二つのギルド その3
翌日、朝になると宿を辞して、冒険者ギルドへ向かう事になった。
そこで馬車の用意も出来ますが、という宿側からの提案は丁重に断る。ギルドに向かって馬車で乗り付けるのは、依頼をする客側だけだ。
これから冒険者になろうと門を叩くつもりの若者が、馬車で乗り付けて入る、というのは些か以上に外聞が悪い。
それこそ、貴族の道楽で遊びに来たと思われてもおかしくなかった。
だから現在は徒歩で移動していて、西区画から城のある中央区を迂回して東区画へと向かっていた。中央区は城壁によって区切られていて、専用の門からしか入る事は出来ないが、それだけではなく、巡回兵もいる。
城は単なる王族が居住しているだけでなく、都市を運営する施政所のようになっているので、自然と警備も厚い。ミレイユの格好は幻術で誤魔化しているだけなので、いらぬ騒動を招きそうな場所は避けたかった。
少々遠回りする事になったが、南区画の賑わった喧騒を横目に通り過ぎ、簡単に果物だけ買って、それを食べながらギルドへと赴く。
食べ終わって残った芯を、魔術を無駄に行使し地面へ捨てる。アヴェリンは元よりルチアもユミルも普通に道端へ捨てていたのだが、アキラはそれに倣って捨てるのに抵抗を示した。
残った芯を持て余しながら、日本で育った者らしく、気不味い表情を浮かべている。
「あまりお行儀良くやっていては、いつまで経ってもこの世界には慣れないぞ」
「そうは言いましても……、やっぱり染み付いた常識ってものが、どうしても……」
「それはつまり、やましい事をしたくない、法を犯したくないという責任感があるからだろう? だが、そもそもポイ捨ては犯罪じゃない」
「こっちでは、そういう法整備がないんでしょうけど、でも……」
アキラは現世の常識を持ち出して反論しようとしたが、それこそが間違いだった。
ミレイユはそれを遮って続ける。
「お前の考えも分かる。誰もが好き勝手に生ゴミを捨てていたら、あっと言う間にゴミで溢れる。法で咎められないからと言っても、自分のモラルが許さない、……そういう事だろう?」
「えぇ、はい。そんな感じです」
「まず、前提としてゴミを捨てるのは悪事ではなく常識で、捨てて良いのは生ゴミだけだ」
「……何か違うんですか、それ?」
アキラの疑問も最もで、普通はポイ捨てして良い物なんてないだろう、という考えが浮かぶ。
そこへミレイユが道から少し外れた場所を示した。
「あそこに豚がいるだろう。生ゴミっていうのは、つまりアレの餌でもある。元より規制しても止めないから、そこで豚の餌にして肥え太らせようという訳だな」
「それじゃあ結局、豚の糞がそこら中に溢れちゃうじゃないですか。本末転倒では?」
「そのとおり。だから処理人がいる。人気もなく最底辺の職業かもしれないが、そもそも馬も街中で運用すれば糞を落とすんだ。動物の糞は肥料になる、だから馬だけでなく豚の分まで糞が拾えれば、処理人はむしろ糞が売れて助かるという訳だな」
都会ともなれば、その辺りはしっかりしていて、糞便の臭いはそれほどキツくない。見掛けたら処理人がすぐ回収してくれるからだが、昔と違って臭いも殆ど感じられないのは、もしかしたらここでも刻印が活躍しているからかもしれない。
それはともかく、アキラは納得できるような、あるいは出来ないような表情で豚を見つめる。
単純な効率面で見て有効的とは思えない、などと思っているのだろう。それもそうだが、しかし都市の運営について、現代の洗練された構造を真似出来るものでもなかった。
現世を生きた人間から可笑しく見えるのは当然だが、それこそが、この世界に根ざしている常識なのだ。知ったとなれば、反発よりもまず先に受け入れねばならない。
その上で耐えられないというのなら、自らが変えていくしかないのだろう。
当時のミレイユはそもそも、この世界がゲームの世界としか思っていなかったから順応も早かった。そして変革など考えもしなかったから何も思わなかったし、あるがままを受け入れるのが自然とさえ思っていた。
暮らし慣れる程に不便な部分は色々と目立って来るが、しかし変えてやりたいと思うほど熱心ではなかった。結局のところ、何か変革をもたらしてやりたい、と思える程に熱心ではなかった、という事だったのだろう。
ギルドへ向かう間も、その他アキラが気になった事などに答えてやりながら道を進み、そうして昨日も通った道に出た。
この道を進めば魔術士ギルドへ辿り着き、そしてその道を挟んだ正面に、冒険者ギルドが建っている。
ギルドはやはり多種多様あるものだが、この二つが最も有名で東区画の顔になっているのは間違いない。
三角屋根だった魔術士ギルドと違い、こちらは対象的に四角屋根で、敷地面積も大きい。ギルドマークが屋根上にあるのは同じだが、建物は比較してこちらの方が大きく、そして隣にはやはり酒場が併設されている。
一々外へ出ず通えるよう、短い渡り廊下で繋がっていて、今もチラリと覗いた限りでは、朝食を取っている者もそれなりにいるようだ。
ギルドの方はまだ朝早くだというのに盛況そうで、剣や斧を背負う戦士風の者、ローブを羽織った魔術士風の者、弓を持った者といった様々な冒険者が出入りしている。
意気揚々と出掛けようとしていたり、難しい顔して入り口を潜ったりと、その様子は様々だが、魔術士ギルドとは違った熱気があった。
その全員に刻印があり、やはりそれは必ず見える場所にあった。
ミレイユ達が邪魔にならない位置で立ち止まると、アキラは建物を上から下まで見つめて、感慨深い溜め息を吐いた。
感慨に耽るばかりでなく、早く加入手続きを済ませて欲しいのだが、しかしその前に大きな声でミレイユ達を呼び止める声がする。
「見つけた! 待ってたよ!」
「スメラータ、……お前、自分から居なくなっておいて、良くそんな言い草が出来るな?」
「違うよ! いや、違わないけど……」
スメラータは一瞬、戸惑い困った表情を浮かべてから、手を大きく開いて弁明し始めた。
「アタイだって馬車に乗ろうとしたよ! でも、馬車なんて乗り合いの奴しか知らなかったし、あんな立派なモンに乗って良いのかな、なんて思ってたら、勝手に出発しちゃったんだってば!」
「……追いかけて来なかったのか?」
「いや、目の前でバタンって閉じて、パカラパカラ動き出すもんだからボーゼンとしちゃってさぁ。追いかけようとしたけど、……一瞬冷静になったら、いや追うのもどうなの、って思っちゃって……」
そこまで言うと、スメラータはしゅんと肩を落とした。
確かにスメラータの装備はミレイユ達と違って魔術付与されたものではないし、革鎧の姿はアキラと似通っているように思えるが、使い古されて年季を感じる。
同じパーティの冒険者というより、たまたま馬車の近くにいた別の人、と思われても不思議ではなかったかもしれない。
「まぁ、それで、冒険者ギルドに行くって話は聞いてたし、待ってたらいずれ来るだろうと思って……」
「それで、ああして待っていたという訳か……」
だとすれば、昼より後に来ていたら、それまで延々と待ち続ける事になっていたのだろうか。
それを思うと不憫だが、しかしスメラータの役目は十分終わっている。最初から刻印の説明を求めるくらいの役割で、それも魔術士ギルド内では、破格の待遇を受けた事で、多くは不必要となってしまっていた。
だが確かに、庶民目線での金銭感覚は役に立ったし、まったく有益では無かったとも思っていない。礼の一言くらい、しても良かったろうと思っていたから、この早すぎる再会も好ましいと言えば好ましかった。
「……まぁ、昨日は助かった。良くしてくれた事に礼を言おう、それじゃあな」
「いやいやいや、ちょっと待って……!」
淡白に、そして簡潔に礼と別れを告げてから、皆を伴ってギルドへ入ろうとすると、それより早くスメラータが行く手を遮る。
ミレイユは帽子のつばを摘んで上げ、迷惑そうに眉根を寄せて睨み付けた。
「まだ何か用があるのか?」
「……何でそんな、おっかない顔すんのさ。アタイと皆の仲じゃない」
「偶然行き合って、多少の助けを借りただけの仲だろう。礼も済んだ。それ以上求めては、欲をかいていると思われるぞ」
「まぁ、そうなんだけどさ……。でもやっぱり、そう簡単には諦め切れない訳で……」
千載一遇のチャンスと思う、スメラータの気持ちは分からないでもない。だが、正直に言えば煩わしいし、鬱陶しい。ミレイユ達にも目的があり、そしてそれには弟子の面倒など見る余裕はない。
仮に一切の面倒事が無く、この世界で生きていくしかなかったとしても、やはりスメラータを弟子に取ろうとは思わないだろう。
そもそも冒険者とは、同業者ではあっても、同時に商売敵でもある。
同程度の実力ならば、それは仕事の奪い合いになる事も多いから、若い芽は早い内から潰しておこうと思う過激派もいた。
目立つ者は叩かれる風潮もあり、それが同じ冒険者にも手の内を晒さない秘密主義のような形へと発展していた。
それを良く知るミレイユやアヴェリンなどは、わざわざ敵に塩を送ってやる意味などない、と考えてしまうのだ。同門の弟子同士、仲良くしろと言われたらその通りにするかもしれないが、しかし結局、アヴェリンにも教えるつもりなどないだろう。
大事なのはこれから始まる神々との抗争なのであって、いち冒険者の憂いなど気にしていられないのだ。
「いずれにしても、まず持って行うべきは、アキラのギルド加入だ。お前にも都合や考えがあるにしろ、私達が応えてやる義理もないしな」
「ミレイ様も、既に通告した筈だろう。一応の働きがあったから大目に見たが、度が過ぎれば力付くで排除する事になるぞ」
アヴェリンから小さな苛立ちが漂って来たが、その腕を叩いて宥めてやる。
「そこまでする必要はない。それより手早く済ませてしまおう。ギルドにあるという、アキラの試験も気になっているしな。とりあえず刻印は与えたが、同行までは許可していない。あいつの決意を袖にするもしないも、そもそもの実力次第である事に変わりはないんだ。刻印を得てどう変わったか、私はそれを知りたい」
「そうですね……。現行の制度は昔とは違って易しいようなので、その場で戦闘試験があるとは思えませんが……。何か獲物を狩るにしろ、最初は低級魔獣討伐程度でしかないでしょう。その時は試金石とする為に、どこか別の魔物を狩りに行く事も考えなければなりませんが……」
魔物というのは、とにかく何処にでもいるという存在ではない。
大抵は人里から離れた所に住むし、大きく移動を繰り返すものもいる。大抵人に被害を出すのは魔獣の方で、冒険者の討伐依頼もこちらが多い。
だが魔物が人里近くに出たり、あるいは接近情報が入れば、まずギルドの方で管理し、その情報の精度や確度を高めていく。その為の情報収集依頼もある程なので、どこにどういう魔物がいるのか、それを知るにはギルドを頼るのが一番早い。
魔物の多くは、その素材が何かしらの役に立つ。
それは装備の素材であったり錬金術の素材であったりで、より大きなマナを溜め込んでいる為に、活用できる部位は多いのだ。
だから魔物情報はいつだってギルドにある筈だし、いつだって討伐依頼は出ている。
依頼を受けなければ、その詳しい情報は得られないので、単に魔物とアキラを戦わせたいから、と森中を歩き回るのは非効率極まりない。
一番の近道は、ギルドに加入した上で、その依頼を受ける事だった。
それでアキラの実力や、今後の伸びしろを考える。その上で同行を許可するか決めるつもりだった。仮に拒否する事になったとしても、そこまで面倒見てやれば、今後この街で生きていく事もできる。
後の問題は言語だが、そちらは頑張って覚えろ、と発破を掛けるしかない。
これは結局同行する事になっても身に着けて欲しいスキルなので、疎かにしたいものではなかった。そちらをどうしたものかと考えながら、スメラータを押し退けてギルドへ足を踏み入れた。
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