生死急転 その3

 ラウアイクスは憐憫を感じさせる表情で、ミレイユよりも遥か遠く……もしかすると、ルヴァイル達へと視線を向けながら言った。


「後悔する事になるだろう。……だが、そうか。ルヴァイルも知らずにいたというなら、私の――私たちの欺瞞は、中々上手くやってくれていたらしい」

「何だ、何を言ってる……?」


 眉を顰めながらミレイユは言ったが、これには薄い笑みが返って来るだけだった。


「ふふ……。何もかも、問われた質問に答えるとは思わない事だ。だが、それに頼っての事となれば、こちらとしても、是が非でも『鍵』を利用せざるを得なくなった。使わせて貰うぞ、お前はその為に生まれたのだから……!」

「神々の身勝手は、うんざりなんだよ!」


 ラウアイクスが右手を突き出す構えを見せ、ミレイユもそれに応じて構えを変えた。

 その掌から指先程の大きさをした水弾が次々と射出され、ミレイユに届くより早く凍り付き、氷礫となって襲い掛かる。


 それを持ってる剣で振り払い、あるいは躱している所に、アキラが射線上に飛び出して盾となった。

 ミレイユの様に、小器用な剣捌きで全てを迎撃できている訳ではないものの、代わりに『年輪』が打ち漏らしを防いでいる。


 ミレイユはその脇を抜けてラウアイクスへと接近し、剣を振るう――が、逃げられた。

 水の激流は、当たる角度によっては容易に剣筋を鈍らせるし、その途中で凍り付き絡め取られてしまう事もあり、厄介さが増している。


 ミレイユの魔術が裏目に出ていると実感するが、これはラウアイクスが一枚上手と言えた。

 だが、凍り付いたものは動かせていない、そこは目論見どおりにいっている。

 行動の多くを潰せている筈で、全く無意味でもないのだが、先程の様に水弾は一度発射してしまえば、制御が聞かない事は問題にならなかった。


 盾のように使う水流も、床から壁の様にせり立ったところで、本来は邪魔になるだけの障害物にしかならない。

 無理にでも斬り裂くか、あるいは強制突破するだけだが、それも凍ってしまうから面倒な事になっている。


 無論、どれほど厚みがあろうと、単なる氷を砕くのは容易い。

 だが、その一瞬の硬直があるだけで、神からすれば距離を取るのに十分な時間なのだ。


 だから、ミレイユも詰め切れずにいる。

 ミレイユが剣を召喚する時、他の魔術を封入していたので、今も『爆炎』が込められていた。

 突き刺す事が出来れば、急所を外れていようとも内部から破壊でき、それは絶命させるだけの致命傷を与えられるだろう。


 ミレイユが扱う召喚法は、実体を喚ばない半召喚という技術なので、どれほど魔力耐性があろうと透過しまう。

 そこに魔力を変性させてコーティングし、切れ味を生み出しているので、その変性を一瞬解き、改めてコーティングし直す事で汎ゆる物体へ突き刺す事も可能という性質を持っている。


 だから、ミレイユの持つ召喚剣は、完全な魔力耐性さなければ、当たれば倒せる必殺の剣でもある。

 とはいえ、これまでの冒険で多用して来た戦法だからこそ、この特性はラウアイクスも知るところだろう。

 執拗に避ける事、逃げる事に徹しているのも、恐らくはそれが理由だ。


 ――警戒している相手に、その一撃をぶつける事は難しい。

 距離を取ろうとするばかりではなく、水弾をぶつけて来たり、足元に水流を生み出して行動を阻害しようとして来る。

 足首まで浸れば、たちまち凍り付いて拘束されてしまい、またも動作が一拍遅れてしまう。


 無理に動かし砕く事は容易いが、とにかくやり方が陰湿でやり辛かった。

 何が有効か、何を嫌がるか、それを自分の権能と組み合わせて使うのが抜群に上手い。


 ――たった一人で攻め切るのは無理だ。

 敵が使う妨害の手管が増え始めた段階で、ミレイユは早々に見切りを付けていたのだが、改めて実感せざるを得なかった。


 アキラも盾役として上手くやろうとしているが、やはり互いの呼吸というものが合っていない。

 互いが持つ力量の差、協力しての戦闘経験の無さが、ここに現れている。


「まったく……!」


 悪態をついたものの、アキラに対してのものではない。

 ラウアイクスが防戦一方である事に対する悪態だった。


 奴は明らかに何かを待っている。

 水を存分に使える状況でないから、という理由があるにしろ、攻め方が消極的すぎた。

 ミレイユの間合いに入りたくないのは分かるとしても、やろうと思えばもっと苛烈な攻撃も出来る筈なのだ。


 ――その時だった。

 神処を震わす衝撃が、ミレイユにも伝わる。


「今のは、一体……!?」


 アキラは敵から目を離さず、だが困惑した声で動揺する仕草を見せる。衝撃は大きかったものの、建物自体が倒壊するような、大きなものではなかった。

 そして、それと良く似た衝撃は、直近でミレイユも体験している。


 この部屋には窓がないから外の様子を確認できないが、もしかしたら、アヴェリン達がやってくれたのか、という期待感が募った。

 この膠着状態を崩すには、彼女たちの助けが必要だ。

 待ち侘びた瞬間だった。――しかし、それを待っていたのはミレイユだけではなかったようだ。


「決着が付いたか……。さて……?」

「さて、だと? どちらが勝ったかなど明らかだ。今あった衝撃は、神魂が外壁を突き破り、飛び出した時のものだろう。お前の不利が、また一つ増えたな」

「そうとは限らんよ」


 ラウアイクスが見せてくるのは、余裕の笑みだ。

 そこには虚勢も欺瞞もなく、本音から言っているのだと分かる。

 だが、味方が一人減るというだけでなく、神という世界の支柱を失った事に対して、大きな衝撃を受けていないように見えた。


 ここに来て、破滅願望が強まったという訳でもあるまい。

 ミレイユという『鍵』があれば、全てを引っくり返せると思っているなら、余りにも浅はかだし、そこまで蒙昧でもない筈だ。


 ――では、何が……?

 警戒を強めていると、ラウアイクスは遠い目をして視線を上に向ける。そうしてすぐに目を細め、口角が弧を描いた。


 感知や監視を妨害された空間とはいえ、ここが彼の神処である、という事実を忘れてはならない。

 妨害が可能というなら、それを解除する事もまた出来るのだろう。

 遠い目をしているのは、物思いに耽っているのではなく、実際に遠くの光景を目にしているというのなら、その態度も当然だ。


 ――だが、そんな余裕を見せて良いのか。

 今の内に斬り込むべきか、ミレイユは一瞬迷う。

 視線は上向きとはいえ、視界からミレイユを外すような愚を犯していない。攻撃は今まで通り、徒労に終わるだろうか。


 もっと自由に魔術が使えれば、と歯噛みする。

 魔術の行使は、両手で扱う方が、より制御が容易い。上級魔術を戦闘中に使うなら、まず片手で使う事は推奨されなかった。

 安全地帯から砲撃の様に撃つならまだしも、神ほど強敵相手に片手というのは、自爆に繋がりかねない危険な行為だ。


 剣を消して魔術に集中すれば、と考えてしまうが、どちらにしても有効打になり得る魔術を放つのは難しいだろう。

 特にミレイユの場合、左手で牽制の魔術を使い右手の剣で仕留める、という戦闘スタイルが確立されているから、魔術のみに頼った攻撃という事そのものが得意でなかった。


 魔術を上手く組み合わせて敵を翻弄し、あまつさえ倒してしまうのは、ユミルが得意とする領分だ。

 彼女が中級魔術を中心に使うのも、制御と威力、効果をバランスよく発揮するから、そうした戦闘スタイルが出来上がった。


 改めて、ミレイユは思う。

 自分達はチームだった。

 ミレイユは実際何でも出来るが、一人で何でもやるにはキャパが足りない。

 だから仲間がいるし、その存在をありがたく利用する。


 その味方が来るまで、現状を維持できれば、勝機は見えたようなものだ。

 ラウアイクスが何を企んでいようと、皆が集結すれば、圧殺して乗り切る自信が、ミレイユにはあった。

 その彼が見せる余裕の笑みに、唾吐きたい思いで睨み付けていると、不意に視線を戻して言う。


「実に僥倖だ。グヴォーリは見事、役目を果たしてくれた」

「私には分からないからと、言いたい放題か? 安いブラフが通じると思うなよ」

「そうかね? 確かにグヴォーリは弑されたかもしれないな。あれらも良く健闘したと言えるだろう。――だが、全くの被害なし、と考えるのは浅はかではないか?」


 そう言われて、ミレイユは一瞬息が詰まる。

 アヴェリンを始め、あの三人はこの世の冒険者と比較して、頂点に立つ者より更に上いく者達だ。

 その三人が連携を取って戦うなら、大抵の脅威は排除できる、と断言できる。


 だが、相手は曲がりなりにも神だ。

 彼らもまた造られた神であるものの、神へと昇華した存在には違いなく、戦闘タイプじゃないとしても、簡単に打ち倒せるほど簡単な相手ではない。


 勝てて当然、と気楽に構える事が出来ない相手だ。

 まして、手傷を負わないなど考えられず、重傷を負った上での辛勝であったとして不思議でなかった。

 戦闘が一つ終わったからといって、即座の戦線復帰は難しいと納得もしてしまう。


 アヴェリン達は勝った。だが、援軍として駆け付ける事は期待出来ない。

 ミレイユはそれを理解して、ラウアイクスが見せた笑みの理由を悟った。


「アキラ、気を引き締めろ。三人が来るまでには、まだ時間がいるだろう。盾役としての役目は分かるが、敵も浪費を狙ってる。誘いに乗りすぎるな」

「承知しました!」

「……ふむ、何か勘違いしているな」


 ラウアイクスは訝しげでありつつも、口の端に笑みを貼り付けたまま言う。


「お前はあれらの勝利を信じているようだが、残念だな。死んだよ」

「――あり得ない」


 ミレイユは即座に断言し、発言を切って捨てたが、ラウアイクスの笑みは崩れなかった。


「あれらが三人揃った時、あるいは神にも迫るかもしれない実力を持つ事は認めよう。グヴォーリにも油断があった……己が神である事実、人より遥かに優れた存在、その驕りが敗因に繋がったとも言える」


 そこまで言って、ラウアイクスは一度言葉を切り、笑みを潜めて鋭く見てきた。


「――だが、死力を振り絞り、それでようやく勝ちを拾える……、そういう実力差でもあった。その部分も、また認めて欲しいものだな」

「フン……!」


 確かにその指摘は、無視できるものではない。

 アヴェリン達は数多く傷を負ったかもしれない。だが、血塗れになりながら勝利を掴んだだろう。

 死地を何度も経験し、そして共に乗り切ってきたからこそ、その信頼に陰りはなかった。


 ラウアイクスのつまらないブラフに動揺されるほど、彼女らの信頼は薄くない。

 だが、それを切って捨てる発言が、ラウアイクスの口から飛び出した。


「だから、言った事も嘘ではない。犠牲者は一人だけだが……、ユミルは死んだ」

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