提案と決断 その9
「出迎え、大儀」
状況に合わせた相応しい言葉や対応など、ミレイユは知らない。だからそれらしい台詞を口にしてみたのだが、一千華からの反応は上々だった。
周りをそれとなく見渡してみても、不審に感じている様子はない。あったとしても反応を見せていないだけ、となるとお手上げだが、こればかりは教育すら受けていないミレイユにはどうしようもない事だった。
気持ちを切り替えて、ルチアの方へ顔を向ける。
彼女は困ったような情けないような表情で、曖昧に笑った。
「わざわざ御足労して貰って、申し訳ありませんね」
「お前にまでそんな事を言われると、何だか悲しくなる。いつもどおりにしてろ」
「いや……、この空気の中で、それはちょっと難しいと申しますか……」
ルチアは隣の一千華を窺うように顔を向けた。
老齢の身体に直立は堪えるだろうに、背筋はピンと伸び、大宮司を示す紫袴の巫女服も皺一つない。威厳漂う姿から発せられる雰囲気は、些細な粗相も許さないと如実に告げていた。
一千華はミレイユの正体を知る数少ない人物だ。
本当は御子神などと、讃えられるべき存在でない事も知っている筈。それでもオミカゲ様の御子神としての態度を崩さないのは、そこに何らかの意味を見出しているせいなのかもしれない。
あるいは単に、オミカゲ様という偶像に傷をつけたくないからか……。
周りに目がある状況で、そう軽々しく今まで築き上げてきた畏敬を崩すわけにはいかない。
彼女にとってオミカゲ様とは、畏敬を持って接するべき存在にまで昇華されているのだとしたら、その態度にも納得できる気がした。
ともあれ、ここで立ちっぱなしという訳にもいかない。
本日やってきたのは、ルチアの結界に対するアプローチ結果を知る為であって、見学に来た訳ではないのだから。
「それで、ルチア……? 進捗状況はどんな感じだ?」
「まだ教えられてから日数も経っていないので、あまり良くないですね。……いえ、見栄を張らず正直に言いましょう。私の苦手分野なので苦戦しています。なので……」
それ以上は口にせず、ルチアは項垂れるように下を向いた。
ルチアはエルフとして間違いなく天才と呼ばれるに相応しい才能を持って生まれたが、同時に大きな欠点も持っていた。中級魔術までしか覚えられない、という欠点だ。
魔術は数学的理解に通ずるところがあり、その理解が出来なくては習得する事は出来ない。日本の授業でも中学までは付いていけた数学も、高校進学や理系に進んだ途端、その難易度に付いていけなくなるという話はよく聞く。
エルフは元より魔術的知見に長けているので、才人が躓くとしたら、むしろ実践使用の方だった。まず理解が先になければ習得できず、かといって習得さえ出来れば、誰もが習熟できるという問題でもない。
今度は楽器を演奏するような器用さが必要になるので、その両方に秀でるようでなければ、上級魔術は使用できるものでもなかった。
ルチアは幸い、そちらの才能はあったので中級魔術を使っても他の追随を許さない実力を持っていたが、エルフとしては実践使用よりも習得する事に重きを置く。
魔術を誇りとするという事は、必ずしも使用する事と意味を同じくしない。
ルチアはその思想の為に躓き、爪弾かれ、遂には里で身の置き場を失くした。かつて将来を渇望された才人の姿はなく、己の才気に絶望した凡人が出来上がった。
凡人といっても、それはエルフの世界での話であって、そこから一歩飛び出せば、やはり才人として活躍できた。中級魔術を使い熟せる人間というのは、存外少ない。それを無詠唱で扱える、となれば更に少なかった。
だから傭兵稼業で考えれば、それは引く手数多の外向魔術士として扱われ、誰もルチアを下に見るような事はしなかった。卑下する必要もなく、誰からも必要とされた。
そのような時だ、ミレイユがルチアと出会ったのは。
ミレイユは思い出に思考が没頭し始めた事を自覚し、ハッとなって元に戻る。
未だ項垂れるようにしているルチアの肩を叩いて撫でてやる。
ルチアが躓いているというのなら、結界の扱いは数学的理解からは切っても切り離せず、だから絶望的だと言うなら、こうまで項垂れる気持ちは理解できる。素直に諦めて良いとすら思う。
「……まだ始まったばかりだから、と無理を言い渡すつもりはない。時間だって潤沢に残されている訳じゃないんだろうしな。その限りある時間で達成できそうにないというなら、それに固執する事はない」
「その言葉は有り難いです……。本当に有り難いんですけど、もう少し努力してみたいと思います」
努力は絶対裏切らない、という訳ではない。
時間制限がある中で、生まれるプレッシャーもあるだろう。それでも自分自身という先達が成功させているなら、望みは確かに際あるのだ。
問題は、やはり時間という事になるだろう。
「実際のところは……どうなんだ?」
ミレイユは一千華へ視線を移し、ごく柔らかく問う。
果たしてルチアに望みはあるのかどうか、過去自分が通った道から算出すれば、ある程度説得力のある数字を出してくれるだろう。
そう期待して、ミレイユは軽い気持ちで聞いてみた。
一千華は既に答えを用意していたようで、一拍の間も置かず返答してきた。
「殆ど絶望的でございます、御子神様。わたくしが予想していたとおりですので、然程驚きはありませんが」
「そこまでか?」
「こればかりは……適正の問題ですので。手取り足取り教えて上げる事は出来ます。細かく注釈を入れて導く努力も致しております。いずれは到達出来るでしょう。しかし、問題は時間なのです」
「やはり、そこへ行き着くか……」
ミレイユが苦い顔で溜め息を吐くと、一千華は同意して頷く。
「はい、時間です。仮にの話ですが、アキラさん……彼に才能があったとして、今から鍛えてアヴェリンに並び立つまで、どのくらい時間が掛かると思いますか?」
「アヴェリンと同程度の才気がある前提で?」
「左様です」
ミレイユは一度振り返り、アヴェリンの顔を矯めつ眇めつしながら考える。
彼女の実力は、あちらの世界でも有数の実力者だった。並び立てる戦士は五指に満たず、単純な技量のみならず魔力量から生み出される瞬発力は、誰にも止められないとされる程の武勇でもって語られた。
当然、一朝一夕で身に付いた力ではない。
彼女の努力も然ることながら、その師匠にも恵まれたからこそ達成できた実力だろう。それも加味したとして、その薫陶を最初から教授できたと考えても一年では不可能だ。
最低でも、その倍以上の時間は必要だろう。
「まぁ、甘く見ても二年かな……」
「正確な分析ですね、わたくしも同意見です。このルチアに、わたくしが教え込むなら一年で仕込んで見せますが、
「……そうだな、早ければ半年という話も出ていたな」
一千華は首を左右に振る。実に諦観のこもった仕草だった。
「とても間に合いません。
「うん……」
ミレイユは一千華につられるようにしてルチアを見る。その言葉を聞いても、ルチアの瞳から活力は失われていない。諦め悪くしがみついてやる、と語ってくるようですらあった。
「どうやら、今の話を聞いても止めるつもりはないようだな?」
「ええ、無理だと解っているからと努力を諦める事はしたくありません。アキラだって岩に齧りついてでも離そうとしていないのに、どうせ無理だからという理由で止めたくないです」
「へぇ……」
ミレイユは思わず口の端を曲げて、まじまじとルチアを見つめてしまった。
アキラが見せる努力は、ルチアに良い影響を与えていたようだ。確かに諦めの悪さだけは一流だと、ミレイユも認めるところではある。
かつて、一度は挫折した道を再度歩きだそうと思える程度に、アキラはルチアの心に焼き付けるものを見せたらしい。
「勿論、私は応援する。今すぐ諦めたくないというなら、とりあえず七日様子を見よう」
「ええ、必ずや良い成果をお見せしますよ」
「そうだな、期待しておこう」
とはいえ、ルチアの努力を疑う訳ではないが、やはり問題になるのは時間になる。
元より二年掛かるだろうと思われる時間を、短縮して一年なのだ。既に一度その道を踏破したからこそ、その経験を活かして一千華が近道を示せる。
それでも一年掛かるという。
その一年にしても、あくまで希望的観測を最大限に見た上で一年なのであって、本当にそこまで短縮できたとしても、やはり遅い。
むしろ必要なのは、今から半年までの間に開く結界のフォローだ。その間にも鬼の強化は起きるだろうし、孔の拡大も続く。
結界強度の問題もある。その間のフォローはどうするのか。
孔が最大まで拡がった後に対応出来るようになりました、では余りに遅い。
問題は時間、時間、時間だ……。
「もっと根本的な部分で解決しないと意味がなさそうだな」
「……と、言いますと?」
「いや、まだ具体的な事は何も浮かんではいないが。何にしても、結界を破られてしまえば意味がない。それをされるぐらいなら、最初から出現と同時に討伐完了させた方が、まだ意味がある」
とはいえそれは、倒せる戦力を持っているかで大分話は変わってくるが……。
あるいは、結界内に入って孔の縮小を試みるか。
焼け石に水だと理解しているが、本当に無意味という訳でもない。三歩進んで一歩下がるというような、止められないが意味ある一歩だ。遅滞戦術というなら、こちらの方が意味が大きいように思う。
だがこれは、将来的な結界破綻を許容する事を意味する。
より強力な鬼が孔から出てきた時、結界はそれを抑え込み続ける事はできないだろう。その出現は遅くできるが、出現と同時に破られてしまう。いつ破られるか戦々恐々としつつも、その時を先延ばし出来るが、破られるとなると一瞬だ。
そして今やっているのは、先延ばしには出来ないが結界自体を堅固にできる。強力な鬼が出たとて、その結界破綻を防げるだろう。より強力な鬼の出現に耐え得る結界という事でもあるが、より強い鬼が出たら対処できる隊士がいない、という問題を抱える事になる。
だから現在、それに対処できる隊士達の強兵化を試みていた。アキラを誘ったのもそれが理由だ。
結局、どちらにしても破綻のタイミングはそう変わらないのではないか、という気はする。そしてどちらを選んでも大局は変化しない、という気すらする。
ならば好きにさせた方が気分は良い。
どちらも先送りに出来る手段でしかなく、そしてそのアプローチをどうするかの違いでしかなかった。
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