外へ その5
喫茶店において、あまり長い時間追加の注文もなく居座る事は推奨されない。
ミレイユもコーヒーを飲みきったし、他の皆もそれぞれスイーツを食べ終わっている。空席は幾つか見えるものの、これ以上長居するのは失礼かと思い、そろそろ会計しようかと思った。
ユミルにその事を伝えて財布を渡し、伝票を持ってレジに向かって貰う。
ここから店内の様子は見えないが、レジ前に客が溢れているという事もないだろう。五分も待てばユミルも帰って来る筈だ。
それまでの間、少々の手持ち無沙汰になる。
隣のテーブルでは一人になったルチアを、とりあえずこちらの余った一席に呼び寄せた。共に待っていようと席に座らせたところで、そのルチアの背後から新たな客が近づいてくるのが目に入った。
小さな女児を連れた女性だった。
子供に手を引っ張られ、急ごうとするのを困った顔をしながら窘めて、それでも止めるような事もなく手を握っていた。
どこかで見た顔だ、と思ったのと同時、店員に言われてミレイユに会いたがっている子供がいる、と言われた事を思い出した。
その子供はミレイユの姿に気づいていたらしく、だから母親を急がせようとしていたのだろう。その顔には興奮と輝くような期待に満ちた笑顔がある。
母親共々ミレイユの五歩前で立ち止まると、手を離して子供だけが近づいてくる。
外出用と思われる子供らしいが綺麗な上下一揃えの洋服、ピンクに近い赤色のスカートに、肩から下がるピンク色のポシェットが一体感もあって可愛らしい。
子供はミレイユの前で立ち止まると、ちょこんと頭を下げて緊張した顔つきで小さな口を開いた。
「こ、こんにちわ!」
「ああ、こんにちは。久しぶりだな、莉子」
ミレイユがそう声を掛けてやれば、一気に顔を赤くし興奮した面持ちで小さい手を胸の前で握った。名前を覚えられていた事が、相当嬉しかったようだ。
そこまで喜んでくれたら、こちらまで喜ばしい気持ちになってくるが、これはあの店員のアドバイスがなければ出来なかった事だ。ミレイユは莉子の名前の事はすっかり忘れてしまっていた。
とはいえ、子供が好きなミレイユだが、あまり子供に好かれるタイプではない。
大抵は嫌煙されるか遠巻きに見られるかという事が多いので、こうして側に寄ってくれる子供は希少だ。何か声を掛けてやりたいと思っても、こういう場合に適した言葉など思いつかない。
元より多弁なタイプでもない。どうしたものかと帽子のツバに手をかけて深く下げ、それから当たり障りのない言葉を投げかけてみる。
「莉子は……、何歳だ?」
「しきない、りこ、ごさいです!」
名字まで含んだその台詞は、そこだけ切り取って言葉にしたような不自然さがあった。同じ言葉を何度も繰り返し、自己紹介の決まり文句として言ってきた故かもしれない。
背後を振り返って母親に笑顔を見せれば、同様に笑顔を返して頷いている。よく出来ました、と褒めているようだ。
莉子は振り返ってから、今更気づいたかのようにポシェットに手をかける。丸い形のポシェットの上部にはファスナーで口が閉じられており、それを開きたいが上手くいかず困っているようだ。
見兼ねた母親が隣に座り込んで開けてやる。
そして中から取り出されたのは、折り紙で作られた梅の枝だった。
精巧な出来という訳ではない。恐らく、この莉子が自分で作ったものだろう。茶色の枝は二股に別れ、その先で合計三つの花が咲いている。
この花もまた折り紙で作られたもので、梅を模した小さな蕾が糊付けされているようだった。
莉子はそれを両手で持って、ミレイユに差し出して来る。
もしかしたら前回のお礼にと、自分で作って持ち歩いていたのかもしれない。店員の言葉を信じるなら、きっとこれを渡す為に何度もこの店を訪れていたのだろう。
名前も知らぬ相手なればこそ、一度会えたこの場所で再開できる事を願って、あしげく通っていた。
ミレイユは柔らかく笑んで、その梅を受け取るついでに頭を撫で、感謝を伝えた。
「ありがとう、莉子」
「うん!」
莉子は嬉しさが爆発してしまったようで、目を潤ませてミレイユを見上げた。
このぐらい小さな子供だと、帽子のツバを幾ら下げても顔を隠せるものではない。その視線はがっちり交わり、その顔も見られてしまっている。
子供にしては熱のこもった視線に困惑しながら、手元の梅に目を向ける。
ミレイユとしても子供の頃、折り紙で遊んだ経験はあるが、精々鶴が折れる程度で別の紙を使って組み合わせて何かを作った覚えまではない。
鶴が作れたのは、難しい折り方としては非常に一般的だったからという理由でしかなく、逆に簡単なものとなったら飛行機ぐらいしか作れない。
それを思えば、上手く梅の蕾も折れているし、片方を短くした枝部分もよく出来ている。もしかしたら何度も失敗した上で成功させたものかもしれないが、とはいえ五歳の作った折り紙として考えれば好ましい出来でしかなかった。
しかし、ここで一つ疑問が残る。
お礼にお花を送りたいと思って、しかし生花はいつ会えるか分からないから用意できない。感謝も示したいから折り紙にしようと考えつくのは自然に思えても、しかし梅の枝を選ぶのは珍しい事ではないだろうか。
子供らしいチューリップだとか、そうじゃなくてもより花らしい物を選びそうなものだ。
別にケチを付けたい訳ではないが、どうにも不思議な気がした。
その表情を見てかどうかは分からないが、莉子はおずおずと身を寄せてくる。莉子の背は低い、座ったミレイユの半分もなく、背を伸ばしても太もも辺りに顎が乗る程度しかない。
顔を寄せてくる莉子は、口の横に手を立てた。
内緒話をしたいと見えて、ミレイユも屈んで耳を寄せてやる。
「……ホントはオミカゲさまなんでしょ?」
そうして出てきた言葉に、ミレイユはぎょっとして顔を上げた。
無論それは単に顔が似ているというだけでしかないのだが、幼いこの子にはそれが姿を隠して町の一角に降りてきた神に見えたらしい。
以前ミレイユの顔を見て驚いたような様子を見せたのは、もしかしたら美醜を評したのではなく、自身の知るオミカゲと姿を重ね合わせて見たせいなのかもしれない。
そうすると、梅の枝を作って来た理由も分かってくる。
日本の神は古来より梅や桜の花を好むという。
ミレイユはオミカゲもまた梅を好むのかは知らないが、敢えて莉子がそれを選んだというのなら、他の神同様、梅の枝や花に何か縁があるのかもしれない。
ミレイユがどう返答したものか迷っているのが、図星をつかれて固まったように見えたらしい。
莉子は更に身を寄せるように背伸びして、囁くように言ってくる。
「だいじょうぶ、だれにもいってないよ」
「……そ、そうか、ありがとう」
ミレイユが困ったような顔で礼を言うと、莉子は嬉しそうに頷く。
もう用も済んだろうから母親の元に帰るのかと思ったが、莉子はそのまま離れず動かない。どうしたものかと母親の方を見ると、既に隣の席に座って注文も済ませ、子供の様子を見る事に決めたようだ。
こういう時、帽子のツバで顔を隠しているのが実に不便だ。
アイコンタクトで、どうにかしろ、どうしたらいい、等と聞くことも出来ない。何も言って来ないなら好きにしていい、という風にも取れるのだが、そんな無防備に子供を他人に預けて大丈夫なのかと不安になる。
しかし幾ら待っても、早く戻ってくるように催促する声もない。
莉子は相変わらず嬉しそうに見上げてくるし、それで仕方なく抱き上げて膝の上に乗せた。
「わぁ〜……!」
嬉しそうな顔と声を全面に向けて発し、膝の上へ実に嬉しそうに座る。あまり前に出ては落ちるかもと、自身に引き寄せるよう掻き抱いた。
ミレイユの腹直筋辺りが背もたれになるよう抱いて座らせれば、屈託なく笑って声を上げた。
「ママより、おっぱいおおきい!」
「あらまぁ、莉子ちゃんったら……」
母親からは、にこやかな声で反応があったが、その実底冷えするような雰囲気を纏っている。
子供ならではの遠慮も思慮もない感想は微笑ましいものだったが、今のミレイユは怖くてとても横を向けない。
「……そういう事を言ってはいけない」
小さく窘めてやると素直に頷き、そしてテーブルに座る他の面々に目を向けた。
アヴェリン、ルチアと続き、会計から戻ってきたユミルがアキラを押し退けて座っている。アキラが席の後ろで立たされているのを不思議そうな目で見て、それからミレイユに身を捩って笑う。
「みんな、すっごくきれい!」
「うん、みんな綺麗だな」
ミレイユが同意して頬を撫でて正面を向かせてやれば、飽きもせず他の面々を見つめていく。アキラは困ったような苦い笑顔を見せて、まさか自分はその感想に含まれていないよな、と考えるような顔をしている。
ルチアやユミルは澄ましたような微笑ましいような顔をしていたが、アヴェリンだけは膝に乗る莉子を羨むような視線で見つめていた。
一度は会計を済ませたミレイユ達だったから、ユミルが戻ってきたとなれば席を立たねばならない。会計には席料も含まれているから、何も頼まず座る訳にはいかないのだ。
注文を受けて品を持ってきた店員は、ミレイユ達を――莉子を見て我が事のように喜んだ。
「あら、莉子ちゃん。やっと会えて良かったねぇ!」
「うんっ!」
名前を知ってるくらいだから、お互い気安い関係なのだろう。テーブルの上に置かれた折り紙の梅枝を見て、微笑ましいものを見るような目で笑った。
しかし困ったのはミレイユだ。
これまでよりも、より一層顔を見せるのが困難になったし、席を空けて店を出ねばならない。軽い気持ちで膝上に乗せた事を後悔しながら、ミレイユは店員に詫びた。
「会計を済ませたというのに、いつまでも居座って申し訳ない。すぐに席を立つ」
「あら、いいんですよ! せっかく会えたんですから、もう少し一緒にいて上げてください」
空席があるせいもあるのだろう、気前よく言って店員は笑った。
席を立つと聞いて、莉子も悲しそうな顔で見上げてくる。
そのような顔を見せられてはすぐ帰るとも言えず、持ち上げようと胴に回していた手の力を抜いた。
「いや、すまないな。……何か頼んだ方がいいか」
「いいんですよ! でも、また何か見れたら、なんて期待しちゃいますけど」
商品を乗せていたプレートで顔の半分を隠して、茶目っ気たっぷりでそう言った。
下から熱い視線を感じて見れば、そこには期待を隠しきれない顔をした莉子がいる。身を捩り過ぎて怖いことになっているので、宥めて正面を向かせ、その頭を撫でた。
どうしたものかと思っていると、ユミルがニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべている。
アヴェリンもルチアも澄ました顔でお好きにどうぞ、と言った風だが、敢えてマジックショーをやるというには、ミレイユはそもそもマジックを知らなすぎた。
少し考える仕草を見せてから、ミレイユは結局見せる事に決めた。
やはり身を捩って見つめる、不安と期待を寄せる莉子の瞳に負けたからだった。
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