外へ その6
ミレイユは莉子を膝の上から降ろすと、正面に見据えて両手を取った。
「莉子、もう一度魔法を使ってみるつもりはあるか?」
「ある!」
間髪入れずの発言だった。頬は紅潮して大きな瞳は輝いている。
ミレイユはそれに頷いて、今度はその小さな両手を自らの両手で包む。そうすると両手がぼんやりと光って色をゆっくりと変えていく。
特に意味のない魔力制御で、何かを発動させようとしている訳ではない。
しかし周囲からは発光ライトでも、手の中で握っているように見えただろう。少し拍子抜けのように見えただろうが、本番はここからだ。
ミレイユが手を離せば光も消える。そして、三つ離れた空いたテーブルを指差した。
他のテーブルとは違ってパラソルはなく、白いテーブルクロスの掛かった丸いテーブルの席だった。椅子も二つしかなく、少数でやって来た客が日傘を必要としない時に使う席のようだ。
今日は日差しもあったので誰も席に寄り付かず、ミレイユ達が来てからもずっと空席だった。
莉子にそこへ行くように言う。
「いいか、莉子。今お前に魔法を使える力が備わった。だけど、一度だけだ。一度だけ、物を浮かせる力が身に付いた」
今はもう消えてしまった光と、何も無くなってしまった両手を不思議そうに見つめながら、しかし話が聞こえていた莉子は頷く。
ミレイユが指差したテーブルを見て、小走りに近づいていく。
それを見る母親も店員も、何が起こるのかと期待して笑っていた。
「莉子、そのテーブルクロスを掴むんだ」
「この、しろいの?」
そう、と頷いてやれば、クロスの端を無造作に掴んだ。
それを両手で掴むように身振り手振りで教えてやれば、そのとおり四角形のクロスの両端を掴む格好になる。
莉子自身、次はどうしたらいいと目で催促して来たが、既に事は始まっている。
ミレイユが後手で魔術を素早く発動し、念動力でテーブルを僅かに浮かした。その余りに小さな動きに、莉子はまだ気づけない。
しかし、その上昇が目につくようになれば、嫌でもテーブルが浮いた事に気がつく。
「まぁ……!」
ミレイユの隣から店員が感嘆する声を上げる。
莉子とミレイユを交互に見返し、何をやっているのか、そのネタを探ろうとしているが、しかし席を立つ事すらせずテーブルを動かすのは不可能だと悟って、驚愕した顔を見せた。
テーブルは更に上昇を見せて、既に莉子の身長よりも高い位置にある。
当然、テーブルの足から下には何もない。ゆらゆらと動いて見えるテーブルと唯一繋がる部分は、クロスを握る莉子だけだ。
それはまるで莉子が握る事によって浮いたようにしか見えず、不確かに上下左右へ揺れる様が、より一層初めて使う力を持て余しているように映る。
テーブルの重さ、そして上に掛けられたクロス一枚で持ち上げられる筈がないという常識が、それをまるで魔術のように見せていたのだが、実際それが正解で幾ら探してもタネは見つからない。
莉子は興奮した面持ちと同時に、落としたら拙いという緊張感から顔を赤くしている。
このまま持ち上げ続けていいのか、降ろすにはどうしたらいいのか分からないのが、それに拍車をかけているのだろう。
あまり長くてもだれてしまう。ミレイユは頃合いと見て、ゆっくりとテーブルを降ろしてやった。しっかりと接地したのを見届けると、莉子も手を離した。テーブルの上で腕を振って、糸か何かないかと探している。
実際、持ち上げようと思えば、下に何もない以上、上から吊り上げるしか方法はないのだ。
確認が終わって何もないと分かると、自分の両手を見つめて興奮したように声を出す。
きゃっきゃと笑って母親に抱きつき、ご満悦で持ち上がった瞬間のことを話している。
「なんかね、ぶわぁ〜ってなったの! そしたらかってにのぼってね! ぜんぜんおもくないの!」
「そうなの、凄いわね、りこちゃん」
「うん!」
頭を撫でられ、更に機嫌を良くする莉子を見ながら、横から声をかけてきた店員を帽子の裏から見つめる。
「いや、ほんと……。どうしたらあんな事が出来るのか、まるで分かりません。ご自身はテーブルに触れてもいないのに……!」
「不思議だな、魔法だな、と思わせたなら、私の勝ちだ」
「それはもう! 感動して震えそうですよ! いつも、ああいうショーをしてるんですか?」
「イヤ……どうかな、いつもはもっと勝手が違う」
何とも答え辛い質問に窮していると、ユミルやアキラから視線を受けた。何とも言えない苦り切った顔だった。タネを知っているからこその表情だろう。
子供に請われたからと、迂闊にやるべきではなかったかもしれない。
一頻り母親に感想を言い終わったと見えて、莉子は再びミレイユの元に帰ってこようとした。子供は構って欲しいと思えば幾らでも来るものだから、いいところでお暇しなくてはならない。
ユミルのあの苦い顔を思えば、尚の事続ける気力も失せていた。
ミレイユが立ち上がるとアヴェリンも同時に立ち上がる。
そうなれば、他の面々も立ち上がるのは当然だった。
莉子はミレイユが帰るつもりなのだと感じて悲しい顔をしたが、しかし我儘を言うつもりもないようだった。
莉子はミレイユの足に縋って、下から仰いで見つめてくる。
「あのね、りこね、もっとまほう、つかえるようになりたい!」
「おやおや……」
子供ながらの純粋な願いだった。
今日も含めて、ミレイユと関わって本当に魔法使いがいると確信してしまったのだろう。この場合、魔法使いと言うより神様と出会ったと思っているのかもしれないが、ミレイユにとっては同じこと。
どうやって、この純真な願いを壊さず断るべきか悩む。
そうして、幾らかの逡巡の後、膝を折って目線を莉子に合わせた。
「莉子、野菜は好きか?」
「ん……、あんまり……。でも、にんじんはすきだよ!」
「そうか。だが、それだけじゃ駄目だ。野菜は好き嫌いせずに食べないと」
「そしたら、まほうつかえる?」
ミレイユは柔らかく笑んで首を振った。
「それは分からない。だが私の知る魔法使いは、みんな野菜が大好きだ」
「そうなの?」
「そうとも。だからきっと、魔法の力は野菜にあるのかもしれないな」
全くのデタラメをそれらしく言いながら、ミレイユは頭を優しく撫でて立ち上がる。
母親からは感謝するように頭を下げられた。もしかしたら莉子の野菜嫌いは、相当根が深かったのかもしれない。
テーブルの上に置いてあった梅枝を手に取り、指で摘んで莉子に見えるよう左右に揺らす。
そしてそれを帽子の側面に挿した。莉子からは見え辛いだろうが、ここにある、と示すために二度ほど叩いた。
それで機嫌よく頷いて、莉子は母親の元に帰っていく。
まだ行かないでとか帰らないでと言わないのは、ミレイユを神様だと信じている故かもしれない。
それを見守っていた店員は、プレートを胸の下に抱いて一礼した。
「胸の奥が優しく締め付けられるような光景でした。貴女がお優しい方で嬉しいです」
「そう言われると複雑だが、何も私は優しいばかりの人間じゃないしな」
「それは誰しも同じでしょう」
そうかもな、と頷いて、ミレイユは今度こそ店を後にした。
背後からまたお越しください、という心からの言葉を掛けられ、莉子親子の横を通り過ぎる時には手を振っていく。角度的に、莉子ばかりではなくその母にも顔を見られたかもしれないが、帽子のツバに手をかけていたし大丈夫だと思う事にする。
そうして帰路に着く頃には、横に並ぶ一員の一人、ユミルから
「随分とお優しいコトで……。あんなサービス必要あった?」
「全くなかったが、私がやりたかった。……どうも、ああいう子供の笑顔には弱い」
「そうでしょうとも。そうじゃなければやらないだろうから」
ユミルが呆れるように言うのには理由もあるのだろう。
会計するより少し前から見られている、監視されているかも、と用心を口にしたばかりであの行動なのだから、そういう批判的な気持ちになるのは理解できる。
それに済まないと思う気持ちはありつつも、それより一つ、気にかかる点があった。
ミレイユはアキラを手招きして呼んで、傍に寄らせる。
「アキラ、今更だが……オミカゲの事が気になってきた」
「なりましたか!」
「……なんだ、やけに嬉しそうだな」
ミレイユが指摘したとおり、アキラの顔には驚きと喜びが浮かんでいる。気色悪いものを見た気分で眉根を寄せ、重ねて問う。
「何でそんなに嬉しそうなんだ」
「そりゃあやっぱり、きちんと知って貰いたいですから。煙たがっている人に説明しようとしたって余計に煙たがられるだけだし、だから自分からそう言って貰えれば嬉しいと言いますか」
「……なるほど、じゃあお前からは聞かないようにしておこう」
「何でですか!」
「変に熱が入って暴走しそうで怖いからだ」
自覚があるのか、ミレイユの指摘にアキラは黙ってしまった。
アキラが特別熱心な信者であるかと問われても、その常識を知らないミレイユに測れるものではない。これが標準かそれ以下だと思いたくはないが、下手に藪をつつきたい訳でもないのだ。
今まで先送り、あるいは自ら接近する事は避けようと考えていた。
しかし結界の発生はオミカゲが指揮している可能性がある。あるいは首謀者とも考える事ができた。それに自ら近づく事は、自分から危険に飛び込むのと同義だと思っていた。
しかし違う。
相手はこちらを監視している事は分かっている。
そうと分かっている相手に先手ばかり譲ると、後で後悔する破目になる可能性がある。意味があるかどうか分からないが、まずそのオミカゲがどの程度日本で受け入れられているのか、そして本当に結界の主であるのか確認しなければならない。
「面倒だし、非常に嫌だが……棚上げしていたオミカゲを、今こそ本格的に調べてみるべきかもしれない」
「あら、いいわね。退屈しないで済みそう」
「だから嫌なんだ」
喜色を声に浮かべるユミルとは反対に、ミレイユはげんなりと吐き捨てた。
一番端を歩いていたルチアが、顔だけ前に出して問うて来る。
「でも、調べるといってもどういった内容を? スマホで調べられる範囲なら、もう私も見てますけど」
「そこなんだよな……」
事実、過去にミレイユも気になって調べた部分でもある。
この日本に降り立って、一番大きく分かりやすい違いなのだから、アキラのタブレットを使って調べてみたのだ。
しかし当然、そこに載っていた記事など表面しか見えない部分が、ミレイユの知りたい内容に触れている訳もない。より深く知りたいと思えば、例えば図書館なども有効かもしれないが、それにしても結界については眉唾の部類だろう。
それを思えば、まず行ってみたいと思う場所があった。
「御影神宮に行ってみるのはどうだ?」
本尊であると同時に、実際にオミカゲ様が住まうとされる場所だ。
毎日多くの信者や観光客で賑わう場所でもあるから、相当な混雑が予想されるが、訪れてみれば相手の出方が見えるかもしれない。もしかすると、直接間接問わず、接触もあり得た。
ユミルは頷き、そして他の面々も順次頷いた。
「いいんじゃない? そもそも待ちの姿勢っていうのがアタシ達に合ってないのよね」
「ミレイ様の決めた事、なればそれに着いていくだけです」
「私も別にいいんですけどね、場所も遠い訳じゃないですし」
バスを乗り継ぎ電車で行けば到着する距離でもある。
調べた時、その予想以上に近い距離には驚いたものだった。
準備はすぐに済ませられるだろうが、問題はアキラだ。連れて行くかどうか、そこから考えなければならないが――。
「勿論、僕も行きますよ」
何かを決定する前にアキラが熱弁した。
「色々と解説するにも、やっぱり詳しい人が必要でしょうし。何かにつけ、見るたび変に曲解して勘違いするのも嫌でしょう? ……ただ、どうしても邪魔だと言うなら諦めます」
「確かに、私達は外でスマホは使えないしな……」
見るものの多くは宗教的解釈を排する必要もあるだろう。それを日本の常識すら万全ではない者たちが見れば、それを正確に読み取れない事態が発生するのは予想できる。
問題は攻撃があった場合だ。
よもや門前で襲撃に遭うという事もあるまいが、唯一仮想敵として見ている相手の懐に飛び込むのだ。何かあってからでは遅い、と思ったが、余りアキラを過保護に扱う必要もない。
最初からアキラの身の安全を優先してやる気持ちもないではないが、自分の身は自分で守れ、という教育方針でもある。煩いことを言うより、好きにさせる事を選んだ。
「では、お前のしたいようにしろ。着いてくるというなら、出発はお前の休みの日に合わせよう」
「ありがとうございます」アキラは頭を下げる。「今週は祝日があって連休になってますから、時間を気にせず使えます。それに、来週まで待たせる事はないですし」
「うん、じゃあそれで行こう」
それぞれの了承の意が返ってきて、ミレイユ達は帰路を進む。
山の稜線には陰りが増し始め、日の傾きも大きくなっていた。雲は高く、流れは早い。鳥の鳴き声が遠くに聞こえ、車の走行音が近くを過ぎる。
そこだけ切り取って見れば、ミレイユの良く知る日本だと思った。
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