別世界の住人 その6
非常に疲れた気分で部屋まで帰ると、簡易的な食卓が用意されていた。
元々一人暮らしの生活で、時々友人が尋ねてくることはあるものの、これだけの人数を一度に入れたこともなければ来る予定もなかった。
だから四人がけのテーブルなどないし、座布団があるくらいで椅子さえ部屋には用意されていない。
それが今や六人がけのテーブルと椅子が部屋の真ん中に鎮座し、上品な色のテーブルクロスの上には幾つかの食事とワインが準備されていた。
出発前に見せてくれた食材を簡単にスライスして盛り付けただけのものだったが、温めを待つ間に摘むのには丁度良さそうだった。
「どうしたんです、これ……」
「こちらで用意した」
「え、あの、元々あったソファーとかは……」
「それは邪魔だったから隣の部屋に移した。食事するには不便だったからな、終われば元に戻す」
事も無げに言って、上座に座っているミレイユが食前酒らしきワインに口を付けた。
実際に見たことがないから何とも言えないが、優雅な仕草は上流階級で通用するマナーに見えたし、それに気負いしない雰囲気が、ここだけ切り取られた別世界のように見えてくる。
見惚れていると、ミレイユが怪訝に声を掛けてきた。
「どうした、荷物も重いだろう。早く入れ」
「ああ、はい。……それと、遅れてすみません、ちょっとトラブルが……」
「あったのか?」
「――いいえ、特別報告するような事はなかったわ」
ユミルが途中で割って入って、何でもないように振る舞う。
その顔には、貼り付けたような笑顔が咲いていた。
「言われたとおり、目立つような真似はさせなかったし、実際目立ちもしなかったわね。――そうよね、アヴェリン?」
「無論だ。目新しいものに面食らったような部分はあるものの、別段トラブルと言う程の事はなかった。そうだな、ユミル?」
二人はお互いに頷き合いながら室内に入ってくる。
テーブル一式が用意されたお陰で、人が通るスペースしか室内には残されていないが、とりあえず自分が持ったビニール袋をテーブルに置いて中身を取り出す。
入っていたのは弁当系とおにぎりで、ミレイユはおにぎりの具を確認しながらチラリとアヴェリンを見た。
「……で、本当は?」
「はい、不遜な輩を一人……。ええ、ですが上手く処理できたかと」
「したのはアタシね」
「だが、一番怖かったのはお前だったと、アキラが言っていた」
「それは単に胆力の問題でしょ。アタシが割って入らなければ、あれ死んでたわよ」
「だが、あれは男が悪い。ろくに武器も扱えん上に、武人に対する敬意もなかった。殺してもよかったくらいだ」
途端に口喧嘩と責任の擦り付け合いが始まり、ミレイユは小さく笑う。
これもまたいつもの光景のようで、ルチアもまた同様に気にした素振りを見せなかった。
「つまり、予想通りやらかした、ってことでいいんですか?」
「――やってない! 私はちゃんと手加減した!」
「もちろんそうでしょう、手加減上手のアヴェリンさん。殺す直前まで持っていくのが大変お上手ですものね?」
「そうだな。アヴェリンの『手加減』には、私もよく助けられた」
ミレイユが笑みを深くすれば、アヴェリンも顔を赤くして黙ってしまう。
そのまま今度はアキラの方に視線を向けた。
「一番客観的に見ていたのはお前だろう。……実際のところ、何があったんだ?」
「えぇと……。コンビニ強盗に出くわしたので、それを撃退したのがアヴェリンさんです。でもちょっとやりすぎて、死にかけてしまったと言いますか……」
ミレイユはテーブルに肘を付き、頬をその上に置いて二人へ順に視線を向けた。
「……うん、それで?」
「そのあと、ユミルさんが暗示……じゃない、催眠をかけて記憶を飛ばして、帰ってきました」
「……そうか。相手に怪我は?」
「肩の脱臼と、それ以外は多分、打撲程度かと……」
視線が二人を行き来する、その僅かな時間の沈黙が、空気を重さを持ったように押し付けてくる。
しかし、それも数秒のこと。またすぐにチラリと笑みを浮かべた。
「じゃあ、問題ないな」
「……いいんだ」
その笑みに誘われて、アヴェリンとユミルもホッと息をつく。
アキラのぼやきなど誰も意に返さず、二人も手に持ったビニール袋をテーブルに置いていく。
「なかなか種類も数も多いな……」
「どれだけ必要か分かりませんでしたし、余る前提で買ってきました。明日の朝に食べてもいいですし」
「そうか。――お前たちも好きな物を選べ。どういう食べ物か分からないなら、遠慮なく聞け」
それぞれが了承を返して、テーブルに広げられた弁当やパンを見繕っていく。
「これなに、白いツブツブ。やけに柔らかいけど、何かおっかない感触ね」
「それはオニギリです。国民食みたいな物で、パンと同じで主食として食べます」
「変な入れ物ですね。固くもあるのに柔軟性があって、何より薄い。実に不思議です」
「今は外側より中身に興味を持ってくれ」
「この茶色いペースト状の物は一体……? スープと似たようなものか?」
「それは温めた方が美味しいやつですね。カレーっていうんですけど、それは辛味も薄いので食べやすいと思いますよ」
思い思いに感想を言いつつ、未知の食事に関心を向けながら自分の席へと食べ物を確保していく。温めが必要なものがあれば、アキラが受け取ってレンジに詰めてスイッチを押す。
ブォンと低音を鳴らしながら中に入った食べ物が回転する様を、ルチアは興味深そうに見つめている。
「それらを食べられるようになるには、少々時間がかかる。パンやチーズはスライスしておいたから、それを食べてもいいし、おにぎりだって冷たいままでも美味しいものだ。好きに食せ」
「いただきます」
アキラが小さく口にしながらパンとチーズを手に取ると、アヴェリンが意外そうな顔を向けていた。
「お前もそれを言うんだな」
「それ……?」
「いただきます、という、それだ。ミレイ様も必ず言う」
「ああ、日本人が食事に使う挨拶ですから。じゃあ、そちらでは基本的には言わないんですか?」
そうね、とユミルが頷く。
「挨拶じゃなく祈りを捧げるのよ、自らが信仰する神にね。それも神によっては不敬となる場合もあるから、食事の挨拶する方が珍しいことなのよ」
「へぇ……」
そうこう言っている内に、ミレイユも食事の挨拶を終わらせ、おにぎりにかぶり付いた。
何度か噛みしめると、その表情が見るからに緩んでいく。
「久しぶりの米というよりも、初めての米という食感がする。……不思議だな」
「それ美味しいの?」
米を食べているのは、この中ではミレイユだけだった。
アキラがパンなのは、せっかく食べられる機会だからと手に取っただけだが、他の面々はやはり食べ慣れたものから口にしたいという思いがあったようだ。
どうせ後で温めた弁当を食べるのだから、それまで待てばいい、という考えもあったのかもしれない。
しかしミレイユの表情を見てみれば、興味を持つのは必然だった。
「一つ、オニギリとやらを食べてみようか」
アヴェリンが手に取り、しかしビニールが妨げになって、どう食べたものか困惑している。
アキラはそれを断りを入れて受け取って、手早くビニールを取り去った。
不思議なようなものを見たような顔つきで解体されたビニールとオニギリを見比べ、そしていよいよ手に取って口に運ぶ。
パリッと海苔が割れる音と共に咀嚼を繰り返し、困惑した表情で嚥下する。
「味が実に濃いし、とても柔らかで……。だが何というか、美味いかと言われると素直に頷けない気がする」
「ああ、パン食に慣れているとそうかもしれませんね」
特にあれほど固いパンを常食しているというなら、唾液が一種の調味となっていた部分もあるはずだ。具にも出汁が利いていたりと、外国では感じられない味付けもされている。
困惑が勝っても不思議な話ではなかった。
「食は好みが分かれるものだ。今日食べる分には気に食わなくとも、これから慣れるかもしれないし、それに米が嫌でも他に食べる物は沢山ある。別に無理して食べずとも、慣れた食事がいいなら用意するぞ」
「何事もチャレンジだもの。特に世界が違う食べ物は興味深いわ。まず食べてみるだけ食べてみたいの」
ユミルの返答にミレイユが柔らかく笑んで頷きを見せると、レンジから甲高い音が鳴る。
温めが完了した合図に、アキラは席を立って取り出しに行く。
取り出した弁当をアヴェリンとユミルの前に置き、一応誰が食べてもいいよう唐揚げの惣菜もテーブルに載せると席に戻る。
二人して蓋を開けると、温かな空気がふわりと立ち昇り感嘆した表情で、プラスチックの器に触れた。
「この短時間でここまで温かな食事に変わるとは……! 香りも芳醇、嗅いだことのない匂いだ」
「こっちは何かしら……。肉のようにも別の何かのようにも見えるし、変な感じだわ」
「それハンバーグです。柔らかく砕いた肉、と思ってもらえればいいと思います」
「へぇ? フォークはあるけど……ナイフはどこかしら?」
弁当と一緒に入っていたプラスチックのフォークを取って他を探すも、勿論そんな物は用意されていない。アヴェリンには先割れスプーンを渡したが、二人とも困惑した表情で手元を見ている。
「ユミルさん、それナイフなしで食べてください。こっちじゃそれが普通です。アヴェリンさん、それ茶色のスープを掬ってお米と一緒に食べるんです」
それぞれ説明に何となくの理解を示しつつ口に運ぶ。
そして返ってきた反応は、真逆のものだった。
「これは美味いな……! 複雑な味で香りが鼻を突くようで、味付けも実に好みだ」
「ちょっとこれ、本当に肉なの? 柔らかすぎるし雑味があって味付けがくどいわ。アタシ、これ嫌いよ」
ツンと外方を向いて容器を押し出すユミルに、アヴェリンは勝ち誇るような笑みを浮かべる。
「お嬢様には庶民の味付けが好みに合わんか」
「別に美味しいものは美味しいって素直に言うわよ。でも、これは駄目。好みじゃないわ」
実際、同じハンバーグでもレストランで提供されるような物なら、きっと美味しく感じられるのだろう。コンビニ弁当のハンバーグは、アキラも美味しい食べ物とは認識していない。
ミレイユが苦笑しながら、ワインを差し出す。
「口直しに、ほら……。コンビニの弁当じゃ、むしろハズレを引くほうが多いかも知れないな、お前の場合」
「何故です? 美食家とか?」
「……かどうかはともかく、味覚や嗅覚が私達とはちょっと違う」
へぇ、とユミルの方を窺うと、まるで舌に残った味を濯ぐように、ワインを口の中で転がしている。
それを横目に先程から静かなルチアに顔を向けると、サンドイッチを解体して中身を見たり上下に裏返したりして、やはり食べることより知的好奇心を満足させる事を優先させたようだ。
時折、パンだけ、具材だけ、と口に入れているので、何も食べていない訳でもない。
コンビニ飯だけしか提供しないとあっては、きっと日本の食事を誤解させてしまう。とはいえ、アキラも学生の身。美味しい食事を自炊して提供できる技術もない。
だからといって、気に入りそうな食事としてレストランを紹介したら、毎食それ所望されても困ってしまう。
結局はコンビニ飯に慣れてもらうしかないだろうか、などと考えていると、ミレイユが思考を読んだかのような言葉を放ってきた。
「そう深刻に考える必要はないぞ。こちらの食材、こちらの調味料、それらを調達できれば、自分達で勝手に作る。調味料が全然違うから、好みの味付けを探すのに時間はかかるかもしれないが……。まぁ、何とかなるだろう」
「そこはアタシが自分で何とかするわ。そういうのは得意だしね」
「期待しておこう」
ユミルが笑顔で請け負ったところで、カレーを食べ終わったアヴェリンが袋の中から別の何かを取り出す。幾つもあるそれを、食べ終わった器を脇にどけながら広げていく。
「ミレイ様、甘味の方もご用意しました。どれでもお好きなものをお選び下さい」
「うん……?」
シュークリームやロールケーキ、エクレアなどが並べられていくのを見て、ミレイユは眉根を寄せて首を傾げる。
「ワインと一緒に甘味はな……。それに、私はそれほど甘味が好かんが……」
言いさすと共に、みるみる内に表情が陰るアヴェリンに、流石のミレイユも言葉を止めた。
「――だが、そう、こちらの甘味はいいものだ。まずアヴェリン、お前が食べて好みのものがあったら教えてくれ。私もそれを一口もらおう」
「お任せ下さい、ミレイ様! 必ずや御口に合う物を選ばせていただきます」
うん、と頷いて、ミレイユは笑みを隠そうとワインを煽る。
アヴェリンはそれに気付かぬまま、慎重な手付きでシュークリームを手に取った。
そっと二つに割って中に入っているクリームに顔を輝かせると、零れ落ちないよう慎重に手を動かす。それから鼻の前で小さく横に揺らし、その香りを楽しんだ。
ふわりと笑みを浮かべると、ゆっくりと口の中に運び、一つ、二つと顎を上下させる。
一つ噛む度、アヴェリンの頬が緩み、眉が垂れ下がる。
見ている方が嬉しくなってくる表情だった。
全員の視線が自分に向いている事に気づいて、アヴェリンは今更ながらに口元に手を当て咀嚼を隠す。飲み終わると、努めて無表情で評価を下した。
「……ん、んんっ! ええ、なかなかよろしいお味でした。ですがまぁ、普通と言いますか、ミレイ様には、もしかしたら好まない味かもしれません」
「そうか? では、残りはそのまま食べてしまってくれ」
「よろしいのですか?」
「ああ、それを食べ終わったら、他のも試してもらいたいが……。もちろん、まだ食べられるようなら」
「ええ! まだまだ大丈夫です。――では、早速失礼して……!」
アヴェリンは残ったシュークリームにかぶり付く。やはり幸せそうな顔で食べ尽くすと、次いでエクレアに手を伸ばす。上にかかったチョコレートに興味深い視線を飛ばし、壊さないよう慎重な手付きでビニールの上から撫でる。
やはり同様の手付きで柔らかく手に取ると――。
結局、全スイーツの味見が終わっても、アヴェリンはミレイユのお気に召すだろう味は見つけられなかった。
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