生死急転 その4
ミレイユは何を言っているのか理解できず、睨み付けた格好のまま固まり、アキラから息を呑む気配が伝わった。
その動揺はミレイユの比でない事から、聞き間違いをした訳でもないと、その反応で分かってしまう。
彼女らが薄氷の上で勝利を握った事は、容易に想像できる。
野良ドラゴンを一匹退治する事とは、文字通り格の違う戦いに挑ませたのだ。死ぬ目に遭う事もまた、想定した上で相手するように命じた。
理解し、想定し、その上で挑ませた。死ぬ目に遭う事は前提だった。
だとしても――。
それでも、彼女が死んだと受け入れられなかった。
「……あり得ない」
「おや、先程とは声の質が違うな。断言するというには、声の力が全く違うな。それはつまり、心から信じていない、という事ではないかね」
「――黙れ! くだらん嘘を!」
ミレイユは剣を振るって果敢に攻めたが、それまでの焼き増しを見せられるだけで、有効な一撃は何一つ通らなかった。
動揺も一つの原因だろう。
力任せに振るっても届かないと理解していても、荒れ狂う激情を制御できない。
ラウアイクスといえば変わらぬ態度で、ミレイユの攻撃に対し的確な対応で凌いでいく。
あと一歩で届くという攻撃を繰り出すも、その一歩があまりに遠い。
歯噛みしながら手を変え、体勢を変え、虚実入れ交えて攻撃するが、それでも何一つ通らなかった。
ラウアイクスは、その顔に薄い笑みを貼り付け、煽るように言う。
「僥倖だ。――あれが死んでくれたのは実に助かる。グヴォーリはその役目を、間違いなく、十全に果たしてくれた……!」
「ベラベラと、よく口の動く奴だ。私がお前の言葉を、他人を転がすのを好きと知ってて、鵜呑みにすると思うのか……!?」
「そうかね? 言うべき言葉は選ぶ、それは確かだ。しかし、嘘を言った事はないのだがね」
ラウアイクスは、他人を利用する事に長けている。
それは多くの物事を盤面に置いて動かす事を指すが、戦闘中においても変わらない。
自分に出来る事、他人に出来る事を理解して、それをどう動かせば自分の利となるか、冷静に考えて行動できる相手だ。
当然、その方法は水流を使った権能や体捌きだけでなく、言葉を使った動揺も含まれるだろう。
精神的揺さぶりは神でなくとも使う、常套手段だ。
それに一々、反応してやるほど、ミレイユも
ミレイユは紙一重で届かない攻撃に歯痒いものを感じながら、それでも猛攻を止めない。
一太刀入れねば気が済まないという思いもあったし、戦闘センスなら自分の方が上だという自負もあった。
天上で盤面を見て、駒だけ動かしていた様な奴に、自分の攻撃が届かない筈ない、という意地もある。
攻撃に慣れ、次々と対応する手を変え、品を変えてくるラウアイクスだが、ミレイユもやられてばかりという訳ではなかった。
ミレイユもまた、その対応から学習している。
届かないというのなら、これで失敗したというのなら、それに対応されるというのなら、ミレイユもまたそれらに対策した攻撃を繰り出すだけだ。
「フン……!」
互いに攻撃と防御の手札を晒し、互いにそれを読み合い、そして将棋の指し手の様に詰めていく。
応手の掛け合い、騙し合い、それらをアキラが割って入れない程の速度で繰り出し続ける。
そして遂に、応手の読み合いから単純な技量の差にステージが移ると、そこからはミレイユの独壇場となった。
肉薄するほど接近し、水流で押し流すのにも、自分が押し流されて逃げるのにも、僅かに足りない距離――。
ミレイユは足をラウアイクスの内側に入れ、肩からぶつかる序に肘打ちを当てると、吹き飛ばす威力そのままに肘を伸ばして剣で裂く。
「ぐ……っ!?」
ラウアイクスの身体は真一文字に切り裂かれて吹き飛んでいったが、咄嗟に腹部を覆った水流でで、真っ二つに出来た筈の斬撃を防がれてしまった。
刃は筋肉の表面を裂いた程度でしかなく、致命傷には程遠い。
「チィ……っ!」
あれは間違いなく、千載一遇のチャンスだった。
ラウアイクス相手に、一度見せた攻撃は通じないだろう。
戦闘の組み立ても、また一から考え直す必要がある。
気が遠くなりそうな作業に辟易していると、吹き飛ばされたばかりのラウアイクスが、水流を切り離して立ち上がった。
腹部から流れ出そうとしている血液も、『氷晶』から広がる波紋に触れると、立ち所に凍り付いてしまい、出血も促せない。
あれを見てしまうと、果たして自分が取った手は、本当に自分有利になっているのかと疑う気持ちが溢れて来る。
――だが、水流を自由にさせるよりマシな筈だ。
ミレイユは、そうと信じて続行するしかない。
ラウアイクスは凍り付いた腹を撫でながら、皮肉げな笑みを浮かべた。
「あぁ、私もすっかり失念していたよ。そうか、或いは致命傷であっても、傷口が凍り付いて出血は防げるかもしれなかったか。刺し傷ならどうなんだ? 刃ごと凍り付いてしまうのかな」
「知った事か。試してみたいと言うなら、喜んで手伝ってやるが」
「いいや、結構だ。腹から生える剣という光景は、実に滑稽で面白そうだが、どうせなら誰か別の誰かで試すとするよ」
そう言って軽薄に笑み、次いで小馬鹿にするような視線を向けた。
「こうなる事を予期していれば、あそこまで臆病になる必要もなかったか……」
「まるで、傷を負う事を考えなければ、私に勝てると言うような口振りだな」
「さて……、どう取って貰っても構わないかな。私が恐れたのは、傷を作る事より、血が流れる事だ。とりわけ、ゲルミルの一族に舐め取られるのが最悪の事態だ。眷属化など、最も忌避し避けるべき事だ」
その手もあったか、と臍を噛む思いで睨み付ける。
血を口に含んだ瞬間から、眷属化が進行を始めるはずだ。
どの段階で命令を刻めるか、それはミレイユの時に見誤っていたぐらいだから、正確な所は分からない。
しかし、初期段階の兆候として体調不良が出て来る筈だ。
そうとなれば戦闘続行は難しくなるし、遅くとも三日後には自死を命じる事も可能となる。
忌避するには十分な理由だった。
「そして、それが出来るユミルが死んだとなれば、臆する必要もない。――今度は、こちらから攻めるとしよう」
「――ッ!?」
突然、眼の前に現れた水槍を、ミレイユはそれと認識せず勘頼りに右へ避けた。
いつも掌を通じて生じていた水弾や水流だったから、てっきりそれしか出来ないと頭から信じていたが、消してそうではなかったのだ。
単に、防御一辺倒の状態で、見せる必要が無かっただけ。
そして、攻撃に転じた時、不意を打つ為に隠していたに過ぎなかった。
ミレイユとしても躱せた事は偶然に等しく、何かを考えて避けた訳ではない。
もしも、運命の糸というものが本当にあるのなら、それを女神が引っ張ったとしか思えない偶然だった。
射出された水槍は、ミレイユの横を通過した時には、もう凍り付いて後方へ飛んで行っている。
それがどこかの壁に当たり、乾いた音を立てて砕け散った。
「――ミレイユ様ッ!」
アキラから切迫した声が聞こえたが、ここで盾として立たせても意味がない。
回り込むよう手を動かすと、アキラは逡巡するような動きを見せ、しかし指示した通り背後へ回った。
幾度かアキラの実力を見ていた所為か、全く歯牙にも掛けず無視している。視線すら向けていない。
それ自体は順当な評価と言えるが、一人で攻めきれないというなら、数の利を使うしかなかった。
実力的には満足できるものでなくとも、煩わしく思わせる事で隙の一つも見出だせるかもしれない。
盾として使わないアキラに期待できるのは、その程度だ。
――だが今は、それが有り難い……!
背後に何者かがいて武器を携えていれば、それがどれだけ弱者であろうと警戒する。
意識を割かずにいられず、ミレイユにも意識全てを割けられない。
それは一体、何割だろう。八割か、九割か……だが、十割ではない。
ほんの一歩が足りない、紙一重で逃げられる。
それが今の現状ならば、手が届く様になり、紙一重の差で斬り付けられるようにもなる。
防御に集中している訳でないから――、そういう言い分もあるだろう。
だが、言い分が立つ前に、ミレイユはこの一撃で決めてしまうつもりだった。
「やり辛いか。お前の威勢はそんなものか……!」
「神人……ッ、ごときが!」
それまでの軽薄な表情から一転、怒りに染まって攻撃を繰り出す。
ミレイユはそれを右へ左へと体重移動と体捌きで躱し、更に剣も使って押し返す。
アキラからも袈裟斬りの一刀が背中に入り、それで尚更怒りを燃やした。
「矮小で、下らない人間が! 神に対して!」
「何が神だ……!」
アキラから唾棄するような声が返って来たが、彼の場合、少しばかり言葉の意味合いが複雑だ。
彼の中には今もオミカゲ様が生きていて、神とその規範はそれが中心となっている。
奪うばかりの神を見て、決して認められない気持ちになっていた事だろう。
だが、ラウアイクスからすると、こざかしく歯向かった人間にしか映っていない。
それが例え、糸を一本引いた程度の傷であろうと、プライドの高い神からすると許せる事ではなかった。
ラウアイクスは一時、ミレイユから視線を外し、アキラへと標的を変える。
少し小突いてやれば終わり、ミレイユとの実力差を考えても、赤子を捻るも同然と思った事だろう。
その認識は正しい。
だが――。
ラウアイクスが放った水槍は、斬り伏せようと振るった切っ先を突き破り、そのままアキラの胸元へ深々と突き刺さった。
凍り付く事も考え、深々と穴を開け、臓器を抉ろうとでも考えたのかもしれないが、アキラの持つ防壁に攻撃が防がれる。
「――何!?」
「何だ、神の攻撃ってのも、案外大した事ないんだな……!」
アキラがわざと、嘲るように笑った。
水槍が突き刺さった瞬間、『年輪』が敗れる音は同時に三回しか聞こえなかった。
それだけでも威力は大きくないと分かるが、アキラに対する侮りが、その威力で十分と判断したのだろう。
その判断は正しいのだろうが、正確に力量を判断できたからこそ、『年輪一枚』と肉体を貫くだけの、必要十分な威力しか出さなかった。
それこそが原因だろう。
自分の攻撃が無効化されるなど、全く思慮の外だったラウアイクスは、アキラに怒りを向け過ぎる余り、一瞬だけミレイユの存在を忘れた。
「――良くやった、アキラ」
呟くような声だったが、アキラの耳にはしっかりと届いたらしい。
その口の端が弧を描くのと同時に、ミレイユの召喚剣が、ラウアイクスの背中に深々と突き刺さった。
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