提案と決断 その3

「アヴェリンを相手にしてると実感が湧かないだろうが、少しは成長した証かな……」


 ミレイユが眩しいものを見るように目を細めた。

 アキラはその表情に赤面して顔を俯向けたが、アヴェリンから向けられる眼差しは常と変わらず厳しいものだった。


「ミレイ様、あまりこれを甘やかされては困ります」

「……多少は褒めてやらねば、伸びないだろう。すぐ調子に乗るようなタイプでもないしな」

「そうかもしれません。確かに調子には乗りませんが、すぐ油断するタイプです」


 アヴェリンの指摘に、アキラの喉が詰まる。

 そんな事はないと否定したかったが、同時に思い当たる節もあった。何とも言葉を発せられずにいると、ユミルがくつくつと笑う。嫌らしい笑みを存分にアヴェリンへと向け、頬杖付きながらグラスの中のワインを転がした。


「なんとまぁ、随分と良く見ているようじゃないの。嫌々教えていた頃とは雲泥の差ね」

「弟子と定めたからには、面倒を見るというだけの話だ。武器を重ねている内に、この程度は自然と理解できるようになる」

「……それもそうかもね」


 一つ頷いてアッサリと身を引き、ユミルはグラスに口を付ける。平行近くグラスを傾け気にワインを呷ると、ちろりと舌を覗かせて唇の周囲を舐め取る。

 無駄に蠱惑的な姿を見せられて、アキラは顔を背けた。


 そこへミレイユの声が降ってくる。


「魔力制御にも大分慣れてきたように見えたが、本人としてはどうだ?」

「あー……、そうですね。以前より、ずっとスムーズに動かせるようになったと思います。師匠からはその調子で続けろ、としか言われてませんけど、視線は厳しいままです」

「元より要求する最低限のラインが高いからな……。文句を付けられていないというなら、お前のレベルなら及第点を上回っているという事だろう」

「そうなんですね」


 ミレイユから保障してくれるような発言を貰い、アキラの気持ちはグッと軽くなる。

 アヴェリンは駄目な部分は指摘してくれるが、良い部分については指摘してくれないし、褒める事もしない。自分なりに良くやれたと思える一撃を放ったところで当たらない事もあって、自分の力量が信じられなかったのだ。


 しかし、敬愛するミレイユから太鼓判を押すような発言をされると、その心境もだいぶ変わる。

 浮ついた気持ちでいると、だが、とミレイユは言葉を続けた。


「だが同時に、心得ておく必要がある。魔力制御とは、慣れて上手くなったと思った瞬間から下手になっていく、というのが通説だ」

「そう……なんですか?」

「誰もが通る道だと言われているぐらいには、知られた話だ」


 ミレイユが言う事だ。嘘を言っているとは思わないが、それでもやはりピンと来ない。

 これ以上は向上せず頭打ちだと言われるのならまだしも、下手になるというのは想像し難かった。


「実際には本当に下手になる、という意味ではないと思うが。要はスランプに陥るという事だろうな」

「あぁ……」


 それなら意味がよく分かる。アキラは今、単にがむしゃらなだけだが、それだけでは駄目な時が遠からず来るだろうと思っている。

 アヴェリンの指示に従うだけの現状で間違いなく向上し続けているが、やはり何処にでも癖があったり残ったりするものだ。直そうとしても直らないというのは、スポーツ界でも良くある話。

 なまじ技術が身に付きつつあるからこそ、精神と肉体の齟齬から結果が出せなくなるのだ。


 ユミルはワインを注いだばかりのグラスへ口を付けながら口を挟む。


「魔力制御って、本来繊細なものだから。力押しでやれている内は向上を認識できるでしょうけど、更なる向上を意識し始めた時、その繊細さが足を引っ張るように感じるのよね」

「なるほど……。だから下手になっていくように感じると……」

「アンタも既に、そこに片足突っ込んでいるように見えたんじゃない?」


 うぐぐ、とアキラは喉の奥で唸る。

 アキラは自身が繊細に制御できているかと言われると、多分できてないと答えるだろう。比較対象がないから分からないが、上手くやれているかどうかも分かっていない。


 アヴェリン達は実力が違いすぎて参考にならず、それを可視化して観察するほど扱いに長けている訳でもないので、やはり感覚で身に着けているような状態だ。

 これまではそれで文句も出なかったから、これで良いと思っていたし、このまま続ければ良いとも思っていた。しかし、それで躓くような段階に、そろそろ入ってきたのだと、二人はそう言いたいようだった。


 ユミルの言葉の続きを拾って、ミレイユが言う。


「アヴェリンは感覚派だ。天才肌とも言うな。そんな彼女だから、誰に言われるまでもなくその壁は越えられた事だろう。だが、お前はそういうタイプじゃなさそうだ」

「ですね……。そういう天才と名の付くものとは無縁である自信があります」

「そう卑下するものでもないがな。……とにかく、基礎固めが天才思考な部分で進められているから、いざ壁に当たった時、それを矯正するのに苦労するだろうな、と……今日見て改めて思った」

「は……、気を付けます」


 言いながら、アキラは我ながら間抜けな返答だと思った。

 気を付けて回避できるぐらいなら苦労はしない。今も金言を頂いた気持ちがあって感謝もしてるが、じゃあ明日から気を付けようと考えても、具体的にどうすれば良いのかは分からない。


 天才肌というアヴェリンだからこそ、そこを言語化して指導するのは難しそうに思えた。ただ違うと言われて、殴られる日々が続きそうだ。


「――最近、結界の方にも行かせていなかったろう」


 そんな泣きそうな気持ちでいると、突然の話題転換に目を白黒させる。

 困ったように眉根を寄せて、それでもとりあえずアキラは頷いた。


「え、ええ……ですね。皆さんお忙しいのだと思って、今は後回しにされてるんだと思ってました」

「忙しかったし、慌ただしかったのも事実だが、それが理由ではないな」


 それを別に不満に思っていた訳ではなかったが、同時に少し寂しくも思っていた。

 魔物を斬り倒すのが趣味でもないし、命を張るスリルを楽しみたい訳でもない。アキラの戦闘願望の根底は、自分の身とその範囲――友人知人という些細な範囲を護れる力が欲しかったからだ。


 結界もそれにまつわる他の事も、神宮勢力――引いて言えばオミカゲ様がやっている事だと分かった。昼食会で叔父に当たる由喜門家の当主に話を聞いた限りでは、鬼退治というオミカゲ様の伝説が、古来から行われて来た事実だと知れた。


 現在は御由緒家主導で行われる護国防衛だと分かって、アキラも肩の力を抜いたぐらいだ。

 

「今更、僕なんかが行っても仕方ないと思ってもいるんですけど。でも、鍛えて頂いた分、何かの形でお返ししたいとも思ってますし……。別に今のが惰性で続けてるって訳でもないんですけど、少し方向を見失っている感じはあります……」


 言わなくても良い事まで言ってしまっている気がする。

 だがミレイユを前にして嘘を吐くのも嫌だった。本心を丸裸にしたい訳でもないのだが、目を見つめられると、その気力も削がれてしまう。


「確かに結界について、悪意あるものでない事は確定した。それに対抗する組織をオミカゲ様が作ったというのも事実だ。お前よりも頼りになる奴らも、それに関わっている」

「はい……」

「だが、それを理由に遠ざけたんじゃない。比較対象がアヴェリンだから己の力量が見えて来ないんだろうが……、御由緒家の平均的力量を見た今なら、そう捨てたものじゃないと思っている」


 アキラを見たアヴェリンが、つまらなそうに鼻を鳴らした。

 褒められたからと調子に乗るな、と釘を差されたようだった。元より調子に乗れるような楽観をしていない。眉尻を下げて頷くと、ミレイユが苦笑して言った。


「アヴェリンが毎日、お前を扱いたお陰だろうな」アヴェリンへ顔を向けて言う。「良くやった」

「勿体ないお言葉です」


 アヴェリンが背筋を正してする礼を見届けて、ミレイユは顔を元に戻した。


「だから、結界から遠ざけていたのは別の理由だ。魔物の強さが増していく傾向にあった話はしていただろう?」

「それは、勿論。それで僕の魔力を目覚めさせて頂いたんですし……」

「そうだったな。……それが昨今、更に二段飛ばしで強くなった」

「え、二段……!?」


 アキラが目を剥いて驚愕すると、ミレイユは疲れたように頷く。


「既存の戦力では歯が立たないような相手だった。今は少し落ち着いているが、いつどのタイミングでまた現れるか分からない。だからお前を遠ざけていた」

「ついて行ったところで、役には立たないと……」

「有り体に言えば、そうだ。参加させても端によっていろ、逃げ回っていろと指示されても困るだろう?」

「ですね……」


 アキラが力なく項垂れると、ミレイユはそうじゃない、とでも言うように手を振った。


「だが今日、お前の鍛錬風景を見て考えが変わった。私が知っているのは魔力の制御を始めたばかりのお前だが、それが今では様変わりしていた。私の評価を様変わりさせるに十分な成長がな」

「あ、ありがとうございます……!」


 何だか持ち上げられているようで面映ゆい。

 だが、お世辞を言うような人ではないし――人ではなく神だったが――、そもそもアキラを煽てる必要だってない。素直な評価だと受け取って、これまでの努力全てが報われるような心境になった。


「正しく導けば、更に伸びるだろう。だが、問題もある」

「何でしょう……。あ、もしかして師匠が天才肌である事と関係が?」

「無関係じゃないが、そういう事ではなくてだな……。これからお前に鍛錬をつけてやる暇がなくなる」


 その一言は、予想以上にアキラの心を掻き乱した。

 既に日常と変わりないものとなっていたが、そもそも温情で付けてもらっていた稽古だ。いつまでも面倒を見ない宣言されてもいた。基礎だけ教えて、後は自己鍛錬だと言われていたような気もする。


 ではつまり、その終わりが遂に来たのだと、そういう事なのか。

 アキラの表情がズンと沈んだのを見て、ユミルが小馬鹿にしたように笑った。


「アンタの悪い癖ね。いいから話の続きを聞きなさい」

「う……、あ、はい」


 それに一縷の望みと先行きの見えない恐ろしさを感じながら、ミレイユを見つめる。


「あまりヤキモキさせるのも悪いしな、最初に結論から言おうか。今日はお前に、転校を勧めに来た」

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