二つのギルド その6

 強い意気込みがあったのは確かだが、アキラへの心配など杞憂だと、すぐに分かった。

 お互いに刻印を使っていない戦闘――喧嘩だから当然だ――とはいえ、その格闘技術に雲泥の差がある。ドメニは巨漢らしい力強い拳で、そして巨体に見合わぬ速さの拳を持っていたが、その繰り出す一撃は、一度たりともアキラに掠っていない。


 アキラは拳以上に速く動き、そして距離を取って戦うスタイルに、ドメニは完全に翻弄されてしまっていた。背中に剣を背負っていて、尚且つ防具にも重さの違いがあるから、それもあって尚更速度に差が生まれている。


 互いに軽装のような防具であるものの、ドメニは全身鎧に近い形だ。アキラは胸当てや腕当て足当てといった、特に身軽な装備だから相当身軽だろう。


 だが、その差があるから当たらないのかと言えば、決してそればかりとも思えない。

 アキラは躱すだけでなく、いなして敵の動きを利用しようとする。それは攻撃を見切らなければ出来ない芸当で、だからこそ実力差が顕著に分かるのだ。


「どうしたドメニ、どうしたよ!? お前、新人以下の奴に遊ばれてんぞ!」

「その程度だったのかよ、ドメニィィィ!」

「うるっせぇよ!!」


 外野の野次にも怒鳴り返し、ドメニにも余裕がない。

 よそ見するだけの余裕があるのかと言えば、そもそもアキラが露払い程度にしか思っておらず、倒すのにも気が引けているから出来ている、というのが真相だろう。


 決定的な隙にも関わらず、そこへ攻撃を仕掛けようとしていない。

 そこへドメニが威圧的に、そしてスタミナ回復の時間稼ぎのつもりでか話しかけている。


「まぁ、お前は逃げ回るのが得意って事ぁ分かった。逃げ足だけでやってくつもりなら、ギルドに入れるかもな。だがよ、逃げてるだけで勝てるもんじゃねぇのも分かるだろう……!?」

「……えぇ、はい」


 アキラの返事はどこまでも素っ気ない。

 それが相手にしていない、する必要がない、と思われているようにも見え、それがドメニの怒りへ更に油を注いでしまっている。

 その時、隣から小さくボヤく言葉が聞こえた。


「やめときゃいいのにねぇ……」

「……あんたもそう思う?」

「あれはもう、逃げ回るのが上手いとか、そういうモンじゃないだろ。遊ばれてるよ。それに気付けないってのが、ドメニの限界なんだろうけど……」

「本人が遊んでるつもりかどうかはともかく……、なかなか辛辣だね」

「最初はさぁ、誰がドメニを殴り付けるのかっていう見世物だと思ってたけど……、いやはやどうして、滅多にない掘り出し物が出てきたもんじゃないか」


 楽しげに笑う女戦士は、顎の下を撫でながら感嘆の息を吐く。

 スメラータもまた、それに同意して頷いかけたところで、周囲が大きくざわついた。

 それもその筈、茹で上がった顔の眉尻から顎先にかけて、大きく描かれた刻印が発光したのだ。ドメニは刻印の使用へ踏み切った。


 それはつまり喧嘩の枠組みを越えて、本気の戦闘を仕掛けようとしている事を意味する。

 ギルドの喧嘩でご法度という訳でもないが、しかし事前の取り決めなどで、その使用を制限するものだ。今回それが無かったのは、まさか新人以下に使うなど誰も思っていなかったからであって、それを敢えて使用するというなら、ドメニの信用を著しく下げる事になるだろう。


 勝っても名誉は得られず、負ければなお悲惨だ。

 馬鹿が、と吐き捨てるようにスメラータが言うと、やはり女戦士は同意した。


「ホントさ。負けるよりマシって思ったかもしれないけど、勝った後でどうなるかまで考えなかったのかね。新人相手にあそこまでやって……他の奴らが黙っちゃいないよ」


 言われて気配を探ってみれば、熱狂的に囃し立てている奴らの外で、冷静なまま見守っている冒険者たちもいる。そちらからは、静かな敵意の様なものが漏れ出していた。

 冒険者は荒くれ者が多いのは事実だが、無法者ではない。


 冒険者には冒険者なりのルールがあり、それは厳格に定められている。自ら逸脱するものには容赦がないもので、このまま勝利できても、次にドメニは公然と私刑リンチにされてしまう可能性すらあった。


 だが、そんな時は訪れなかった。

 ドメニの刻印発光が収まると同時、掻き消える様に接近した拳は容易に受け止められ、いなされた。勢いそのままに前転させられ、背中を強かに打つ。


「――ゴハッ!?」


 肺から空気が飛び出し、呼吸が一瞬止まる。

 流石にそこまで優しくないのか、アキラの踵が鳩尾に繰り出され、ドスンという地響きのような音が鳴った。

 身体がくの字のように折れ曲がり、盛大に吐瀉して、そのまま気絶してしまった。


「ほっほぉー! やるやる!」

「嘘だろ、ドメニやられたんかよ!」

「新人ちゃん相手にか!?」

「刻印使ってまで? いい恥晒しだな、おい!」


 ギルド内が盛大に沸く。

 拍手喝采が飛び交い、アキラが片手を頭の後ろに置いてペコペコと頭を下げた。その謙虚な姿勢が受けたのか、指笛まで響いて来て、大盛況の賑わいを見せて来た。


「新人に感謝しろよ、ドメニ! 勝ってたとしたら、逆に全員からボコられてたからな!」

「さっさとそのゴミ片付けろ! 目障りだ!」

「よっしゃ、次、誰行く?」

「馬鹿お前、新人相手に連戦させるつもりか!?」

「いや良く考えろよ、ドメニ倒せる奴が新人だってか? どっか別ギルドにいたに決まってんだろ!」

「誰だよ、新人とかホラ吹いたの! ありゃ相当やるぜ!」


 既に人垣は最初の倍以上になっていて、一体このギルドの何処にいたのかと思う程だった。

 よくよく見てみると、入り口から騒ぎを聞き付けて来た人達が混ざり、隣の酒場兼食堂からも人がやって来ている。


 その中にあって、引き摺り退去させられるドメニに代わり、騒ぎ立てていた内の一人が名乗りを上げる。アキラの戦い振りを見て、我慢が効かなくなったらしい。


「よっしゃ、次は俺だ! 相手してくれるよな!? 刻印はありかなしか、どっちにする!」

「えぇっと……」


 アキラが言い淀んでも、興奮が冷めやらない回りの連中が無責任に騒ぎ立てた。


「そこはありだろ! 今更なしじゃ引っ込みつかねぇよ!」

「そうだ、やったれやったれ! 大丈夫だ、死にゃしねぇ!」

「やれんだろ!? 新人じゃねぇんだから!」

「おーっし、治癒の刻印あるやつ、ちぃっと面倒見てやれや!」


 変なところで団結力を出すのも、また冒険者というものだ。

 アキラが返事をしていないのにも関わらず、あれよあれよとルールの変更や追加が行われていく。興が乗ったのかどうか、一歩引いて冷静に見ていた者達さえ、近付いて見ようとしている。


「どうだ、アリだよな! そうだろ!?」

「……アリ!」


 アキラが困ったようにアヴェリンを見て、そちらから首肯が返って来ると、即座に刻印使用の許可を出した。それで更に周りが騒ぎ始め、もはや通常の業務どころではない騒ぎに発展した現状に、職員まで駆り出されてきた。


 ここまで大規模なものはスメラータも知らないが、多くは冒険者同士の喧嘩を止めるのは野暮とされる。下手に治めようとすると暴動になりかねないので、ある程度公認の上でルール決めをし、後腐れを失くした方が建設的なのだ。


 そうして出てきて場の仕切りをしようとした職員は、あのアキラを応対した職員だった。渦中にいる人物の、その姿を認めて絶句している。


「なに、何でこんな……こんな大事になってるの! どうして新人でもない人が……!?」

「いいからさっさと始めさせろ! こっちゃあ、依頼すっぽかして見てるんだぞ!」

「それは行っとけ、すっぽかすな馬鹿!」


 野次に対して野次が飛び、周囲の雰囲気も険悪になり掛けている。

 今更どうにもならないと見てか、職員はどうにでもなれ、という表情のまま手を振った。


「殺しだけは無し! それだけは守ってもらいます! 見ている者は全員、最大限、事故が起きないよう努力すること! いいですね!?」

「わぁかったから、はやくしろ! 見終わるまで仕事に行けねぇ!」

「はいはい、それではどうぞ始めてください! 当事者同士、同意があったと見做し、当ギルドはこれを黙認します!」


 その宣言が合図になった。

 挑戦者は、刻印を行使しようと発光させる。その、戦闘直後の有るか無しかの油断を縫い分ける様に、アキラは一足飛びに跳躍し接近した。


 直後に鳴り響く轟音が耳を揺らす。

 アキラの振り被った右腕が腹へ突き刺さり、その一撃で挑戦者は悶絶して崩れ落ちていく。

 周りも大喝采を上げたり、笑い声を上げたり、不甲斐なさをなじる声と様々だったが、その強烈な一撃は、分かる者には感心した声を上げさせていた。


 スメラータもまた、隣の女戦士が感嘆した様子で、素直な褒め言葉を耳に聞く。


「何が来るかも、何が得意かも分からなかったら、そりゃ最初の一撃で潰すのが一番賢いってもんだねぇ」

「使わせる前に倒す、確かに理想的だけどさぁ……。言うほど簡単じゃないって」

「そうさ、当たり前だね。警戒だってしてない筈がない。でも、それを掻い潜って一撃当てて、それで沈めちまえるっていうんだろ? あれはヤバいって」


 まるで我が事の様に喜ぶのが不思議なようであり、そしてアキラを先に知っているという優越感が、その言葉に大きな喜びを見出す。


「今ので、他の奴らも目の色変えたなぁ。次々と挑戦者出てきてるよ。大丈夫なのかな、アキラの奴」

「なんだ、あんた知り合いかい。ハッ、でも無理無理。アイツは本物の戦士だ。あそこで声張り上げてるような奴らじゃ、到底相手になんないよ」


 顎の下を擦りながら、勝ち気そうな笑顔を浮かべて、新たな挑戦者達を笑う。

 スメラータが最初にしていたアキラへの心配は、とうに露と消えていたが、代わりにもっと恐ろしいモノがアキラを見定めている。その危機感を肌に覚えながら、今も吹き飛ばされていく哀れな挑戦者を目で追った。

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