提案と決断 その8
アヴェリンは純然たる武勇伝と思っている様だが、ミレイユからすれば単なる失敗談でしかない話を披露され、汗顔の思いで聞き流す努力をしていた。
結局は巻き込まれて少しばかり注釈を加える事になったが、結局それも言い訳に終始するようなもので、自らの未熟さを釈明するものでしかなかった。
退席しようとしたアキラが不自然に動きを止めたのも、そこに理由があるかもしれない。
何も見栄を張って良い所だけ見せようなどと考えている訳でもないが、さりとて不甲斐ない所を見せたくないという矜持もある。
アヴェリンを始めとした三人には、誇れる主人であろうと決めたミレイユなので、そういうやらかしを表に出されると、やるせない気持ちになる。
心の奥底では重い物を飲み込んでいるとはおくびにも出さず、ミレイユは箱庭から自室へと帰ってきた。
服装は箱庭で過ごす普段着なので、神宮内で同じ衣服だと浮いてしまう。
それだけではなく、これから御影日昇大社へも赴かねばならない。神宮に次いで格式高い社へ行くのに、オミカゲ様の御子神たる存在が洋風の衣服を纏って見せるというのは、いかにも外聞が悪かった。
神宮から大社へはそれなり以上の距離があるが、一度場所を訪れマーキングしたからには、距離はミレイユにとって敵ではない。
既に先触れを送って到着時間は知らせてあるので、それまではゆっくりと準備が出来る。
ミレイユの御付きとなっている咲桜には、既にお召替えについて進言されていた。それを断って先にお茶の準備をさせたのはミレイユだ。
今もアヴェリンは決して離れずという言葉を忠実に護り、部屋の中でも睨みを利かせている。咲桜を疑っている訳ではないが、例え誰であっても、警戒を解く訳にはいかないという理由からの行動だった。
ミレイユが着替える為、別室へ移動する際にも結局ついて来るのだが、ポットで茶を用意しておけば、彼女も飲みたい時に勝手に飲むだろうという配慮だった。
その咲桜が帰ってきて、テーブル中央にポットと茶器を用意した後、側仕え三名を連れてやって来る。
「お待たせいたしました、御子神様。すぐにお取り掛かりしましょうか?」
「ああ、頼む。この後、大社まで行かねばならないからな」
「お任せ下さい。大社の巫女様方に白い目で見られぬ様、誠心誠意取り組ませて頂きます」
咲桜が一礼すると、他の三名も同じタイミングで頭を下げる。まるで軍隊のような、というほど堅苦しいものではないが、一糸乱れぬ一礼だった。顔を上げた者たちには見覚えはない。それもその筈、召し替えの際には専属ではなく、どうやら日替わりでやって来る側仕えだと、最近分かった。
ミレイユが頻繁に移動して、その度にお召替えをすると気付いてからは、それに関わりたい者たちが急増した。オミカゲ様は基本的に直接関われる機会は稀で、また長く務めその実力も高い者たちで占められる。
だが御子神となると、その辺はまだ厳格ではなく、新人であっても関われる可能性がある。お召替えとなると更に緩く、直接的な会話をする事もない為、その審査基準も甘い。
それが判明してからというもの参加希望者が続出し、結果ローテーション制にするというところで落ち着いたようだ。
ミレイユからすれば知らない顔、慣れない相手ばかりで落ち着かないのだが、教育に付き合うと言った手前、こっちは嫌だという主張は通らなかった。
――謀ったな、オミカゲめ。
衣服を剥ぎ取られ、着せ替え人形となりながら呪詛を吐く。とにかく一人で着替えられる物ではないので、今は甘んじるしかないのだ。知らない顔など些細な事で、三巡もする頃には見慣れた顔、慣れたものだと開き直れるだろう。
準備が万端終了し、ミレイユの身長よりも高い三面鏡の前に立つ。
神御衣は新雪のように白く、一片のくすみもない。布は柔らかでありつつ、糊付けしたかのように皺もなく綺麗なものだった。両腕を拡げてみても同様で、多くの布が重なり合うようなのに、やはり変な皺や腕を持ち上げた時の引っ掛かりもない。
背後に映る女官の三人は、目を伏せ両手は臍の下で重ね、背筋を伸ばして立っていた。そちらへ小さく頷くように目礼する。途端、表情は崩さぬものの、身震いするように小さく揺れた。
目礼一つで人に取っては最上級の礼になる、と教えられたが、今更突然やめてしまうと自分たちに何か粗相があったかと自己嫌悪に陥る者が続出したので、今ではそれを再開した。
お世辞を口にする訳でもなく、頷くだけで満足するなら別にいいか、とミレイユも開き直った格好だった。
「では、大社へと赴く。……アヴェリン」
「ハッ」
短い返事と共にアヴェリンが身を寄せ、護衛の任を全うするべく右斜め後ろの定位置に付く。
そして部屋の外へと連れ出されると、そこには既に控えていた咲桜が、先導役として待っていた。大社までは転移で行けるが、奥御殿の何処でも使用して良い、という訳ではない。
転移は便利だが、その使用には厳格な規則が設けられている。
転移術は高等で誰にでも使えるものではなく、今代の術士に扱える者は今のところいないが、さりとて好きに使用させるには怖い術だ。
だから専用の部屋で使う必要があり、ミレイユは今そちらへ先導されつつ向かっている最中だった。そして長い時間を経て到着すると、その送り迎えをする女官たちが待機していた。
小さく手を挙げる程度の挨拶だけを済ませると、短い時間で制御を完了させ、掌に握り込んだ紫の光が飛び散る。次の瞬間、二人の姿は掻き消え、目的の場所へと転移した。
後には、その見事な制御力に感嘆する女官たちの溜め息だけが残った。
御影日昇大社は規模でこそ神宮に敵わないが、その広大な敷地は他の神社に類を見ない。境内入口には御影石を用いた大鳥居があり、堂々たる佇まいを見せている。
当時、治承四年(1180年)に書かれた史料によると、源頼朝は挙兵直前に大社への奉幣を命じ、その後の戦で見事敵将を討ち取ったという逸話が残る。また、頼朝は同年に平家軍との戦のため西へ向かう際にも大社を拝んだという。
このような戦勝祈願をするほど大社は源頼朝から篤く崇敬され、頼朝からは神領の寄進、臨時祭料として御園の寄進をし、正月に参詣、馬や剣の奉納も行われた。
ただこれは、単に熱心な信仰というだけでなく、神宮にてオミカゲ様の不興を買った償いの為という側面も持ち合わせている。
頼朝が開いた鎌倉幕府は、この大社を神宮と並んで遇し信仰している。頼朝以後も鎌倉幕府将軍は代々御影日昇大社へ参詣しており、特に四代将軍・藤原頼経は最も多くの参詣を行なった。
そこまで続く篤い信仰が、今日の御影日昇大社を作る原型となっている。
その御影日昇大社の主要社殿は本殿、幣殿、拝殿からなり、大社側ではこれらを御殿と称していた。その歴史は古く、千百年頃には現在の大社の原型となる本殿のみが既に造られていた。
それから時間を掛けて主要施設が加えられ、時の流れと共に修繕される形で現在の形へ変化していく。
本殿、幣殿、拝殿いずれも総欅素木造で、国内有数の規模の社殿だった。
また本殿脇障子にはオミカゲ様の説話に基づく彫刻を始めとして、本殿の内法上の小壁、本殿と拝殿の蟇股などの要所に彫刻が施されている。
これらは数人の名工が競い合って完成させたものといわれ、これら社殿三殿は日本を代表する建造物であるとして、国の重要文化財に指定されている。
拝殿前に建てられている
現在では、舞の他にも各種神事でも使用されているものの、実際には現在も祓殿の役割は些かも変わってはいない。もしも敵が結界を突破した時、分かり易い名称のまま残して襲撃されるようでは困った事になる。それを嫌い、擬装にでもなればと現在の形へと変化していった、という裏の世界の人間だけが知っている真実もある。
この日本へやってくる
ミレイユはその入口前に立って、巫女の案内を受けていた。
御子神が訪れるというだけあって、その警備も物々しい。裁判所でも見かけた、槍を手に持った兵が四方を囲むように立っている。見ただけで魔術付与されていると分かる武具を身に着け、何者が襲って来ようと迎え撃つ構えだ。
当然、全員が理術士で、恐らく玉体警護の責任を持つ由井園が、その警備に当たっているのだろう。
本来は境内に人が溢れている筈だが、現在は締め出されて内側を窺う事は出来ない。全ての門は封鎖され、参拝者も困惑すると共に何があったのかと不便している事だろう。
「随分と大事になってしまって、軽々しく来るなんて言うんじゃなかったな……」
一度目は完全な不意打ちというか、抜き打ちでの訪問だったから、それは大層驚かせた。一千華は既に一線を退いている筈だが、ルチアの指導という事でその場にいた。
大抵のことには動じないと思っていた彼女すら、この突然の訪問には面食らっていた。
だから、次来る時には先触れをなさいませ、とキツく注意されたのだ。
申し訳ないと思ったのは事実なので、今度は間違いなく先触れを出してから訪問した。
それがまさか、全門封鎖の上、並べる程に警備兵を用意した上で迎えられるとは考えもしていなかった。護衛というならアヴェリン一人で事足りるし、ミレイユ一人でも迎え撃つのに遜色ない。
奥御殿で暮らしていても見える範囲に兵など置いていないので、ここでも同じように行くのだと思っていたのだが、全く予想が外れた。
姿が見られれば騒ぎになるのは分かるので、転移して来るなら封鎖すれば安全というのも分かるのだが、どうにも物々しく、また仰々しく思えて申し訳ない気持ちが先に出る。
だが、そんな独白も巫女からすれば、考慮に値しない事であるようだ。
「とんでもない事で御座います。御子神様御自らのご来臨、誰もが恐悦至極、喜びに打ち震えております。此度、舞殿へお招き出来る栄誉以上に、大切な事など御座いません」
ミレイユはそれには応えず、ただ首肯する事で示した。
巫女は恭しく礼をして、舞殿の入口を開く。ミレイユが中へ踏み込めば、そこでも巫女が左右に整列して頭を下げて列を作っていた。
それへ鷹揚に頷いて見せて、その中央を歩く。
辿り着いた先には大きな扉があって、その前で待ち構えていた二人の巫女が礼をしてから開く。スライド式の扉は大きく開かれる毎に、その部屋の全貌を露わにしていく。
仰々しい設備があるのかと思ったがそうではなく、実際には斎祀で見かけるような、注連縄や祓い棒の先端に付いている
そして中央には畳を組み合わせて正方形に作った四畳程のスペースがあり、それぞれの対角線上に垂直に立てた白木の棒と紙垂が糸で結ばれていた。
ただこれは、単なる見栄えで用意したものではないと分かる。
部屋を構成する全てのもが、それぞれ非常に高度な魔術付与がされている。霊脈が複雑に交叉し、その一点に集中された真上に術者が鎮座する畳が置かれている事を考えても、この部屋が結界術をサポートする巨大な装置となっていると察した。
今はそのすぐ傍にルチアと一千華が立っていて、ミレイユの入室と共に一礼する。部屋の中で待機していた他の巫女もまた、それに続いて礼をした。
ミレイユは黙って礼を受け取り、面を上げるのを待つ。
しかし、いつまでも上げる気配が見えないので、何か間違ったかと不安になり始めた時、ようやく二人が顔を上げた。それに続いて巫女達も顔を上げる。
隠れてホッと息を吐きながら、正直ルチアから仲間としてではなく、部下としての礼儀をされて居心地の悪さを感じた。本人の意志ではなく、大社が神を迎える礼儀としてやらされているのだろうが、どちらにしても気まずい。
ミレイユの心情を推し量ったのか、ルチアが困ったような顔をして笑った。
それを横目に一千華が改めて礼をした上で、上品に微笑んだ。
「御子神様のご来臨、大変恐縮でございます。ようこそお出でいただきました、本日はどうぞ、よろしくお願いいたします」
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