二つのギルド その4
入って真っ先に思ったのは、昔と違って清潔だ、という印象の違いだった。
魔術士ギルドは昔から魔術書を扱っていただけに、色々な部分で清潔さを心掛けていたが、冒険者ギルドは違う。荒くれ者が集まる場所だし、言ったところで聞いてくれない。
だから床は粘着質の液体が落ちていたりする事は当然だったし、酒臭さや獣臭さが充満しているものだった。しかしそれが、現在では見る影もない。
冒険者の中には荒くれ者だけではなく、身形の良い者達が多い。貴族という訳ではないだろうが、しかし良家の出を伺わせる者もいた。
刻印は冒険者全体の弱体化を招いたかと思ったが、その間口が広くなったお陰で、腕っぷししか自慢できるものがない奴らばかりでなく、常識人も集まるようになったようだ。
その数の多さが安定を生み、そして力ばかりでない戦い方が主流となり、そして依頼達成率も上がっていったのかもしれない。
英雄譚は輝かしく、眩しく見えるものに違いないが、本来たった一握りの者しか解決できない依頼、というのは健全ではないのだ。数を頼みに、しかし大きな確率で達成できるというのなら、そちらの方が依頼主にとっても、ギルドに取っても好ましいに違いない。
入って正面には魔術士ギルドと同様、広いホールとなっていて、そして奥には受付が見える。そして左右の両方の壁には、ボードの上に所狭しと依頼の書かれた紙があった。
あちらのギルドと違って読書スペースの様な物は無く、その代わりに依頼ボードが置いてあった。そういったスペースを置く余裕すらない程、依頼量の多さが桁違いなのだ。
やはり荒事に限らず、何か頼むなら冒険者ギルドというのが常識で、その依頼内容によって、どのボードを探せば良いのか分かり易くなっているらしい。
まだまだ少年少女の域を出ない者達と、屈強な冒険者達とは、立ち位置からして明らかに隔たりがある。それもまた、依頼レベルの違いから来るものなのだろう。
ミレイユがホールの中程までやって来ると、周囲の冒険者たちが目の色を変えた。多くはその格好と華やかな見た目の所為だろうが、中には剣呑な視線を向けてくる者もいる。
予想通りの反応で、特に感慨もなく進んで行き、受付の前に立った。
受付では対応してくれる職員が五人いて、その中の一つに、たまたま空いたタイミングで滑り込む。
「ギルドの加入を頼みたい」
「……貴女が?」
職員の視線は不躾で、小馬鹿にするような雰囲気が感じられた。
ミレイユの見える肌部分に、一切の刻印が無い事から来るものだろう。だから、それについては一切気にしない。ただ、ミレイユを侮る視線に我慢できないアヴェリンを、宥めるのには苦労した。
「……いや、こっちの方だ。来い、アキラ」
「ハ、ハイ……!」
ミレイユと入れ替わるようにアキラを前へ押し出すと、上擦った声を出して返事をする。
刻印の事はまだしも、ギルドに対して他に偏見は与えていないので、素直な気持ちで挑める筈だ。ただ、質問の意図が分からず、汲み取れない部分は出て来るだろうから、それはこちらでフォローしてやらねばならないだろう。
職員はアキラを上から下まで見て、そしてやはりミレイユと同様の視線を見せる。
結局、刻印はないのか、と思ったかもしれないので、アキラへ両手の甲を受付に乗せるように言った。そして職員もその刻印へ目を向け、それからアキラの全身を見回したのだが、鼻を鳴らして嫌味に笑った。
「やはり冒険者とは実力社会です。私どもも、若者の命を無下にしたい訳ではありません。もっと実力を付けて、もっとマシな刻印と装備を得てから戸を叩くのが宜しいかと」
「……つまり、門前払いという事か?」
ミレイユが聞くと、片眉を上げて小馬鹿にするような息を吐いた。
「当たり前でしょう? そんな刻印でどうなさるおつもりで? 夢を見るのは結構ですが、当ギルドでは受け入れられません。借金してまで入れた刻印でしょうけど、まずはどこか別ギルドで働いて、そこでお金を返して、一から始めた方が建設的でしょう」
「……刻印の大きさから、持つ者の実力が測れるものと聞いたが」
「ええ、ですから馬鹿な真似をしましたね、としか。それなら、もっとマシな刻印が他に幾つもあったでしょうに。どうせなら、事前に相談されれば、こちらからも有用な助言が出来ましたが」
「分かった上での門前払いだと?」
「……他の方がお待ちですから、どうかお引取りを」
後ろに待ってる客など居なかったが、つまりもう話す気はない、という意思表示だろう。
苦情を申し立ててどうにかなるだろうか、と一瞬頭をよぎったが、それが通用するのは現世の方だ。口調こそ丁寧なものだが、そもそもギルド側としては親身になって応対する理由がない。
冒険者は報奨金が破格で、実力さえあるなら他のギルドで働くのが馬鹿に思える程の金額を得られる。だからこそ職員も夢を見るのは、などと言ったのだ。
大方、大金を得るのに夢見た少年が、無理してギルドの門を潜った、と思われたのだろう。
ギルドからすると、新人冒険者など幾らでも入ってくるし、是非とも加入をお願いしたいものではない。刻印のお陰で加入者数自体も増えているのなら、尚のこと親身な応対などしないだろう。
来る者拒まずだった過去とは違い、今では餞別し弾き出せる立場だ。
ミレイユはアキラの肩に手を置いて、出口を親指で指して歩き出す。その後ろではアヴェリンが肩を怒らせながら付いて来た。
「まさか審査や試験などまで受けられないとは思わなかったが……、そうとなれば仕方ない」
「ミレイ様に対し、何たる無礼、何たる態度だ……!」
「私はここでは奇人変人の類だ、そこは仕方ないだろうな。その所為でアキラまで門前払いされたのだとしたら、流石にそれは申し訳ない気がしてくるが」
アヴェリンの怒気とは裏腹に、ミレイユは気軽な調子で小さくボヤく。
唐突に踵を返したミレイユ達に、アキラは困惑した表情を見せながら付いて来た。
スメラータが気の毒そうにアキラを見ていて、そして自分はどうしたものかと顔を曇らせている。他の方、というのがスメラータの事だったとしたら、確かに彼女の登録を邪魔してしまった事になる。職員がその事を言っていたのだとしたら、確かにミレイユ達は邪魔だった。
その職員は、スメラータの刻印を見て態度を一変させる。
どのギルドでも、実力者に対しては一定の敬意と便宜を図るものだ。上級魔術が腕に刻印されているとなれば、ああいう態度になるのも分かる気がした。
「いきなり計画が頓挫してしまって、果たしてどうしたものか。若干種類も意味合いも違うが、似た仕事を出来るギルドはあるから、そちらでもと考えているんだが……」
「アキラの実力を見るだけ、というのなら、私が手合わせしても宜しいですが」
「どうせなら魔物との戦いが見たかったんだよな……。お前達は互いに手の内を知っているから、それを前提に組み込んで戦うだろう? ある程度、敵の情報を渡すにしても、それを初見でどう乗り越えるかを見たかった……」
「なるほど、そういう事でしたか。それならばギルドを利用しつつ小金も稼げて、丁度良い按配になるところでしたものを……」
アヴェリンが憎々しい視線を背後へ向け、そしてホールの中程まで来た時、大柄な戦士が道を塞いだ。髭を生やした、いかにも山賊らしい様相だが、こんな所にいるというなら、冒険者の一人であるらしい。
その男が、やはり小馬鹿にした視線を向けては、ミレイユ達を順に見て、そして最後にアキラの手甲へと目を留める。
「なんだぁ、コイツら。武器も持たずに加入希望、しかも馬鹿な刻印で来る始末だ。そんなお遊びに付き合ってくれると、お前ら本気で思ってたのかよ?」
「あぁ……、なるほど。それでどうやって依頼を受けるつもりなのか、と思われたのか? 武器をわざわざ手に持ったり、背負ったりする訳ないだろう」
そう言って、自分の発言に違和感を持って周囲を見渡すと、誰もが武器を身に着けている。武器だけでなく盾もまた背負っている者までいて、誰も個人空間を使用していない。
不思議な発見をした気がしてユミルへ顔を向けると、やはり同様の発見に気付いたようで、周囲を見渡しては頷き始める。
そうして隣のルチアと、最近よく見る議論をその場で始め出した。
「結局ね、個人空間ってのは魔力を根底にしているものだから、最初からそれを刻印に使っている奴らには、縁のないモノになってるんじゃないかと思うのよ」
「でもですよ、それって収納できる利便性を軽視し過ぎてはないですか? 普段は両手が自由になるし、更に言うなら自分が背負って運べる量を、遥かに凌駕するんですよ?」
「結局、その利便性ってのは刻印を一つ削るほど魅力的じゃないって事なんでしょうよ。いつからその考えが主流になったか知らないけど、それなりに魔力を割くんだし」
「そこまで余裕ないものですかね?」
「余裕というより、刻印で何もかも解決しようとした結果、という気がするのよね。だってさ……」
聞いているだに頭が痛くなりそうな議論が開陳されて、絡んできた男も面食らっている。周囲の無関係な冒険者まで、二人の言動には訝しげな視線を送っていた。
一度始まると滅多な事では止まらないので、二人には好きにさせる。
ミレイユは二人から視線を切って、改めて男へ向き直った。
「貴重な助言、感謝しよう。ところで、次からは武器を手にしていけば、色良い返事を貰えると思うか?」
「し、知らねぇよ……! 何だお前、俺がそんな親切に見えんのかよ、馬鹿にしてんのか!?」
「馬鹿な絡みをして来たのは、お前の方だ。まだ加入も出来ない新人をイビって、それでお前の格が上がるのか? 情けない真似をする前に、自分の行動を鑑みろ」
ミレイユが率直な意見を述べてると、周囲から囃し立てるような笑い声が飛び交う。
「あーっはっはっは、言われたな、ドメニ! だから止めとけって言ったろ! そいつらは馬鹿だから、馬鹿故に馬鹿な格好してるんじゃねぇんだって!」
「――黙ってろ! おいお前、お前のせいで恥かいたぞ、どうしてくれる!」
「また下手なイチャモンの付け方を見せられたな。――おい、コイツは馬鹿なのか?」
後ろで囃し立てていた他の冒険者に顔を向けると、嬉しそうに頷く。
そうだそうだ、馬鹿だ馬鹿だと、周囲の冒険者まで言い始めて、ドメニと呼ばれた男の顔が真っ赤に染まった。
「うるせぇ! 黙ってろって言ったろうが! 馬鹿はコイツだ、見てみろ!」
ドメニがアキラの手を指差し、そしてそこに浮かび上がる刻印を嘲笑する。
「一丁前に緊張した顔してよ、『年輪』と『追い風』を自慢気に晒してるんだぜ! これじゃ馬鹿にしに出てきても、仕方ねぇってもんだろが!」
『おぉー、そうだそうだ、そいつぁ仕方ない!』
本気で同意しているのか、それとも野次のつもりなのか分からない返事が、周囲から上がる。ドメニはそれに満足し、したり顔で頷いた。
「だから教えてやろうと思ったのよ、そんなんで冒険者目指せるほど世の中甘くねぇってな! その頼み方が気に入ったらよ、ちょいと教えてやっても良いと思ってたのによ!」
『ばぁか、どうせ綺麗なネーチャンの身体目当てだろが!』
「うるせぇ! 声すら掛けられない意気地なしは下がってろ!」
三度、後ろの冒険者の野次へ罵声を浴びせる姿を見ながら、ミレイユはどう穏便に収めるかを考えていた。殊更穏便に収める必要もないのだが、しかし腹の奥でフツフツと湧き上がるものを感じる。
職員の応対で生まれた苛つきが、ここに来て小さく湧き上がってきたようだ。
ただで済ませるのも面白くない、と思っているところで、いつの間にやらルチアとの議論を終わらせていたユミルが、アキラの肩に手を置いていた。
その耳に口を寄せて、何かを囁いている。
助言の様なものだろうが、どうせ碌な内容ではないだろう。
止めろというべきか、それとも静観しておくべきか、迷っている間にアヴェリンが動く。ドメニへ掴み掛かろうとしたので、それは流石に押し留めた。
アヴェリンもまた鬱憤が溜まっていた様子なので、下手をすれば大怪我どころか殺してしまう。勢いあまって、ギルドのホールで殺人は許容できなかった。
いいから落ち着け、とその身体を抱き締めるように止めていると、アキラが一歩前に出てドメニに向かって言葉を放つ。
「坊や、アンヨが上手ネ。ママは何処?」
一瞬の沈黙の後、周囲を巻き込む大爆笑が巻き起こった。
その拙い言い方が、また幼子を相手にするように聞こえ、実に滑稽だった。言った本人は意味を理解しておらず、そして、したり顔すらしないアキラに、ドメニは顔を茹でダコのように赤くして唸り声を上げた。
そんなドメニを、ユミルも周囲同様に指を差して笑い転げている。
涙まで流して馬鹿笑いする姿から、大事に発展しそうな気配を感じ取た。それを生み出したユミルをどうしたものかと、思い悩みながら溜め息を吐いた。
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