提案と決断 その10

 ままならない気分で首を振り、そして顎に手を添え考えていると、同じく考え込んでいるルチアが目に留まった。

 唐突に思案に暮れるルチアというのは珍しくないが、その表情は苦悶に満ちている。努力が無駄になるという公算を導き出したせいなのかもしれない。

 何と声をかけようか迷っていると、唐突にルチアが顔を上げた。


「出現と同時に倒す……これって不可能ですかね?」

「……どういう意味で? 保有戦力として御由緒家が最高である事を考えると、出現した鬼次第としか言いようがないが」


 そもそも出現する場所が分からないという問題もある。誘導も不可能で、一つの箇所で出鼻を挫かれ続けると、次から孔の出現場所は移動してしまうという話だった。

 だから警戒網を広げざるを得なかったし、場当たり的対処が最適だという結論に至ったと聞いている。


「でも、出現すれば瞬時に察知できる訳じゃないですか。その後展開された結界の強度に問題があって、その補強に大社が使われている。現状の術士では、後追いの補強が間に合っても、その強度にも不安が残るというのが現在の懸念じゃないですか」

「そう聞いてる」

「……ミレイさんなら、場所さえ特定できれば戦力送り込めませんか?」


 上目遣いで申し訳無さそうに言ったのは、結局ミレイユに頼り切る方法だと理解しているからだろう。本来、働かせるつもりがないというのが前提にあったろうし、ミレイユ自身、戦いから身を引くと公言していた。


 休暇に来ているようなものだ、という説明もしたが、帰還当初と現在では状況が大きく異なる。当時は本当に、現代日本に危険もなければ、危機的状況との接触も皆無だと思っていたのだ。

 だがここに至って、自ら動く事を躊躇している訳にはいかないだろう。


 アヴェリンはルチアの提案に難色を示し、威嚇するような気配を放ったが、ミレイユがそれを手を挙げ制する事でやめさせる。


「話はそう簡単にはいかないだろうな。マーキングが必要だ。私が転移できるのも、転移させるのも、それがなければ不可能だから」

「電線には魔力が――あー……、理力が流れてますよね。私達の言語も、それを利用した術式で翻訳されている。そうですよね?」


 ルチアが一千華へ顔を向けると、ただ静かに首肯が返ってきた。それに機嫌を良くしたルチアはミレイユに向き直る。


「つまり、私達の知る既存の術とは全く違う術式が使われている訳じゃないですか。翻訳理術とでも言うものを電線を通して散布させているというなら、転移術だって、そのマーキング部分を散布できませんか? 孔を察知する自動反応に、そのマーキングも組み合わせてしまうんです」


 ルチアが両手を胸の前で合わせて、掌を打ち鳴らす。


 それは一考の価値があるように思われた。電線のある場所なら日本全国どこにでも転移できる、というのはメリットが大きい。

 本来魔術とは既存の物を利用するだけで、自分から開発、発明する事は出来ない。それは神の領分で、人に出来る事ではないからだ。だが事実として、あちらの世界にはない翻訳魔術が現世にはある。

 そして、それを作ったのは誰かといったら、それは神へと至ったオミカゲ様以外にあり得ない。


「そうすれば、全国に分散された実力ある結界術士も有効的に活用できますよ。今のところ、同時発生するといっても片手で事足りる訳ですし、それ以外の術士を遊ばせているような状態なんですから」

「……そうだな。それらを一箇所に集中運用できれば、懸念されていた結界の補強も満足出来るかも知れない。ルチアを孔の縮小活動へ充てる事も出来る」


 正に一石二鳥と言える、良いとこ取りの提案だが、無論問題もある。

 それを真っ先に思い付き、また口に出したのは一千華だった。


「では、オミカゲ様へ相談するべき案件という事ですね。その御手を煩わせる事にも繋がり、そして可能であるかも未知数であると。そして可能であったとしても、どれ程時間の掛かる事か分かりません」

「御手を煩わせるというが、別に拒みはしないだろう。……忙しい身なのは承知の上だが、そもそもが孔の問題、解決の糸口になるかもしれない一手を無視しないと思うが」


 一千華は首を横に振る。その表情には何の感情も現れていなかったが、そこから発せられる雰囲気は、しっかり無理だと語っていた。


「それが成立するなら有効なのは認めましょう。……そうですね、ですから今感じているこの情動は後悔です。非常に後悔しています」

「どういう意味だ?」

「もっと早く思い付いていれば良かった。オミカゲ様は最初から次周を見越して動いておられた。他ならぬ、貴女に全てを託す為、その為の道を敷いていたのです。貴女が旅立つに辺り、最大限のサポートをと……」


 一千華が言葉を口にする度、その後悔が表に出てくるようだった。

 言い終わる頃には、その眉間に深い皺が刻まれていた。


「貴女方に限りある現世の時間を、有意義に過ごせるようにと接触を遅めたのも、今となっては後悔するばかりです。翻訳術式を構築するくらいなら、ルチアが言ったような術式を組み込んでおくべきでした。それを他ならぬわたくしが思い付かなかったのも、……後悔です」

「今からやればいいだろう。まだ遅くない筈だ」

「いいえ、遅いのです。その術式開発にどれほど時間が掛かると思いますか? 掌から水を出すような陳腐な術とは違うのですよ」


 それを言われて言葉に詰まる。

 新術の開発や、それに関する難易度など気にもしていなかった。神なれば出来るというなら、やれば出来るのだろうという軽い思い付き程度の認識だった。


 だが言われてみれば、やろうとしている事は途轍もない。自身が全国へと魔力を送る訳ではないにしろ、それを半自動展開させているというだけでも驚嘆物だ。

 その事実を忘れていた。

 開発に掛かる時間がどれ程かかるかなど、ミレイユには想像もつかない。


 だが、一千華が悲観的に言うのなら、つまりそれが答えだ。

 時間が足りないという事なのだろう。ここでも時間、時間、時間だ。


「……じゃあ、これも無理か」

「ご相談だけはするというのは良いと思います。もしかしたら妙案をお持ちか、あるいは閃いて下さるやも……」

「そうだな……。言うだけならタダだ」


 ミレイユは言っておきつつ、我ながら無意味な発言だと感じていた。時間が最大の敵だというなら、それはオミカゲ様にもどうしようもない相手だ。


 ――時間が最大の敵。

 何とも皮肉な話だった。


「聞いたところで意味のない質問かもしれないが、結界の術式にはどれぐらいの時間が掛かったんだ?」

「構想から含めると、三十年程になる筈です」

「三十……」


 思わず口から漏れた声が、ルチアの声と重なった。

 新たな術式は全くのゼロから構築という訳でもないだろうから、同じ時間が掛かる訳でもないと思うが、それでも三十年という年月は長すぎる。それはミレイユを諦めさせるには十分な時間だった。


 電線の設置と共に運用を始めたとも思うから、今とは勝手も違うかもしれないが、かといってどれほど短縮できるものだろう。一年先から運用可能と言われても、それではルチア同様意味がない。


「話すだけ話してみるが……今の話を聞いた後じゃ、どうにも希望が持てないな」

「ですね……」


 ルチアも沈んだ顔を見せて頷く。

 室内に重苦しい沈黙が降りたが、それをアヴェリンが振り払う。単純に素朴な疑問を口にする気楽な声で、実際それは正しかった。


「箱庭を使えばよろしいのでは?」

「……なに?」

「ですから、箱庭です。あの中で過ごす時間は、調節可能だった筈では? 限界はあるにしろ、有効に使えるのではないかと、考える次第です」


 それは福音に等しく、頭の中で鐘が打ち鳴らされるかのような衝撃が身を突き抜けた。それと同時に、足元が崩れ去るような愕然とした思いも突き抜ける。ミレイユは自身に対し、なぜ思い至らなかったのかと殴り付けたくなるものだった。


「そうだ……! 確かに限界はある。だが、半分に短縮する事は出来るだろう。ルチアが本当に一年で修得できるというのなら、半年後に間に合わせる事が出来るかもしれない!」

「アヴェリンさん、貴女という人は!」


 ミレイユは思わずアヴェリンに抱き着き、思い切り腕を締める。加減が出来ず嫌な音を立てたが、アヴェリンの表情は満更でもないどころか、のぼせ上がっているように見えた。

 抱き締め返そうとする腕をするりと躱し、ルチアの方へ向き直る。

 アヴェリンは突然のミレイユ消失につんのめり、寂しいような恨めしいような視線を向けた。


 ミレイユはそれを殊更無視して、ルチアへ声を掛ける。


「少し展望が見えてきた。オミカゲ様の方については難しいかもしれないが、だが半分で済むかもしれない、というのは大きな収穫だ。話せば何か新しく思いつく事もあるかもしれない」

「ですね……!」

「それを実現させるにも、とにかくルチアがどれだけ習熟してたのか見せてくれないか。時間が有限である事に変わりない、有効に使えるものか見てみたい」

「ええ、それは構いませんけど……。今の調子じゃ、あまり良いところは見せられそうもありません。あまり期待しないで下さいね」


 苦い顔で無理に笑って、ルチアは部屋の中央、紙垂によって囲まれた畳へと向かう。糸を潜って入るところは、まるでステージに上がるボクサーのようにも見えた。

 中央で正座したルチアは背筋を伸ばし、軽く顎を引く。しばらくすると、自身の魔力が紙垂を伝わり部屋全体へ広がり、それが注連縄を通って地下へ向かった。


 その力の奔流とも言うべきものが、更に下へ下へと降って行き、遂にミレイユには追い切れなくなる。おそらくは、そのまま龍脈まで浸透させるつもりなのだろう。


 ルチアの表情が苦悶に歪む。

 自身の魔力を身体から放つのは外向魔術士として慣れたものだ。しかし、そこから離して伸ばすというのは、口にするほど簡単ではない。


 龍脈へ接続する事そのものが、本来なら危険行為だろう。それを可能にしているのが、周囲にある魔術付与された数々の品である事は間違いない。

 それがフォローすると共にルチアを護る役目も果たしているようだ。


 部屋の中に巫女の数が多いと感じたものだが、彼女達はこれら魔術秘具を起動する役目を担っている訳だ。手の空いている者もいると思いきや、残った四人もルチアを中心として正座し、囲む四隅の紙垂へ手を当てる。

 それがルチアを支援する者だと分かり、ただ見守るに留めた。


 ルチアの表情は、より険しく、より苦々しいものへと変わっていく。

 両手を膝の上で握り締め、それが時折強く震える。額には汗を掻き、悶えるように口の端から息が洩れた。


 それがどれ程続いただろう。

 顔を赤くし、息も荒くなった時、唐突に弾かれるようにしてルチアが後ろ向きで倒れた。受け身を取る事もままならず、肩から落ちては立ち上がる事もせず荒く息を整えている。


「ルチア!」


 慌てて近づき、その身体を抱き起こしたが、きつく閉じた目はミレイユを見ようともしない。荒く吐く呼吸音だけが部屋に響いた。

 そこに一千華の冷静な声が割って入る。


「……焦りすぎ、そして拒みすぎね。だから脈流に投げ出され、弾き飛ばされた。制御するのは自分だけではない、組み合わせ一つとなった龍脈を制御する事が大事なのです」

「それは……つまり、あまり良くない状況のようだな」

「方向性は良いし、学んだ時間から見れば他に類を見ない進歩を見せているのは確かです。ですが、まだ基礎段階すら脱していません」

「もう一度……」


 ルチアは抱き起こしていたミレイユから礼を言って起き上がると、再び畳の上で背筋を伸ばして正座する。しかし起きる結果に大きな変化はなく、時に一千華から叱責されながら続けていく。


 ようやく終わりを見せたのは、気絶するまで続けてからの事だった。焼き増しのように後ろへ倒れたルチアを倒れる前に抱き止める。

 このような事は今日だけの特別ではなく、ルチアが始めてからずっと続いている事らしい。


 ミレイユはルチアを掻き抱いて、汗で張り付いた前髪をどけてやる。

 今も苦悶の表情で気絶するルチアを見て、何故そこまで、と後悔にも似た感情が胸の中で渦巻いた。目の前にぶら下げた希望のために違いない。

 自分なら出来る、やれる、その姿勢を貫きたかったのだろうか。ルチアのような小さな体に無理をさせるのが心に辛い。


 そのいっそ献身的と思える行動を取られる度に、ミレイユはどうしようもなく自分の至らなさに気付かされた。そこまでしてやる価値があるのか、と言いたくなる。

 だがそれを聞けば彼女達への侮辱となるだろう。

 ミレイユに出来るのは、それに相応しい態度を取り続ける事のみ。


 ミレイユは、ルチアの小さい体を抱いたまま立ち上がり舞殿を後にする。

 自室まで転移で戻り、ルチアの部屋の布団に寝かせてやった。風呂も入りたいだろうが、そこは起きてからお付きの女官に任せようと、よくよく言い含めておく。


 ルチアの頭を一度撫でてから、感謝の言葉を耳元で囁き、ミレイユは部屋から出ていった。

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