御子神の一日 その2

「先程の質問に答えて貰ってないが。神っていうのは、茶が飲みたいと思えば家元すら呼び付けるのか?」

「まぁ、そうさな……。必要とあって欲すれば、それを速やかに用意するのが良き家臣であるしな……」

「つまり……何だ? 持って回った言い回しは止めろ」

「実際、呼び付ける事は出来る」


 ミレイユの視線が冷ややかなものに変わった。呆れを存分に含んだ視線だった。


「そういう反応が返ってくると分かっていたから、正直に言いたくなかったのよ。だが、今回のは違う。勘違いさせる言い方をした我も悪かったが、ともあれ違うのだ」

「何が違う?」


 二人が言い合っていると、思わず含み笑いをしたあかねが茶碗を持って帰ってきた。

 新しく別の茶碗を、オミカゲ様へ捧げ持つようにして受け取るのを待っている。よくよく見てみれば、その茶碗も見事なもので、さぞ価値のあるものだろうと思われた。


 神が直接口づける茶碗だ。粗末なものを使うとは思えないが、下手をすると国宝級のものを使っているのではないだろうか。

 そしてもしかすると、先程ミレイユが使ったものも、そうであったのかもしれない。さっきは気が動転していてそこまで観察する余裕はなかったが、次にもう一度見たら冷静でいられる自信がない。


 落として割ってしまったらと思うと、怖くて茶が飲めなくなりそうだった。

 オミカゲ様が茶碗を受け取ると、あかねは笑顔のままに二人を見比べるようにした口を開いた。


「無論、わたくしども茶人、オミカゲ様からのお呼びとあれば、即座に駆け付ける準備を致しますよ。オミカゲ様に直接給仕できる事は大変な栄誉です。断る者などおりませぬ」

「……もしかして、それが普通なのか?」

「いいや、実際のところは違う」


 オミカゲ様は手の中で茶碗を作法に則った形で回しながら答える。


「女官にとって茶の稽古は必須で、尽く作法を身に着けておる。中には看板を掲げる事を許されるだけの実力者もおる程だ。家元ともなれば忙しい身、来いと言われて即日に来れるものではない」

「じゃあ、今回は……?」

「ひと月ほど前に声を掛けておっただけの事。予定の会う日に茶を点てに来よ、とな」

「ああ、なんだ。しっかり事前に予約してあったのか……」


 オミカゲ様は頷いてから茶碗に口を付ける。

 茶碗を僅かに傾けて飲む様など、実に堂に入った姿だった。やはりそこは、長い年月で培った教養から滲み出るものらしい。

 飲み終わると茶碗の縁を摘むようにして、口づけた部分を拭う。

 そうやるのか、と心中で唸る気持ちが湧き出たが、ミレイユは表に出ないように振る舞う。


「しかし、その裏橘流というのが、オミカゲ様の贔屓にしている流派なのか?」

「そうさな、ここ三十年程はそうなる」

「やっぱり年代によって変わるのか……」

「要因は様々であるものの……このあかねは、我が知る中で歴代で三指に登る実力者でもあるしな」

「へぇ……! 歴代の裏橘で?」

「いいや、我の知る中で」


 思わず、あかねの顔を凝視して、まじまじと見てしまう。茶を点てる能力が外見に出るとは思わないが、オミカゲ様の知る中でという言葉は意味が深い。

 様々にある流派だけでなく、更に数百年という歴史の中から選ばれた一人と言う事だ。


 あかねは照れた表情を隠すように俯き、そして両手を地に付けて頭を下げた。


「わたくしなど、とんでもない事で御座います。全てはオミカゲ様の御威光の賜物と心得ております」

「……確かにさっきの茶は美味かった」


 ミレイユがポツリと呟くと、更に恐縮したように額を地面に近づける。

 実際、呼ばれたら即座に駆け付けるというのは嘘でもないだろう。オミカゲ様御用達という看板は、なにものにも代えがたい魅力がある。

 門下生などを取っているとしたら、その威光がどれ程の助けになるか言うまでもない。


 ミレイユが益体もない事を考えていると、オミカゲ様が口を開いた。


「そなたを今回の茶会に呼んだのは、この茶を味わって欲しいというのもあったのだが……。実際は一千華が突然来られなくなったから、その穴埋めとしてだった」

「ほぅ……」

「何やらルチアの熱心ぶりに感化されたものがあるらしい。目処が立つまで、そちらに注力したいと、断りが今朝早くに来てな……」

「その事については、昨日書面で上げた筈だが」


 オミカゲ様はコクリと頷く。

 顔を上げたあかねに茶碗を返しながら話を続けた。


「それについては目を通した。斬新な発想であったな。今朝の一千華からも簡単に話と謝罪を受けた。確かにこれは、事前に把握し対処しておくべき問題であった」

「それで……どうだ。可能だと思うか?」

「簡単ではなかろうな。……だが、何より時間の枷、それが箱庭で短縮できると言うのは良い着眼点だった。早くてひと月、遅くとも三ヶ月までに初回運用が開始されていなければ効果は薄いと考えれば、確かに希望は見えて来る」

「そうか……」


 ミレイユはホッと息を吐き、そして唐突に思い付いた。

 自身が持っている箱庭は、当然オミカゲ様とて持っている筈。それなのに、最初から全く候補に挙がらなかったのか、利用しようとしなかったのは疑問に思った。


「お前の箱庭はどうしたんだ。それがあれば取れる選択は色々あったんじゃないのか?」

「そうもいかぬ。あれは破壊してしまった……」

「破壊……。待て、破壊されたのではなく、破壊したのか?」


 微かな衝撃と共に問うと、オミカゲ様は頷く。

 それが事故であったら仕方ないと諦めるのかもしれないが、自らの手で破壊したというなら意味は異なる。何があれば箱庭を破壊する事に繋がるのか、ミレイユには想像も付かなかった。


「そうさな……。あれは便利だ、使っていれば手放し難くなる。そうであろう?」

「当然だ、あれがあるかなしかで、旅の苦労が随分違う」

「そして、あれは神から下賜された」

「……ああ、つまりそれが原因だと。それがお前の怒りに触れたか」


 そういう意味なら理解できる。

 ミレイユのループは神の手により始まった。そもそもの発端、魂の拉致が神の手に寄るもので、それ故にここまでの苦労を背負う事になったのだ。それを思えば、向け用のない怒りを物にぶつけるのは当然に思える。


「そう短絡的なものではない。手放し難いほど便利なら、使い続けるが道理。……あれはな、使い続けさせる事を目的として作られた」

「……なんだと?」


 あまりに剣呑な内容に、ミレイユは冷静でいられなくなった。あれに隠された意味があり、そしてそれが神の思惑だというなら、聞かない訳にはいかない。


「お前に座標の話をしたであろう。この世界へ顕現した際、お前を目標と定めていたのだと」

「そうだが……、いや、まさか!」

「そう、より正確に言うのなら、箱庭が座標となっておる。だから現世に顕現したと同時に、その確度を上げた。この近辺にいる事は間違いないとな」

「何故それを早く言わなかった? 孔の拡大はそれが原因だろう?」

「いいや、出現と同時に発覚している以上、破壊したとしても変わらぬ。一度でも、その座標を確認できれば十分。結果は変わらぬ」

「だからといって……」


 今まで利用していた事に寒気すら覚える。

 謂わばGPSを持ち歩いていたようなものだ。常に自分の位置を把握されていた。だから発信の後に破壊したところで、この惑星、この国にいると確信を持って行動を開始する。

 今現在受信できない事に意味はないのだろう。遠く離れたかどうかは問題になるかもしれないが、それとて探す手段は魔術的手段を駆使すれば見つけ出せる。


 ミレイユは苦々しい気持ちでオミカゲ様を見る。

 言ったところでどうしようもないとはいえ、言っておいて欲しかったと思う。いや、下手に暴走して破壊してしまう事を恐れたのかもしれない。自身がそうであったように、知れば破壊せずにはいられない、と思ったのかも。

 そして、それは果たして正解だった。


「良い機会だから言っておく。あれは残しておけ、起死回生の手段に成り得る」

「そうなのか……? 根拠は」

「それはこの場で言うべきではなかろうな。こればかりは、余人の交えぬ場でなければならぬ」


 ミレイユはとりあえず頷く。

 余程の信頼を受けるあかねだろうと、聞かせるべきではない事もある。それこそ例外を設けられない程の内容ならば、ミレイユも今話せと言うつもりはなかった。


 しばしの間、重い沈黙が辺りを漂う。

 あかねは既に、自身が聞いて良い話ではないと察して、茶碗を持って茶道具のある辺りまで下がっている。耳をすませば聞こえてしまう距離でもあるが、あの場にいるなら何一つ聞いていないし、聞こえていないという態度を取っている事にもなる。


 だがよくよく考えると、こうして二人で話しているような状態も、本来健全とは言えない気がした。

 茶会とは、茶を振る舞う者と受け取る者とが対話を楽しむ場である、と聞いた覚えがある。身分の上下なく、茶室では俗世を忘れて振る舞う場所でもあると聞く。


 だが今では、茶人を放り出して二人で話し込んでしまっている。

 深刻そうな二人を見れば、それが重大な話であると察しもつくだろうが、茶会としてはどうだろうか。話題を断ち切るべきかと思ったが、不躾や無配慮であると言うなら、オミカゲ様の方から話を終わらせるだろう。


 ミレイユより余程それらに詳しいオミカゲ様が続行するというなら、ただそれに付き合うだけだ。


「とにかく今は捨て置け、いずれ話す。問題は、箱庭を利用してルチアを鍛えられるかどうか、であろう?」

「是非とも期待したいが、上手い方法は何かないか?」

「そう劇的な短縮は無理であろう。成長などというものは、常に一定の速度で流れる単純な話でもなし……。使える時間が倍に増えたからと、習熟時間も倍とはならぬだろう」

「そうだよな……」


 重い溜め息を吐いて外へ目を向ける。

 東屋にある壁は、壁と言えるほど視界を遮るものはない。ぐるりを視界を回せば、その支柱程度が邪魔に思えるだけで、外の景色がハッキリと見える。


 ――そう上手い話はないか。

 最初から分かっていた事だ。ルチアには話すだけ話すと約束したが、その時も、それだけで事態が解決する程、簡単な問題じゃないと理解していた。


「転移を電線の流れる場所ならどこにでも、それもやはり無理か?」

「それこそ簡単ではなかろうよ。三十年掛かると言うのは構想を含めての時間だが、だからと言って、それを一年未満で完成させるのは更に無理だ」


 元よりそこは無理そうだと思っていたので、落胆は少ない。順当な返答をもらったというだけだ。


「だが、一千華とルチアが諦め悪く足掻いているというのなら、その二人より先に我らが諦める訳にも行くまい。少しは知恵を絞らんと申し訳が立たぬであろう」

「……それもそうだ。私は明日から学園だし、四六時中考える暇がある訳でもないが」

「それを言うなら、我とても同じ事よ。時間を見つけて――捻出して再考してみる必要があるな」

「結局、最終的に術式に手を加えられるのはお前だけだ。新しく作るにしろ、改良するにしろ、どういう手法を取るのが最善なのか私には分からないが、お前に任せる他ない」


 分かっておる、と短く返事をして、オミカゲ様もまた遠くへ目をやった。

 そこへ盆の上に茶菓子を乗せて、あかねが笑顔と共に戻ってきた。二人の間に丁度良いスペースがあって、そこに盆を置いては膝を畳んでその場に留まる。


「そのようにしておりますと、本当に瓜二つで、何やら感動してしまいますね。お互いに気の置けない間柄のようで、明け透けにものを言って……。オミカゲ様への言葉遣いには恐ろしく感じてしまいますけれど、互いにとってはそれが自然なのですね」

「此奴の口の悪さは指摘しても直らぬ。品のない口調は改めて欲しいが、今は好きにさせておる」

「まぁ……」


 オミカゲ様の目を細めて小馬鹿にするような仕草に、あかねは口元を抑えて笑いを堪える。滅多に見られない表情に、役得とでも思っていそうですらあった。

 オミカゲ様はそちらの方にも流し目を送って、ちらりと笑う。


「我の若い頃を見るようであろう。例えば、近いところで千年程前の」

「それを近いとは言わない。神様ジョークのつもりなのか?」


 若い頃を見るよう、ではなく、そもそも若い頃を見ているのだ。ミレイユ以外には意味が分からぬ言い回しが、渾身のギャグを言ったように聞こえたようだ。

 あかねは愛想笑いを浮かべて畳んでいた膝を持ち上げ、茶道具の方へ帰っていく。


 あれは呆れて逃げたか、上手い返しが思い付かず退散したかのどちらかだろう、とミレイユが考えている内に、今度は茶碗を持って帰ってくる。


 そう、抹茶は和菓子と共に食べるものだ。

 ミレイユは盆の上に綺麗に置かれた菓子の一つを手に取って、口の中へ投げ込んだ。

 十分に咀嚼して飲み込んだ後、口内に残った甘味を流すようにお茶を口に含む。程よい熱さが心地良く、菓子と茶が口内で馴染むようですらあった。


 堪能した後に飲み込んで、ミレイユはあかねに顔を向ける。


「先程から私達二人で話してばかりで済まなかったな。今度はお前の話を聞かせて欲しい」

「滅相もございません。ですけれど、わたくしの話が御子神様にお楽しみいただけるなら、甚だ疑問で御座いますが、その無聊を慰める一助になるのであれば喜んでお話させて頂きます」

「ほぅ……、幾らか気を利かせる事が出来るようになったか」

「その上から目線の親目線は、やめてくれないか」


 ミレイユの苦い顔が、あかねの笑いを誘う。

 まだ日は中天まで来ていない。全員が忙しい身の上だ、昼より前に解散する事になるだろう。それでも、今だけは目の前の難題を忘れ、楽しい時間を過ごせそうだとミレイユは思った。

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