提案と決断 その5

「僕は行ってみたいと思います。大変だろうし苦労もあるでしょうけど、それでも行ってみたいです……! 自分の力がどこまで通用するか、それを知りたいと思います」

「アンタってさぁ……、割と困難で面倒な道を選ぶタイプよね。もっと楽な生き方できないワケ?」


 ユミルが呆れたような声を出し、半眼で見つめてはグラスを口元へ運ぶ。

 何杯目だと思いながらも、アキラは苦笑いを返す。我ながら難儀だとは思うが、自分に嘘を吐くような生き方は嫌だった。後悔しないと啖呵を切れれば良かったのが、きっと後悔する破目になるだろうなぁ、とも思うので、そこまで大言壮語は出来なかった。


 アキラの心情を知らず、アヴェリンは感心した顔付きで何度も頷く。


「困難に立ち向かえるようでなければ、大成なぞ出来ん。我らとて、いつまで居られるのか分からんのだから、自立した考えを持つのは良い事だ」

「ちょっと……!」


 ユミルが鋭く叱責すると、己の失言を悟ったらしいアヴェリンは顔を顰める。

 ミレイユへ窺うように顔を向けて、視線が合うと頭を下げた。どちらも無言の遣り取りだったが、ミレイユは小さく手を振って気にしていない、というようなジェスチャーをした。


 その短い遣り取りがどうにも気になって、アキラはミレイユに聞いてみる。


「あの、今のどういう意味ですか? いつまで居られるか……?」

「別に決まった話という訳でもない。お前は気にするな」

「え……っと、はい。やっぱり、そんなに長くは学園に教えに来ない感じですか?」


 アキラが問うと、ミレイユとユミルの間で一瞬の目配せが行われる。

 それに鷹揚に頷くと、ユミルが殊更明るい声音で追随した。


「そうなのよね。この子も一応、神って事になってるから、そもそも働く事を良しとされないらしいのよ」

「そうなんですか……? いや、確かに神様を働かせるなんて、どれだけ不敬なんだって話ですけど」

「今回も、まぁ異例中の異例でしょ。そうせざるを得ないからしてるってだけで」

「へぇ……。あ、じゃあ僕はやっぱり、学園に通うような事になったら、今迄みたいな態度は拙いですよね?」


 ユミルからミレイユへ顔を移すと、少し考えるような仕草をした後で頷いた。


「私としては関係ないと言いたいが、そうは言っても周りが許さないだろうな。どういう態度が適切なのか知らないが、周りに合わせて上手くやれ」

「そうします。……でも、そうなると、いつごろ転入する事になるんでしょう? 試験とかあるんですか?」

「そうだな……。実は既に転入願いを受け入れるよう、学園には話を通してある」

「え、そうなんですか!?」


 アキラはこの話を受け入れたが、もしそうでなかったらどうしたのだろう。

 書類一枚で済むような簡単な話でもない筈だ。急な転校というのは物語では良く聞く話だが、実際にやるとなると、その準備にも色々あると思われる。

 アキラが平穏な生活に戻ります、と言ったらどうするつもりだったのだろう。


「でも、先に話を通すなんて、よくそんな無茶考えましたね……? 僕が行くなんて予想つかない筈なのに……」

「いやいや、それはアンタ、馬鹿にしすぎでしょ」


 ユミルが笑って、アキラは思わず眉根を寄せて、その顔を覗き見た。

 その表情には嘲笑ではなく、つまらない冗談を聞いた時のような笑みを浮かべている。


「その話を持ち込まれて、アンタが断るなんて考えないもの。アンタが面倒な性格してるって、あの子もちゃあんと分かってたみたいね。後はアンタの実力確認が済み次第って感じ」

「えぇ……? だって、それならやっぱり話を先に進めてたら拙かったんじゃ? ミレイユ様のお眼鏡に適わない可能性もあったじゃないですか」


 ミレイユはそれにアッサリと頷いた。


「そうだな。だが、それならそれで、取り止めだと言えば済む話だ」

「そんな簡単に……先方にも迷惑が掛かるんじゃ?」

「お前はまだ実感が湧かないのかもしれないが……まぁ私自身もないが、神の言う事だぞ。大抵の事には融通が利くんだよ」

「あぁ、なるほど……」


 妙なところで腑に落ちた。

 神を自称する輩はゴマンといるが、目の前に座るのは本物の、それもオミカゲ様の御子なのだ。この日本国において、その一言は余りに重いのだと想像がつく。

 学園長も、やれと言われれば粛々と進めていくに違いないだろうし、中止を聞かされればそのように処理するだろう。


 それ以上なんと反応して良いか困って、唸るように息を吐く。それからハッとしてミレイユへ問い掛けた。


「それで……結局、僕はいつ頃から通う事になるんでしょう? 来学期からですか?」

「いや、三日後だ」

「三日……え、三日!? 三日で準備するんですか!?」


 ミレイユの持ってくる話は、いつだって急だ。

 しかし、これには信じられず何度も聞き返す事になってしまった。確認というよりは、撤回してくれという意味合いで言ったのだが、続く言葉が更にアキラを窮地へ追い落とした。


「いや、三日後から通い始めるから、入寮はその前日。つまり今日一日で準備しなければ間に合わない」

「何でそんな急に言うんですか! 絶対間に合いませんよ、これ!」

「男の手荷物なんて少ないものだろう。とりあえず服と替えの下着くらいあれば、生活するのに問題ないものじゃないか」


 ミレイユは簡単そうに言うが、実際そんな簡単なものじゃない。一人暮らしのアパート住まいだったのだ。家具や電化製品、日用品の片付けなんかもある。とても一日で終わらせられる内容じゃない。


 アキラがどうしようかと頭を抱えている間に、そこへ異議を唱えるように、ユミルが口を挟んだ。


「それにスマホも必要ね。現代人の必需品よ」

「あぁ、そうだったな。……じゃあまぁ、換えの下着と靴下、寝間着、スマホと……。あとは一緒に寝る用のぬいぐるみだけ用意すればいい」

「ありませんし、いりませんよ、ぬいぐるみは! えっ、本当に!? 本当に今日一日で準備しなくちゃいけないんですか!?」

「だから、そう言ってるだろ。飲み込みの悪い奴だな」


 ミレイユが顔を顰めて不機嫌を露わにするが、不機嫌になりたいのはアキラの方だった。


「飲み込みが悪いんじゃなくて、飲み込みたくないからですよ!」

「あるいは単に信じたくないだけね」

「――どうでもいいんですよ、その辺の細かいニュアンスは!」


 アキラが慌てて立ち上がろうとするのを、ミレイユは魔術を使って強制的に座らせた。

 暴れるように再び椅子から腰を上げようとしても、その身体は言うことを利かない。何のつもりだと言うつもりで顔を向けると、落ち着けという仕草で手を上下に振っている。


「大丈夫だから落ち着け。部屋はそのままでいい。旅行に行くようなつもりで準備しろ」

「いや、だって、部屋を引き払ったりしないといけないんじゃ?」

「将来的にそうしたいなら別にいいが、それは今日明日の事じゃないだろう」

「でも、そしたら部屋代やら電気代やらで維持費が嵩みますし……!」

「その辺は急な話を持ち出した、こちらに非があるからな。神宮か、あるいは由喜門に払わせる。ひと月に何度か掃除に来る必要はあるかもしれないが、引き払う必要はないんじゃないか」


 それを聞いて、ストンと身体から力が抜ける。

 ミレイユもアキラの様子を見て取って、魔術での拘束を解いたようだ。身体を巨大な手で握られるような感覚が消えていく。


 だがどちらにしても、維持費を支払わせるというのは後ろめたい。

 それも神宮と由喜門本家との二択というのが、更にアキラを躊躇わせた。どちらに頼んでも角が立つというか、恐れ多い気がして素直にお願いしますとも言えない。


 アキラが困って眉を悲しげに垂れ下げていると、ミレイユから声が掛かった。


「難しく考える事はない。こちらで万事取り計らっておく。……部屋の掃除もさせておこうか?」

「いえいえいえいえ! 大丈夫です、そこまでして頂く必要はありません!」


 両手を前に突き出し、手をバタバタと左右に振ると、ミレイユは首を傾げるように頷いた。


「だがまぁ、これは詫びのようなものだ。だから気にしなくていいぞ」

「詫び……というのは、この急な報せについてですか?」

「いいや、いつも周辺に監視を張り付かせていた事に対して」

「監視されてたんですか、僕は!?」


 今度こそ席から立って、驚愕も露わにテーブルに手を着く。予想以上に大きな音を立て、テーブルの上に置かれていたカップが、耳障りな音を立てた。


「お前を監視していたんじゃなくて、私が部屋に行かないかを見ていたんだ」

「あぁ、偶に誰かいたような形跡ありましたけど……。いつものユミルさんかと思ってました」

「それもあったろうが、私が箱庭を通じて外へ逃げ出さないか見張っていたんだ。寮に移ればそういう事もないだろうから、安心していい」

「それは、はい……安心ですけど。ミレイユ様、逃げ出そうとしてたんですか?」


 アキラの素朴な疑問に首肯して、それから答えた。


「気軽に外を散策したいと思って、ちょっとお前の部屋を経由させてもらおうと思ってな……」

「普通に奥宮から……、いや目立っちゃうのか」

「外へ出る時、目立つくらいなら別にいいんだが、奴ら私を神様扱いしてくるからな……」

「いや、だって神様じゃないですか。……ああ、だから自由に外へ出られないと」

「外出したいと言えば出してくれるが、お付きの者も一緒で大名行列みたいな事になると知った瞬間から、その選択肢は消えた」


 ミレイユが苦い顔をして外を向いて、その仕草と表情から如何に嫌がっているか分かる。

 確かに、数週間前まで一般人――というには色々と逸脱してるが――だったのに、神として認定され、それに相応しい扱いが付いて回るとなれば辟易してしまうだろう。

 以前のような気軽に喫茶店でお茶する、という自由は得られないに違いない。


 縛り付けるようなものでないにしろ、自由がないとなれば可哀想に思えてしまう。

 憐憫の眼差しを向けてると、アヴェリンの小さな叱責が飛ぶ。慌てて表情を戻し、手元に視線を移した。いつもの、お前ごときが烏滸がましい、というやつだ。

 小さな溜め息と共にミレイユが顔を戻したので、アキラも倣って元に戻した。

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