孔を抜けた先は その6

「それに、アタシ達も最初現世へやって来た時には、それなりに世話になったじゃないのよ」

「だが、必須という訳でもなかったろう。宿も飯も、即座に困窮するという状況でもなかったし、命の危険すらなかった。放り出されたところで……」


 持論を展開しようとしていたアヴェリンは、そこで一度言葉を切った。

 アキラに向けていた目をミレイユに移し、そしてルチアとユミルへと一周して帰って来る。それから不承不承に頷いてから続けた。


「そうだな、我々にはミレイ様がいた。万事取り計らってくれたろうし、そもそもが生まれ故郷だ。ミレイ様に着いて行けば問題ない、という安心感もあった」

「生活する為の資金だって、得るための協力はアキラ頼みでしたね、そういえば」


 ルチアは当時のことを思い出すように見上げ、アキラに顔を向けて頷く。


「そう考えると、問答無用で放り出すのは不義理なのかもしれない、と考えてしまいます」

「そもそもの前提を混同しているぞ。ミレイ様の目的は休養のようなものだった。過度な贅沢を望んでいた訳でもなく、ただ静養できればそれで良かった。――対して、ここではそうもいかない。目的からして違う。多くの努力を強いられるだろう」

「まぁ、努力は前提として当然でしょ。アタシ達だって現世で馴染む努力をしなかったワケじゃないんだから。……そういう意味じゃ、スマホは実に役に立ったわね。こっちにそんなモノないし」


 ユミルが反論するように言って、複雑な表情で首を振った。

 仮にガイド本やサバイバル術が載った本があったとしても、アキラに読めるとは思えない。そう思って、唐突に思い至った。


 こうして普通に話しているが、そもそも会話できていたのは魔力のお陰という事らしかった。翻訳魔術みたいなものが電線を通して放たれていたから、という理由だったが、それだと今アキラと会話できてることの説明がつかない。


 アキラがそのように聞いてみると、ユミルは呆れを通り越した顔で言った。


「アンタね、そんなのアタシ達が日本語を話してやっているからに決まってるでしょ。馴染む努力をするって意味分かる? 今ならそんなコト思わないけど、あの翻訳魔術に全幅の信頼を置くワケないじゃない。文字を覚えるのと同時に、日本語の発音だって覚えていったわよ」

「そうだったんですか……。そんな素振り見せないから、てっきり……」


 だが確かに、ユミルだけに留まらず、ルチアもタブレットの使い方を即座に理解していた。

 それは地頭の良さから出来る事なのだろうが、単に操作だけでなく何が書かれているのかすら理解していたように思う。即日に全て理解できた訳でもないのだろうが、アキラは日本語について説明を求められた事も、解釈を求められた事もなかった。


 あるいはアキラの知らないところでミレイユに聞いたりしていただけかもしれないが、会話はともかく文字の読み書きで何か苦戦しているところを見た事がない。


「まぁ、魔術書の解読に比べたら簡単だってトコもあるから、同じコトをアンタにも直ぐ出来るように求めるつもりはないけど。だけど、アンタも言葉については覚えた方が良いわよ」

「そうですね……。それについては、僕も努力を怠ったりしません。……そうなると、師匠も言葉だけじゃなくて文字も読めてたんですか?」


 感心してアヴェリンへと顔を向けると、当の彼女は顔を背けて目を合わせない。

 おや、と思っていると、ユミルは嫌らしい笑みを浮かべた。


「アヴェリンは読み書きできないわよ。言葉については勝手に覚えただけでしょ。日常的に使われてれば、勝手に耳が学習していくものだから。でも文字は覚えようとしないと無理なのよね」

「別にいいだろうが。我々はチームだ、多くの事を分担している。読み書きは必須でもない」

「そうね、でもアキラはチームなんて持ってないのよね」


 ユミルがしたり顔で言うと、ルチアは不服そうに眉を顰めた。


「私たちとは前提の多くが違う、という事は分かりましたよ。互いに世界を超える際には勝手に付いてきた身とはいえ、片や頼れるチームと共に、片や独りの身で。休養でやって来たつもりと、抗争であった場合。身の危険が有るか無いか、言語のサポートがあったかどうか。色々と不利な条件が、アキラに偏っているのは認めます」

「だが、そこで情けを掛けて味方に引き入れるのも違わないか。味方が必要という話に戻すなら、これに味方足り得る力量はない、という話にもなるぞ」


 そこにはアキラとしても、同意しなければならないところだった。

 努力で超えられない壁というものは存在する。アキラがどれだけ誠意と努力を向けたところで、報われない事はある。必死になればミレイユ達と並び立てるだけの実力を持てるか、と言われても素直に頷けるものではないだろう。


 ユミルが先程から味方してくれるのは素直に有り難いが、アヴェリンにああ言われてしまえば閉口するしかない。

 そもそも先行きを全く見ずに、感情に任せて飛び込んだアキラの自業自得とも言える。

 だが、ユミルは首を横に振って笑みを引っ込めた。


「そこで話は、じゃあ敵は誰だ、という話にもなるのよね。言ったでしょ、奴らは目的を遂げる為なら、一重も二重も策を用意する相手よ。味方を欲していると知れば、手先を送るぐらいの事はすると思わない?」

「内部事情をうかがう為に? 可能かどうかは引き入れる味方の数にもよるでしょうけど……、やるかどうかというなら――やるかもと思えますね」


 ルチアが険しい顔をして同意すると、アヴェリンもそれには頷く。


「お前の主張は認めるが……だから味方は増やせないと? アキラで妥協しておけと言うのか?」

「そうじゃないわよ。アキラ一人でどうなるものでもない、足手まといって言うのはそのとおり。でもね、アキラは間違いなく神々の息が掛かっていない、掛け値なしに疑わわないで済む相手なのよ。それって結構、貴重だと思うのよね」

「まぁ……、裏切らぬ相手、という意味では確かにな」


 アヴェリンの険しい視線がアキラを射抜く。

 確かに、アキラが主張できるポイントとしては、最早それ以外残っていない気がした。何一つ貢献できないとしても、裏切る事だけはない。

 それだけは断言できる。だが同時に、裏切らないという信頼一つで全てを納得させられる訳でもない事は自覚していた。


「……別に私も積極的に排除したい訳ではない。しかしな、結局決めるのはミレイ様だぞ。恐らくミレイ様も同行は認めまい。私が声高にアキラの同行を認めないのは、最初から面倒を省く為でもある」

「そうね、決めるのはこの子よ。ある程度の損得を提示して、それで納得するかどうかよね。駄目と言われたら、やっぱりどこかに置いて行くしかなくなる」


 ユミルがそう言って目を向けてきた。

 アキラは素直に頷く。


 勝手に付いてきたのはアキラだ。事前に来るなと止められてもいた。それでも付いて来て、だから同行を認めろ、という主張は通らない。むしろミレイユには拒否するだけの権利がある。

 駄目と言われたら、アキラは素直に引き下がるしかなくなるが、それを飲み込めないというなら、完全な拒絶を突きつけられても文句を言えない。


 だが実際、ユミルがアキラをそこまで高く買ってくれた事は嬉しかった。

 アキラは頭を深く下げて感謝を示す。


「ありがとうございます、ユミルさん。勝手に付いてきただけの僕に、そこまでフォローしてくれて」

「まぁ、邪魔だと思えば、いつでも捨てるつもりでいるけどね。結局、今のところ損がないから置いておこうっていうだけで、今後害を為すようなら置いていくし」


 らしいと言えばらしい台詞に、アキラは曖昧に笑んで頷く。


「えぇ、それでも構いません。ミレイユ様次第でしょうけど、味方してくれた事には素直に感謝します。……僕も、ミレイユ様がどういう理由で孔に入ったかも、その先で何をするつもりでいるのかも知りませんでした。本当に邪魔にしかならないなら、僕が邪魔するような事、したくありませんから」

「……そうでしょうね。神に喧嘩売ると知って、付いてくるワケないでしょうし」

「さっきもチラチラと言ってましたけど、ミレイユが孔に入った理由は、神様と戦う事なんですか?」


 確認というより、そうであって欲しくない、という念押しのつもりで聞いた。

 神と言ってもアキラが知っているような内容ではなく、つまりオミカゲ様のような存在とは別の、凄く強い個人か何かを指しているのだと思っていたのだが、ユミルの表情は無情に満ちていた。


「んー……間違いじゃないけど、戦う為に入った、というのとは、ちょっと違うのよねぇ。火の粉を払う、っていうのも少し違う気がするし」

「繰り返す時の流れから、抜け出す為でもあるんだろうさ。オミカゲ様のご心痛を思えば、私も腸が煮えくり返る思いがする……!」


 アヴェリンが犬歯を剥き出しにする獰猛な表情を見せると同時に、膨らんだ敵意が周囲に向かって広がった。自分で気付いて即座に収めたものの、それだけで周囲の獣などが逃げ出したのが分かる。


 悲鳴や鳴き声が突如として上がり、焚き火が立てる音ばかりだった森が急に騒がしくなる。

 アキラも背筋が凍るような思いがしたが、やたらと暴力を振り回すような人ではないと知っているから冷静でいられる。

 実際、嘆息して佇まいを正すと、器の中のお茶を飲み干せば、すぐに冷静さを取り戻した。


 だが、アキラからすると、会話の繋がりが全く分からない。そこでオミカゲ様の名前が出てきた事は重要な事だと思うのだが、それが神々と戦う事や、繰り返す時、火の粉を払うという部分と、どう関係するのか全く見えなかった。


 アキラが堪りかねて聞くと、アヴェリンは煩わしさを隠そうともせず答える。


「お前が知る必要のある事じゃない」

「――でも、知っておいても良いんじゃない?」


 アヴェリンの切り捨てるような、にべもない返答に、待ったを掛けたのはユミルだった。

 眉根を寄せて、アヴェリンが詰問する。


「何故だ」

「単純に不便だから。何が有意義な発言があるかは別にしろ、蚊帳の外にいたんじゃ会話もままならない時も出て来るでしょ。今さら隠すようなコトでもないし」

「……秘密にするような事でもないのは確かですけど、それって同行を許可されてからでも良いのでは?」


 ルチアが言葉を差し込むと、それにはユミルも大いに頷く。


「だと思うけど、まぁ……暇つぶしよ。アタシとしても、自分で整理して納得したい部分なのよ。何も知らないヤツなら何かの気付きがあるかもしれないし、そういう意味でも聞いて貰って良いかもと思うのよね」

「気付き、ですか……」


 ルチアが疑わしそうな目を向けてきて、アキラは針のむしろのような思いで肩をすぼめた。

 何かを期待されても、そういった頭脳に関する部分に自信はない。だが、気になる内容に触れられるというのなら、アキラとしても否応はなかった。


 アキラは催促するようにユミルへと頷くと、彼女は挑発するように肩を竦めてから口を開いた。

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