御影神宮 その2

 神宮駅のプラットフォームへ、最初に降り立ったのはアキラだった。

 喜び勇んで飛び出したのではなく、アヴェリンにそう指示されたからだ。

 懸念していたとおり、神宮に近づくにつれて乗客の数は増え、そしてアヴェリンも警戒を強めずにはいられなくなった。他の乗客に続いて降りるというには、周囲を人に囲まれ過ぎると判断したようだ。


 最初にアキラを降ろし、その先で警戒をさせた上でアヴェリンが前に立って降りて、他の二人に後ろを警戒させようというつもりらしい。

 アキラも一応、周囲に気配を向けるものの、参拝者と観光客が大勢いるという事くらいしか分からない。敵意や殺意というものは既に実感して知っているものの、まさか神のお膝元で犯罪を起こそうという輩もそういないもので、誰もが穏やかな気配を発している。


 それでも任された以上は下手な真似は出来ず、警戒しながら残りのメンバーが順次降りてくるのを待つ。

 流石に神宮駅といったところで、自分たちの最寄り駅とは雲泥の差がある。大きく広いプラットフォームはその利用客の多さを如実に物語っていたし、実際単なる参拝者以外にも病気や怪我をおしてやって来ている人達も多く見る。


 それを支える為のバリアフリー設計も随所に見られ、無事に辿り着けるよう配慮がある。そもそも自力歩行できないような重篤者は車で来るなりするだろうし、助け起こす必要のあるような人は早々見ない。


 全国各地に分社があるから、無理をしてでも神宮を選ぶ必要はないのだが、神のお膝元の方がより良くより早く治ると考える人は一定数いる。

 そのような事実はないと神宮から公式な声明は出ているものの、縁起がいいと験を担ぎたいと誰もが思うものだ。アキラとしても、動く元気があるなら近い方より神宮を選びたい気持ちがある。


 そうして待っていると、降りる乗客の最後尾でアヴェリンを先頭にミレイユ、ルチア、ユミルの順に降りてきた。

 アヴェリンも一度ぐるりと辺りを見回し、それからルチアへ顔を向ける。彼女からも大丈夫というように頷きが返ってくれば、それでようやく形ばかりではあるが警戒を解いた。


 アキラは先導して階段のある方向を示す。


「さぁ、それじゃあ外に出ましょう」




 駅周辺に限って言えば、現代的な建物が多く並ぶ区画だった。

 商業施設の入った五階建てのビルやマンションなどが立ち並び、アキラ達が質屋などの用向きで立ち寄った街とそう大差はない。

 ただし、高層ビルはなかった。

 それもその筈、あまり近所に高いビルを立てるという事になれば、それは即ち神様を見下ろす形となり、明確な不敬不遜となり得る。


 それだけで神の怒りを買うのかと疑問に思うが、神宮勢力が頑なに否定するので建てられなかったという事情がある。

 神宮の鎮座する地は小高い山の上にあり、八百年以上の歴史を持つ建築物でもある。長い歴史を持つ故に何度も修繕はされているが、しかし地震や火事などで焼失した事は一度もない、由緒ある建物でもあるのだ。


 小高い山はまるで三方から巨大な掌で、周囲から土を押し盛られたように見える事から、三掌山と呼ばれる。

 駅から暫く道沿いに進めば左手にその姿が確認でき、なだらかな斜面の坂は老人の足でも昇れる程だった。


 その道を曲がった先からは、アスファルトではなく石畳に変わる。道幅は車道と同じであるものの、車で通行する事は推奨されない。

 多くの時間帯で歩行者専用道路となっていて、朝の八時から夜十時まで車の通行は禁止される。ただ救急車であったり、あるいは御由緒家の許可が降りた場合などは例外に当たる。


「しかし、凄い人の数だな……」

「まるで祭りみたいです」


 アヴェリンが言って、ルチアが同意して頷いた。

 その感想も当然、見渡す限りといって良い人達で溢れかえっている。今日は特別祭事が執り行われる日ではないが、休日祝日の参拝者数としては平均的なものだ。


 アキラはミレイユ達と揃って歩きながら、その歩行者道路を参拝者たちと共に歩く。道の左右には土産物屋、食事処が建っていて、店の雰囲気がここから違う。

 まるで時代劇映画の中に入り込んでしまったかのように錯覚する程、店構えが現代と違う。多くは木造であったり漆喰を使って塗り固められたような外壁で、瓦屋根を用いていたりする。


 道行く人とは対象的に店員は和服を着ていて、熱心な参拝者もまた和服を身に着けている。

 オミカゲ様が和服を好むというのは広く知られた事実で、御神の為の御用達店である呉服屋は常に数年待ちの予約で埋まっているというのは有名な話だ。


「しかしこれはまた……面食らうわね」

「この日本に来た時も、まったく違う世界に来たのだと実感したものだったが……」

「ちょっと違う程度だと思ってました。まるで別世界ですよ」


 それぞれが口々に感想を言って、アキラはさもありなんと頷く。

 ミレイユはやはりというか、三人の表情を面白そうに見ているばかりで面食らっている様子はない。日光にも江戸村などがある位だし、奈良や京都には似た雰囲気の街もある。彼女からすれば、それぐらいの気持ちなのかもしれない。


 多くの人がスマホを翳して、あちらこちらと写真を撮っている姿も見える。

 それらの姿を見るともなく見て視線を戻すと、ルチアとユミルが土産物屋へ吸い込まれそうになっているのを、ミレイユとアヴェリンが止めていた。


「何か気になる感じがするんです! ちょっと、ちょっとだけ……!」

「あそこには何かがある。アタシには分かるの!」

「それを許せば時間があっという間に溶けるだろうが。そういう事は用事が済んで、余裕があったらにしろ」


 ミレイユに窘められれば、二人とも大人しく動きを止める。

 拘束が緩み、手を離したところで土産物屋に突撃しようとして、やはりあっさりと捕まっていた。

 してやったりと思ったのかもしれないが、ミレイユは先手を読んでいたように動いていたし、アヴェリンは単純に見てから対応で間に合わせていた。


 ユミルは苦り切った表情で顔を歪めて店を見つめていたが、ミレイユが首に腕を回した事で動きを止めた。まだ力は入っていないようだが、既にタップを始めている。


「いや、ちょっと。悪かったから、悪ふざけが過ぎたわね……!」

「一度くらい、ここで首を折っておくのもいいんじゃないか? 記念にもなるだろう」

「流石に首を折るのはどうかと……」


 ミレイユの容赦が見えない言葉に、アキラも流石に苦言を呈した。

 幾ら行動に難があったからといって、この往来の真ん中で殺人事件を起こされるのは拙い。


「首を折ったぐらいじゃ死にはしない」

「いやいや、死にますよ。どういう言い草ですか、それは」


 アキラは首を振って否定したが、ミレイユは元よりユミルも不思議なものを見るように見返してきた。思わずたじろいだアキラだが、一秒の沈黙の後、素直に頷いて腕を離す。


「……そうだな、下手な騒ぎを起こすのは得策じゃない。ユミルもこれから大人しくすると約束したしな」

「いや、別に約束はしてないわよ」


 このタイミングで良くそんなこと言えるな、とアキラは思ったが、ミレイユがサングラスの奥から眼を光らせ睨みつけた事で、ユミルは大人しくなった。

 ルチアには何も言わず頭を撫でただけだったが、それだけの事で借りてきた猫のように大人しくなってしまった。


 やっぱり怒らせると怖いんだなぁ、とアキラは思った。

 しかしそうでなくては、この曲者だらけの集団でリーダーなど出来ないだろう。チームの中の最年少でも皆を纏められるというなら、やはり相応の理由があるものだ。


 アヴェリンもそれでルチアを拘束から開放して、ミレイユの右後ろ――定位置につく。

 そして促すようにアキラへ顔だけを向けた。


「この道を進むのでいいのか?」

「はい、ですね。しばらくすれば鳥居が見えてきますので」


 周りを見れば、店に立ち寄る客も多く見えるものの、一つの方向に進む客もまた多い。実際この午前中という時間帯ならば、参拝に向かう人の方が断然多いのだ。

 花を供えるという訳でもないので基本的に手ぶらでいいし、だから途中で何か買い足して行く必要もない。


 一説に、神が求めるのは感謝と信仰だと言う。

 それと明確に口にした記録はないとされるが、しかし健康である事、健康になる事へ感謝を捧げない人はいない。もしそれを求めているのなら、オミカゲ様ほど捧げられる神もいないだろう。


 ミレイユが歩き始めると同時にアヴェリン達も動き出し、アキラもその背へ着いて行く。

 周囲には雑多に動く人々と、熱気を感じる声音があった。

 誰も彼もが笑顔で神宮方面を見ては、隣に立つ人達と笑みを交わしている。神の庇護下にある事を肌に感じて、誰もが嬉しくて仕方ないのだ。

 昨今は、その風潮も下火になっていると聞いていたが、これを見る限り杞憂に思えた。


 遠くに大きな鳥居が見えて来て、アキラは改めてその奥におわすオミカゲ様へ、頭を垂れる気持ちで顔を向けた。

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