帰郷 その8

 暁が自宅のアパートの前に辿り着いたのは、それから五分後のことだった。

 ここです、と後ろを振り返ると全員が微妙な顔をしていた。もっとも、うち一人は正確に表情が読める訳ではなかったが。

 外国人には狭すぎるように感じてしまうのかもしれない。


「えぇと、ここの二階で、右端です」

「……そうか。不思議な縁、というべきなのかな」

「……はい?」


 首を傾げて意味を考えていると、何でもないと手を振ってくる。

 それにしても、こんな時でも思ってしまうが、女性を家に上げるなんて初めてのことかもしれない。それも誰もが眼を見張る美女揃い。それが何だか落ち着かない気持ちにさせてくる。

 勿論、何か下心があるわけでもなく、むしろ何かあれば砕かれる部分が色々と出てくるだろう。下手な真似など出来るはずもない。


 だが一応、断りだけは入れておくべきだと思った。

 暁としても不本意ながら、多くの人に勘違いされる外見をしている。だとしても今も尚、勘違いさせているなら、周知させるのがマナーだと理解していた。


「あの、大丈夫ですかね? 一応、男の一人暮らしの部屋に入ることになるんですけど」


 後ろの誰かが声を上げた。


「……男なんていたか? 誰が男だ?」

「アンタでしょ」

「ほう……。小さな侮辱であろうが、簡単には済まさんぞ」

「あらそう? ゴメンなさいね。アタシの口ったら、いつも正直で苦労するのよ。今度大人しくするよう言っておくわ」

「なるほど、よく理解した」


 今にも暴れ出しそうな二人に、暁は慌てふためき他の二人に縋るように視線を向ける。


「ご近所さんの迷惑になりますので、どうか……! あの、ちょっと止めて下さいよ!」

「あれの事は放っておいて大丈夫ですよ、いつものことです。……それより、あなたが男性だとして何か問題が?」

「特にないだろう。……つまり、礼節の問題だな」


 ああ、と納得を見せた妖精に、魔女モドキは頷く。暁の方に興味深げな雰囲気の視線を送る。


「女々しい男か、凛々しい女か、一体どちらだろうかと考えていたが……。賛成多数で女と認定していた。これは予想が外れたな」

「どこから出てきた多数派なんですか。勝手に認定しないで下さいよ……。いいですけどね、慣れてますから」


 鼻を鳴らして肩を竦めた魔女モドキに、力なく言葉を帰して階段を昇る。例の二人は何かまだ言い合っているが、この際無視してまず部屋に入った方がいいと判断した。

 このままでは移動を提案した意味がない。


 暁は階段を昇って部屋の前に立つと、ポケットから鍵を取り出し鍵穴に入れる。いつもの調子で鍵を開けようとして、手応えが返ってこない事に違和感を覚えた。

 ドアノブを捻ってみれば、抵抗なく開いて眉をひそめる。


 今朝は鍵を掛け忘れただろうか。思い返してみても、そこにはイマイチ自信がない。

 盗まれるような貴重品は置いてないが、荒らされるのも嫌だ。

 もしもまだ犯人が中にいたとしても、頼りたくはない頼りになる四人組が傍にいる。


「ちょっと待ってて下さい」


 だから万が一はないだろうと思って部屋に足を踏み入れ、電気をつけて気配を探る。

 後ろの存在を無視して部屋の中一つ一つに顔を出し、誰も居ない事を確認する。簡単にチェックした限りでは盗まれたものもなく、不審者もいない。元より隠れられるようなスペースがあるほど広い部屋でもない。

 鍵の掛け忘れか、とイマイチ釈然としないまま玄関へと戻った。


 そこでは未だに睨み合いを続ける二人と、それを無視する二人がいる。

 げんなりとしながら、扉を大きく開いて中を示した。


「どうぞ。――あ、靴は脱いで下さいね。狭いですけど、四足分ならギリギリ靴を置くスペースもあると思うので……」


 そのまま踏み入ろうとしていた妖精に、やんわりと断りを入れれば、首を傾げながら魔女モドキを見る。頷き、言うとおりにしろと返ってくれば、狭いなか苦労しながら靴を脱ぎ始める。

 暁はとりあえず部屋の中に戻って簡単にチェックした。


 普段から気をつけているから、男の一人暮らしである事を考慮すれば、中は清潔の部類だ。

 乱雑に洗濯物が落ちていたりしないし、掃除機も週に一度かけている。だから、気にするほど汚れてもいない。

 一応寝室になっている和室の扉を閉めて、他の全員が来るのを待った。

 幾らも待たずに先頭になって入って来た金髪の女騎士は、天井を見て手で目を覆うように庇を作る。


「随分明るい蝋燭だな……。いや、違う何かが使われてるのか」


 しばらくして光に目が慣れると手を下す。後ろの入り口が詰まっているのを見て取って、体をずらして他の人が入ってくるのを促す。

 部屋の中に全員が揃うと、密度があっという間に埋まってしまい、座る場所に困ってしまう。客を立たせたままにするのも問題だが、そもそも客かという問題もある。

 暁が何かを言う前に、金髪の女騎士が首を巡らせ、部屋の中を確認した上でソファを示した。


「では、ミレイ様、どうぞ座って下さい」


 それをあなたが言うのか、という言葉は喉元まで出かかったが、何とか飲み込む。

 部屋の中にはソファが一つ切り。二人がけのソファーだが、基本的に一人で使うような家具だ。誰を座らせるかとなれば、おそらく自明の理としてリーダーの彼女となるのだろう。

 見た感じ、他の三人に序列はないように感じられたが、では彼女たち三人をどこに座らせようかと思い悩む。


「えー、他に椅子はないので、床に座って貰うしかないんですが……。慣れないでしょうけど、すみません、他に方法も……」

「結構だ、我々は立っている」


 言うや否や、金髪はソファーの横に立ち、後ろ手に手を組んだ。


「じゃ、アタシたちは適当に……。ああ、アンタはあの子の前にね、そのテーブル越し正面に座りなさい」


 黒髪がそう言うと、台所側に移動し、妖精は閉めた和室の扉に寄り掛かる。それぞれが四隅を埋めるような状態で位置を取られた。

 警戒に値するような相手でもないだろうに、それでも油断を見せない行動は、彼女たちの私生活が気楽なものじゃないことを予想させた。


「ええ、はい。それじゃ失礼して……」


 ミレイ様と呼ばれた彼女が座るのを確認してから、暁もまた床に腰を下ろす。

 自分の部屋なのに正座する程かしこまるのも違う気がして、ラグマットの上で胡座をかく。落ち着かず、妙にソワソワさせながら、相手からの言葉を待った。


「……そうだな。まずは自己紹介からか。順に名乗れ」


 小さく顎を動かし指示すると、隣の金髪が頷き、険しい視線をそのままに口を開いた。


「アヴェリンだ」

「は、はい、どうも……」

「愛想がないわねぇ、その子も困ってるじゃないの……。アタシはユミル。家名は捨てたから、ただのユミルと覚えておいて。よろしく、可愛子ちゃん」


 アヴェリンと名乗った彼女は取っ付きにくいが、次に挨拶した黒髪のユミルは対応が柔らかい。暁は身体を向けて小さく頭を下げた。


「はい、よろしくお願いします」

「私はルチア・メディウム。短い付き合いでしょうけど、よろしく」

「――本当はもっと長い名前じゃない? そっちで名乗らないの?」

「あれは親しい人にだけ名乗るものなので。あなたにもそうだったでしょう?」

「……ああ、あれってそういう意味だったの。突然呪文のように名乗られて、面食らった覚えあるわねぇ」


 唐突に話が脱線し始めて、暁は挨拶をする機会を失ってしまった。口を挟んでよいものか、幾らか逡巡している間に、ミレイ様と呼ばれた人が帽子を取って膝の上に置いた。


「そして、私はミレイユだ。名字はない――おい、どうした?」


 暁はその素顔を見て驚愕し、動きが全て止まってしまっていた。

 ルチアに向けていた身体を、ミレイユが帽子を取った事でそちらに意識を向け、今まで見れなかった顔に興味が湧いて視界に入れ、そして硬直した。


 品のある目鼻立ちのきりっとした顔立ちに、白より少し焼けた肌をした美女だった。焼けた肌といっても小麦色にすらなっていないが、その肌は美肌と言って差し支えないほど艶やかだ。

 年の頃は二十台前半、髪は短く耳が隠れる程度。髪質は癖のないストレートだが、粗野に感じてしまうような野性味のある髪型だった。しかしそれが口調のせいもあって、不思議と彼女に合っている。瞳の色は茶色で、髪の色と同じだった。その瞳で見つめられるてしまうと、嫌が応にも身体が強張る。


 日本国民なら知らぬ者はいない。

 全ての尊崇と感謝を抱き頭を垂れる存在、――オミカゲ様がそこにいた。

 暁は即座に姿勢を正し、足を揃えて正座になる。握り拳で床に手を付き、三歩分の距離を後ろに下がって頭を下げた。


「オミカゲ様! し、知らぬ――いえ、ご存知……、いや、知らぬ事とはいえ、数々のご無礼、真に失礼しました……!」


 つっかえ、吃り、まともに言葉も選べない状態で、暁は必死に頭を下げて懇願する。顔を知らぬ、見せない相手だったとはいえ、敬意を払うべき相手には違いない。

 もしも叱責を受ければ、その場に崩れ落ちる自信すらあった。


 アヴェリンは暁の姿勢に満足したような笑みを見せるも、ミレイユからすればその豹変ぶりは異様の一言だ。明らかに誰かと勘違いしていると察して、戸惑いを見せつつ声をかけた。


「ああ……、なんだ。私が誰かに似ているのか? この顔に見覚えがあるとしても、私はきっとその人とは関係ない。だから顔を上げてくれ」


 心配そうな声音でそう言われてしまえば、暁も顔を上げざるを得ない。

 恐る恐る顔を上げ、あるいは見間違えだったのかと確認してみれば、そこにはやはり、知った顔――ご尊顔がある。

 恐れ多い気持ちで見つめてみれば、ミレイユの言うとおり、別人の可能性が見えてくる。

 そもそも、オミカゲは白髪なのだ。


「……ああ、はい。すみません……。でも、あまりに似すぎていて……本当に別人なんですか?」

「その態度を見れば、明らかに身分の高い誰かを想定してるんだろうが……。この国で生まれてから、身分が高かった事は一度もない」


 その言葉に嘘がないのか、それは暁には分からない。

 ただオミカゲ様には幾つもの伝説がある。鬼や妖怪の退治の伝説もその一つで、影から日向から、この国を守って来たという逸話である。

 もしも、姿格好を変えて、今も変わらずそのような戦いに従事していたら――。


 先ほど見た化け物の存在が、その発想に拍車を掛けていた。

 暁は到底、目の前の御方を直視できず、頭を下げて平伏する。


「しかし、しかしですよ……!」

「そんな格好では話も出来ないし、何より私が気に食わん。――いいから顔を上げろ」


 その胴に入った言葉で、暁は引き起こされるように顔を上げる。

 そこには困ったような呆れたような顔をしたオミカゲ様――ミレイユがいた。


「そんなに似てるか」

「髪型と髪色を抜かせば……」

「それは……どうなんだ? 随分と大きな違いじゃないか?」

「でも、この世に二つと同じ顔はいないというのが通説で……」


 ミレイユは眉を顰めて嘆息した。


「よく分からんが……。とにかく別人だから、お前もそのように接しろ。……そういえば、まだ名を聞いていなかったな」

「は、はい。由喜門、暁と申します」

「そうか、アキラか。良い名……だろうな、きっと」

「お、お、恐れ入ります。あの、でも、由喜門といっても、傍流でして! 両親も既に他界し、だから本家の方に会った機会もなく……!」


 突然始まったアキラの弁明に、ミレイユは目を白黒させた。


「待て待て、いきなり何の話だ。お前の名字に何かあるのか?」

「え、いや、はい……。ですから、由喜門家です。お貴族様の……」

「知らないな、特別有名な名前だという記憶もない。大体、貴族ってのは何だ」

「ご存知ない筈ないでしょう? 天下五家、オミカゲ様に仕える御由緒家のことですけど……」


 恐る恐ると言う具合に述べたアキラだったが、ミレイユは大仰に肩を竦めた。


「やはり知らない。第一、貴族家なんてないだろう? 華族のことか? それだってGHQに解体されただろうに」

「……えぇっと、GHQってなんですか? 貴族も華族も両方ありますし、解体なんてされてないですけど……」

「なに……?」

「――おおっ、ととと……」


 横から面白そうに笑うユミルが、口を挟んできた。


「食い違いが凄まじいわね。話を聞いてると、お互いに勘違いし過ぎじゃない? アキラはミレイのこと別人だと思ってるし、ミレイは国を勘違いしてるし」

「いや、こいつはともかく、私はしていない。ここは日本だろう?」

「ええ、はい、それは勿論……」


 ミレイがほら見ろ、と言いたげにユミルへ顔を向けるが、それだと色々可笑しな食い違いの説明がつかない。


「アンタには前科があるからねぇ。割とアンタが口にする常識って、当てになるのか疑問に思えてきたところよ」

「そんな事ないだろ……」

「だって、アキラがウソ言う必要ないじゃない」

「私にだってない」

「じゃあ、どちらかが思い違いをしているって……そういうことに、なるのかしらね?」


 はぁ、とミレイユが不快げに息を吐いて腕を組んだ。

 チラリとアキラに視線を向ける。


「お互いに嘘を言っていない、という認識でいいよな?」

「も、勿論です!」

「じゃあ聞かせてくれ。GHQを知らないって? 日本史が苦手ってことはないよな?」

「人並だと思いますけど……」

「第二次大戦で敗戦した後に――」

「ちょっとお待ちを」


 アキラが手の平を向けて顔の横まで持ち上げた。


「敗戦って何ですか? 日本がってことですか?」

「……ああ」

「いや、日本は戦争に負けてません。外国との戦争で負けたことありませんから」

「……何だって?」


 その返答は、ミレイユを大いに頭を悩ませることになった。

 この程度の知識は思い違いや勉強不足で出てくるような間違いじゃない。いきなり、お互いの認識による齟齬が現れた形だ。


「敗戦の経験がない……、意味不明だな」

「それはこちらの台詞でもあるんですけど……」

「分かった……。いや分からないが、とりあえず置いておく」


 ミレイユの提案に、アキラも不承不承という体で、とりあえず頷く。

 痛いものを堪えるように眉根を寄せて、質問が続いた。


「それで……、何だったか。貴族家があって、それと別に華族があると言ったか?」

「ええ……、はい。貴族というのは御由緒家の五家の事を指しますが、爵位はありません。逆に華族は爵位を持っていて、こちらは世界的に見た場合の貴族に該当します」


 ミレイユは大いに眉を顰めた。


「おい、ややこしいな……」

「つまり文字通り、貴い一族というのが御由緒家という事なんだと思います。何しろオミカゲ様の血筋に連なる訳ですから」


 それだ、とミレイユは指を突きつけた。


「そのオミカゲ様ってのは、何だ?」


 その問には、流石にアキラも表情が歪むのを抑えることはできなかった。思わず変質者を見たかのような視線を向ける。


「その、本気で言ってますか? 外国から来たって言ってましたけど、相当遠い国から来たんですか? つまり、途上国とかから?」

「途上国というのは、あながち間違いではないかもな。……だが、私の知る日本に、そのような名前の有名人はいない」


 アキラは困った顔で眉根を寄せ、思わず唸った。


「外国の人でも、そうそう知らないって事はないと思ってたんですけど……。単なる事実として、日本に神様がいると知られていると」

「いや、そりゃあどの国にも敬う神を持っているものだろう。人種と宗教は切っても切れない、そういうものだろう?」

「ですから、そういう意味の神様ではなくてですね。……あの、本当に分かりませんか?」

「分からないというか……いや、そう思うのは勿論、個人の自由とは思うが。熱心な信仰を持つ人は、その実在を信じているものだしな……」


 アキラは大きな身振りでそれを否定した。


「それとこれとは全くの別物です。多くの宗教が神聖視している存在と、事実として存在する神様がいて、そしてオミカゲ様は実在する神様なんです」

「うぅん……」


 ミレイユは困った顔をして組んでいた腕を解き、額を指先で掻く。

 お互いに譲れない、というか、受け入れ難い部分で大きく食い違っている。

 ルチアが小さく手を挙げて、会話が止まった隙に横から質問を飛ばした。


「ミレイさん、ちょっと聞きたいんですけど、私達の常識としての神はいないんですよね? つまり、あちらの世界の神という意味ですけど」

「――いない。前にも言ったが、神はいると信じられていても、見て触れられる存在として地上に降りて来たりはしない」

「ですから、唯一の例外がオミカゲ様となります。日本の民を遍く見守り守護してくださっている神様なんですから」


 アキラが力強く言い放ちながら、部屋の天井角に指を向けた。


「その大いなる御神徳を持って守護してくださり、お救いしてくださる地上に顕現した神様なんです。外の国の人は、それが自分達に及ばないからと、非難ばかり多いですが」

「つまり、偶像ではなく、真実そこにいる存在という訳ですか。私の知る神は、信者が祈れば疾病退散とかしてくれるんですけど」

「まさしく、それもオミカゲ様の御神徳の一つです。だから日本人は病気と無縁だと言われるんですよ」


 アキラが我が意を得たりと、朗らかに笑った。

 対してミレイユの顔が曇る。考え込むように眉根を寄せ、アキラの指差した神棚を見た。


「つまり、本当にいるのか。信じているのではなく、本来なら奇跡と崇めるような事が、自らに起こると……」

「そうです。その奇跡自体、そしてオミカゲ様の存在を、外国側の宗教として認められないのは知っています。でも現実として起こる事実なんです」

「そして、そのオミカゲ様の顔は周知されていて、私の顔が同じだと?」


 アキラはきっぱりと頷く。

 ただ、眉を八の字に情けなく垂れ下げた。


「不敬で済みません。でも、オミカゲ様と同じ顔持つ者はいないとされるのは、僕もよく分かるんです。人種的特徴に合致する事はなく、しかし誰もが認める美麗な顔つき。ご本神としか思えないのに、その貴女から否定されてしまっては、つい熱くなってしまって……」

「ああ、それについては、私も済まなかった。悪気があった訳じゃないんだ。ただ、私の知る常識と違ったから……」


 ミレイユは大きな溜め息をついて、再び腕を組む。俯いて、何かに苛立つように足を組んで揺らした。

 そこに再びルチアが口を挟む。


「でも、私達からすれば、そこは全く重要じゃないんですよね。信仰する神から加護を得られるなんて、常識であり事実ですから。問題は、それをミレイさんが認めてないっていう方で」

「……ここ、本当にアンタの故郷? 似てるけど、別の場所じゃなく?」


 ミレイユは苛つきを隠そうともせず、突き放すように言う。


「だったら言葉が通じる方が可笑しだろ」

「なぜ?」

「当たり前のことを聞くな。言語が違う――」


 言い掛けて、言葉と共に足の動きも止まった。


「どうして国が違うと言葉が通じないの? それっておかしくない?」

「こっちの世界じゃな、国が違えば言葉も違うものなんだ。あちらとは違う」

「でもじゃあ、なんで通じてるのよ?」

「――そこだ。さっき公園でも指摘されて不思議に思った。お前たち、何語で話してるんだ? それ、日本語じゃないだろ」


 指摘されて、それぞれが口元に手を当てる。当たり前に話していたからこそ、気づかなかった事実だった。


「私はこちらに来てから、ずっと日本語で話していた。お前たちは勿論、違ったはずだな?」

「そうね、ニホンゴとやらもアタシは知らないし」

「――今の。それだ、もう一度言ってみろ」


 人差し指を向けた真剣な眼差しの要望に、ユミルは奇妙に思いながらも言うとおりにする。


「そうね、ニホンゴとやらも……」

「――見たか?」


 言葉を遮り、ミレイユはルチアに、そしてアヴェリンへ指を向けた。


「ええ、口の動きと実際に聞こえてきた言葉が違いましたね」

「はい、今のルチアの言葉も、口の動きと合致していませんでした」

「では、どうしてこれを日本語として認識できているんだ?」


 悍ましい何かに絡め取られているような錯覚を、ミレイユは感じたようだった。

 奇妙に思うばかりではなく、アキラもまた恐ろしい何かの一旦に触れてしまった気がする。

 そんな二人を尻目に、ルチアが人差し指を顎に当てながら、首を傾げる。


「私が何もかもチグハグでイライラするって言った時のこと、覚えてますか?」

「ああ、公園に向かう途中だったな」

「そして、その前にも少ない魔力でどうこう、って話もしていたと思うんですよ」

「ああ、覚えている」


 ミレイユは頷いて続きを促す。


「あれですけど、柱と柱を繋ぐ線、あれに魔力が流れていて――そこから分散、散布? とにかく広がって空中を覆っていたんですね」

「何だと……?」

「今この場でも、何かしらの魔術の影響下にあるってことですよ」

「ということはつまり……」

「言葉が通じているのは、その影響を受けているから。そう考えることができます」


 馬鹿な、とミレイユは吐き捨てるように呟いた。


「この世界に魔法も神も、奇跡も悪魔も存在しない……!」

「でもいましたよ、ミドリの奴。魔法だってありますよ。ほら……」


 ルチアの広げた手が青い光に包まれる。その手の平を包む淡い光から、不自然な動きで氷を生まれた。それを天井近くへ放り投げると、砕けて雪になって降ってくる。


「魔法もあって魔物もいるのなら、神がいたって不思議じゃないでしょう」


 アキラはここに至って俄に理解し始めた。

 思えば、それに思い至る切掛は幾つもあった。ただ常識が理解を拒んでいただけで、彼女たちの口から出てくる言葉だけでも、予想できる単語が幾つも出てきていた。


「この世とか、あっちの世界だとか……。貴方たち一体、何者なんです……まさか」


 ミレイユは一つ息を吐くと、観念するかのように顔を俯いて言葉を落とした。


「……そうだな、話しておくとしよう。私達は別世界の住人だ。こことは全く別の世界からやって来た」

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