外から来たモノ その5
「ま、よくやったんじゃない?」
遠くに立っているユミルの声が、やけに鮮明に聞こえた。
荒い自分の息遣いの間を、縫うようにして聞こえた声に、アキラは声の主へと顔を向ける。
そこでは出来の悪い弟を褒める姉のような、優しい笑顔が浮かんでいた。普段はニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべているだけに、この表情のギャップに、アキラは思わずドキリとした。
「初陣だしな。もっと泣いたり叫んだりするものかと思ったが……、まぁ傷もなく何よりだったな」
アヴェリンのつまらなそうな表情で言われ、アキラは咄嗟に傷を受けた頭へ手を当てる。
攻撃を受けた場所に痛みはなく、最初に受けた衝撃以上の怪我は作られなかったようだ。擦り傷どころか瘤さえも、指の感触から伝わってこない。
爪が鋭いようには見えなかったが、それでも獣によく似た爪なのだ。無傷であるう事は逆に不自然に感じた。
「あ……!」
だが一つ思い当たる節があって、アキラは咄嗟に指輪を見る。
人差し指に嵌めた指輪は何の反応も返しはしなかったが、それでもこれが効果を発揮した結果だと理解した。そしておそらく、胸当ての奥にあるネックレスも、同様に仕事をしてくれたに違いない。
「この道具のお陰ですか……!」
「そうだな。あれは特別弱い敵だから無力化できていた。それが当たり前とは思わないことだ。本来なら、それを頼りにしない立ち回りをするものだ」
「う……、はい」
「少しは褒めてやりなさいな。見ている最中だって、まぁ不機嫌そうにしていたんだから……」
「そんな駄目でしたかね……」
アキラが肩を落として言えば、アヴェリンは容赦なく頷く。
「あれに褒める要素があったか? 駄目だったに決まってる」
「不機嫌っていうのはね、単に腹を立てたのとは、ちょっと違うのよ。ハラハラして助けに入りたいのに入れない、そういうジレンマで不機嫌だったの」
「そうなんですか!」
アキラが笑みを浮かべてアヴェリンを見れば、返ってきたのは平手打ちだった。
「そんな訳ないだろう。真に受けるな」
「はい、すみません……」
頬を擦りながら、ふと視線をずらすと、奥に見えていた孔が鳴動しているのが見えた。
まるで孔そのものが鼓動するように動くと、一際大きく広がり、中から何者かが出てくる。穴の縁に手をかけ、両手で押し広げるようにして顔を出し、肩を出し、そして足を出した。
身体が全て孔から出ると、孔は役目を果たしたように縮んでいき、ついには完全に閉じて消えてしまう。
残ったのは、灰色をした醜悪な人の形をした何かだった。
目は小さく、反して口は大きく下顎から牙が見えていた。肩は大きく盛り上がり、腕も筋肉質で太い。しかし腹も大きく盛り出て脂肪の塊のような有様だった。
腕や腹に反して足は短い。筋肉質ではあるものの、その短足ではバランスが取れないのではないかと心配してしまう程だった。
それが全長二メートル半という巨体で、こちらを睥睨している。
アキラは荒い息も忘れて呼吸が止まる。
先程のインプなどとは比べ物にならない脅威が目の前にあった。アキラは相手の戦力を正確に測るような技量を持たないが、まず間違いなく自分は相手にならないと、それだけは確信が持てる。
インプを見て身を竦ませていたアキラとしては、今にも外聞を捨てて逃げ出してしまいたい衝動に駆られた。
アヴェリンの顔色を窺ってみると、そこには先程と変わらない表情があった。相変わらず気負いもなく淡々としている。ユミルの方を見てみても、やはり動揺はない。
「そうだ、ミレイユ様は……!」
何故か椅子に座って観戦モードだったあの人はどうしてるのかと思えば、変わらず椅子に座ってつまらなそうに欠伸をしていた。
ここまで全員が全員この態度だと、実は見掛け倒しで脅威でも何でもないのでは、と思えてしまう。戦闘後の高揚感が変に作用してしまっただけなのかも。
アキラは物は試しと聞いてみることにした。
「あの……、あれってさっきのインプと比べて強いんですか? 仮にインプが一なら、あれを十段階で教えて欲しいんですけど」
「――百だ」
簡潔な返答にアキラは目を剥く。
では、感じた脅威は何も間違いではなかったという事だ。アキラは自分がどう動けば良いのか、咄嗟に判断できなかった。
新たな敵とアヴェリン、ユミルとミレイユへと視線が行き来して、右往左往するだけで何をするでもない。
そうこうしている内に、敵が動いた。咆哮と共に、こちらへ突進してくる。
「ゴオオオオオオ!!」
咄嗟にアキラは逃げ出した。恥も外聞もなく、振り返って全速力でミレイユの方へ駆け出す。置いて逃げた罪悪感に振り向くと、アヴェリンとユミルは何やら言い合いをし始めた。
「私がやる。当然だろう」
「いや、でもアンタ、この前デカブツ相手はつまらないって言ってたじゃない」
「あれは単なるデカブツだ。殴ったところでつまらん奴だった。だが、こいつは殴り甲斐のあるデカブツだ。当然、私が殴るに決まっている」
「その変な理屈を振り回すのやめてよね。アンタがやると何もかも吹っ飛ばすコトになるでしょ? アイツの胆嚢が欲しいのよ、アタシは。内蔵とか無事にしながら殺せないでしょ?」
「普段は気にせず殴るから、そうなるだけだ。気にすれば大丈夫に決まっている。じゃあ頭を殴ればいいんだろう?」
「やめてよ、あれの牙も欲しいんだから。とにかく何もしなくていいの。単に見ているだけでいいから。難しいコトじゃないでしょ?」
突進してくる大男など気にも留めず、二人は言い合いを続けている。
そんな事してる場合か、と口に出して叫ぶ、その直前だった。
既に大男は二人の眼前に迫っており、その大きな腕を振り上げている。二人は已然、言い合いを続けていて、敵に注意を払っていない。
ミレイユに助けを求めようと振り返れば、足を組み替えながら身をよじり、背後の方を窺っている。アヴェリン達より結界の外の方が気になるようだった。
「何の助けにもならない……!」
アキラが再び振り返ろうとするのと同時、大きな衝撃音が耳を貫いた。
見れば、振り下ろされた敵の腕を、アヴェリンが左手の盾で受け止めている。見える横顔は苦渋に歪むでもなく、さっきと変わらぬ淡々とした表情に見えた。
「とりあえず倒すぞ」
「いいわ、頭はアタシが」
短い会話の後、右手に持ったメイスで片足を払い、腹を叩く。
先程とは比べ物にならない衝撃と共に、敵は横倒しになり、地面に叩きつけられる。口から血やら胃液やらを撒き散らし、悶絶したところで、ユミルが手から雷を飛ばし意識を焼き切る。
一撃だけで終わらず、更に近付いてもう一撃を加え、完全に絶命したのを確認した。
何の造作もなく、あまりにも呆気なく敵が倒された。
アキラが呆然としている間に、二人はまた口論を始める。
「だから、何で腹を殴るのよ! 胆嚢が駄目になっちゃうかもしれないでしょ!」
「殴りたかったからだ! それに殴る場所はしっかり考えてる! 胆嚢がある場所はしっかり避けた!」
「出来てないから言ってんの! 絶対、あれ潰れてるから!」
「だったら、すぐに腹を捌いて確認してみろ! 無事なら文句ないだろう!」
「その結果良ければの考え方やめなさいよ!」
いつまでも続けそうな二人を置いて、アキラはミレイユの元に帰る。途中、刀の鞘を回収して刀を納め、何故だか遣る瀬無い気持ちのままミレイユの元に辿り着いた。
それと同時にミレイユは椅子から立ち上がり、手に光を灯して消し去りつつ、アキラの方へ振り返る。
「おつかれ。どうだった、初陣は」
「いや、なんかもう。なんていうか、もう……。何ですか、最後の。全っ然、緊張感ないし……」
ミレイユは苦笑して、帽子のつばを摘んで深く被る。
「まぁ、そうだな……。アレぐらいだと緊張感を出しようもなかったというのが本音だが。しかし、お前にはいい経験になったろう」
「なったかと言われれば、間違いなくなりましたけど……。僕なりに結構頑張ったんですけどね……」
「勿論、そうだろう。本当はもっと死ぬ目に遭って欲しかったんだが……」
「え、いま何て言いました? 死ぬ目?」
「いいや、無事で良かったな、と言ったんだ」
「嘘ですよね? 死ぬ目って言いました。絶対言いました!」
ミレイユは言い募ろうとするアキラをぞんざいに横へやり、帽子を取って上空を見渡す。
空には罅が入り、遂には割れて、それで一気に外の喧騒が戻ってきた。
異変を察知した二人も、言い合いをやめて戻ってくる。ルチアも傍に寄ってきて、それでこれが異常ではなく、自然な状態に戻ったのだと説明が入った。
「つまり、中にあった孔、あれの消滅と魔物の生命活動停止、それがトリガーになって結界が消えるという事か?」
「そうなります。ところで、死体はどうなりました?」
ルチアの疑問にユミルが答えた。
「目の前で消えたわ。結界の消滅が、死体の消滅も兼ねているみたいね」
「結界の中の異空間ごとの消滅が、そういう死体の露呈を防ぐ機能も成しているわけか」
「なかなかよく出来てますね。後片付けが必要ないっていう点は、称賛に値しますよ」
ミレイユが興味深そうに、今は消えてしまった結界、そのあった場所に視線を巡らす。
「なるほど、自動化されているとは、こういう事か。……抜け目ない」
そうして視線を巡らせた先で、動きを止める。
注視したまま微動だにせず、右手に光を集めようとして、不意に掻き消す。
「……ミレイ様、どうされました?」
アヴェリンもまたミレイユの見ていた方向に目を凝らすが、何かを見つけた訳ではないようだった。首を振って再びミレイユの方に視線を戻せば、再び帽子を被り直したところだった。
「いいや、勘違いだ。――さ、撤収だ」
「そうね、討伐部隊は終ぞ現れなかったし、これから出てこられても面倒だし」
「実際、どうなんでしょうね? 結界があるなら、これから私達は来なくてもいいんでしょうか?」
「それは鉢合わせしてから考える。これを悪事だと糾弾されるとは思えないしな」
ですね、とルチアが頷いたが、それと同時に神妙な顔をして一つの仮説を開陳した。
「これって、結界があるから討伐もある、と考えるのは逆かもしれません。最初の仮説を思い出してくださいよ」
「何者かが呼び出しているっていう?」
ユミルの指摘に、大いに頷く。
「その仮説、まだ捨てるべきじゃないと思います。中に魔物がいましたし、出られないような結界でしたが、自動消滅する結界でもあったじゃないですか」
「そうね、魔力反応だか、魔物反応だか、そういうのを感知できなくなったから消えたんでしょ? 後処理もしっかりしてね」
「ですよね。でも、それってもしかしたら失敗を悟ったからじゃないかと」
「誰かが監視してたって事?」
ユミルが首を傾げれば、ルチアは手を振って否定する。
「いえ、自動化されてるんです、そういう場合だけじゃないと思うんです。中に魔物がいて、そこへ追加で現れて、そうして魔物が複数いたら、その後どうなると思います?」
「……んー、異なる種族の場合、捕食者がいるかどうかで変わってくるわよね?」
「そこですよ」
ルチアはぴんと人差し指を立てた。
「あれ、もしかしたら蠱毒かもしれません」
「まさか……」
「有り得ないですかね?」
壺の中に毒を持つ虫を複数入れて食い合わせる。そして生き残った虫が持つ毒は、どの毒よりも優れたものである、と考える。それを繰り返し、強力な毒を作り出す邪法こそ、蠱毒と呼ばれる方法だった。
ミレイユは神妙な顔をして腕を組む。
「あれはより強い魔物を呼び出す装置か、あるいは作り出す事を目的としたものだというのが、ルチアの主張か?」
「そうとも言えますが、つまり最悪を想定したいんです。単に喚び出すだけに自動化された、と考えるより、より効率よく蠱毒を形成する為に作られた、と。蠱毒の虫が全滅することは、決して珍しい事ではないのですから」
「なるほど……自動化とは、そういうことか」
アヴェリンは難しい顔で二人を見比べる。
「つまり、見つけ次第壊しに行く、という結論は変わりないと思っても?」
「そうだな。仮に討伐部隊がいるのなら、接触があっても問題ない。注意ぐらいは受けるだろうが、ならば今後はお任せします、とでも言えばいい」
「むしろ逆の場合、事態は相当面倒な事になるワケね……」
神妙な雰囲気になったところに、アキラが奮起して刀を捧げる。
「だったら、僕も頑張りますから! 出来る限りのこと、やってみせます!」
「それはいいけどねぇ、トロールに逃げ出すようじゃ、とても言わせておくコトは出来ないわねぇ」
「え、あの……、そういう名前だったんですか、あのデカいの」
「そうだ。お前、よくも師匠を置いて逃げ出せたものだな」
「い、いや、でも、あれは仕方なく……」
「仕方ないかどうか決めるのは、師匠である私の役目だ。――明日から覚悟しておけ。お前の出来る限りとやら、私が出来るだけ高めてやる」
アヴェリンの視線は剣呑そのもので、修行というより制裁に近いイメージが、アキラの脳裏をよぎった。助けを求めて左右を見渡しても、苦笑が返ってくるばかりで見捨てられているのは明白だった。
逃げ出そうと身を屈めたら、アヴェリンの視線が獰猛な色を宿している。
もはや逃走は不可能なのだと悟らざるを得なかった。
ションボリと肩を落としたところで、ミレイユが声を上げる。
「――帰るぞ。帰るまでが遠足だ」
「いいけど、遠足って何よ?」
ユミルが素朴な疑問を口をしながら、二人が魔術を行使する。それぞれの両手に光が灯り、ミレイユの魔術が身体能力を底上げし、ユミルの魔術が姿を隠蔽させる。
無人となったマンションの駐車場から、アキラの叫び声がドップラー効果を持って過ぎ去っていった。
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