暇はなかったし、アレ以上時間をかければ追いつけなくなる。アヴェリンは崖程度の高さから自由落下するような経験はあるものの、それ以上の高さ――スカイダイビングするような経験はなかった筈だ。


 ルチアも言うまでもなく無い。高所からの落下はアヴェリンと同様経験あるが、そもそも高所から落下するような経験はそうそうないものだ。

 そしてミレイユが自身で行くとなると、もしも陣の再配置が必要になった時どうしようもなくなる。


 単純な消去法で決まったようなものだったが、空中での重心の位置で着地点が変わるなど、指摘するだけの知識があるなら実際に飛んだこともあると判断した。

 だがそれを抜きに考えても、ユミルを選んだのは実に正解だったと言える。射出して飛んでいく瞬間、何故だか胸がスッと軽くなる爽快感のようなものがあった。


「おおー、すっごい速さで上がっていきますねー。これ、頂点に達した時に追いつく感じになるんですか?」

「いや、その時点で合流するには時間が経ち過ぎている。ユミルが頂点に達する頃に、落下は既に始まっているだろう。途中で上手くやる必要がある」

「……それって下手すると二人とも死にません?」

「逸れるようなら私が陣を張り直す」


 ミレイユがそう返答すると、納得するような頷きがルチアから返ってきた。だから自分で行かなかったのか、という理解の色が見えて、再び上空に視線を戻す。


「上空でどうなってるのか、見れないのが残念ですね。盛大に愚痴を吐きながら空気が顔を叩きつけていると考えると、相当笑えるんですけど」

「うむ、いい気味だ。普段のニヤケ面も、今は恐怖で引き攣ってると思うと胸がすく」


 ルチアの悪口に便乗するアヴェリンも、その顔は実に綺麗な笑みを浮かべていた。完全に部外者故の楽観で、更にミレイユが下手をしないという安心感がそうさせているのだろう。

 別に失敗しない訳でもないのだが、それは言わぬが花だった。


 そうこうしていると、上空に見える黒い粒が大きくなって来たようだ。しかし、粒は一つだけ。二人が重なり合っているという様にも見えない。先に見えるのはアキラだろうから、ユミルはまだ追いつけていないのだろうか。


「そろそろ首も痛くなって来たから、早いところ帰ってきてくれませんかね」

「なかなか酷い言い草だな。今のアイツらは命がけの気分だろうに」


 ミレイユも笑ったが、それは苦い笑みという訳でもなかった。皆がミレイユを信頼しているように、ミレイユもまた皆を信頼している。

 何事か難題が持ち上がっても、任せたとなれば何とかするという信頼がある。そして、今回もユミルはきっと上手い事やってのけるだろう。


 黒い粒は、肉眼で確認できる距離になってきた。表情まで見えるものではないが、それがアキラだという事は判別できる。やはり重なり合うユミルの姿はなく、両手両足を広げるような、バタつかせるような動きでアキラは落下に抵抗していた。


 そこに頭を下に腕も足もピッタリと閉じて落下してくるユミルが見えてきた。

 空気抵抗を極力少なくして、落下速度を増やすという事をしていたらしい。流石に等速で追いつくのは不可能と分かっているからこそ、そして落下中の重心などに言及できるユミルだから出来た芸当だろう。


 ユミルはアキラの隣を追い越して、腕を広げて反転する。アキラと向かい合う格好になって、それでアキラも助けに来てくれた人がいると理解したろう。

 バタつかせる手足を止めて、身振り手振りを見せるユミルを凝視している。多分声も出しているのだろうが、それが果たして緊急事態のアキラに理解出来るかどうか。


 ユミルは残りの落下猶予を考えて何をするか説明しようとしたのだろうが、それが上手く伝わっていない。あそこに落ちろ、とかそういう指示をしたのだとしても、どうすればいいかまでは伝えきれてないようだ。


 ユミルは近づくように指示するも、アキラはどうすればいいのか手足を無駄に動かすばかりで、それが逆にユミルと距離を作る。

 地面が徐々に近づき、こちらの姿も確認できるようになって来た筈。

 緊張は高まり、そして死へ近づく。引き攣る表情まで見えるようだった。


 ユミルはアキラに近づこうと身を撚るが、中々それが上手く行かない。もどかしく見える時間、ルチアたちも手を握って見守っている。

 ミレイユも両掌で魔術を行使し、いつでも陣を敷き直せるよう準備をする。


 そしてついにユミルは空中でアキラと合流を果たした。

 アキラはユミルに抱きつき、それで反転してしまったユミルに地上が見えていない。身体の位置を変えようと藻掻くものの、アキラの動きがそれを阻害していた。


「ちょっと……。不味くないですか、アレ」

「ユミルは下が見えていない。あそこからどうするか見ものだな」


 緊張した声を出すルチアとは逆に、アヴェリンはどこまでも楽観的だった。

 ミレイユもどちらに落下がブレるか分からず、陣を敷き直すべきか迷った。既に落下までの距離は僅か、幾らも余裕がない。このまま姿勢を直せないというなら、陣を引き直した方がいい。


 しかし、ここで態勢が戻れば、残りの距離を上手く使って陣に乗る可能性も残っている。いま動くのは逆に危険だった。

 どうしたものか、ミレイユもまた悩まし気に唸った。


 そして、ついにユミルがアキラを押し退けるようにして姿勢を直した。

 アキラを拘束するように腕ごと身体を抱え込み、姿勢制御で方向を変える。落下までの距離、僅か五秒前の出来事だった。

 そして陣の端に近いところへ、ギリギリ入り込み、着地より三メートル上の辺りで落下速度が緩慢になる。

 まさしく葉が揺れるように二人は降りてきて、そしてとうとう無事に着地した。


「はぁ……!」


 ミレイユの口から思わず溜め息が漏れる。

 手の中で制御していた魔術も解除して、二人の元へ近づく。ミレイユより先に動き出していたルチアが、重なり合った二人に労いの言葉をかけていた。


「見ごたえ十分、迫力ある光景でした。貴重な体験が出来て良かったですね」


 見る者が見れば、花咲き輝くような笑顔と形容しただろう。

 しかしそれを見るユミルには煽りのようにしか見えなかったようだ。鼻で笑ってアキラを雑に手放し、乱れた髪を直している。


「まったくね、感涙で泣き出しそうよ。アンタもやってみる? 案外血も見れて病みつきかもよ」

「いえいえ、私はそういう野蛮な遊びに興味ありませんので」

「ああ、私たちは引き攣ったお前の顔だけ見れればいい」


 アヴェリンまでもユミルの煽りに参加しだして、収拾が付かなくなる前にミレイユはアキラの元へ近寄る。未だに起き上がらないアキラに気遣って、その場で膝を折って地につける。

 軽く肩に手を触れると震えていた。


「おい、無事か」

「……う、うぅ……っ! ひどい、ひどすぎる……! 死ぬ目にっ、死ぬ目に遭ったというのに……!」

「まぁ、だが無事だったんだ。良かったじゃないか」


 アキラは顔を上げて、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった泣き顔を見せた。

 その表情、その気迫に押されて、ミレイユは思わず身を引く。


「僕がどんな気持ちだったか! 上空に飛ばされ、ワケも分からない内に落下が始まって、そして成すすべもなく地面が近づいてくるんですよ!」

「ああ、それは……大変だったな」

「大変!? 大変なんてレベルじゃないですよ! 必死に動いても、どんどん陣から離れていくし、ユミルさんが来てくれなかったら一体どうなってたか……!」


 ミレイユは落ち着くように両手を上下させたが、それが効を成すことはなかった。立ち上がらない――膝が笑って立ち上がれないまま、アキラは這うようにしてミレイユに近づいていく。


「地面の上にミレイユ様の姿が見えた時、どう思ったか! もう助からないと思いました! こんな事で死ぬのかと!」

「……なに下らない愚痴言ってんのよ」


 アキラがゾンビのようにミレイユの足へ手を伸ばした時、横合いからやけに軽い口調のユミルがアキラの手を蹴飛ばした。


「別に落下場所が悪くても、あの子がどうにかしたに決まってるでしょ。ま、相談もなく飛ばされたから、結局陣に入るよう努力はしたけど、最終的にはどうにでもなったわよ」

「よくそんなこと言えますね。ユミルさんも飛ばされたのに……」

「そう? 一歩間違えれば死ぬっていう事実に目を瞑れば、案外楽しかったじゃない?」

「そこは一番目を瞑っちゃいけない部分でしょうが!」


 アキラの涙を撒き散らしながらの慟哭は、ユミルには全く響かないようだった。カラカラと笑ってアキラの腕を掴んで引き上げる。

 そして肩に乗せようとしてやっぱり止め、どうしようかと考え始めたところで、ユミルがミレイユに身体を向けた。


「そうそう、上空の一番高いところ、頂点に近い部分に穴があったのよ」

「穴……? 空の中にか?」

「そう、ひとが一人入れそうな穴が、絵を書いたようにポッカリとね。アレなんなの?」


 そのような事を言われても、ミレイユに覚えはないし、そんなものが有る事もいま初めて知った。難しい顔で眉根を寄せるミレイユに、ユミルは笑って背を向けた。


「ま、覚えておいた方がいいかもね。その内、自分で飛んで調べてみたら?」


 それだけ言って、未だに子鹿のように震えて立ち上がれないアキラを、ユミルは引き摺って邸宅の中へ連れて行ってしまった。

 そのような事を聞いてしまったからには、いずれ調査しなければならないだろう。神より下賜された箱庭が仕舞われた小箱。最初は何もない、飛行術だけ中心に置かれた空間に過ぎなかった。

 それを改造したのはミレイユ自身だ。もしもそれに、他の機能があるとしたら、それは穴の向こうにこそあるのかもしれない。


 とはいえ、今日はもうそのような雰囲気ではなかった。

 アキラの事は気がかりだし、実際、もう用は済んだから帰れとは言い辛い。

 落ち着く飲み物でも用意してやって、自力で帰れるまでは面倒を見てやる必要はあるだろう。明日は日曜、何なら離れの利用を許可してもいい。


 最初は軽い気持ちでお灸を据えるくらいの気持ちだった。しかし予測の甘さ、詰めの甘さで、アキラに要らぬ恐怖を与えた。

 これには何か詫びをしないといけないか、と思いながらミレイユは腕を一振りして陣を消す。それから上空を見上げたが、はるか上空にあるという穴、ここから見える筈もない。

 ミレイユはアヴェリン達二人を引き連れて、ユミルの後を追って邸宅に帰っていった。

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