御子神の一日 その1

 ――ルチアは相当な覚悟を以て挑んでいる。

 それがミレイユの感じた、ルチアの意志だった。何故そこまでする、と問いたかった。だがこれは、直接本人に聞いてはいけない類の質問だろう。

 それは彼女を愚弄する事に繋がる。彼女の心情を慮るなら、彼女が誇りに思える自分になるしかない。


 ルチアの覚悟を身を以て知った翌日、ミレイユは中庭の散策をしていた。

 部屋の中で考えていると、鬱々としてきて精神衛生上よくない。しかし晴れた本日なら、その整えられた庭を歩くだけで、少しでも気分転換になる気がした。


 後ろにはいつもどおり、アヴェリンが付き従う。

 奥御殿の中庭で狼藉など起きないと思うし、アヴェリンも一人の人間として気軽に過ごす時間を設けて欲しいとも思うが、これが彼女にとって一番だと言われれば、許してやる他ない。


 中庭には庭師なども常駐して、その景観を完璧に整えようとしているが、ミレイユの進行方向を察するや逃げていってしまう。逃げるというと語弊があるが、視界に映るより早く場所を移るので、ミレイユが庭師の姿を目撃した事は一度もない。

 どうもお目汚しになると思っているらしく、衛兵達の情報網により向かうより前に先じて先払いが行われるらしい。


 ミレイユも庭を保つ為には人手が必要だと理解している。例えば、短く切り揃えられた芝生を維持しようとすれば、這いつくばって処理してなければ保てない。枯れたりして色が変わったものも、芝生そのものを傷付けないように、根から穿ほじくり返す、爪のような道具で引き抜くしかないのだ。


 広大な敷地に広大な芝生が青々と茂っているのは、その努力を決して怠っていないからだ。

 この芝生は、オミカゲ様の目を楽しませる為に整えられていたものだろう。それを思えば、ミレイユが出歩いたくらいで仕事の手を休ませるのも忍びない。


 そう思って一度提案した事があったのだが、御子神たるミレイユであっても、その対応は変わるものではないらしい。彼らにとってオミカゲ様が最上であろうとも、ミレイユに対する礼儀を疎かにする理由にはならない、という事らしい。


 今も平伏する衛兵の横を通り過ぎ、池の畔に立ち竦みながら考える。

 ルチアに報いる方法が、何かないものか。そして、それはきっと結界に対する打開策を授ける事になるのだろう。


 オミカゲ様へ、とりあえず書面で報告書を送ったが、それが読まれるのはいつになる事か。

 回答が返ってくるのも時間が掛かるが、返ってきたところで色良い返事がない事も理解できる。それが一層ミレイユの心を重くする。


 水面を見つめながら溜め息を吐きそうになり、グッと我慢する。細く鼻から息を逃して、静かに揺れる水を見るともなく見た。


 とりあえず明日から、ミレイユも神明学園に赴く事になる。忙しく働かせる事はない、と言われているが、それもどれほど信用できたものか。

 そちらで忙殺されるという事にはならないにしても、ルチアの手助けとなる方策を思い付ける時間を捻出できるかといったら、難しい気がした。


 ミレイユは重く息を吐く。出してから気づく、無意識の溜め息だった。

 その時、それまで常に気配も抑えて控えていたアヴェリンが一歩近づき、囁くように言ってきた。


「ミレイ様、お付きの者が近づいてきております」

「……咲桜か?」


 ミレイユが気配のする方へ顔を向けると、そこには果たして咲桜がいた。不躾でない距離まで近付くと一礼し、片手を横に向けた。


「お茶の準備が整いまして御座います。よろしければ、あちらでお寛ぎ下さるのは如何でしょうか」


 咲桜が差し向ける方へ目をやれば、東屋の傍で上品な和服を着た女性が、地面に敷かれた赤いマットの上に座っていた。傍らには同色の和傘が突き立っており、茶道具からは仄かに湯気が上がっている。

 そして東屋の中には横長の、背もたれがついていない椅子にオミカゲ様が座っていた。


 目が合えば頷くような仕草を見せてきて、思わず顔を顰める。如何でしょう、と聞きながらも、これは実質強制と変わりない。断るような事があれば、奥御殿における立場というものを失くす。

 オミカゲ様にしても、どうしてここにいるのか、仕事はどうしたと思わないではないが、昨日の返事が聞けるというなら丁度よい。もしもまだ読んでいないというなら、話をしてやる良い機会だ。


 和服に身を包む上品な壮年の女性は、どうやら茶人であるらしい。この場に招かれるような信用の置ける人物なら、例え込み入った話をしても聞かなかった事にするだろう。というより、吹聴するような事があればオミカゲ様からの信用を喪う事になる。

 オミカゲ様の信用という特権を、秤にかけるとは思えなかった。


 ミレイユは一度アヴェリンへと顔を向け、頷いて見せる。誘いを受ける事を伝え、咲桜に案内するよう命じた。恭しく礼をしたのち踵を返し、東屋までの先導に任せた。




 案内が終われば咲桜の役目は終わりとなるが、何かしらの用を申し付けられるかもしれないという事情もあり、少し離れた場所で待機している。

 ミレイユはそれを見送ってから東屋へと近付く。東屋は全方位吹き抜けで、誰が座っているか分かる仕組みになっている。一応壁はあるものの透かし文様が刻まれていて、人が隠れていようと一目で分かるようになっていた。


 手入れも行き届いていて、吹きさらしだろうに草の一本も砂埃さえ見つからない。

 東屋から離れた一角に置かれた、ビロードとは違うだろう高級そうな朱のマットの上で、茶人は深々と頭を下げる。作法に則ったものなのかは知らないが、綺麗な一礼だと思った。


 しかし、こういった格式高い場での作法など、ミレイユは当然知らない。

 東屋に入って座った方がいいのか、それとも一声かけるべきなのか、判断付かず縋るようにオミカゲ様を見ると、呆れたような視線が返ってきた。


「早う声を掛けてやらぬか。いつまで平伏させておくつもりだ。……ふむ、そうさせたいというなら好きにさせるが」

「……そんな訳ないだろう。……そこの者、面を上げよ」


 言われるままに顔を上げ、ミレイユと目が合う。遠目から姿は見えていたろうが、実際に間近で容姿を見ると、やはり思うところがあるらしい。

 オミカゲ様そっくりの顔を見て、驚くと同時に納得もしたようだった。

 にこりと笑って前に手を付き、再び深く頭を下げる。


「拝顔賜わり、恐悦至極で御座います。わたくし、裏橘宗家家元、橘あかねと申します。何卒、お見知りの程よろしく願い致します」

「オミカゲ様の御子神だ。名前は……、まぁ尊称で呼ぶだろうから別にいいか」

「良い訳がなかろうが。神鈴由良豊布都姫神みれいゆらとよふつひめと言う。あかね、見知りおけ」

「尊き御名をお教え頂き、感謝いたします」


 あかねは再度頭を下げて謝辞を述べ、それから頭を上げる。

 ミレイユもいつまでも同じ場所で立っているのも不自然と思い、どこへ座ろうか迷う。場所としては東屋の椅子に座るのが適切なのだろうが、二人揃って隣り合わせに座るのも気不味い。

 何しろ同じ顔が並ぶというのが、特に嫌だった。


 野点の茶道具辺りに座り込もうとしたところで、オミカゲ様より声が掛かった。


「何をしておる。早うこちらへ来て、座るが良い」


 抵抗したところで他に座れる場所もない。無視して地べたにでも座れば、しつこく叱責すら飛んで来そうな雰囲気だ。

 それで渋々ながら隣に座り、なるべく隙間が開くよう離れて座る。アヴェリンはミレイユの後ろに立ち、鋭く周囲へ気配を探っている。彼女はこのまま、護衛の任を続けると言外に告げていた。

 いっそ二人の間に座ってくれる事を期待したのだが、職務中とでも考えているアヴェリンに、それを望むのは酷なようだ。


 そうしている間にも、あかねは茶を点てる準備を始めている。

 既にいつでも点てる用意はしてあったのだろうが、ミレイユが来るまで待たせていたようでもある。本物の茶人など見たこともないし、そのお点前とやらも技力的なものは一切分からない。

 そもそも茶に誘うというなら、いつものように部屋で良かった筈だ。外の開放感も素晴らしいが、格式張ったお茶会となれば話は別だ。


 ――だが、それよりも。

 ミレイユはオミカゲ様へ顔を向けず、流れるような手捌きで茶を点てる様を見ながら口を開いた。


「茶人……という事でいいんだよな? 宗家とか家元とか言ってたが」

「然様。裏橘という流派で、我が特に好むものである。あかねには幼い頃より、その才能の蕾を感じていたものよ」

「そこはどうでもいいが。……お茶を飲みたいという理由で、その家元を呼びつけたというのか? 茶ぐらい御付きの女官が淹れられるだろうが」


 ミレイユが苦言を呈すると、そこへ茶を一服点て終わり、ミレイユへと手ずから運んでくるあやねが、にこやかに笑いながら手渡してきた。座っている状態だから、膝をついて両手で差し出してくるあかねに、どう受け取れば良いのか分からない。


 普通、畳の上に差し出された物を受け取って、掌の中で三回まわしたりと、作法があった筈だ。

 差し出して来たからにはそのまま受け取れば良いと分かっても、神としては両手で受け取るような丁寧な手付きが正解なのかどうか……。


 迷っていると、苦笑したオミカゲ様が、首を傾げるようにしてミレイユを見てくる。

 面白そうに困惑している表情を眺めてから、ミレイユに向かって扇ぐように掌を向けた。


「好きなように受け取り、好きなように飲め。野点は格式や作法を忘れて飲む場でもある。ただ味わい、楽しむには最適な方法よ。何も知らないそなたに対する、我の配慮である」

「……それなら最初からそう言え」


 ミレイユは両手で茶碗を受け取って、手の中で回すことをせずに口を付ける。

 茶の温度は熱すぎず、思わずホッと息が出るような塩梅だった。中身は抹茶らしく甘さもあれば苦味もじんわりと広がる優しい味で、更に一口と喉奥へ押し込むつもりで飲み干してしまった。

 ミレイユが満足そうに息を吐いて茶碗から口を離すと、二人から優しい笑顔を向けられて表情が固まる。茶碗をあかねに突き返すようにして渡した。


「お点前を褒めた方がいいのか?」

「別にせずとも良い。良い点前なのは、我が良く判っておる故な」


 それとこれとは別で、礼節の問題ではないかと思う。だが言わなくても良いというなら、その褒め言葉もろくに知らないミレイユが口にするべきではないだろう。

 ミレイユはあかねの目を見て頷くに留めたが、それだけで十分気持ちは伝ったようだ。

 受け取った茶碗を胸に抱き、感動した面持ちで恭しく礼を取った。

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