御影神宮 その1

 アキラはその日、休日を利用し午前中から移動していた。


 休日だからと多めに鍛練の時間が割かれ、思う存分打ちのめされた身体で動くのは辛かろうと、ミレイユは気を利かせて水薬をユミルに用意させていた。

 お陰で万全に近い状態で動けている。有り難い事には違いないが、それならむしろ鍛練時間を短くして欲しいと思った。

 しかし、思ったところでそんな事はおくびにも出さない。アキラに文句を言う権利は一欠片もないと理解している。


 現在はバスを乗り継ぎ、電車を利用するため最寄りの駅構内に立っていた。この乗り場からなら、電車一本で御影神宮前まで行ける。


 神宮駅前も大変に賑わっていて、昔ながらの老舗や、ここ数十年の成長を続けるデパートなど、多くの店が軒を連ねている。神宮に寄る前に、あるいは寄った後に多くの参拝客を満足させるだけのサービスが多様に揃っている。


 景観を損ねるという理由から、神宮近くの店は老舗が独占している状態なのだが、そこだけ時代を切り取ったように並ぶ店々は一見の価値がある。

 ミレイユ達にも是非見て貰いたいと思っているのだが、それにはまず電車に乗り込んで貰わねばならない。しかし最寄りの駅構内に入ってからというもの、ルチアとユミルの暴走は目に余った。


「いいから戻ってこい。ユミル、さっき飲み物を買ったばかりだろう」

「それはそうだけど、でもこれ形状が違うじゃない。何で違うの? 同じじゃ駄目な理由があるなら、それを知りたいと思うのは当然じゃない」

「どうでもいいだろうが、そんな事は。メーカーの都合だろう」


 ユミルはその持ち前の探究心から形状の違う自販機に目が釘付けで、見るだけならば良かったのだが、実際に触れる上に、壁にめり込むように設置されたそれをどうにか見られないかと奮闘していた。

 それを嗜めるのにミレイユが動いたものだから、その隙をついてルチアがやはり好奇心を発揮して勝手に動いてしまっている。

 アヴェリンはミレイユの傍にぴったりと寄り添っているせいで止めるよう求めるのは無理だし、そうなるとアキラが動くしかないのだが、アキラの苦言ごときで止まってくれる彼女でもない。


「お願いしますよ、ルチアさん! 戻ってくれないと僕が怒られます!」

「でもですよ。これどういう仕組みで切符が出てくるんですか?」


 アキラも見ずに券売機をぺたぺたと触れて回る。それから一人で上から下まで舐め回すように見つめて呟くように言った。


「この裏に人がいないのは知ってますよ、自販機にもいない事だって知ってます。でも、だったら何故こんな画面に触れただけで切符が出てくるのでしょうか? 不思議ですね、謎ですね」

「謎は謎のままにしておきましょうよ。知りたい事全て知ろうとしてたら、時間が幾らあっても足りませんよ!」

「それは私のプライドが許しません。知ろうと思ったら、まず知らねば」

「だったとしても、今だけはそのプライドは置いといて下さい!」


 アキラの必至の懇願も、ルチアには全く届かなかった。

 言葉は無視され、他の利用客の邪魔になろうとしているのに、その場を退こうとしてくれない。切符だけは先に買っておいて良いと思うのだが、ルチアに任せてしまうと関係ない切符を購入しそうで怖い。


 ミレイユに助けを求めようとして背後を振り向けば、ユミルをようやく自販機から引き剥がすのに成功したようだ。ユミルの腕を取って構内の一角に立たせている。


「いいか、ここにいろよ。いま切符を買ってくる」

「はいはい、行ってらっしゃいな」

「……ここだぞ、いいか? ここだ、この上、この場から動くな。意味は分かるな?」

「分かったってば」


 ミレイユは念には念を押して、幾度も足元に指を向けている。そう何度も良い含めている理由は明らかで、ユミルの表情がまるで信用ならない事に起因する。

 今も手の平をプラプラと振って余所見をして、興味のある物に目移りしている。


 帽子の下からでも分かる苦々しい顔をしながら、未練がましい態度で一度振り向き、そしてようやくこちらの方へ向かってきた。


 それに気づいたルチアが場所を譲って、早く切符を買えと催促するような仕草を見せる。

 他の客が買っていくのは横目で見ていたが、まさか顔を突っ込んで見るほど常識知らずではない。しかしミレイユが買うところなら、それが許されると思っているようだ。


 ミレイユは券売機の前まで来ると、背後を親指で差してアキラに顎をしゃくった。


「私が買っている間にユミルが何処か行かないよう、見張っていてくれ」

「分かりました……」


 ルチアの時がそうであったように、アキラにユミルを止める手段はない。

 アヴェリンがミレイユの傍を離れたがらない以上、他の誰か――アキラに頼むしか道はないのだ。それは分かるが、アキラが顔を向けた時には、そのユミルの表情が歪に笑った。


 アキラが傍で立ち止まると同時に、お互いの腕を搦めてぴったりと寄り添う。

 恋人のような距離だが、決してそのようなつもりでくっついた訳ではないとアキラは理解している。そしてその考えは直後、確信に変わった。


「あそこに何か小さなお店があるじゃない?」

「キロスクですか? ありますけど……、まさか行きたいとか言わないですよね?」

「腕を折られたくなければ、連れて行きなさいな」

「そんな頼み方ないでしょう!?」


 アキラは身を捩って引き離そうとしたが、その程度でユミルを振り解く事は出来ない。

 そのまま更に身を寄せて、耳元に口を寄せる。囁く吐息が耳に掛かってこそばゆいが、みしみしと音を立てる腕が、そんな甘い感覚を吹き飛ばしている。


「アタシは動くなって言われてるけど、連れ去られるなとは言われてないから。アンタが無理矢理動かしたっていうていで行きましょうよ」

「嫌ですよ! それ僕が怒られるやつじゃないですか!」

「いいじゃないの、いつも怒られてるんだから。慣れたものでしょ?」

「慣れた扱いならユミルさんの方が上じゃないですか! 勝手に行って、勝手に怒られて下さいよ!」

「あらやだ、すっかり反抗的になっちゃって」


 内向魔術を身に着けたとはいえ、そもそもの魔力総量に隔たりが有り過ぎるせいなのか、全力を出しても抜け出せない。異音を立てる腕も万力で締め付けているように動かなかった。

 しかし、そうして抵抗した甲斐はあったらしい。切符の購入を済ませたミレイユ達が、こちらに近づいてくる。


 時間切れを悟ったユミルが、舌打ちと共に腕を放った。

 痛みはあるものの、異音を発していたとは思えないほど動きに問題はない。そこは流石に内向魔術士といったところだった。


 アキラの傍までやって来たミレイユは、切符を渡しながらジロリとユミルを見つめた。


「何か馬鹿なこと言い出していなかったろうな?」

「まさか、別に何も? ただ興味深いものあるわよねぇ、とかそういう世間話していただけよ」

「よく言うよ……」


 腕を擦りながらボヤいたアキラに、ミレイユが苦労をにじませた声音で言った。


「今日のユミルは何故か非常に面倒臭い。抑えていたものが溢れたのかもしれん。……よろしく頼むぞ」

「よろしくされても、ユミルさんは止められないですけど……分かりました」


 その声音に根負けしたように、アキラは頷いた。

 目の届く範囲ではミレイユも気に掛けてくれるのは間違いないのだ。項垂れたい気持ちはアヴェリンからの視線で諌められ、背筋を伸ばして前を向く。


 受け取った切符を片手に、改札口へと向かうミレイユの背を追った。




 改札口を過ぎて階段を昇れば、すぐにプラットフォームが見えてきた。

 市街地を貫くように走る線路が遠くまで見える。電車を待つ乗客たちの数は疎らだったから、ミレイユ達の存在はそれほど目立たずに済んだ。


 時刻表を事前に調べて来ているとはいえ、電車がやって来たのはプラットフォームに足を着けるのとほぼ同時だった。ユミル達の暴走がなければ、もっと余裕をもって電車を待てただろうに、と思いながら目を向ける。

 それと同時にアヴェリンがミレイユの前に身体を割り込ませ、電車の盾になるよう後ろへ庇った。


「ミレイ様、お気をつけて。何か来ます……!」

「ああ、そうだな。電車だな」


 それはアキラにとってもよく見慣れたフォルムの電車で、別に急加速でホームに入って来ているという訳でもない。目前を通り過ぎる時には風が髪をなぶったが、標準的な速度だったと思う。

 線路から脱輪でもしない限り突っ込んでくるような危険はないのだが、彼女にとってそんな台詞は慰めにもならないのだろう。


 恐ろしく感じるほど真面目な視線で電車を見送り、動きが止まると同時に空気の排出音と共に扉が開く。先に乗客が出ていくのを見送って、次に待っていた人達が乗り込んでいくのを見ながら自らも電車に入って行く。


 来る時バスに乗った時同様、アヴェリンに座る位置を指示され、そのとおりに座っていく。

 ルチアはさっそく背もたれに手をかけて窓の外を見つめた。目を輝かせて窓の外を見る美少女というのは、非常に画になるもので、それぐらいのやんちゃなら歓迎したいくらいだった。

 乗客が多い状態ならマナー違反だが、空席も目立つ現状なら、そう問題視される事もない。


 これから神宮駅に近づくにつれ乗客も増えていくだろうから、その時見誤らずに注意すればいい。

 アキラはそう思って前に向き直った。横目で伺う限り、ミレイユも問題には感じていないようだ。周囲の乗客を気にして帽子を深く被り直している。


 観光客も多いこの地にあっても、やはりこの美貌の集団は良く目につく。座席の一角に集った彼女たちに視線が集まるのは当然で、だからミレイユには今日までの間にサングラスを購入してもらっていた。


 流石に人混みの多さが桁違いの場所で、横から見られるリスクを減らすのは難しかった。見られれば騒ぎになるのが間違いない場所に行こうというのだから、せめてサングラス程度の準備がなくては危なくて行けるものでもない。

 本当はマスクもさせたかったぐらいだが、それはアヴェリンに却下された。


 サングラスでさえ難色を示したくらいだったが、それはアキラの説得と同時にミレイユが頷いたから通った話で、そのサングラスも選ぶとなれば大変な事だった。


 最終的に決まったサングラスは上品さすら感じられる一品で、レンズの大きさ事態はそれ程でもない。その顔を覆う面積の少なさから、最初はそれじゃ意味がないと言ったアキラだったが、結局は折れる形で納得した。

 アヴェリンが主張したように、ミレイユの品位を損なうような物なら身に着けない方がマシだという意見は、分からないでもなかった。


 アヴェリンのミレイユに関する審美眼は実際馬鹿にしたものでもないのだが、しかしこうして改めて見ると、まるでマフィアの女幹部のような凄みがあって怖い。

 その視線が表情に出ていたのだろう、ミレイユが怪訝に首を傾げた。


「……どうした?」

「いえ、何でもありません。失礼しました」


 改めて前に向き直り、電車が発進されるのを待っているところでベルが鳴って動き出す。横向きに身体が揺れ、ミレイユの肩に触れないよう気を付けながら進むに身を任せる。

 御影神宮に行くのは勿論、初めてではない。初詣は必ずそこと決めているし、何かに付けて訪れる機会のある場所だ。


 今日行くのは決して観光でも物見遊山でもないが、しかし心の何処かで参拝する喜びを感じ、胸踊らせるのを抑える事が出来なかった。

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