別世界の住人 その1
「別世界の……住人。異世界人、という事ですか?」
「そうと頷くには少々複雑だが……、説明が難しい。まぁ、それでいい」
暁は眉を顰めて口をポカンと開けた。
随分と間抜けな顔を晒している自覚はあったが、そんな事を気にする余裕もなかった。
公園からこちら、不思議な事が起きていて、もしかしたらと思い続けて来た事ではあった。非現実的な光景が、理解を拒んでいた事もあった。常識が理解に蓋をした部分もあった。
「だって……、でも……、本当に?」
「思うに……」ミレイは困ったように眉を寄せた。「私達はこの世界の人間ではない。だから、この世界とは違うルールで動いてる。あまりによく似た見た目だから勘違いしてしまうんだろうが、そもそもの存在として別物だ」
言ってることが曖昧で、あるいは複雑で、アキラはそれを上手く理解できない。
「別物というのは分かる気がしますが……。でも、やっぱりよく分かりません」
「分かる必要はない。ただ違うと理解していればいい。何故を考え出すと切りがない。今はそれでいい」
「自分に言い聞かせるような台詞ねぇ……」
ユミルが肩を竦めて軽口を叩くと、ミレイユは困った表情のまま頷いた。
「まぁ、事実そうだろう。言葉が通じるのは電線を通る魔力のせいか? では誰が何の理由で流している? 魔力の使い道はそれだけか? あまりに限定的すぎないか? 単なる副産物としての利用なら、他の使い道は何になる? 魔物出現と関係はあるのか?」
つらつらと言葉を重ねてから、不意に口を閉じる。
ミレイユはルチアを見つめるが、返ってきたのは苦い笑みだった。
「私にも何一つ分かりません。この世界では、それが常識なのかも分からないのですから」
「そこだ。私の持つ常識と食い違う大きな部分。多少の食い違いではないぞ、それこそ別世界に迷い込んだ気分だ」
「実際に別世界である可能性は?」
ミレイユは目を固く閉じて、数秒の沈黙のあと溜め息を吐いた。
「ないとは言えない。こちらの世界に渡った直後は、帰ってきたという確信があった。……だが、今は揺らいでいる。詳しい指定をせずに『遺物』を使った弊害か、それとも別に理由があるのか……」
「ミレイユさんは――」
「ミレイユ様、だ。不敬だぞ」
それまで黙って控えていたアヴェリンから叱責が飛ぶ。不機嫌さを隠そうともしない物言いに、ミレイユが苦笑する。
「まぁ、こいつはいつもこんな調子だ。気にするなと言いたいが、従わないと色々口喧しい。今のところは言われたようにしていろ。不満はあるだろうが、今は飲み込め」
「ええ、はい、了解です」
最初からミレイユは偉そうな態度ではあった。偉そうというより、人へ命じるのに慣れた振る舞いだった。命令口調ではあるのに、それが嫌味に感じられず、素直に従ってしまう。それがアキラには不思議だった。
ミレイユを呼ぶ際、他の二人は普通に呼びかけるのに、このアヴェリンだけは敬称を付け、粗雑な振る舞いを許さない。思えば、真っ先に椅子を勧めたのもアヴェリンだし、丁寧な言葉づかいを崩さないのもアヴェリンだけだ。
そうする理由があるのだろうが、今のアキラに知りようもない。
尋ねれば答えてくれそうではあるものの、今は他にも気になる事があった。
「えぇと、ミレイユ……様、だけは日本出身なんですか?」
そうだ、と顎を引くように小さく頷く。
「でも名前が、随分日本人っぽくないというか……。いや、そういう人がいるのが可笑しいと言うんじゃなくて、その場合漢字の当て字的なものがあったり、親が外国人だったりするじゃないですか。どちらも違うような感じで、それが不思議で……」
「うん……」
ミレイユはソファに体重を預け、天井を見上げた。組んだ足がブラブラと揺れ、アキラの視線の高さからどうにも太腿が目に入り、目のやり場に困ってしまう。
しばらくしてから、ミレイユが口を開いた。
「……考えてみたが、説明するには長すぎる。それに教える意味もない。――悪く思うな、お前はそれを知れるほどに親しくない」
最もと言えば最もな言葉だった。
少々キツい言い方だったものの、今日知り合っただけの人間に、明け透けに物事を打ち明けられる人間は多くない。親しい友人にしか話せないというのは納得できる気がした。
「私はこの国で生まれ、育った。それだけ知っておけば良い」
「……えぇ。でも、この国の歴史、随分勘違いして覚えてますよね。勉強不足というより間違って教わったかのような、根本的に履き違えているっていうか」
「そうだな……。そこは私もよく分からない。……ボタンのかけ間違いが起こっている。そんな感じがするな」
「それは、僕との?」
「いや、私と世界との」
いきなり壮大な話になってしまい、アキラには何も言えず閉口した。
「魔力が実在する事自体がな……。電線に通う魔力、か。因みに、これは常識か?」
「いえ、まさか! 魔力は空想上の、漫画とかテレビとか、そういう世界の産物っていうのが常識で……!」
「……そこは共通してるのか。じゃあ、あるいは電線に電力以外が通っているという事実は?」
「それもないですよ! ……いや、まぁ、ないと思ってました……」
先程の雪を降らせてみせた手法が、単なるマジックではなかったと、アキラはもう理解している。緊張を強いられる状態だったから、本当に騙す気でいたならその限りではないが、そうする理由もないだろう。
自分の知らない世界があって、文字通り別世界の住人がやってきた。
ならば見えてないだけで、これまでも空想と切り捨ててきた事実が身近にあったのかもしれない。そして実際、それがどういう事実に繋がるかは不明だが、魔力は電線を流れているそうだ。
「僕が知らないというだけで、常識を疑うべき物は他にもあるかもしれませんけど……」
「それじゃあ、ちょっと愉快なミドリの化け物も見たことがない?」
「さっきも言いましたけど、見た事も聞いた事もありません! 魔力はあったら嬉しいフィクションですけど、あっちはいて欲しくない方のフィクションでしょう!」
そうだな、とチラリと笑ってミレイユは頷いた。
そうやって見せる笑顔は胸に突き刺すような破壊力を秘めている。オミカゲ様によく似た顔となれば、誰だってそうなるという確信が、アキラにはあった。
「実は秘密裏に誰かが倒して処理してるとか、或いはそういう組織があるのかもしれませんけど……」
「あれが今日初めて遭遇した魔物か、それとも昔から住み着く魔物なのか、それで考え方が随分変わってきそうだな……」
「オミカゲ様には昔から妖怪退治、鬼退治の伝説が数多くあるんですよ。だから、もしかしたら、あるのかもしれません……」
「オミカゲ様、ね……」
ミレイユは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「否定してやりたいが、話を聞く限り、実在を疑っていないんだな。……神がこの地上にいるのか」
「――おられます。古来より雲海から人々を見守り、千年前から地上に降臨し、日本史にも幾度となくその名が出て来る存在、それがオミカゲ様です。数多の悪を挫き、弱き者に手を差し伸べて来た神でもいらっしゃいます」
へぇ、とユミルが感心したような声を上げた。
「それにしても、千年? 随分と若い神なのねぇ」
「その辺は諸説ありまして。日本創世の時からいたけれど、あくまで降臨されたのが一千年前だとする説もあって。未だに答えが出てないみたいです」
「本神に尋ねればいいじゃない。過去に尋ねた人はいなかったの?」
「多くを語らない御方ですから。名声も誹謗も我関せず、清濁併せ呑むといいますか……。歴史学や考古学の学者たちは、一度でいいから話をしたいと考えてるみたいですけど……」
「何言ってるの。尋ねればなんて言ったけど、神が学者と対話なんて、笑い話の類でしょ」
「――えっと、私からも聞きたいんですけど」
いいですか、と言いながら小さく手を挙げたのはルチアだった。
アキラに伺いを立てたというよりミレイユに許可を得たいようだった。頷きが返ってくると、手を下げてアキラを見る。
「他にはどんな神々が?」
「他の宗教の、という意味ですか?」
「そこはどちらでも。常に顕現している神は珍しいですから。全体でどのくらいか、おおまかにでも知れたらなと」
「地上に留まっておられる神様は、唯一オミカゲ様だけです。――ああ、自分を神と名乗る者は幾らでもいますし、その中に本物がいると主張する者はいますが」
アキラは誇りを持って胸を張った。
「でも不老長寿を体現し、ご利益もあり、全国の神社で病気は快癒せしめ、怪我も骨折くらいなら三日で治る。それを誰の目にも明らかな形で実現させるのは、オミカゲ様のみです!」
「疾病治癒の権能……、どこかで聞いた話じゃないですか」
アキラが一人盛り上がるのを他所に、ルチアが得心したように頷く。それと同じく、ミレイユもまた苦いものを呑み下すように頷いた。
「あちらの世界の神の基本権能だ……。怪我はともかく、病気はどの神でも下す事のできる奇跡だった」
「関係あると思います?」
「ないと思いたいが……」
「確信は持てない訳ですね」
「私達がここにいる。そして魔物さえもが現れた。ならば神はどうなる……?」
「いないと断じる方が不自然と。……でも、さっきの言葉を信じるなら、一千年も前から来ていたという事になります」
そこだな、とミレイユは苛立たし気に、組んでいた腕を強く握る。
「そこが最も不可解だ。過去、あちら側で世界を渡った神の伝承など聞いたこともない。ユミルは何か知っているか」
「アタシの知る限りにおいて、世界渡りをした神も、忽然と消えた神もいないわねぇ」
「やはりそうか……。無関係だと思うか?」
「関係があったとして、今は推測の域を出ないでしょう。――それとも、深く関わるつもり?」
ユミルは念を押すというよりも、明らかにそれを望んでいるような口振りだった。
ミレイユは指摘されててハッとする。眉根を寄せて、ぞんざいに腕を振った。
「そんなつもりはない。……そうとも、そもそも関係のない話だ。民の病気を癒やしていたいというなら好きにさせるさ」
「あら残念。またいつものように首を突っ込んで行くかと思ったのに」
「したくてやってた訳じゃないんだよ。……ああ、全く。馬鹿らしい。いつもそうだったから、何故か当たり前のように探ってたが、そもそも必要ないじゃないか」
ミレイユは吐き捨てるように言い、左右の足を逆に組み直す。
「アキラ、……まぁ色々振り回して悪かったが、用は済んだ。もう出ていく」
「え、あ、そうなんですか……?」
唐突に放り出されたような感覚で、アキラは思わず呆けてしまった。
多くはアキラに分からなかったが、何やら白熱した議論が繰り広げていたようだった。それが突然水を掛けられたように静まったのだから、面を喰らうのも当然というものだ。
「でも何か、世界の裏側を覗き込んでしまったというか、教えられてしまったというか……。とにかく困惑が強くて」
「私も似たようなものだが。まぁいいさ、世界が何か違っているように見えても日本である事に変わりはない。元より戦いから身を引いて、悠々自適に暮らす目的で来たのだから」
「バカンス目的で世界を超えたんですか!?」
「うるさいな、そんな俗なもんじゃない。帰るべき故郷に帰りたかったというだけだ。こっちは飯も美味しいし、娯楽に困らないしな」
「やっぱりバカンスじゃ……」
ミレイユはフンと鼻を鳴らして、アヴェリンに顔を向けた。
「そういう訳だ。無駄な遠回りをしたが、最初に言っていたとおり、何も変わらない」
「構いません。しばらく、お好きなように過ごすがよろしいかと」
うん、と満足そうに頷いて、ミレイユは組んでいた足を直した。
「それじゃあ、邪魔したな――」
「ちょちょちょ、ちょっと待って下さい!」
「なんだ……」
アキラの慌ただしい声に、ミレイユは不満げに目を細めた。
ミレイユから受ける視線に身が竦むが、今は――今だけは屈してはならないと本能が叫んでいる。だから、アキラは腹に力を入れて、その瞳を見つめ返した。
「いえ、その、あのミドリの魔物……。あれって、今後どうなるんでしょう?」
「どうって?」
「すぐ近所に出てきたんですよ! 僕の家の目と鼻の先に! また出てきたら、一体どうすれば……!」
ミレイユは不思議そうに首を傾げる。
「逃げればいいじゃないか。無論、戦うでもいいが。あまりお勧めしないな。あれはあれで、結構厄介な……」
「え、あの……何もしてくれないんですか?」
「何をする必要がある。さっきそう言ったろう?」
確かに言っていた。バカンスじゃないとも言ってもいたが、娯楽目的で来たというような言葉も聞いている。とはいえ、アキラからすれば、あんな魔物が出現すると知って尚、何もしないつもりなのが不思議でならなかった。
「何があろうと耳を塞いで、目を覆うって事ですか? いるかも分からない秘密組織が、勝手に魔物を討伐してくれるのを期待して待てと?」
「まぁ……、そうだな。こうして知り合った以上、明日死んでいるかもしれないというのは、確かに目覚めが悪い」
「じゃあ……!」
「うん。だから、お前が戦え」
その一言に、アキラの身体が固まった。
ミレイユはアキラの身体を上から下まで、矯めつ眇めつした。
「見たところ、剣の扱いには多少心得があるんだろう?」
「よく分かりますね……」
「まぁな。分かるんだよ、そのくらい、私は。……とはいえ、何も知らずに武器だけ手に取り立ち向かうのは、あまりに無謀だ。あれは弱い相手だったが、同時に警戒が必要な相手でもある。それに遭遇する敵の全てが弱いわけでもないだろう」
ミレイユは嘆息し、面倒そうに首の後ろを掻く。
「これからも出てくるかどうか分からんし、常にこの周囲に出るものかも分からない。だが備えたいというのなら、それに力を貸してやるぐらいはしてやってもいい」
それは実際、悪くない提案のように思われた。
単に寄りかかり助けを求めるだけというのも情けない話で、自ら立ち向かう方が道理に叶う。剣術を習い始めた動機もまた、理不尽な暴力に対抗するためであったのだから。
アキラは頷き、両手を拳で床につけて頭を下げた。
「どうか、よろしくお願いします……!」
「うん。――という訳だ、お前たち、面倒見てやれ」
ミレイユの言葉で即座に頷いたのは、アヴェリンだけだった。
「畏まりました、任せるに足る結果をお見せしましょう」
「あー……、アタシも?」
「ユミルは好きにしていいが、ルチアは魔物に対する基礎知識や対応方法など教えてやればいい。つまり、座学全般だな」
「うーん……。ま、いいですけどね。アヴェリンの空いた時間にでも教えれば?」
「そうしてくれ。それほど教える事は多くないだろう。あちらの何が出現するかも分からないしな」
「あの、引き受けるような事言っておいて、いきなり他人に丸投げですか……!?」
アキラの慌てるような非難の言葉に、アヴェリンは大いに顔を顰めた。不機嫌な視線を向けたまま、指を突きつけ言い放つ。
「いいか、貴様。ミレイ様に直に教えを賜わろうなど、過ぎた願いだ。例え一国の王だろうと簡単な事ではない。師として預かったからには、そこから徹底的に教えてやる」
「いや、その、そういうのは別に望んでいないというか……!」
「師匠には常に、はいと答えろ。師弟関係は、既に始まっていると知れ」
アヴェリンが一歩踏み出した時だった、部屋にインターフォンの音が鳴り響く。突然の事にアヴェリンは一瞬だけ動きを止めたが、それが何であるか理解するにつれ硬直を解く。
「呼び鈴か? 独特な音だな」
「あ、はい、出ます」
「――いい。ミレイ様の安全に関わる事だ、私が出る」
アヴェリンにそう強く言われては、アキラも押しのけて出るような真似は出来ない。浮かしかけていた腰を降ろし、落ち着かない様子で来訪者を待った。
扉の外で何かを言い合う音を拾い十秒、幾らと待たずにアヴェリンが帰って来るとミレイユに向かって腰を折る。
「隣の部屋の者だと言う輩が来ています。何でも、騒がしいのだと。……殺しますか?」
「ちょっと、何でそう一々物騒なんですか! 僕が出ます! 自分で対応しますから!」
これは間違いなく押し退けて出なくてはいけない問題だ。
アキラは傷害事件発生を阻止すべく、勇気を持って飛び出した。
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