外から来たモノ その3

 吐気を堪えている内に、急制動でミレイユの動きが止まった。腰に回されていた腕がぞんざいに振り払われ、アキラはされるがままに落とされる。

 ヨロヨロとその場に座り込んで、その横へ追いついたユミルが立った。

 目の前にあるのは住宅地に作られた市営マンションで、同じ形をした棟が幾つも並んでいる。側面にはBというアルファベットが大きく印字されてあった。


 マンションの周りは柵で囲まれ、入り口近辺には駐車場が用意されている。

 その駐車場に入る直前で、アヴェリンとルチアが待機していた。辺りを注意深く観察しているのはアヴェリンで、ルチアは空中に手を翳して何か調べ物をしている。

 まるで壁に手を置くパントマイムのようだが、手に光を発して淀みなく動かしているあたり、遊びでやっていないのは明白だった。


「どうなってる」


 ミレイユが簡潔に聞くと、ルチアは目の前に集中しながら言葉を返した。


「ここに結界が張ってあります。外側から入る者を拒むのではなく、内側に入った者を出さないタイプの結界ですね。中をざっと調べましたが、既に魔物がいることは間違いありません」

「そいつらが作った結界だと言うのか?」

「違います。この結界は未知のものですが、感知できた敵に未知のものはいませんでした。中にいる魔物ではなく、何か別の存在が作った結界。それが私の結論です」

「……なるほど」


 ミレイユは頷いて腕を組む。

 アキラがそれを下から見上げた範囲では、ミレイユは特別脅威と思っていないと感じられた。泰然として、ただ目の前にあるものを見つめている。


「では、いま見ている光景はまやかしか」

「はい。しかし、ただ見えなくなっている訳ではないですね。『入れる』者もまた限られているので、何も知らない人がうっかり入ってしまうような事故も起き辛い設計です」

「入る条件は?」

「特にないです。――ああ、私達にとっては、という意味で。魔力総量で判別しているようなので、持っている者ほど容易く入れ、また出られなくなるようです」


 解説を聞き終えたユミルが、困った顔をして首を傾げた。


「それじゃ、中にいる者どもはどうでもいいとして、アタシ達まで出られなくなるってコト?」

「そこがちょっと分からない点でして。どうも、中にいるのは魔物だけで、術者がいないんですよ」

「そんなワケないでしょ。これだけの結界を張って、術者は敵前逃亡したとでも言うの?」


 小馬鹿にしたような口調だった。

 ルチアに対する、というよりは、その術者に対する嘲笑のように感じられた。


「でもですよ、この結界、術者の意志が感じられないんですよね。結界に対する設計意思は見られます、癖もある。でも作成時に移ってしまう、封じる思念がありません……。術者がこの場にいて作ったなら、そんな事は起き得ません」

「……確かに」ミレイユが遠くに視線を飛ばし睥睨する。「この結界にはムラがない。あまりに均一で定規で測ったような厚さの結界だが、そんなもの人には無理だ。機械的……そう、自動的とでも言うべきなのかもしれない」


 ユミルは小さく鼻から息を飛ばし、視線を巡らす。


「その自動的にも機械的にもピンと来ないけど、人間味がないという部分については理解したわ。術者がいないというなら、討伐部隊か何か……これからここに来るというコトで良いの?」

「可能性は高い」


 ミレイユは頷き、魔女帽子のツバを人差し指で持ち上げた。


「これが魔物を感知して自動的に張られた結界だとすれば、この均一な結界にも納得がいく。魔物の魔力を感じたと同時に張られるような、そういうシステム化した結界があるのだろう」

「感知と同時に結界ですか……」


 ルチアが頭上を見渡し、そして幾つかの点で動きを止める。そして指差し確認するように、全員の視線を向けさせながら、次々と横へ奥へと指摘を移していく。


「あの線、そしてあの線、そして点と点が結びつく。つまり、そういう事ですかね?」

「うん? 電柱に電線か?」

「ええ、そのデンセンに魔力が微弱に伝わったいるのは、以前話したとおりです。では何故流す必要があるのかと言えば、この感知に必要だったのではないかと。そしていざとなれば結界を張る為ではないのかと、そう思う訳です」


 ミレイユはその指摘を真面目に吟味し始めた。

 ――あり得なくはない。

 いつ、どこで、何が出てくるか分からないモノを、現代で秘匿しようとするのは至難の業だ。しかし、この現代でどこにでもある送電線を使った警戒網を作り、そしてそれを活用した結界を組めるというなら、魔力を流す理由として十分ある。


 そして消防署が火事の通報と同時に出動するが如く、発生した結界に向けて討伐部隊が駆けつけるという訳だ。

 理屈の上では良いように思う。

 だが、それなら既に――。


「ならば何故まだ討伐部隊が来ていない? 我々が察知し駆けつけて、既に十分が経過しようとしている。まさかサイレン鳴らして急行して来る訳でもないだろうが、だとしても、そろそろ姿を見せてもいい頃合いだ」

「私は部隊の人じゃないので分かりません。そもそも戦う意志があるのかも疑問ですし」

「どういう事だ?」

「閉じ込める事に成功したんですから、そのまま放置してしまっていいんじゃないかという話です」


 アヴェリンは武器の柄に手を載せながら、怪訝に眉を寄せた。


「それは……、どうなんだ? 臭いものには蓋をすれば解決か? 橋の下の水面は見えないからどうでもいいと?」

「いやいや、私に凄んでどうするんですか。可能性の話ですよ、あくまで。危険を冒して討伐するより餓死して待つ方が賢明だと、そう考える人がいるのかも、と思っただけです」

「別に餓死するまで待つつもりがなくても、急いで結界に向かう必要はない、と考える事はあるかもねぇ」


 ユミルが訳知り顔で頷いた。頬に手を当て、アヴェリンへ煽るように笑いかける。


「誰だって怪我なんかしたくないし、誰だって敵の頭を砕いて回りたくはないでしょ? 誰かさんはどっちも大好きだけど」

「戦うのは戦士の義務だ。己が武勇を示すのに、その場があっても赴かんと言うのか? それこそあり得ん話だ」

「その戦士っていうのがね……。誰もが戦士じゃないのよね」

「だが戦士はいる筈だ。必ず、どこかに。このアキラとて、無力ながら己の勇気と気概を示した。それ以外には誰もいないと? よくもまぁ、これだけ人がいて、たった一人を見つけられたものだ」


 アヴェリンは腕を広げて、周辺の住宅を仰ぎ見る。

 ユミルは思わず苦笑した。


「ま、そうね。戦士がいるかどうか、それはこの際いいわよ。いるってコトにしときましょ。……で、それが今、ここに来ようとしているのなら、アタシたちはどうするべき? 帰る?」

「――あり得ん。敵を前にして逃げるなど、戦士の恥だ」

「ンンン……、そういうコトじゃなくて。その戦士殿と鉢合わせするコトに対するリスクを考えないといけないでしょ? 結界があった、対処の意志はある、じゃあ戦士もいずれ来るだろう。こう考えた場合、今にも横から現れるかもしれないんだから」


 アヴェリンは大きく息を吸って、体の熱を冷ますかのように息を吐いた。そうしてミレイユの視線を感じると、素早く向き直り、頭を下げる。


「ミレイ様のご下命も待てず、下らぬ事で問答しました。申し訳ございません。全ては指示の通り動きます」

「うん。では方針を伝える。――戦え」

「ご下命のままに」


 アヴェリンが頭を下げたまま、力強く返答した。頭を上げて、肉食獣のような獰猛な笑みを浮かべた。

 ミレイユは続ける。


「とはいえ、警戒は続ける。急行してくる部隊のようなものが接近してくれば、即時の撤退も視野に入れる。ルチア、頼むぞ」

「はい、じゃあ私は外で待機してますね」


 ルチアが手に持った杖を小さく掲げて、了承の意を示した。

 ミレイユは次にユミルへ顔を向ける。


「ユミルは前衛のフォローだ。適切に距離を取り、何かあれば応戦しろ。危機的状況にならない限りは手を出さなくて良い」

「了解よ」

「――そして、アキラ」

「は、はい!?」


 ミレイユは未だに地べたに座り込んでいるアキラに視線を向けた。


「お前もアヴェリンと同様、前衛として戦え」

「あ、う……は、はい!」


 アキラは慌てて立ち上がる。膝に力を入れようと、太腿あたりをガンガンと叩き、屈伸を始める。アヴェリンはそれを不安げな視線で見ていたが、結局何も言わなかった。


「初の実戦だ。不安があって当然だろうが……アヴェリン、よく見てやれ」

「いっそ、メインで戦わせますか? 敵の数次第では、それも宜しいかと」

「そうだな……」


 ミレイユは考え込むように視線を動かしたが、幾らもせず直ぐに頷いた。


「敵の数が多ければ、間引け。そうでなければ、誘導してけしかけろ」

「お任せを」

「け、けしかけられるんですか!」

「敵の数は調整させる。いい加減、覚悟を決めろ」

「き、決めてきたつもりでしたけど……!」

「じゃあ、頑張れ」


 ミレイユは視線を切って、アヴェリンに向き直る。肩を抱いて口元を、その耳に近づけた。


「見ての通りだから、あまり可愛がるのはやめてやれ。だが、甘い真似もしなくていい」

「……そのように」


 耳元から口を離して、ミレイユはアキラの元へ戻り肩を抱く。

 殆ど無理矢理に近い形で、結界の入り口までアキラを誘導し、自らその空間に手を伸ばした。

 腕を差し入れた場所が水面になったかのように波紋が広がり、そして手首から肘まで飲み込まれていく。肘から肩へ、更に身体へ進むに連れ、アキラもまた一緒に水面へ身体を潜り込ませて行く。


 アキラは思わず息を止めた。それが意味のない事だと理解しつつも、本能のようなものが働き身を固くしてしまう。

 進む一歩が重く感じ、何か遮るものが全身を包んだ瞬間、ぷつりと突き抜けるような感触と共に中へ入った。

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