別世界の住人 その7


 アヴェリンが全ての甘味を食べ尽くし顔面蒼白となっているのを、ミレイユは笑って見つめていた。最後には言い訳すらなく食べたいが為に食べていたが、元よりミレイユからすれば規定路線、全く気にしていない。


 気づけば献上する甘味がないことに気付いたアヴェリンは、大いに気に病み平身低頭謝罪した。だが、ミレイユは笑って手を横に振る。


「まぁ、お前のああいう表情を見られただけで良しとしよう」

「は……、全くお恥ずかしい限りで……」

「そんなに気に入ったなら、専門店の物を食べれば気絶するかもしれないな」


 アヴェリンは明らかに動揺して眼を見張る。これ以上のものが存在するなど、想像の外だったようだ。

 ミレイユの知る限りにおいて、コンビニスイーツは昔に比べ質が上昇したが、とはいえ洋菓子店で作られる物とは雲泥の差がある。あのレベルで、そこまで気に入ったアヴェリンなら、間違いなく虜になるだろう。


 二人のやり取りを聞いて興味を持ったアキラが、アヴェリンに向かって気軽に問う。


「そちらには、あまり上質な菓子はなかったんですか?」

「……そう、そうだな。菓子の多くはベリーを煮沸かして作るジャムが基本となる場合が多い。甘くはあるが苦味もあって、同時に雑味も強い。作る者によって味の調整が激しく、つまりこれは当たり外れが大きいということなのだが。季節によっても気候によってもベリーの味は変化するから、これを見極めて作る最高のジャムというのは本当に難しく、かつ希少で庶民にとって手に届く代物ではない。かといって砂糖は高級で王侯貴族の食べ物であるし、これは甘みが強すぎるきらいがあって、また甘みが強いほど高級品という考えが根底にあるせいで、時にこれが苦味に転じるほどの――」


 饒舌に語りだしたアヴェリンに、今度はアキラが目を見張る番になった。

 時に苦く、時に甘い表情に変わるアヴェリンは、それほど甘味に対して強い思いがあるらしく、とにかく舌が止まらない。

 やはり全員の視線が集中していることに気付いて、アヴェリンは俯いて解説を止めた。


「……まぁ、つまり普通だ。そこそこ菓子はあったのだ」

「……そうですか」


 話す話題には気をつけないといけないな、とアキラは注意点を認識させていると、そうだ、とユミルがミレイユに顔を向けた。


「そういえば、買い物に行く途中に変な連中がいたのよ」

「――そうだ、それだ。その報告をするよう、言っておいたろう!」


 都合よく話題の転換が降って湧いて、アヴェリンはそれに飛びついた。唾を飛ばす勢いで指摘すると、そうね、と生暖かい視線で同意してから、ユミルはミレイユに向き直る。


「アヴェリンたちを追って出ていった時、ちょっとした悪戯心で先回りしようと思ってね。隠密しながら道を迂回して、そうしたら例の公園辺りに出たワケ」

「……うん」

「そうしたら何かの痕跡を探していた連中がいて、何かと窺ってみれば、地面に這いつくばって血を採取していたわ」

「血を……?」


 ミレイユが怪訝に眉をひそめれば、ユミルも似たような表情で頷く。


「血そのものが欲しかった訳じゃないみたい。魔物がいた痕跡、その証拠として欲しかったのね、きっと。失踪、逃走、露見、只では済まない、そういう内容が漏れ聞こえてたわ」

「……うん。どう思う?」

「それだけでは何とも」


 ミレイユが顔を向ければ、ルチアは唐揚げの衣を剥がす作業を止めて肩を竦めた。


「話だけ聞けば、魔物を放り出したら逃げられた無能者みたいに聞こえますし、あるいは討伐に来たけど肩透かしで戸惑っているようにも聞こえます……。材料が足りなくて判断に困りますね」

「……そうだな」

「でも、もしもですよ」


 アキラはそこに驚きと興奮を持って口を挟んだ。


「もしも討伐に来た人たちなら、やっぱり魔物討伐組織みたいなものがあるってことじゃないですか?」

「もしもそうなら、当然そういうことになる」


 ミレイユは頷いて同意したものの、その表情自体は否定を見せていた。


「魔物自体が普遍的に存在しているとするなら、もっとその危険性を周知させるべきだ。あの時のように前触れ無く現れるというなら、討伐隊がいたとしても被害は免れない」

「逃げる間もなく襲われるのがオチでしょうねぇ」

「――そうだ。予め発生場所を特定できていないのは、私達が倒した後にさえ現れていないことから予想できる。ならば討伐組織はどうやって被害を阻止しつつ、その存在の露呈を防ごうというのか?」


 そこまで聞いて、アキラも不可能と判断しようとし――頭の片隅で引っ掛かるものを感じた。しかし即座に形にならず、とりあえず思いついた別のことを口に出した。


「じゃあやっぱり、そういう組織はなくて、あそこにいたのは魔物を放逐した奴らだったと言うんですか?」

「状況だけ見ればな」

「――でも、そうとも限らないでしょ?」

「もちろん、そうだ。閉じ込め逃さない為の場所、予め出現場所が固定している、急行しなくても隠蔽できる方法がある、そういった何かがあるのかもしれない」


 あ、とアキラが声に出し、次いでルチアが、ああ、と何かに気付いて声を上げた。


「あの時、公園を覆っていた見えない壁!」

「ひび割れて壊れるまで、気づかないレベルでの即時展開。そして恐らく外側から内部は見えない構成と予想出来て……。もしかして、電線に流れていた魔力、あれってそういう意味があったんでしょうか?」

「どういう意味だ?」

「何の為に魔力を流してたんだって話してたじゃないですか。これって、つまり魔物の隠蔽対策に使ってたんじゃないでしょうか」

「……そうかもしれない。私達は発動した瞬間たまたま内部にいたが、そうでないなら弾かれたり、内部の様子が見えなくなったりしていたのかもしれない」

「それは十分考えられます。……けど問題はそちらではなく、電線の方に考えを移して欲しいんですよ」


 ルチアは一拍置いてミレイユを見返し、無言の肯定が返って来て話を続ける。


「常に微量の魔力が流れていたんです。あれだけの量をただ流すだけではなく、条件に合えば自動的に作動させる魔術があると仮定すれば、それも納得できるものがあります」


 ミレイユは考え込むような仕草をしつつ、手元のグラスを手の平で弄ぶ。


「……そうだな。無駄に垂れ流す魔力が言語の為というより、他の為に使用していて、言語変換に用いられているのはあくまでおまけ、という推論には同意できる。だが主流として何の為にという部分については、今ここで議論するには情報が足りなさ過ぎるだろう」

「そうね。壁の為というのはその一つとして考えてもいいけど、他にないとは言い切れないし、それだけの為と判断するのも早計だわ」

「水際対策が効を成していると考えるよりは、何者かが放逐した場所に我々がいたと考える事も必要そうだがな。あの壁が割れた理由、あるいは条件もまだ分からない。人々に周知されていないのも、さほど回数が発生していないから露呈していないだけ、とか……」

「私達が現れると同時期に、あちらの魔物も現れたと考えた方が、自然と言えば自然ですよね」

「そうは言うけど、自然、不自然だけで決めつけると痛い目見るわよ。アタシたちが今まで、どれだけ不自然な状況に遭遇して来たと思う?」


 そうだな、とミレイユは何かを思い出して苦い顔を見せた。


「ともあれ、何者かが暗躍してようと我々の知ったことではないのは確かだ。オミカゲ様とやらのご加護が綺麗サッパリ解決してくれる事を祈ろう」

「その言い方には悪意が満ちているような……」

「別にそういう訳じゃないが。仮に水際対策が成功しているのなら、それは不思議な何かが成しているんだろうさ。そして私が考える限り、そんなことが出来るのは決して日本の政治家や有力者じゃない」


 言い方自体は問題だったが、ミレイユのその言い分には納得できるものがあった。

 確かに魔物がかつてより存在していて、それを民衆に知られる事なく処理して来たというのなら、それはオミカゲ様以外に成し得ない事だろう。

 そして、古来よりある鬼退治、妖怪退治の伝説が、それを裏付ける証拠のように思えてくる。そうだといいな、という願望も多分に含まれているが。


「……ですね。そう考える方が心情的に安心できますし」

「我々だって身の安全を脅かされない限り、何かをするでもないしな。でも、お前は正に脅かされていると感じているんだろう?」

「はい、公園を探っていた人たちの事を聞いた今、尚の事そう思えました」

「だったら自衛の力を身に着ければいいさ。……これも何かの縁、それぐらいは気にかけてやる。飯の礼もあるしな」


 言ってミレイユは、ほのかに笑う。

 まだまだ浅い付き合いだが、何となく饒舌な気がするのは、飲み干したワインの数にあるのかもしれない。

 既にミレイユとユミルは二人合わせてボトルで三本空けている。二人でとはいえ、短時間でそれだけ飲んだというなら、多少酔いが回るものだろう。


「それじゃあ、今日のところはこれで解散だな」

「え……はい。じゃあこれ、すぐ片付けちゃいますんで」


 時計を見れば、既に十一時を回っていた。

 アキラは手早く、空になった弁当の箱をゴミ袋に投げ込んでいく。

 食べかけの物は殆ど出なかったので、片付け事態は簡単に終わった。幾つかの余った惣菜を皿に移して、ラップで蓋をする。これらは明日にでも、また温め直して食べるつもりだった。


 後は空になったワインの瓶やグラスなどがテーブルの上に残るばかりだが、それらをどうしようかと思っている間にミレイユが手をかざして消してしまう。

 それぞれが椅子から立ち上がると、次に右腕を持ち上げて掌を広げる。掌から中心に紫の光が広がり、それを握り締めると椅子やテーブルが幻のように消えていった。


 未だ慣れない不思議現象に瞠目していると、今度は薄っすら緑色に光る左手を、円を描くように動かす。それで隣室に移されていたソファとテーブルが所定の位置に戻って来た。


「うわ、便利……」


 返事は肩を竦めることで返ってきて、今度は懐から――というより例の個人空間から、一抱え程の箱を取り出す。

 見事な装飾を施された価値のありそうな木彫りの小物入れだが、年代は感じさせない。四隅が金属片で補強されていて、側面にはそれぞれの角度から家の形が彫られている。

 蓋の上には宝石ではない色付きの石が嵌っていた。

 ミレイユはそれをテーブルの上へ無造作に置く。


「えっと、聞いてませんでしたけど、宿の方はどうします? 流石にこの人数は、ここで寝るのは無理だと思いますし……。ホテルなんて気の利いたもの、この辺にはないですよ」

「そこは大丈夫だ、これがある」


 言って蓋の上を指先で二度叩いた。

 蓋を開けると中は暗く、底は見えない。覗き込めば底が見えて当然の小さな装飾箱なのに、それだけが明らかに異質だった。


 ミレイユが目線で示せば、アヴェリンが真っ先に箱へ手を伸ばす。

 指先から箱の中に手を入れ、それが手首まで飲み込まれる。箱の体積から見て、握り拳であればともかく、明らかにそれ以上が箱の中へ入ってしまっている。

 どういう仕掛けだと思っていると、アヴェリンの姿が手先から螺旋を描くように掻き消えて行った。


「な、なぁ……!?」

「ほら、どんどん行け」

「それじゃ、失礼しますね。興味深い食事をどうも。良い夜を」

「楽しい夜だったわ。おやすみ、可愛い子ちゃん」


 ミレイユが促せば、ルチアも続き、ユミルも同じように入っていく。最後に残ったミレイユは、置いてあった帽子を拾い上げて頭に被った。


「拠点も備蓄もあると言ったが、これがそうだ。私が許可した者だけが中の空間に入る事が出来る。……ああ、箱はこのまま置いておけ。また、明日」


 ミレイユが箱に手を入れて姿が消えると、自然と箱の蓋も閉まる。恐る恐る蓋を持ち上げてみると、そこには底が見えるばかり。試しに手を入れてみても、箱の底に指が当たるだけで、ミレイユの言う通り入り込む事はできない。


「これもきっと、魔法なんだろうな……」


 理解できない事は魔法で片付けた方がいい。それにきっと、これに関しては間違っていない。アキラは言われた通り、箱には手を触れず放置して眠る準備を始めた。

 いつもの就寝時間も、とうに過ぎている。

 明日も普通通り学校がある。早く寝ないと差し支えるだろう。


 アキラは歯を磨こうと台所へ向かう。この部屋に洗面所などという、気の利いたものはないのだ。

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