孔を抜けた先は その5
スープはシンプルな内容で、干し肉と何か乾燥させた草を、それぞれが出す塩っ気や風味で味付けされたものだった。
それにスライスされたパンが付き、スープに浸さなくても良い薄さで食べられるようになっている。食事内容は実にシンプルで、腹に溜まるようなものではない。
だが、野営の食事というのは大抵こういうものだと言う。
アヴェリンがしたり顔で言った。
「腹が満たされれば眠くなる。少量を複数に分けて食事を取った方が、見張りをするにも効果的だ。このような場所で深い睡眠が取れるものではないが、火を絶やすような真似は許されないからな」
「襲って来ないと分かっていても、見張りは必要なものですか」
「当たり前だろうが。そもそも寝込みを襲うなど常套手段で、魔獣の背後にいるかもしれない魔物を警戒しない訳にはいかない。魔物には理性なき獣の様な奴らもいるしな」
「なるほど……」
アキラが神妙に頷くと、疑わしい目つきで射抜きながら、アヴェリンは続けた。
「それに必要なのは火を絶やさぬ事だ。状況によって火は二時間と保たずに消える事もある。居眠りなどしてしまえば、簡単に消してしまう事になるだろう。暗い中、火を消して警戒するのは時として有効だが、全く無しで見通す事も難しい。……特に、お前のような者はな」
「えぇ、はい……。確かに」
アヴェリン達が夜目が利くと言われても驚かないが、アキラには到底無理だ。
特に何も貢献出来ないアキラに出来る事は、火の番をして夜の警戒をするぐらいしかない。腹一杯にさせない食事も、気遣いの一種なのだ。
そこで焚き火を見ながら一つ思う。
アキラの想像する焚き火というのは、防風の為に石で周囲で囲って、その中に薪を置いて火をつける方式なのだが、ルチアは魔術で石と木を適当に組み合わせて台を作った上で焚き火にした。
どこか現代的な方法だと思ったのだが、それともこれがこちらの主流なのだろうか。それを聞いてみると、ルチアから不審な表情で見返された。
「ここは確かに湿った土だし、風も乾燥していません。でも飛び火の可能性は、極力避ける努力はするものです。焚き火で焼けた草木は、時として燻り続けるものですから、その予防という意味でもこうした土台を用意するのは基本です」
「あ、はい……。すみません、キャンプは不慣れなもので……」
アキラの言い訳には気に入らないものがあったのか、それに眦を吊り上げて怒りを露わにしようとしたルチアを、ユミルがやんわりと止めた。
「まぁまぁ、アンタも落ち着いて。これから教えてやりなさいな、アキラは赤ちゃんみたいなものなんだから」
「赤ちゃん、ですか」
「何にも知らないし、何が危険か分からず手を突っ込むような真似をするって意味よ。教えてあげれば、それなりに従うでしょ。怒るというなら、同じ間違いを繰り返した時にしなさいな。アヴェリンが良くやるみたいにね」
そう言って、皮肉げな笑みをアキラとアヴェリンの両方へ向ける。
確かにアヴェリンも最初の指摘や間違いを、直ぐ様怒るような事はしない。怒り殴り付けられるのは、決まって同じ間違いを繰り返す時だ。
現代では体罰だ何だと煩い事を言われそうな指導を、容赦なく繰り出してくる。
その時の事を思い出して身震いしていると、ルチアもアキラとアヴェリン二人の様子を見て、納得したように頷いた。
「……そうですね、そういう事なら。今後、少しずつ学んでいって貰うとしましょう」
「そうなさい。――アンタもね、下手なコト言うんじゃないわよ」
ユミルは優しげに笑みを浮かべた後、ストンと表情を落としアキラへ脅すように顔を近づける。
「ルチアがエルフって知ってるんでしょ? 少しは考えてモノを言えって、あの子にも言われてたじゃない。森や木を大事にしそうなコト位、当然想像しなさいな」
「はい、確かに。仰るとおりで……すみません」
「アンタのその、裏表ないくったくさを、あの子も好ましく思っていたみたいだけどさ。でも考え察する努力を、見逃すものじゃないからね」
「はい、気を付けます……」
至極最も、正論しか言われず、それに凹んで肩を落としてスープを啜る。
そうして食事も終わると、ルチアは新たな鍋に魔術で雪を注いでお湯を沸かした。鍋にしても思う事だが、手ぶらで旅を出来るというのは相当大きなアドバンテージだ。
水までは個人空間に入れていないようだが、沸かして済ませられるなら、幾らか工程を挟んでもそちらの方が良いという判断なのだろう。
今度はスープを入れていた器に、何か茶葉を煮沸かしたものを注いでくれて、それを飲みながら会話を再開させる。お茶は烏龍茶に良く似た、少し香ばしい風味をしたものだった。
そこで最初に口を開いたのはアヴェリンで、最初の棘は幾らか抜けたが、それでも鋭い目を向けてくる。
「……それで、どうして付いてきた?」
「それって今更、聞く内容?」
即座にユミルからツッコミのような発言が飛び出して、呆れたように肩を竦めた。
「あの表情見れば、そんなの察しが付くでしょうよ。それに聞いたところで、どうでも良いしね。ここに来てしまっている以上、今更帰れと言って帰れるものでもないし」
「それはそうだが……。そうだな、聞いたところで始まらんにしろ、腹の虫が治まらん。――なぁアキラ、お前に何が出来る?」
それはこの問題の核心を突く、鋭い一言だった。
ミレイユの後を付いていくというのなら、それは観光目的のような気楽な旅にならない事は容易に想像がつく。そして賑やかしなど求められていない以上、価値ある存在でなければ同行を許す意味がない。
有益でないにしろ、せめて無害である必要がある。
アキラは別に積極的に害を為すつもりもないし、そうならない努力をするつもりでもあるが、全く何も知らない世界で、トラブルに巻き込まれる事も、自ら生み出す事もきっとあるだろう。
それはこの世界における、常識を知らないが故に発生させてしまう類のもので、自身の意図とは関係がない。だがアヴェリン達からすれば、何故分からないのか、何故それをしたのか、と呆れる要素が多分に含まれるに違いない。
一緒に連れて行くリスクばかりがあり、放り出した方がむしろ益になる。
野営の仕方も狩りの仕方も、獲物の捌き方も知らないし、商人に対し言葉巧みに物を売りさばくスキルだってない。
アヴェリン達を押し退ける程でないにしろ、せめてそれに近いレベルの何か、自分をアピール出来るものを持ってなければならないが、即座に思い浮かぶものもなかった。
アキラが言葉に窮していると、アヴェリンは続けて言った。
「お前は確かに私の弟子だし、ミレイ様の覚えめでたい輩だが、だからとそれを以って無条件に迎えられるとは思わない事だ。無能に付いてくる資格はない、――私の言いたい事が分かるか」
「はい、分かります……」
「全くの無能ってワケでもないでしょ。学園に入ってから三ヶ月、そしてあの猛攻に参加して生き延びてもいる。見どころが全く無しでもないと思うのよね」
「それはそうだ。私とて自身が育てた男を無能とは思いたくない。だが、この場合だ――」
アヴェリンは一度言葉を区切って、ユミルの顔を見返した。
「我らに同行するだけの力量があるとは思えない。物見遊山じゃないんだぞ、明らかに劣った力量を持つ相手を、庇いながら旅をしろというのか? 適当な街で職でも見つけてやって、置いていくのが最も妥当な選択だろう」
「あら、意外。ただ見捨てるだけじゃなかったのね」
「曲りなりにも弟子だ。それにミレイ様も、それぐらいの面倒は見ろと仰るだろう。お前に見合う職ぐらい探してやれる」
「妥当な提案だと思いますけどね……」
ルチアもそれには同意して、器を傾けてお茶を飲んだ。
ユミルもミレイユへ視線を向けながら、軽い調子で頷きを返す。
「そうね。放り出す真似だけは、この子もしないかもね。剣の腕も魔力制御もそこそこ出来るし、食うに困るというコトだけはなさそう」
ユミルからもアヴェリンの意見を支持する発言が出て、アキラはがくりと肩を落とす。
アキラ自身、彼女らに付いていくだけの積極的な売りを用意できない。この世界の武力として、彼女達が最上位に位置するのだとして、自分がどの位置にいるのかも知らないが、中級より上という事もないだろう。
武力以外にアピール出来るものがないのだから、アキラには素直に彼女らの提案を受け入れるしかない、という気もしてくる。
あるいは受け入れて貰える期待していたが、現世にいた時とは状況が違う。あの時だって多くは厚情で受け入れられていただけで、アキラを身内として扱っていた訳ではない。
非常に近い存在であっても、やはりアヴェリン達と同列にはならないし、その一段下というのも期間限定のものだった。学園に移ってからは、その弟子という肩書さえ、頓着なく元弟子へと変えたくらいだ。
だが、ミレイユの後を追って来た以上、ここで諦めるのも嫌だった。
憧れと恩返しを混同している部分はあれども、しかし半端な気持ちで来た訳でもないと、胸を張って言える。荷物持ちすら必要ない彼女らには、男手が一つあったところで邪魔にしかならないのだろうが、それでもここで素直に頷いて置いていかれるのは嫌だ。
何か自分の価値を証明できるものはないか、と頭を巡らせていると、またもユミルが場を取り成す様に言う。
「でもアタシ達には、味方が必要になると思うのよね。対抗する相手が相手だし……」
「味方は分かるが、それで候補に上がるような奴か? 頼りになりそうな者が欲しいというなら、他に幾らでも候補はありそうなものだ」
「そうね、でもアタシ達が相手にするのは神なのよ。それも、この子を奪取するという目的の為に千年の間も追い続け、そして最後にアレだけの用意周到さを見せてきた、という相手のね」
アキラには言っている事の半分も理解できない。
相手が神とか対抗する相手とか、しかも千年追って、という意味も通じていないように思える。
だがアヴェリンが渋面を作るには十分な内容のようだった。
少なくとも彼女らには、その意味が齟齬なく通じている。
それこそがアキラと彼女らとの間にある溝なのだと、改めて理解した。
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