二つのギルド その5
スメラータは素気なく追い返されていくアキラ達を見ながら、申し訳ない気持ちで受付の前に立っていた。
彼らに助言はした。選ぶ刻印についても、冒険者ギルドが何を思うか、予想した上で説明した。それを軽んじたのは彼らの方で、だからスメラータが負い目に感じる必要などない筈だった。
しかし、言葉が分からず、拒否された理由も分からないで、背を押されるように去って行くアキラを見るのは心に痛かった。
他にやりよう、言いようもあったのかもしれない、と思う。
スメラータが彼女らに声を掛け続けていたのは、何も親切心ばかりではない。
最初に弟子入りしたいという動機があって、それが無理なら強さの秘密、その一端を知りたいと思った。戦闘技術は飯の種だから、そう簡単に教えてくれないと思ったが、しかし戦士の中には実力を認めた相手に、努力の仕方を教えてくれる者もいる。
そういう小さな善意を期待して、何くれと世話を焼く事で見返りがないかと、あれこれ口出ししていたのだ。
しかし、彼女たちを知ると共に、明らかな異質さが顔を出してきた。
それは単に刻印を知らないというだけでなく、根本的な強さの源泉を別にしている、という部分にあった。
既に色褪せた、使い難いばかりの古代技術。
二百年程度を古代と言うと語弊もあるが、そう言ってしまえるほど、現在の刻印と魔術制御の間には大きな隔たりがある。
魔術制御とは、火を熾すのに木の棒を擦る様なものだ。原始的かつ、全く効率的でない。それがこれまで、スメラータが感じていた印象だった。
そんな面倒な方法を選ばなくても、もっと楽で簡単で、そして効率の良い方法など幾らでもある。敢えて無理して苦労している様にしか見えなかったものが、実は本来得られる力を投げ捨てている行為でしかなかった。
それが嘘じゃないと分かる程、アヴェリンが見せた力の一端は衝撃だった。
ただ小銭を稼ぎたい、その日の糧を得たいだけの人間と違って、より高みを目指したい戦士にとって、アヴェリン達の実力は、まさしく羨望と言って良い。
屈強な戦士を赤子の手をひねるように扱う様には、感動で身震いもした。
自分もああなりたい、と思うのは自然な事で、だから自分をアピールする場、できる場ではそれを惜しまなかった。
――そして、彼女たちは、ただ強いという訳ではない。
特に自分の事をミレイユと名乗る彼女には、底知れぬ何かがある。
自信と言動に裏打ちされる、ギルド長にも上から物を言える振る舞いには、不思議と納得できてしまう凄味があった。
魔王と同じ名前を持つ、アヴェリン程の戦士を従わせる魔術士。
しかも刻印を持たない、古来の魔術士だ。複数の上級魔術を持っていて、それを手の中で顕現させる事が出来る、凄まじい技量を持つ魔術士なのだ。
まるで、御伽噺の世界へ迷い込んだかのようだった。
人の手に余り、また人の手で扱えるものではない、という常識が根底にあるもの――それが古代上級魔術という代物だ。
だからかつて、エルフに支配層は破れたのだろうし、そして刻印の発明がその有利を覆した事で、現在の支配構造を作ったのだろうと思う。
エルフは頑なに刻印を嫌悪しているし、そのプライドがエルフを森に閉じ込めているのだとも思うが、ミレイユ達の様な本物がいるなら、その幻想も終わりそうな気がする。
故事に曰く、ドラゴンの鼻息と同じだ。
ドラゴンはただ息を吐いたに過ぎないが、人間は簡単に転げて吹き飛ばされる。彼女らは全くそのつもりがなくとも、腕を払うような気安さで、全てを薙ぎ払って進めるだろう。
スメラータは、何もそれに恐れを抱いているのではない。
自らもその後ろに付いて隠れたいのではなく、その技術と力を身に付けたいのだ。そしてその為には、このギルドに所属したままでは駄目だという気もしていた。
今までは、それが正しいと思っていた。
誰でも最初は弱い刻印から。そして実力を上げて金を貯めて、より強い刻印を得る。そうしてギルドのランクが上がれば、より高い報奨金の仕事にもありつける。
成功し続ける限り、強さと名誉を得られる職業だ。そう考えていたし、だからこそ総本山であるオズロワーナギルドへと籍を移そうとやって来た。より強い敵、より高い報奨金、より上の名誉、それらが得られると疑わずにいた。
しかし――。
「……あの? 加入希望の方、ですよね?」
「あ、あぁ……」
いつまでも動かず、離れていく背を見つめていたスメラータへ、職員が訝しげに声を掛けてきた。
アキラとは切磋琢磨できる相手だと思ったし、もしアヴェリンの弟子になれたら兄弟弟子になるのかも、などと思っていた。
彼らは職員の忠告を受けて、刻印を変えてから、また来るだろうか。
刻印が無理なら、せめて武器を身に着けた上で、再び門戸を叩く事になるというなら、登録した上で待っているのも良い。
スメラータは職員へと向き直る。
「えぇと、移籍希望で、推薦状は貰ってきてます。これがその推薦状で……」
「はい、拝見いたします」
職員は嬉しそうに書状を受け取る。
差し出した腕の刻印にも十分に時間を掛けて確認し、既に理解していたものに満足気な笑みを浮かべていた。
上級魔術を一つでも刻めるなら、それは相当数の修羅場を潜っている事を意味するから、彼らにしても移籍を断る事は少ない。
どこかから流れてきたのではなく、他ギルドから推薦状も得ているとなれば、その人柄や実績も保証されているようなものだ。以前の町のギルド長も、両手を広げて受け入れてくれる、と言ってくれた。
――だが、引くならまだ間に合う。
このままギルドに籍を置くべきか、それともアキラ達の後を付いて行くべきか――。
迷っている間にも、職員は推薦状を上から眺めて満足気に頷いて、書類の受付を進めていこうとする。それを葛藤するまま眺めていると、突然背後で喧騒が生まれた。
何事かと振り返ってみれば、その中心にはミレイユ達がいる。
あの美貌に当てられて絡みに行ったのか、あるいはアキラの門前払いを見てからかいに出たのか……。どうやら、そのどちらからしいと分かったが、しかしアキラが挑発して怒らせてもいる。
「ちょっと、拙いよ……」
スメラータの独白が聞こえたらしく、職員は小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「別に拙いという事は無いでしょう。一種の洗礼、新人には良く起きるトラブルです。少し痛めつけられて終わり、良くある事ではないですか」
「いや、痛めつけの可愛がりは良くあるけどさ……」
特に加入したその直後に、新人の度胸試しという
だが、今回は声を掛けた相手が悪い。
ミレイユ達を怒らせたら――そしてアヴェリンの逆鱗に触れたら、果たしてどうなるかなど想像も付かなかった。
冒険者ギルドの所属者にとって、喧嘩は華だ。殴り合い程度で怒られるような事はない。特にギルド内で行われる喧嘩は、他の冒険者が安全を図るのが暗黙の了解になっていて、大きな怪我など起きても、誰かが治癒してくれる様になっている。
道端で他のギルド員に理由もなく喧嘩を売るのは論外だが、少なくとも冒険者ギルドの中では、囃し立てる事はあっても、咎める者も、咎められる事もない。それが常識だった。
ギルド入り口のホールが広く取られているのも、その喧嘩をする舞台にする為だ、と冗談めかして語られたりもする。
自分が止めに入るべきかどうか、逡巡している間に、ミレイユが男を指差して、アキラに行けと告げている。どうやら殴り合いを始めるつもりのようで、周囲の冒険者の熱狂が増した。
「ちょっとヤバいよ……。骨だけで済むのかな」
「大丈夫でしょう。冒険者を目指すなら、それぐらい頑丈だって自覚ぐらいあるものです」
スメラータと職員の心配は真逆のものだったが、それでもスメラータには心配の気持ちが募る。
何しろ、アキラはあのアヴェリンの弟子なのだ。弟子と認められた男が、果たして見た目どおり弱いなど有り得るだろうか。
確かにスメラータは、アキラの実力など知らない。
まだ山から降りて来たばかなのかもしれず、あまり訓練も受けていないのかもしれない。しかし、刻印を施術されていた時からギルド長の覚えめでたかった事と、実際に刻印の大きさから測れる魔力から、全くの凡愚でもないと予想出来るのだ。
一人の戦士として、スメラータもアキラの実力が見てみたい。
アヴェリンに弟子と認められるだけの実力とは、果たして如何なるものなのか知りたい、という欲求が湧き出てきた。
顔に塗料を塗ったかのような赤い顔を見せる男が、開始の合図より前に殴り付ける。
挑発に相当血が上っていたとはいえ、自分から仕掛けた喧嘩で余裕を失くすのは不甲斐ない。あれでは、例え勝っても男の格が下がるだけだろう。
スメラータが舌打ちする気持ちで視線を逸らすのと同時、アキラの姿が掻き消えるように動いて、男の動きを後押しするよう、背中を押す。
それで簡単につんのめり、無様に顔を床にぶつけた。
途端に上がる、笑い声と歓声。
遠巻きに見ていた冒険者も、良い見世物だと近付いてきて、周囲を円で描くように人垣で埋めようとしている。
アキラの顔には困惑が浮かんでいて、ミレイユは早々に人垣近くへと離れて行ってしまう。
何をやったのだか、手を一振りするだけで、立派かつ高級そうな背もたれ付きの椅子まで出てきて、そちらへ大義そうに腰を下ろした。
アヴェリン達もその両脇に立って、周囲に冒険者が近付けられないようにし、その上で観戦を楽しむつもりでいるようだ。
人垣で見られなくなるより前に、とスメラータも前に出る。ミレイユ達とは離れた場所になってしまったが、観戦するだけならそう悪い場所でもない。
他にもまだ人が増えそうで、流石に単なる新人未満の相手をするには、大仰過ぎると思えてきた。
冒険者の誰かが声を張り上げ、音頭を取っては舞台を整えていく。
「おい、誰か結界張れ、余計な横槍いれさせんな!」
「こんな時間に、そんな上等な術使える奴いねぇよ! 壁でいいか?」
「あぁ、石壁土壁じゃなけりゃいい! 興奮すると人垣が縮むからな、下手な怪我を飛び火させねぇようになりゃ上等だ!」
「おっしゃおっしゃ、俺が防壁やってやる!」
誰もがお祭り気分で買って出て、それで即席の舞台が出来上がった。
周囲の人垣も自由に動いて、築かれた半透明の防壁の外で、良いポジションを取ろうと躍起になっている。スメラータの知る可愛がりと全く違う様相に、どういう事かと隣にいる冒険者に訊いてみた。
「ちょっと、これどうなってんの? 大袈裟になりすぎじゃない!?」
「あぁー、そうかもね。ただ、あそこのドメニって奴、ちょっとした嫌われモンだからさ、これをネタに殴ろうとしてる奴が騒ぎ立てたんじゃないかね?」
「いや、相手アレだよ? 新人だよ? ――いや、新人未満の冒険者志望……」
「だからさ、早々に負けて退散すれば、後から乱入って形で続行しようってハラだろうさ。殴れるんなら、別に理由なんて小さいモンでいいのさ。新人の敵討ちとか、例えばそんなのでさ」
「でも、それにしたって……」
「あと、意外にその新人がやるってんで、それで湧いたのもあるかもねぇ。あの幸運がどれだけ続くかも見ものだし……、ちょっと面白くなりそうだ」
まるでそれが、周囲の冒険者による総意であるかのようだった。
誰もがアキラには期待していない。まぐれ当たりだと囃し立てては、ドメニを挑発するような言葉を投げ掛けている。顔面を強かに打ったドメニは凶相に歪められていて、骨一本では済まさないと告げているように見えた。
スメラータはドメニという男が、どれ程の冒険者なのか、当然知らない。
だが、悪評も嫌われ者も、実力さえあれば黙らせられる。それが冒険者の世界だ。
殴る機会を欲する程度には嫌われていて、でも面と向かって殴り合いはしたくない、そういう相手なのだとしたら、あまりにアキラが気の毒だ。
スメラータが見たこともない、奇妙な構えを取って相対するアキラと、巨漢のドメニとは大人と子供の差がある。冒険者の強さは身長でも筋力でも決まるものではないとはいえ、見ている方を不安にさせる。
それが実力者と、無名の新人未満ともなれば尚の事だった。
――すぐにアキラがやられたら、その時は自分が殴り込んでやる。
その心意気を胸に秘め、男が咆哮を上げて突撃する様を、拳を握り込んで見送った。
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