外から来たモノ その4

 結界の中に音はなかった。

 ないというより、外からの音が入ってこないのだと理解した。遠くに聞こえていた車の音、風が揺らす木々の葉音、そして様々な生活音、それがこの世界にはない。

 奥には不思議な孔とでも呼べばいいようものが、空中にぽっかりと空いている。

 まるで現実味のない騙し絵でも置いているのではないかと錯覚するような孔が、奥行きも内部も伺わせない黒い孔が浮いている。


 そして目の前、数十メートル先には、醜悪な顔をした小男が複数人いた。

 土気色をして、髪はなく耳が長い。口からは牙が覗き、唾液を流すままに垂らしている。頭部には親指程の小さな角を持ち、短い小さな棘付きの尻尾を持つ。目は赤く爛々と輝き、獲物を探してせわしなく動かしていた。


 その数五人、あるいは五匹というべきか。

 それが一斉にミレイユ達を見つけ、歓喜か威嚇かの声を上げる。


「ギャッギャ!」

「ギャギャギャ!」


 アキラは身の毛もよだつ、という言葉の意味を初めて知った。

 背筋から冷たいものが這い上がり、頭頂部まで達して身を震わせる。悪寒のようなものが首筋を這い回り、思わず恐怖で体が固まる。


 ミレイユは容赦なくアキラを前に押し出し、自らは一歩横にずれる。

 背後からアヴェリンが出てきてミレイユの前に立ち、続いて現れたユミルがアキラの後ろに立つ。


「あら、インプじゃない」

「しかも小物だ。相手にする程の敵じゃない」


 ユミルの軽快な声とは反対に、アヴェリンの声は憮然として低かった。

 やんわりと背中を押され、二歩、三歩と前に進む。

 明らかに戦闘態勢を崩し、腕を組んでしまったアヴェリンが、顎をしゃくって敵を指す。


「ほら、さっさと行け」

「え、あの、注意点とか、そういう助言はないんですか……!?」

「あるか、そんなもの」


 アヴェリンは目に見えてやる気を失くし、ユミルもまた苦笑している。

 ミレイユはどう言うだろうと背後を振り返ってみれば、どこからか出した座り心地の良さそうな椅子に腰を下ろし、その肘掛けに腕を立てて頬を乗せている。


「え、あ……!? そんな無防備でいいんですか! 戦場なんですよね!?」

「……うん、形の上では、そういう事になるんだろうな」


 歯切れの悪い言い分に、アキラが少し不安になったところで、アヴェリンが襟首を掴んで前に突き出す。


「いいから行け。行かねば、あちらから襲ってくるだろうが。臭いんだよ、早く片付けろ」

「あの、フォローがあるとかないとか……!」

 

 ついにはアヴェリンに蹴り飛ばされ、アキラは情けない悲鳴を上げながら敵前に投げ出される事になった。

 既に臨戦態勢になっていたインプは、獲物を前に連携も考えずに突っ込んでくる。

 アキラは咄嗟に刀を抜き、鞘をその場に捨てて両手で構えた。




 実際のところ、敵の動きはお粗末、その一言に尽きた。

 一直線に向かってくる敵は数の利を活かそうともしていない。肩をぶつけ合って近付いて来る様は、下手な野生動物よりも知性を感じさせないものだった。


「師匠がやる気を失くすのも理解できるけどさ……!」


 理性なき獣以下とはいえ、アキラにとっては十分脅威だ。

 殺す気で近付いてくる人型をした獣など、その眼で見たことすらない。

 それに、やはり人型である事が躊躇を生むのだ。殺されたくなければ殺すしかない。それが分かっていても忌避感が生まれる。


 幾度となく繰り返してきた素振りは、確かにアキラの身に染み付いて、意図せずともいつもどおりの動きを見せてくれるだろう。

 しかし、それで命を奪う想定などしていない。


 身が竦む。

 生と死の葛藤がある。

 自分の死より敵の生を優先するつもりはない。

 しかし、それでも。


「ギャッギャギャ!」


 一匹が突出して、アキラに飛び掛かってきた。大きなものではない、飛んだというより跳ねたという方が正しい。だが、人のものより優れた瞬発力は、アキラの予想を上回る速度で襲ってきた。


「うわっ!」


 咄嗟に刀を振るって迎撃する。

 殺す度胸までは据わっておらず、そのため少し驚かす程度、肌を傷つける程度に小突いたつもりだった。

 しかし、その刃の切っ先はあっさりと身体を貫通し、思わず振り払った動作で身体を斬り落とす事になった。


「な……!?」


 まるでゼリーにスプーンを突き刺したような感覚だった。

 あまりにも抵抗なく切っ先は沈んだし、ろくな抵抗もなく刃が身体の外に出た。抜いたのではない、払う動作で身体を抜けたのだ。


「ギ、ギ、ぎぃぃぃ!」


 インプは腹を抑えたが、そこから内蔵が零れ落ちて膝をつく。口からも血を吐いて、遂には頭から倒れて痙攣した。地面に血溜まりが広がっていく。


「ギギ、ギャアアア!」


 それを見たインプは、仲間の死に逆上したようだった。

 より直線的、直情的にアキラに爪を振るおうと走り寄ってくる。


 アキラは未だに手に残った奇妙な感触に戸惑い、とにかく近付いてくる敵が怖くて刀を振るった。初めから殺すつもりもなく、ただ肩を打っただけのつもりだったが、刀はあっさりと肌を斬り裂き肩を落とした。


「ギイィィ!!」


 肩から吹き出す血を抑えようと、残った手を傷口に当て出血を止めようとしているが、そもそも痛みに悶絶して、止血もままならないようだった。

 他のインプは傷の手当や救助など頭の隅にも浮かばないらしく、一瞬動きを止めたものの、即座にまた襲いかかってくる。

 仲間が二人やられたというのに、その戦意が衰えないのは、逆に恐ろしさを感じた。


「う、うわ、わっ!」


 とにかく大振りに腕をふるい、爪で抉ろうとしてくる。

 しかし、大振りの攻撃は幾らアキラが実戦慣れしていないとはいえ、避けるに易い。

 跳ねるように横に避け、別のインプが更に攻撃をけしかけるも、更に後ろへと避けて逃げる。


 インプの一体と目が合う。

 赤い目は怒気と殺気で、どす黒く染まっているような気がした。

 振り上げて来た腕を、咄嗟に払う。

 何の抵抗もなく刃が通り、肘から先が宙を飛び、血が吹き出す。


「ギィ、ギイィィ!!」


 アキラの顔面に血が数滴、付着する。

 だが、このインプは腕が落ちた程度で怯まなかった。更に追いすがり、飛び掛かって口を開く。乱杭歯のようになった牙で食いちぎろうとしているのだ。


 アキラは両手で握った柄の頭で、その顔面を殴打して地面に落とす。

 尚も顔を上げ腕を伸ばそうとするインプを、恐怖と共に蹴り飛ばす。単なる忌避感から来る行動だったが、それが思いの外よく当たり、インプの身体は二度、三度と転がっていった。


 更に二匹が左から襲ってきた。

 両手を振り上げ、頭から振り下ろそうと飛び上がってくる。

 それを突きで迎撃しようと切っ先を向けたが、すぐ貫通してしまうと思って切っ先をずらす。それが敵の接近を許す事になった。


「――しまっ!」


 振り下ろされた爪が、アキラの頭に命中する。

 両腕で庇いながらも、咄嗟に目を瞑って背けてしまい、敵の攻撃が分からない。来ると思ったタイミングで頭に衝撃が走り、咄嗟に後ろへ逃げた。


 ――頭で受けたのは失敗だった……!

 独白も反省も、今は意味がない。

 怪我の具合は分からないが、血が出る感触はない。思考は鋭く目もしっかり見えている。

 ――問題ない!


 戦える事を認識しつつ、目の前にいるインプに集中する。

 殺さなければ、殺されるのだ。

 アキラは武者震いか、あるいは恐怖かで腕を振るわせながら、インプの頭目掛けて刀を振るう。

 上から下へ、一直線に振り下ろす唐竹割り。

 一切の抵抗のないまま顔面を両断し、血を吹き出しながら白目を向いて倒れた。


「はぁ、はぁ、はぁ……!」


 動いた時間も、振るった時間も僅かなもの、しかし動悸は全力失踪した後よりも激しく、呼気は時間が経つごとに荒くなっていく。

 無傷のインプは残り一匹、尚も戦意を失わないインプに対し、今度はアキラから仕掛けた。


 特別に早い一足ではなかった。

 それでも三歩地を踏んで、四歩目で踏み込むと、一気に接近して頭を割る。

 抵抗らしきものはあった。腕をふるい、威嚇しながら牙を見せていたが、それがアキラの一刀には何の意味も成さず、口から血の泡を吹き出して倒れる結果になった。


 アキラは他のインプを倒そうと、背後を振り返ろうとした時だった。

 強い衝撃と共に突き飛ばされる。

 攻撃されたのだ、と直後に気付いた。


 追撃を避けようと、横へ逃げるように地を蹴り、身を捻って相手を確認する。

 そこには最初に腕を切り飛ばされ、悶絶していたインプがいた。


 死ぬまで襲う事を止めない、そんな事は予想できて当然だった。

 アキラは歯を噛み締め、その間から息を吐き出す。震える身体は恐怖からばかりではない、戦意の漲りからも来るものだ。


「……シィッ!」


 アキラは地を蹴り、刀を振るう。

 血を大量に失い、動きが鈍くなっているのは確かなようで、アキラの上段からの振り下ろしは躱せても、続く切り払いには対応できなかった。

 喉を切り裂かれ、血に溺れて地面に沈む。


「まだ、あと……一匹!」


 視線を巡らせれば、それはすぐに見つかった。肘から先がない、目ばかりが爛々と輝くインプが。インプは明らかに怯み、恐怖していた。

 仲間が全て殺されたなら、それも自然な事に思えたが、しかし逃げたり退くという思考はないようだった。

 大きく一言叫ぶと、不利を承知で突っ込んでくる。

 アキラはそれを冷静に対処し、腕の振り下ろしを一歩後ろに下がって避け、隙だらけになった頭部へ刀を落とす。

 スコン、と綺麗に振り抜かれ、目から鼻から血を流しながら、最後の一匹が倒れた。


 脱力したように腕を下げ、それでも刀は手放さずに、切っ先から血がポタポタと滴る。

 一応の警戒に辺りへ視界を巡らせても、立っている者も、そして動いている者もいない。


「ハァ、ハァ、ハァ……!」


 そこには、ただアキラの荒い息遣いだけが響いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る