提案と決断 その6

「……とにかく詫びだから、それは受け取っておけ。安アパートの家賃くらい、どうとも思わないだろうさ」

「いやぁ……金銭面的な負担はないでしょうけど、そこまで厚かましくなれないというか……」

「気持ちは分かるがな。だが実際、長いこと暮らしてきて愛着もあるだろう。捨てずに済むんだ、得をした程度に思っておけ」


 ミレイユに重ねてそのように言われては、固辞し続ける事は難しい。

 重々しく頷いて、アキラは改めて謝意を述べた。


「分かりました、有り難く受け取らせて頂きます」

「ああ、それでいい」

「でも、それならせめて支払いは由喜門家の方にお願いします。神宮へ請求が行くなんて恐れ多いですし、由喜門の方なら何かあった時に返したり出来ると思うので……」

「分かった。そのように取り図るよう、申し付けておく」


 ミレイユの返答に改めて頭を下げ、そして頭の位置を戻した後で困ったように笑う。


「凄いなぁ……。前から人を使う事に慣れているように見えてましたけど、今はそれとも違う感じで慣れているように見えます」

「まぁ……、そうだな」


 ミレイユもまた複雑そうな心境も露わに、困ったように笑った。


「あれらは命じられると喜ぶからな……。神から下される命令で、動かされるのが嬉しいらしい」

「あれら、と言いますと?」

「主に女官だが……巫女もまぁ強烈で、狂信的な感じがあって少し怖い」


 口に出す事で思い出してしまったのか、露骨に顔を顰めるのを見て、アキラは思わず笑ってしまった。じろりとミレイユが見つめて来て首を竦めたが、それにユミルが茶化すように口を挟む。


「そりゃあね、直接見てなきゃ笑い話に聞こえるでしょうよ。アンタが弱音を吐くところって、普通じゃ想像できないしね」

「ですです! 何というか……動じる事なんてないと思ってましたから」

「そういうものかね……」


 ミレイユが理解できないように首を振ったが、アキラからすれば当然のような印象だった。

 特に思ったのが、トロール相手だろうと構わず椅子に座り続けていた時だ。今となってはアキラとしても強敵という認識ではないが、当時のアキラからすれば逆立ちしても勝てない相手だった。


 その脅威は一つの咆哮で悟ってしまうような有様で、身を竦めて逃げ出したのを覚えている。

 それでもミレイユは泰然としていて、しかも背後を振り返るような余裕も見せていた。それからというもの、ミレイユは敵に対して大体似たような対応をしていたので、すっかり何者にも動じないというイメージが根付いてしまった。


「でも、何というか……複雑な気持ちです。ミレイユ様はいつものミレイユ様なのに、でもずっと遠くに行ってしまって。本当なら、こうして話す事すら許されない方ですから」

「それは今に始まった事でもないがな。私は最初から同じように思っていた」


 アキラに言葉を向けたのはアヴェリンだ。

 言葉は辛辣だが、その表情は幾分柔らかい。弟子に取って、その努力を一番見てきた相手だから、幾らかはアキラの事を認めてくれているのかもしれない。


 アキラは困った顔をして頭を掻いた。

 そうしながら、先程口にしながら気になった事を聞いてみる。


「やっぱりミレイユ様は、前にいた世界でも人を使う様なお立場だったんですか?」

「いや……、立場としては別に普通だ」

「普通……」


 ミレイユの言い方は曖昧で誤魔化しているようにも見える。旅をしていたという話だから、どこか王城に仕えていたという話ではないのだろうが、それなら人を使う事に慣れたりしないだろう。

 どういう事かとアヴェリンへ目を向けると、誇るような顔付きで朗々と語り始める。


「ミレイ様は確かに権威ある地位に付いていた事はない。しかし、人々を圧政と弾圧から救い、連合を率いて一国と敵対し勝利に導いた立役者だ」

「うわ! つまり英雄ですね!?」

「英雄的活躍というのも確かだし、虐げられていた尊厳を取り戻したという意味でも、大いに敬われている。最初に救われたのがエルフで、そして次第に他の者たちも救いを求めるようになった」


 アキラはその声に聞き入りながら、身体も自然と前のめりになっていく。

 感心と感嘆するような表情に気を良くしたアヴェリンの口は軽く、次々と口から物語が飛び出してくる。


「幾度となく合戦が行われたが、その前線には必ずミレイ様と我らがいた。敵の数は多く、場合によっては十万と戦うような事すらあった」

「味方の数は、どうだったんですか? 敵が多くって事は、半分ぐらいしかいなかったとか?」


 攻城戦なのか防衛戦なのかで話は変わってくるが、どちらにしろ基本は敵より数を多く集めて勝てるように戦う、というのが基本原則の筈だ。

 戦術を駆使して少数が大多数を返り討ち、というのは夢があるが現実的ではない。魔術のある世界でも同じようなものだと思うが、彼女たちのような実力者だと話は変わってくるのだろうか。


「いや、二万もいなかった筈だ。だが逸脱者の含まれる合戦というのは、単純な数で勝敗を計れないところがあるからな。特にミレイ様が陣営に加われば、五倍以上の戦力差というのは意味がない」

「そんなに凄いんですか? いえ、勿論疑う訳じゃないんですけど、敵味方入り乱れるような戦闘じゃ色々勝手が違って上手くいかないんじゃないかと」

「その認識は正しい」


 アヴェリンが大いに頷いたところで、水を差すようにミレイユから声が掛かった。


「……その話、まだ続けるのか?」

「なりませんか? アキラもミレイ様への正しい認識を持っても良い頃かと」

「必要あるとは思えないが……」


 その一言でアヴェリンの眉が寂しげに下がったのを見て、ミレイユも困ったように眉間に皺を寄せる。それから好きにしろ、というように手を振ってコーヒーカップに口を付けた。

 二人の遣り取りを黙って見ていたユミルも肩を竦めて、改めてグラスにワインを注いだ。

 アヴェリンの表情も元に戻り、改めて仕切り直して口を開く。


「まぁ、とにかく実際平野で戦うような状況というのは、中々起きない。というより、数に置いて劣勢の軍が平原で正面から衝突するような戦い方は選ばないものだ」

「それはそうでしょうね……。挑めば負ける戦いなんてする筈ないですし」

「そういう訳で、普通は森の中など大軍が有利に動けない環境を戦場に選ぶ。だがステューム川の戦いでは、川を背にして正面には平原という戦場で戦った」

「まるっきり背水の陣じゃないですか。追い込まれたら戦うしかないでしょうけど、それで勝てるなんて幻想ですよ」


 思わず辛辣な物言いになってしまったが、それは事実だ。被害を最小限に抑えたいというなら間違いなく愚策だろうが、秘策があるなら話は別だ。

 それにアヴェリンは負け戦の話をしているようには見えない。

 何かあるのだろうと思い直して、話の続きを黙って聞くことにした。


「言わんとする事は分かる。実際、作戦を聞かされた参謀は強硬に反対したが、数で負ける我らは罠に嵌めるしか勝つ方法は無かった」

「あぁ、やっぱりそうなんですね」

「近くに森はあったが、そこへ逃げ込まない事を敵軍も不審に思ったようだ。しかし近いと言っても伏兵や挟撃をするには距離がありすぎた。有効的ではない、とそれは切り捨て、追い詰めたと思った敵軍は一網打尽にしようとした」

「他に視界を遮るようなものはなかったんですか?」

「ない。そもそも、別働隊など無かった。川を背にしたのは、敵の包囲を狭め一箇所に集める事を目的としたからだ。一網打尽にしようとしていたのは、敵ではなくこちら側だった訳だな」


 それで、とアキラは鼻息荒く続きをせがむ。

 戦争映画など見た事はあっても多くは現代戦の話で、ファンタジー世界の戦争など見た事がない。それに実際に参加した人から聞ける話というのは、胸を躍らせるような興奮を覚えた。


「敵軍の前進と共に我軍が川へ入り始めた。川の流れは強くないが、胸まで浸かるほど深い。エルフは身に着ける装備も軽装だが、身動きは鈍る。敵軍は矢を射掛けるだけで仕留められると考えただろう」

「戦いもせず逃げたんですか? 川の中へ? 二万という兵数を用意して、矢の一本も撃たなかったんですか?」

「数を用意したのは、敵軍の数を多く引きずり出したかったからだ。最初から正面きって戦う気がなかったとはいえ、百の数じゃ敵も千人すら用意しなかっただろう。やりたかったのは敵軍の壊滅であって、小さく削る事じゃないからな」


 アキラはその大胆な作戦に溜め息を吐くと共に、恐ろしさすら覚えた。

 その十万を削る為に二万を餌にした、という事は失敗すれば、その二万全てが全滅するという事だ。作戦の成否でその命運が分かれる。

 従う方も気が気じゃなかっただろう。


「そして川へ逃げ込む我軍へ突撃をしかけた敵軍を、その場に残ったミレイ様が魔術を使って吹き飛ばした」

「ミレイユ様が一人その場に残って、魔術を撃ち込んだんですか?」

「いや、我らも壁役として残っていた。いつもの四人だな」

「四人対十万っていう構図になるんですか、それじゃあ」


 アキラの怖々とした発言に、アヴェリンは顔を横に振る。


「いいや、ミレイ様対十万と言って良い。矢避けの為に残っていたが、実質的にはそんなものだ。制御を終わらせるまでの間、堅守していれば良かったからな」

「たった一発の魔術が、趨勢を決定したって事ですか?」

「そうだ。補助として他の二人も協力していたが、必須という訳でもなかった筈だ。……どうなんだ、ユミル?」


 突然話を振られて、ユミルはグラスに口を付けたまま片眉を上げた。

 小さくグラスを傾けて中身を少し口に含むと、飲み込んだ後に頷きで応えて口を開いた。


「そうね。……まぁ、単に制御が楽になる、早くなるってだけで、助力が必須じゃなかったのは確かよね。アタシ達が残る事で魔術防壁を築く必要もあったから……差し引きゼロってトコロじゃない?」

「……まぁ、そういう訳で、ミレイ様の放った魔術で十万の敵が吹き飛んだ」

「一発で十万人、ですか……!?」

「生き残った者もいた筈だから十割の殲滅ではないだろうが、全滅といって良い威力だったろう」

「本来の想定とは違った結果の筈なのよ。術の方も、ちょっとワケ分かんない威力してたしね。……ていうか、アレ失敗でしょ?」


 ユミルが呆れたような顔を向けると、ミレイユは肩を竦めて同意した。


「そうだ、失敗だった。威力が高すぎると分かって、咄嗟に抑えようとしたのが裏目に出た。今まで使用できた者はいない、という理由をもう少し考えるべきだった……」

「そんなの使ったんですか……」

「正確にはいたのだろうが、正確な結果を記す事を恐れたのかもしれない。……いま改めて考えると、そちらの方がしっくり来る。それにまぁ、自分なら出来るという驕りもあったな……」


 ミレイユは遠い目をした後、唐突に顔を顰めて下を向く。悔恨するような溜め息を吐いた。


「……着弾と同時に爆発。爆風が周囲数キロに渡って広がり、次いで爆縮、破壊のエネルギーが一点に収縮したのを見て、これは駄目だと思った。周囲数キロが跡形もなく消し飛ぶと理解して、集ったエネルギーを空へ逃した。それがまるで光の柱のように、爆光が天高く聳えた。森奥深くにいたエルフも、敵首都にいた王族にも、その光は見えていた事だろう」


 当時のことを思い出したのか、草臥れたようにユミルが笑う。


「そうしなければ、今頃味方もアタシ達すらも消し飛んでいたわね。作った防壁も吹き飛ばされるような有様で、三人がかりで張り直したり、後追い強化したり……。とにかく爆心地に一番近かったのはアタシ達だったから、そりゃ酷い目に遭ったのよ」

「それじゃあ、味方の軍の人達にも犠牲が……?」

「川の底に身を沈めてやり過ごしたわ。元よりその被害から逃れる為に川を利用していたんだしね。爆風や爆発は川の表面を削るように吹き飛ばしたけど、奥底に楔とロープを打ち込んでいたから、それに掴まっていれば被害を受けなかったのよ」


 呆けるように生返事をしてしまい、ユミルも呆れたように笑う。

 これはアキラというより、その所業を巻き起こしたミレイユに対してのものらしかった。ユミルの視線がそれを物語っている。


「そもそも、あんな近距離で使うようなモンじゃないって、知っとけって話でしょ。明らかに威力過多だし、アンタは魔力欠乏に陥るしで、てんやわんやよ」

「ミレイユ様ですら足りなくなる魔術なんですか……」

「一発撃つだけならいけたんでしょうけど、その後の防壁構築で、その爆発やらを耐えるのに多く魔力を消費したみたいね。……でもそれがエルフを助ける決定的な一打になったし、エルフを追い詰めるとあの魔術が飛んでくると思わせたし、あの子も畏敬をもって扱われるようになったワケ」


 一人で一軍を追い返せるような魔術士なら、それはそうもなるだろう、と思いながらミレイユへ顔を向ける。

 特に魔術に対して深い誇りを持つエルフには、そのような魔術を使い熟せるミレイユを敬うような気持ちを持ってしまうのも当然なのかもしれない。

 ミレイユ自身は渋い顔をしてコーヒーカップを傾けていて、この事に何か口を挟んだり付け加えようとするつもりはないらしい。


「それからね……。この子が、たった一人で戦力過多って言われるようになったのは」


 あんまりな言いように思えるが、同時に的確な表現のようにも思える。

 そしてそれは、決してその魔術だけを現した言葉ではないだろう。話を聞くに、ミレイユは何でも出来ると言われていた。その事も多分に含んでいるに違いない。

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