生死急転 その5
「な、に……!?」
しかし、驚愕の声が漏れたのは、突き刺した方のミレイユからだった。
剣は乱回転する水流に絡め取られ、背中を僅かに突き刺しただけで止まっている。
取り戻す事も難しいと判断したミレイユは、即座に手放して大きく後ろへ跳躍した。
その直後には、ミレイユの立っていた場所に、幾つもの線状をした水流が突き立っては消えて行く。
槍よりも、水弾よりも、なお細い水の線は、まるでピアノ線のように見える。
当たりどころによっては致命的だったろうし、そして致命的といえる瞬間を狙って、使ったものでもあるのだろう。
あれは武器というより、暗器というべき攻撃だった。
あぁなると、怒りを顕にした事、背中を見せた事まで、計算ずくだったような気がしてくる。
格好の餌に食いついたと思ったが、むしろ食いついたのはこちらの方だったようだ。
「くそ……っ!」
ラウアイクスが向けて来る視線は、今や冷徹に観察するものに変わっている。
ミレイユの懸念は正解だと、今更になって分かった。
ラウアイクスは、その観察も済むとつまらなそうに表情を変え、奪い取った召喚剣を持ち上げた。
直接手に取って、持ち重りなどを調べるように軽く剣を振るう。
――余りに迂闊な、軽率な行為。
ミレイユは今度こそ、内心で盛大にほくそ笑んで、拳を持ち上げ握り締めた。
僅かな魔力を送り込み、召喚剣に封入された魔術を解き放つ。
「――起爆!」
その瞬間、爆発と共に、周囲に暴風が吹き荒れる。
アキラも吹き飛ばされたが、受け身はしっかり取っていた。
ミレイユの方は身動ぎせずに、爆炎に飲まれたラウアイクスを油断なく見つめていた。
ミレイユがアヴェリン達の様に、自前で武器を持たないのは、こういう時の為だ。
召喚剣は奪われようと利用される前に消滅させれば良いし、再召喚すれば手元に返って来る。
今回のように、武器を奪ったと油断した相手には、トラップ代わりとして利用も出来た。
本来なら強度が低く、強者ほど武器として不満の出る召喚剣だが、何事も使い方次第で化けるものだ。
とはいえ、同じ使い方は他の誰にも出来ない、とユミルから呆れられたのも忘れていない。
――だから、という理由もあるのだろう。
武器の中に魔術を仕込んでいるとは、ラウアイクスも予想していなかったのではないか。
ミレイユの事は多く調べていた筈で、その攻撃方法や使用魔術まで知っていたと思っていても不思議でないから、この手法もまた知られていたと思っていた。
単に、調べ方が甘かったのか、或いは――。
ミレイユがその様に考えていると、次第にラウアイクスを覆っていた煙も晴れる。
爆発の余波により、周囲の氷も溶けかけていたが、それも再び凍り付いた。
ラウアイクスを中心として、津波のように盛り上がった氷の模様は、花弁を連ねた広がりを見せ、一種異様な芸術作品かのように見える。
「……だが、やはりか」
至近距離で発動した『爆炎』の上級魔術だが、大した痛痒を与えられていない。
それは晴れた煙の奥に見える、ラウアイクスの姿からも確認する事が出来た。
多少、髪の毛先がチリついていたり、肌に軽い火傷があるだけだ。
起爆されても困らない、ダメージを受けないと分かっていたからこそ、無防備に召喚剣を拾ったに過ぎなかった、という事だ。
ミレイユでさえ、防壁術が間に合わなくとも、咄嗟に防膜へ防御を集中すれば、似たような事が出来る。
しかし、不意を打たれたなら、その咄嗟も出ないかもしれない、と期待していたのだが……そう甘い相手ではなかったようだ。
戦闘慣れしていないのは事実でも、咄嗟の判断力が高く、応用力も高い。
戦っていて、非常にやり辛い相手だった。
ミレイユは再度、剣を召喚しようと魔力の制御を始め、そして唐突に動きが止まる。
「ぐ……っ!」
いつもはスムーズな制御が千々に乱れ、胸の奥に幾つもの針で刺されるかのような激痛が走った。
到底、制御に集中できず、脂汗を垂らしながら胸を押さえる。
今にも血を吐き出しそうな痛みを堪えつつ、ラウアイクスを睨み付けた。
「おやおや……、随分苦しそうだな。戦闘中は魔力の消費が激しい……そうだろう? 命を削りながら戦っていれば、遠からずそうなる未来は見えていた。……私は待っているだけで、有利を取れると分かっていたからな」
「こんな、時に……ッ!」
ミレイユは血を吐く思いで、喘ぎ喘ぎして口に出す。
それをラウアイクスは、面白そうに観察していた。
「残りの寿命について、どの程度理解しているかは不明だが……。その口振りと、ルヴァイルの裏切りから見ても、全てを知っていると考えて良さそうだ。その上で殴り込んできた事には……まぁ、称賛してやっても良いが、最初から無謀な戦いだったな」
「……ハッ!」
汗は大粒となって顎先へ伝い、ミレイユは鼻で笑って、軽薄な笑みを浮かべる顔を睨み付けた。
では、最初から待っていたのは援軍ではなく、ミレイユの『ガス欠』だったという訳だ。
ミレイユは出し惜しみして勝てる相手ではない、と分かっているからこそ最初から全力だった。
制限時間はあると分かっていたが、ここまで早いとも思っていなかった。
それを見誤ったのは決して楽観ではなかったが、まだ来る筈がない、という懇願が強く出ていたからだろうと思う。
だが、これで風前の灯火だと悲観するほど、ミレイユは諦め良くもない。
ガス欠だろうと、まだ全て尽きた訳でも、尽きる寸前でもない。
具体的な数字で分かれば計算も立て易いのだが、こればかりはそうもいかなかった。
まるでミレイユの悲観を代弁するかのように、『破滅の氷晶』が制御から離れ、勝手に自壊して消滅してしまう。
それと連鎖して凍り付いていたもの全てが元の水に戻り、当たり一面の床を濡らした。
「虫の息だな。……だが、本当に死んで貰う訳にもいかん。『鍵』の役目を果たして貰うまではな」
「――ミレイユ様に触るな!」
無造作に近付き、手を伸ばそうとしたラウアイクスを、横合いからアキラが斬り付けた。
蒼白な顔に怒りを乗せて、精一杯の力で刀を振るうが、一瞬視線を向けただけで、気に留めもせず更に手を伸ばす。
アキラは完全に無視された形で、そこに水弾が雨あられと撃ち込まれる。
先程までとは、その量も、威力までも違う。
凍ってしまえば制御から離れてしまうこれまでと違って、阻むものが存在しない水流は、好きなように扱う事が出来るようになった。
部屋の奥で流れ落ちる緩やかな滝、そこから部屋の四隅へ溝を流れる水、そういったところから、縦横無尽に水という水が飛礫となって襲い掛かるのだ。
アキラも刀を振るい、躱そうと努力したが、数の圧殺によって幾つか当たる。
当たったからとて『年輪』が防いでくれるが、何しろ数が多すぎた。
次第に躱せる数も減り、遂には四方八方からの攻撃で『年輪』も割られ、そうして近付ける事なく吹き飛ばされてしまった。
「あぁぁあ……ッ!!」
水とはいっても、圧縮された水の塊は鉛にも引けを取らない硬さになる。
アキラは身体中に穴を開けながら吹き飛ばされ、床の上に無防備な姿で転がった。
それからはピクリとも身体を動かさない。
「アキラ……ッ!」
食い縛った歯の隙間から声が漏れたが、あまりにか細い声で、その耳に届いたとは思えなかった。
何かしようと思っても、痛みで頭ばかりでなく制御まで上手く働かない。
目前までラウアイクスが迫り、その手がミレイユに触れようとした時――。
「ミレイ様ッ!!」
アヴェリンの声が聞こえるのと、その一撃がラウアイクスを吹き飛ばすのは同時だった。
凄まじい衝撃音と共に部屋の奥まで吹き飛び、壁の中に埋もれる。ラウアイクスを中心にクモの巣状の罅が入って、ガラガラと瓦礫も床に落ちては水音を立てた。
「ご無事ですか……!?」
「あぁ……、怪我は……大した事ない……! だが、寿命がな……っ。落ち着けば、収まると思うが……!」
アヴェリンに肩を支えられたものの、それでも立っていられず膝を付いた。
脂汗が額を濡らし、それが顎先へと流れていく。苦痛に顔を歪めながらも、ラウアイクスへと目を向けた。
そこでは既に、彼が瓦礫を押し退けて立ち上がろうとしている所で、ミレイユは震える指先を前に向ける。
それだけで何を言いたいか察したアヴェリンは、ミレイユの前に立ちはだかって武器を構え、横顔だけ向けて吠える様に声を上げた。
「ルチア、早く診て差し上げろ!」
「分かってますよ。でもですね……!」
「大丈夫だ、怪我じゃない……。魔術を使われた、ところで……っ! ぐっ!」
ミレイユは胸を押さえて身体を丸める。
今はただ、この痛みが治まるまで耐えるしかなく、この身体が無理にでも捻出しようとするマナを待つしかなかった。
だが、頼りになる壁役が来てくれたところで、安心して水薬を口へ運べる。
震える手で口許まで持っていったところで、指が震えて上手く飲めない。ルチアの手助けがあって、それでようやく嚥下した。
全て飲み干してすぐ効果が出るものではないが、気持ちはずっと楽になるる。
吐く息すら震える始末だが、それでも幾らか余裕も出て来た。
その余裕のお陰か、そこでようやく一名足りない事に気が付く。
「ユミルは、どうした……。遅れてるのか」
「それは……」
ルチアは顔を背けて口を噤んだ。
如何にも気まずそうな表情からは、今は何も言いたくない、と明言しているようでもある。
後ろ姿で表情の見えないアヴェリンからも、その表情が不思議と読み取れる気がした。
それほど、彼女は分かり易い雰囲気を発している。
ミレイユは再び顔を戻し、ルチアの顔を覗き込んで聞いた。
「……死んだか」
「いえ、その……」
ルチアは顔を背けたまま、決してこちらを見ようとしない。
言葉を濁しているが、つまりそれが答え、という事だろう。
口の端から言葉にならない音が漏れ、痛みに震えていた息が、別の意味で震え出す。
ただでさえ千切れそうな身体が、心までも掻き乱し、到底冷静でいられない。
怒りと悲しみが綯い交ぜになり、体の奥底から生まれる感情とマナが入り乱れて、内臓を焼き尽くすかと思う程だった。
「はぁ、はぁ、はぁ……ッ!」
「落ち着いて、落ち着いて下さい、ミレイさん……! 大丈夫です、大丈夫ですから……!」
「何が、何が大丈夫だ……? 私の、はぁッ……身体の事か? それとも別の? はぁ、はぁ……ッ! 大丈夫なものか……!」
「落ち着いて下さい! 心を落ち着かせて、マナの生成を抑えなくては、無駄に浪費する事になりますよ……!」
「そんな事は、……く、くぐ……っ!」
分かってる、と言いかけた時、息すら出来なくなって、口を半開きにしたまま身体が倒れた。
ルチアが叫んで身体に手を添え、そっと横たえさせてくれたが、興奮させた身体に無理なマナ生成が祟って、指一本動かせない。
麻痺したように胸を抑えた格好で固まり、息ばかりが荒かった。
そこへ、ラウアイクスの声が降り掛かる。
「抵抗すると苦しむだけだぞ。最早、『鍵』を使って創り直さなければ、この世界はどうにもならんのだよ。本来なら、まだしも残されていた猶予も、お前たちが消し去った。ここにいる限り分かり難いが、地上では既に、その兆しは見えているだろう」
「何を勝手な……! 世界をあそこまで小さく削り続けたのは、我々ではない!」
アヴェリンが、吐き捨てるかのように言ってのけた。
言っても始まらないと分かっていても、言わずにはいられなかったようだ。
「可能性はあった。まだ十分、猶予もあった。それを奪ったのはお前達だ。――地上が崩れてしまえば、『遺物』を使うどころの話ではない。即座に己の首を撥ね、道を譲るがいい。そうであれば神に対する不敬、特に許す」
「馬鹿を言うな! 貴様のような、貴様のような者どもに……!」
アヴェリンの声が、怒りで震えるのが分かった。
表情が見えずとも、どういう表情をしているのか、つぶさに理解できる気がした。
これまで戦って来たような相手なら、その怒りに任せて暴れるだけで、大抵の相手は潰してこれたろう。
だが、ラウアイクスの尊大な物言いは、そもそも挑発する事が狙いだと分かる。アヴェリンから冷静さを奪うのが狙いだ。
アヴェリンを止めるよう、ルチアに声が出ぬまま手を伸ばせば、その手をしっかりと握って、泣きそうな顔で見つめてくる。
――違う、そういう意味じゃない。
そう言いたかったが、やはりうめき声ばかりが漏れる。
その瞬間、アヴェリンは床板を踏み抜き、ラウアイクスに向かって突貫した。
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