外へ その4

 話が丁度途切れたタイミングで、ユミルが隣の席から身を乗り出して来た。

 その表情には好奇と嗜虐の色がありありと浮かんで、アキラとアヴェリンを見つめている。


「随分と楽しそうな話をしていたじゃない? 途中で話に割り込もうか迷っちゃったわ」

「そうか。それなら最後まで黙っていればいいものを。さっさと元に戻れ」


 アヴェリンが手の甲を外に向け、振り払うように手を振った。

 その厳しい顔は、団欒を邪魔された不機嫌さが如実に現われている。


「あら、そんな邪険にしなくてもいいじゃない。知らないかもしれないけど、こっちはこっちでその大胆な発言のフォローに回ってたんだから」

「……何の話だ」

「気を利かせたって言ってるのよ。魔力だ魔術だ何だのと、聞き耳立てられてるかもしれないっていうのに、所構わず話すものだから」


 ねぇ、とユミルはミレイユを流し見た。

 これにはミレイユも苦笑するしかない。隣の席にいながら、何も口を挟まないのは不思議に思っていた。談笑しているように見せて、その実、音が外に漏れないよう何かしていてくれたらしい。

 状況から考えて、それはルチアも協力して事に当たっていた筈だ。


 いま見たところ、とユミルは首を大きく廻らせてから言った。


「特に見張られている気配はないけど、でも見られているとは思うのよね。アンタはどう思う?」

「そうだな……」


 視線で促され、ミレイユは頷く。


「気配がないから無頓着だったが、確かにどこかに見る目は置いてあるだろう。私にも感付かせない位だから、現在地だけは分かるようにしている程度だろうが、しかし無頓着に放置という事もないだろう」

「でしょ? それをいい事に音だけは拾おうとか考えるかもしれないんだから。アタシ達の情報は、知られる範囲は狭ければ狭い程いい」


 ミレイユは再び頷く。

 重々しく、そして自らを恥じるように帽子のツバを摘んで降ろした。


「そもそも何キロも離れた場所から見る手段もある。現在の望遠技術は、私達の想像以上のところにある筈だ。……確かにこれは、弛んでいたかもしれない」


 まさか人工衛星を使った追跡網など構築していないだろうが、この国の神として君臨しているなら命令一つで可能であるかもしれない。

 それに現在の望遠レンズは十キロ先の人間の顔すら鮮明に映し出すと聞く。映像を解析して何を話しているのか、それを分析する事すら可能だろう。

 それを思えば、魔力に関する全てを、箱庭の外で話すのは危険かもしれない。


 何しろ、今回は明確にアヴェリンの弱点も話してしまっている。

 知ったからと誰もが対応できる程にアヴェリンは易しい相手ではないが、しかし知ってと知らずでは雲泥の差が生まれるのは当然だ。


 ミレイユは改めて感謝の視線をユミルに、そしてルチアにも向けた。

 頷くような小さな礼で頭を下げる。


「すまなかったな、どうやら本当に気を利かせてくれたようだ。ありがとう」

「どういたしまして」


 二人から笑顔で返礼を受けて、ミレイユは改めて目礼する。

 それで気を良くしてユミルは席に戻ったが、アヴェリンは元よりアキラも恐縮して頭を下げた。


「申し訳ありません、ミレイ様。特に考える事なく色々口走ってしまい……」

「僕もすみませんでした。あれこれと訊くような真似をしてしまって……」

「いいんだ」


 ミレイユは手を左右に振って、二人に頭を上げるように言った。


「私こそが気に掛けなくてはならない事だった。その指摘がなく、止める事もしなければ、お前たちが話に興ずるのは当然だろう。だから、気にしなくていいんだ」


 そう言って、ミレイユは改めて周囲を見渡す。

 見える範囲に高いビルがある訳でもないから、遠望するにも場所がない。精々が三階建てに相当する建物しかないから、その屋上からと考えても監視するのは難しいだろう。

 その更に遠くに視線を向ければ、後は送電線の塔ぐらいしかない。そこまで行くと、肉眼では不可能なのは勿論、音を拾う事も無理だろう。


 そのような場所だから、ミレイユは自身の感知とルチアからの注意がなかった時点で安心していたという部分があった。

 明確な敵だと認定している相手はいないが、しかし敵でも味方でもない相手というのは、時に敵よりも厄介だ。


「今後は気を付けよう。今も見られているとは思えないが、そうと認識して行動する心構えはいるかもしれない」

「……僕も気を付けた方がいいんですか?」


 アキラは自身を過小評価しているが、もし情報が欲しいと考えるなら、まずアキラを狙う可能性の方が大きかった。

 ミレイユを含む四人に隙はなくとも、アキラには幾らでも隙はあるし、作れる位置にいる。むしろ気を付けなければならないのはアキラだろう。


 ミレイユは首肯し、注意を促す。


「僕も、というより一番気をつけるべきはお前だ、アキラ。私達は決して一人で外を歩かないし、外に出る時は互いに注意して動く。対してお前は一人で、誰かが注意してくれる訳でもない」

「実力的にも、お前が一番御し易い。もし強行策を取ろうとしたら、まず一人になった時のお前を狙う」


 ミレイユとアヴェリンの双方から言われて、アキラは顔を青くした。

 しかし指摘されて納得もした様だ。

 もしも相手が現在情報収集している段階であるなら、動きがないのも頷ける。そして情報の確度が上がれば、まず狙うべきはアキラだと考えるだろう。


 学生であり登下校の間は一人、学内という狭いコミュニティなら漬け込む隙は幾らでもある。

 何も時折姿を見せる四人の誰かを狙うより、毎日外に姿を見せるアキラを狙う方が実力的にも楽に違いないのだ。


「あの……僕、どうしたらいいんですかね?」

「だが実際は、そこまで怯える必要もないと思うんだがな」

「そうは思えないんですが……」


 ミレイユあくまで澄まして答えたが、当のターゲットになり易いと知ったアキラに、それは楽観としか受け取られなかったようだった。


「一つに、相手は敵対を企図していないという事が挙げられる。私達の事が分からないし知らないから、少しでも情報を得られないかと考えているかもしれないが、今の今まで接近して来ていないのが、その証拠になる」

「ですかね……? でも今はやろうと思ってないだけで、やろうとしたら拙いんじゃ……」

「――そうだな。行動を起こすには時期尚早、もっと情報を集めてから、そう考えている可能性はある」


 やはりそうか、とアキラの顔が強張った。

 今更ながらの危機感を煽られたせいで、少し気持ちが後ろ向きになっているのかもしれない。

 ミレイユはテーブルの上に頬杖をついて笑った。


「だが、相手は短慮でもなければ馬鹿でもないのは、これまでの動きから想定できる。どこまで賢いかまでは分からないが、だが知る程に理解できるだろう」

「それは……?」

「私達を敵に回す愚かさを、だ」


 その一言でアキラの不安は一気に解消されたように見えた。

 アヴェリンを見れば、その顔には余裕と自信、そして絶対の自負がある。


「お前を拉致するような強行策に出ても尚、私達が傍観するか逃げ出すと思ってる相手だとは思いたくないがな。だが、そうしたなら我々の恐ろしさを骨の髄まで知る事になる」

「ミレイ様は一度懐に入れた者は決して見捨てない。仮に間に合わないような事態に遭っても、必ず相応の報いを与える方だ」

「それは……喜んでいいんですかね?」


 アキラは嬉しさ半分、不安半分といった表情だったが、アヴェリンは力強く頷く。


「当然だ、喜べ。お前はミレイ様に認められている。今日までの破格の待遇で、お前もそれが良く分かっているだろう」

「ええ、でも……それは、どうなんでしょう? とんでもない高さから自由落下させられたりしたんですが」

「お前の事を思っての事だ。今日とて、その詫びの一貫としてこうして甘味を振る舞われているのではないか」


 そこまで言われて、それでも首を横に振る気にはならなかったようだ。

 アキラは少し困ったように笑い、そして頷く。はにかむような笑顔だった。

 そこにアヴェリンが断固とした決意を乗せて言い放つ。


「安心しろ。お前が死んだら、仇は必ず討ってやる」

「いや、まず殺されないようにして下さいよ!」

「それはお前の努力で覆せ。お前自身が強いと判断されれば、そも拉致しようなどとは考えん」

「うぅ、……はい」


 アキラは力なく頷いた。

 そもそもアキラは庇護される対象ではない。ミレイユ達と関わったから、その対象として選ばれる可能性を生んだが、危険が嫌だというなら戦う事を選ぶ方が間違いだ。

 理性なき獣ならば襲われてもいいが、理知あって打算計略を持って襲う敵は嫌だというのは理屈に合わない。


 結界の外にあって、明確に襲われる理由があると知って、落ち着かない気分になるのは理解出来るが、しかしそれが嫌なら抗うしかないのだ。

 自身を鍛え、襲えば手痛い反撃を受けると、相手が知れば襲うことも躊躇する。


 ミレイユは頬杖をついたまま、からかうように目を細めた。


「だが良かったじゃないか。知った事で、これから更に鍛錬にも力が入る。早く強くなれば、それだけ身の安全が高まるぞ」

「……いや、それはそうでしょうけど。でも少し加減が欲しいというか……」

「それはアヴェリンに頼め」


 キッパリと断り、アヴェリンに視線を移したが、そのアヴェリンはむっつりと口をへの字に曲げて首を振る。あれは今のままでも尚、生温いと考えている表情だ。


 危機意識が生まれた以上は、これまで以上に厳しい鍛練が科せられるだろう。

 アキラが引き攣った顔をして項垂れるのを見ながら、ミレイユは残りのコーヒーを喉の奥に流し込んだ。

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