提案と決断 その7

 アキラは、やれやれとミレイユが首を振り、コーヒーカップをソーサーに戻す姿を、複雑な心境で眺めていた。


 ミレイユは相変わらず何一つコメントらしい言葉を言わないが、それはきっと、彼女に取っては誇れる事ではないからなのだろう。一人殺せば殺人で、百人殺せば英雄だとは言うが、十万近い人の命を自らの放った魔術で奪うというのは、一体どういう心境になるものなのだろう。


 もしもアキラにその手段があって、使わなくては多くの味方を殺してしまうのだとしても、だからといって躊躇なく使えるかと言われたら無理だと答える。

 その時のミレイユに、どのような葛藤があったのかは分からない。

 しかし現代日本に住む者の感性として、やるべき事はやったと枕を高くして眠れる気はしなかった。


 必要だからやったのだと、そう簡単に割り切れるものだとは思えない。だからミレイユも、きっと同じような気持ちなのではないか、という気がした。

 だから殊更、己のやった事だと誇示するように話を聞かせる事もないし、話そうとするアヴェリンを諌めようともする。


 だが、根っからあちらの世界の常識で生きているアヴェリンからすれば、それは勲に他ならず、語るべき武勇として映るのだろう。

 敵軍がどのような悪政を敷き、弾圧していたのかは知らない。想像すら出来ないが、だがもし、それだけの被害を出さなければ意見すら聞かない相手だとするなら、力の誇示は必要だったのかもしれない。


 敵に回すのは割に合わないと思わせるのは重要な事だったろう。そして、それを為せる人物が味方にいるとなれば、エルフ達もさぞ溜飲が下がったに違いない。

 救い主や、救国の英雄として祭り上げたくなる気持ちも分かる。


 以前ルチアが言っていた、エルフと人間の歴史云々というのも、そこに関係があるのかもしれない。

 そこまで考えて、改めてテーブルの上を見渡した。いつも四人は大体一緒にいるのに、今日はルチアだけがいない。


 鍛錬から目覚め邸宅へ入った時、彼女は食事の準備でもしているのだろう、と思っていた。だが実は、既に食事は済んでいて、アキラを待っていただけと分かった。

 お茶の準備をしているのかもしれないとも思ったが、だとしても余りに遅すぎる。今日はそもそも、彼女は一緒ではないのだろうか。


 珍しい事だが、必ず一緒でなくてはならない、という話でもない。

 日本の常識が薄かった当初と違って、今なら一人で出歩く程度、許可されているだろう。

 それでも何となく気になってしまって、アキラは話の腰を折ると分かりながら聞いてしまった。


「あの……、ルチアさんはどうしたんですか? 今日は姿が見えないですけど」

「何よ、今度はルチアが気になるの? 恋多きお年頃ってワケ?」

「何ですか、今度はって! 別に誰にも恋してないですし、単に見かけないと思っただけで!」


 ユミルは嫌らしい笑みでニヤニヤとしながら言うので、アキラも声を荒らげて返す。大袈裟に手を振ってアピールするも、この様な遣り取りはありふれたものだけに、アキラ達の姿がミレイユの目に映っていない。

 そもそもミレイユは、この類のゴシップには微塵も興味がないようだった。


「ルチアなら今日は別行動だ。私達が何かと忙しくしているというのは嘘ではなくてな、その中でもルチアは特に忙しくしている方だ」

「因みに一番暇してるのがアヴェリンね」

「馬鹿を言うな。私はいつでもミレイ様の護衛の任を果たすべく、周囲への警戒を怠ったりしていない。ワインばかり飲んでいる、お前に言われる台詞ではないな」

「イヤね、神宮の部屋じゃ日本酒だって飲んでるわよ」

「そういう意味じゃないでしょ……」


 アヴェリンとユミルの、よく見るじゃれ合いが始まって、アキラも溜め息を吐きつつ小さくボヤいた。そうしている間にも、二人の言い合いは加熱していく。

 しばらく見守っていれば、勝手に飽きて終わるだろうと思っていたのだが、予想に反してより激しさが増して来たようだ。


 アキラが縋るような視線を向けるのと、ミレイユがテーブルを指先で叩くのは同時だった。

 トントン、と小さな音が鳴っただけで、ピタリと二人の舌戦が止まり佇まいも直る。


 こういうところを見ると、やはりミレイユはリーダーとして認められているんだな、と感心する。ユミルも普段は自由奔放で誰の言う事も聞かなさそうなのに、ミレイユの本気の怒りだけは買いたくないようだ。


 愛されてもいるが、同時に恐れられてもいる。

 それが二人から感じた、ミレイユの人物評価だった。


 ミレイユは二人へ睨めつけるよう交互に動かした後、表情を和らげアキラを見つめる。アキラは怒られていない筈だが、その瞳に見つめられれば、自然と背筋が伸びる思いがした。


「……そろそろ、いい時間だ。ルチアの様子も見に行かねばならない。手伝える事もないだろうが、傍に寄り添うだけで気分も違うだろう。現世に踏み留まる努力をしているルチアに、遊んでばかりいるのも悪いしな」

「踏み留まる……?」


 アキラの疑問には手を外側へ振り払うような動作を示すだけで、何も応えてくれない。まるで、聞かなかった事にしろ、とでも言うような手振りだった。


「そういう事らしいから、アンタも帰りなさい。忙しくしてるっていうのはね、別に方便ってワケでもないのよね」

「はい、分かりました。そういう事なら僕も帰ります」


 アキラは席を立って一礼する。それから椅子を戻して踵を返そうとしたところで、ミレイユから声が掛かった。


「明日、昼過ぎには迎えの者が来るだろう。それまでに準備を終わらせておくといい。寮の部屋には当日から暮らせるように設備は揃っているらしいから、最低限着替えさえあれば、どうにかなるそうだ」

「え、あー……。でも学校の方に連絡とか……。HRで皆にお別れの挨拶とかですね……」

「却下だ。……いや」


 キッパリと否定されたと思いきや、顎の下に手を当てて何事かを考え始める。五秒と経たぬ内に視線を戻し、それから一つ頷き言ってきた。


「明日の昼までは自由だとも言えるしな。お前の学校には連絡がいっている筈だが、親しい友人には自ら説明したいところだろう。だが、理術や神宮の事を除いて上手く説明する事が出来るのか?」

「う……!」

「神明学園はスカウト制を採用しているだけあって、そういった説明をする専門の人間もいる。気持ちは分かるが、そっちは任せておけ。友人にはスマホで連絡して、ボロを出さないように済ました方がいいだろうな。……今生の別れという訳でもないし」


 確かにアキラには、事情を全て踏まえて破綻なく説明できる自信はない。

 ただ配慮という以前に、不誠実という気がして嫌だった。そもそも、急いで決めずに段階を持って話を持ってきてくれれば、問題など起きなかったのだ。


 本来、転校となれば学期を境に移るものだし、間に長期休暇を挟めば混乱も少ない。

 そうするべきなのに性急すぎる所為で、こんな事になってしまった。


 ――性急すぎる。

 そこで思わず、ハタと思考が止まる。遮断機でも降りてきて、動きを強制停止されたかのような気付きだった。


 急ぎすぎている、というのは確かだ。

 今日のアキラの動きを見てから転校を誘うか決めたと言ったが、それならアキラの通う学校へは、一体いつ連絡をしたのだろう。ミレイユの言葉を全て信じるなら矛盾が生じる。

 あるいは予め、全てどうするか決まっていて、アキラには事後承諾を取るつもりだったのだろうか。


 急ぎすぎというより、まるで追い立てられているようだ。

 そこに妙な胸騒ぎを覚える。魔物が格段に強くなっている、とミレイユは言った。その事に関係していて、それで戦力が一人でも欲しいというなら、それは理解できなくもない。


 だがアキラは事情を説明されれば――力を貸してくれと請われたら、一も二も無く承諾するだろう。断る選択肢など持っていない。それはミレイユのみならず、アヴェリンも理解していそうな事だ。

 ここまで性急に、承諾を得る前提で周りを動かす必要があるのだろうか。


 分かりそうで分からない。

 手が届きそうで届かない、非常にもどかしい気持ちでいると、肩を揺すられている事に気が付いた。ハッとして横を見ると、ユミルが不思議そうな顔で見つめている。


「どうしたの、アンタ? 急に動きを止めちゃって……」

「疲れているなら良く休め。転校すると、今より疲れる生活になるのは間違いないぞ」

「そうですね……。そうします」


 アキラはどういう事か聞いてみたかった。事情があるなら説明して欲しいと思ったが、同時に聞いてしまえば、何か取り返しのつかない事になりそうで怖かった。

 不安になる気持ちを抑えつけ、それでも信じようと心に決める。今までだって辛い思いをした事は多くあったが、それら全てはアキラの為になっていた。


 話さないというなら、今のアキラには知らなくて良い事なのだ。

 そのように自分を説得して、アキラは改めてミレイユへ一礼しダイニングから出る。邸宅から出て自室に戻り、今は支え棒が外れた小箱を見た。


 後ろ髪を引かれる思いで小箱を見つめていたが、意志の力で断ち切り顔を背ける。まずは汗を流してしまおうと、寝室へ着替えを取りに入って行った。

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