提案と決断 その4
「転校……ですか?」
あまりに突飛な発言に、アキラは思わず眉根を寄せて訝しんだ。
話の繋がりが見えてこず、困惑の色が深い様子を見て取って、ミレイユは一つ頷いて見せる。
「突然何を言っているんだと思っているだろう。……順に説明する」
「……お願いします」
「先程言っていた魔物――こちらでは鬼と呼び習わしているようだが、とにかくそいつらが強くなって来たのが原因でな……。今迄どおりでは手に負えなくなってきた」
「ミレイユ様たちでも……いや、違うか。御由緒家の方々でも、という事ですか?」
「そうだ。そこでちょっと、教育してやらねばならなくなった」
意外な発言に、アキラは思わず身体を前のめりに倒した。
「ミレイユ様が教師をするって事ですか……!?」
「教壇に立って教鞭を振るうというのとは違うがな。私の立場としては、座して待つ事も、見て見ぬ振りする事も出来ないらしい。オミカゲ様の代わりとして、少し便利遣いさせられる訳だ」
「そんな言い方、不敬ですよ……」
そのように苦言を呈しながらも、ミレイユだけは許される発言なのかも、と思い直す。
大体、神の名代というのがまず異常なのだが、御子神としてというなら納得できてしまう。というより、他の誰にも務まらないだろう。
鬼退治に対して御由緒家が有効に機能しなくなった、というなら、そのテコ入れするのも御子神様とする必要があるのかもしれない。
その白羽の矢が立ったのがミレイユだと言うなら、従う他ないという事なのかも。
アキラからすれば、この人――御方が熱心に何かを教える風景というのも想像できない。本を片手に椅子に座り、時折視線を投げかけるだけ、という授業になりそうで不安になる。
だがとにかく、手に職を持つ――というと語弊があるが、とにかく忙しくなるから鍛錬の時間が取れなくなる、と言いたいのは理解できた。
「でも、それがどうして転校を勧める事になるんですか?」
「それに答える前に一つ……、神明学園という学校を知っているか?」
「えーと、はい。縁が無いと思って詳しく調べた事はないですけど、神宮直営の学園で全寮制の名門校だってぐらいは知ってます」
「多くはスカウト制か推薦で、一般入試は受け付けてないという、非常に変わった学園でもある」
そうなんですね、と頷いて、アキラの動きがハタと止まる。
何となく、ミレイユの言いたいことが見えてきて非常に嫌な予感がしてきた。
「……つまり、僕をそこへ推薦したいとか、転入試験を受けろとか、そういう話なんでしょうか?」
「理解が早くて助かるな。スカウト制である理由は、その生徒には理力を扱う才能があるかが重要だからだ。また、才能があっても人格によっても篩いに掛けられる。非常に狭い門でもあるらしい」
「理力、ですか? 魔力とは違うんでしょうか」
「同じものだ。呼び方が違うだけだな。我々が魔物と呼ぶものも、こちらでは渡り鬼だとか、あるいは単に鬼と呼ぶ」
はぁ、と気のない返事をした後で、何と話を続けるべきか迷う。
ミレイユはアキラの様子に頓着せずに続けた。
「お前がいつだか言っていた、御前試合というものも、本来その才能を見出す為のものだったようだな。学園に通う者は剣を扱えるかは必須ではないが、体力のない者は結界内では生きていけない。最低限の自衛手段は持っていて然るべきだから、そういう意味で身近な存在として利用していたんだろう」
「それで……、僕ならそのお眼鏡に適うというのは何となく分かりましたけど……。でも本当に?」
どうもね、とユミルがグラスの中でワインを転がしながら口を挟んだ。
「アンタをそのまま放って置くのは勿体なく思ったみたいなのよ」
「そうなんですか?」
「アヴェリンの弟子として、そこそこ腕は磨いて来たんだし、実際今日それを目にして合格とも思ったみたいね。……で、アンタにその気があるなら誘ってみようと思ったワケ」
「それは……、とても有り難い話です」
アキラが言った事に嘘はない。本心からの言葉だった。
しかし、どうにも話が急すぎた。ミレイユが持ってくる話は大体そうだが、心の準備をする暇というものを与えて欲しいと思う。
「学園には毎日通うワケじゃないから、その隙間を縫って教えるっていう案も、あったにはあったのよ。でも、そこまでする必要あるかって話もあってねぇ……」
「それは……、ええ、僕には答えにくい話と言いますか……」
「それに向上を目指すんなら、そういう教えに慣れた場所の方が効果的なのかなって思ったワケ」
「ユミル、人の心境を代弁しているかのように見せて、自分の意見を言うのは止めろ」
ミレイユが言い差すと、ユミルは肩を竦めてワインを呷った。
恨めしいような目つきをユミルから離し、アキラに向き直ってミレイユは言う。
「ユミルの言った事が全面的に嘘という訳でもないが、レベルに見合った教え方というものはある。アヴェリンは良くやってくれているが、アキラのレベルに合わせた教え方というなら、やはりそちらに慣れた者から受けるのが一番だろう」
「なるほど……」
「これから鬼の動向も激しくなる。壁に躓くようなら、即座に置いて行かれるだろう。お前が続けて行きたいというのなら、その為の場を用意してやろうと思った」
「色々考えて頂いて、ありがとうございます」
アキラは素直に頭を下げた。
実際、分不相応というのは確かだった。教えを受けるのも、それに見合った実力があって意味あるものだ。そこに正しい道筋を与えて貰えるというなら、願ってもない提案と言える。
アキラが何かを口にしようとした時、ミレイユはそれより前に、断りを入れるかのように手を振った。
「当然だが、強制じゃない。より危険な戦場へ送り出す事にもなる。それに卒業すれば、まず間違いなく御影本庁入りだ。その後も鬼退治と深く関わっていく事になるだろう。よく考えろ」
「それって、就職は殆ど内定するって意味ですか? それも御影本庁へ?」
「そうだな。理力を最低基準でさえ扱える者は少ない。貴重な人材だから、他所へやりたくないんだろうな。そうでなくとも、御由緒家傘下のどこかへ行く事になるんじゃないか?」
アキラは高校卒業と共に、就職も視野に入れていた。貯金はあるものの裕福という訳ではない。一人で自立して生活しなくてはならず、その為には私立へ入学する費用を捻出できなかったからだ。せめて公立である必要があるが、アキラの学力では難しいという予想も立てていた。
だが、その学園へ入学を許可されれば、人生の展望も広がる。
危険と隣り合わせであるというのは、人によっては大きなマイナスだろうが、アキラにとっては今更の事だ。それに本庁入りという事はつまり、オミカゲ様の元で働けるという事でもある。
叶うならば、こちらからお願いしたいくらいだった。
「是非、お願いしたいです……! でも、ちょっと問題が」
「何だ……?」
「入学費用はどうなるんでしょう? 転校するって事になれば、それまで積み立てた金額とかもどうなるか分かりませんし、金銭面で不安があります」
ああ、と頷き、ミレイユは眉根に皺を寄せて首を傾げた。
「その辺の事は私にも良く分からないな……。だが、入学費や授業料は掛からない筈だ。寮費も無料で、むしろ給料が支払われる」
「そうなんですか……!?」
「形態としては軍学校とかに近いのかもな。訓練をしながら勉強して、そして実地訓練として結界内にも入る。危険手当も兼ねてるのかもな……。その辺までは知らないが」
「それは……凄いですね。でも高校生の段階で、そこまでやらせるんですか? 演習程度ならともかく、実際に鬼を退治となると、大分勝手が違うような……」
ミレイユは首を傾げたまま腕を組む。視線を天井付近に彷徨わせ、それからアキラへ戻した。
「そうだな。本来なら既に卒業して現場に出ている隊士達の仕事だろうな。……だが、時に実力者とは、その年齢という分を超越する。強い鬼は実力者しか相手にできない。だから御由緒家が出張る事になるんだろうし、そうした時はまだ高校生でも命令が下るんだろう」
「あの昼食会で見た時も、既に次期当主として認められた人の中に、高校生の人もいましたもんね……」
「そうだな……。当代は実力者揃いで当たり年などと言われているようだ」
ミレイユは薄く微笑んでは、話を続ける。
「鬼の強さが以前と比較にならない現在、その辺りをどうするつもりなのかは知らんが……。遊ばせている戦力はないと考えるだろう。お前も、その実力が認められたのなら、既存の隊士を押して選ばれる事になるかもしれん」
「なるほど……」
アキラは幾度も頷いて、膝の上に置いた拳を握った。
それから視線を下げ、その握った拳を睨みつけるようにして見つめる。
話は分かった。危険はこれまで以上あって、そして任意ではなく強制参加という形で招集される可能性もある。だが参加すると言っても、今までだって強制参加させられていたようなものだ。
訓練のようなつもりで蹴り出され、死の危険なら幾つも感じて来たし、そして乗り越えてきた。
後になって分かった事だが、それは強者が安全を確保していてくれたという、揺り籠の中の環境とでも呼べるものだった。しかし、それでも戦ってる最中は間違いなく死ぬ思いと、それを乗り越える覚悟を持って戦っていた。
それを思えば、然程環境が変わったとは思えない。
今の学校にいる友人達には悪いと思うが、それでもこの条件を蹴るのは余りに勿体ないと感じた。それに、転校しなければ、これまで以上にミレイユと接触する回数が減るのは間違いない。
そして、このまま疎遠になり、いずれ自然消滅してしまいそうな気がする。
これまで鍛えてくれた恩も返せず、そのまま別れてしまうのだけは嫌だった。
アキラはミレイユの瞳を正面から見据え、腹に力を入れてその答えを口にした。
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