生死急転 その6
「ば、か……! アヴェリンの援護、しろ……!」
「でも……っ! ――いえ、分かりました」
ミレイユの強い視線に当てられて、ルチアはミレイユから手を離して立ち上がる。
両手に杖を持って制御を開始した時には、既にアヴェリンは肉薄して、その一撃を叩き込んだところだった。
近接戦闘では、アヴェリンもミレイユに全く引けを取らない。
それどころか、場合によってはミレイユすら上回る。
そのやりようとは、自傷も他殺も気にせず攻撃できる場合だ。
傷を負う事を恐れず、殺さないよう手加減する必要もない時こそ、アヴェリンの本領が発揮される時だった。
「ハァァァ……!!」
アヴェリンがその剛腕を振るう度、空を切り裂き、余波で部屋全体が揺れるようだった。
しかし、水流を自由に扱えるようになったラウアイクスは、一癖も二癖も厄介になっている。
点で攻撃するメイスだから、という武器の相性もあるのだろう。
攻撃が当たる直前には、水のクッションによって受け止められ、ラウアイクスに攻撃が届いていない。
衝撃の多くはまずそこで受け止められてしまい、肝心の一撃が届いた時には、その半分の威力にもなっていなかった。
水飛沫は爆発するかのように巻き起こるのだが、それが更にアヴェリンを苦しませる事になった。
水滴程度の大きさだとしても、それを神が権能を持って動かすとなれば、無視できない攻撃になる。
まるでショットガンで撃たれているようでもあり、アヴェリンは攻撃の度に何度も吹き飛ばされてしまった。
「だったら……!」
ルチアは氷結に特化した魔術士だ。だから、ラウアイクス相手に何が有効なのか、ミレイユ同様すぐ察した。
しかし、一度やられた手を、そう易々とやらせるつもりもないらしい。
「それは嫌だな」
攻撃の標的がアヴェリンからルチアへ代わり、水弾が次々と襲う。
制御が完了するの先か、それとも着弾が先か――といったところで、ルチアの背中を水刃が斬り付ける。
「な、ん……!?」
一歩、二歩、とたたらを踏んで、ルチアは背後へ目を向ける。
そこには、床から鎌首をもたげるように持ち上がった、水の刃が立っていた。
ラウアイクスは水ならば何でも操る。床を濡らした水も、また例外ではない。
前面に意識を集中させて、背後にあった水溜まりを利用した、という事なのだろう。
そして、水刃に気を取られたところへ、ルチアに水弾の集中豪雨が襲う。
「アァァああッ!!」
「ルチ、ア……!」
咄嗟に顔を庇ったものの、身体中を穴だらけにしてルチアが倒れる。
痛む身体に鞭打って、ミレイユは必死に腕を伸ばす……が、全く届かない。
身体をどこか動かす度、まるで全て糸で繋がっているかのように痛みが走った。
それでも、手を伸ばさずにはいられない。
治癒術を行使できる訳ではない、その口に水薬を流し込んでやれる訳でもない。
それでも、倒れて動かないルチアに、何かしてやらねばという気持ちを抑え切れなかった。
「ルチア!? ――くそッ!」
助けに入ろうとしたアヴェリンだったが、そこへ鉄砲水の様な水弾に押し出されてしまう。
一発放たれ、直撃する度、アヴェリンの身体が揺れ、そして吹き飛ばされる。
助けようと動けば、それを狙って撃ち込まれ、だからその場から身動きとれなかった。
ラウアイクスは敢えて指先を向け、まるで銃口の様に狙いを付けていたが、別に指先から出している訳ではない。
敢えて言うなら水のある場所が銃口で、そしてそれは、この部屋中どこにでもある。
そしてアヴェリンは、自分がその向けられた銃口の中心にいることも、また悟ってしまった。動きを見せれば撃ち込まれる。
そして、動かなくとも撃ち込まれるのだ。
「あぁぁぁ!!」
止まる事のない水弾の雨は、堅いアヴェリンの防御も抜いていく。
腕の振り一つ、体捌き一つで、雨の全てを躱すのは不可能だった。
アヴェリンは、それら水弾を受けても簡単に膝を屈したりしない。
それでも、大量の水、その物量を前に為すすべもなく、ついに膝を付いてしまった。
「ハァ、ハァ、ハァ……!」
身体中から血を流し、身体を真っ赤に染めていても――。
腕を上げられず、体力が尽きようとしていても――。
それでも、アヴェリンの戦意まで奪う事はできない。
鋭く、視線一つで切れるような眼光には、些かの衰えもなかった。
隙あらば、いつでもその喉元を食い千切ってやる、と明確に語っていた。
今も震える膝を必死に持ち上げようと、歯を食いしばっている。
ラウアイクスは、それに余裕を持った表情でおどけて見せた。
「実に怖いな。何を仕出かすか分からない奴には……、こうしておくとするか」
言うなり、ラウアイクスは水の槍を作り出し、やおら放り投げる。
大して力を入れているように見えなかったが、それは凄まじい速さでアヴェリンに突き刺さると、ドリルのように回転し抉り進んでいく。
「ぐぁぁぁああ!!!」
堅固な防具も、強固な肉体も、あっさりと貫通して縫い留めた。
柄の部分を握って抜き取ろうとしたが、水という特性故か、素通りしてしまって全く掴めない。
しかし、物体としては確かな質量を持っていて、アヴェリンを床へ縫い止め起き上がらせてくれなかった。
「これで良い。さて、後は……」
あっという間に二人を無力化させてしまうと、ラウアイクスは悠々とミレイユへ近付く。
アヴェリンも行かせまいと必死に身体を捩るが、水槍は強固に床へ縫い止めて、全く身動き取れていなかった。
最早ラウアイクスの歩みを、止められる者はいない。
再び、その手がミレイユに伸ばされたその時、横合いから風切音が聞こえて、咄嗟に腕を引く。
何が、あるいは誰が、と思ったのはミレイユも同じだった。
床を滑る音に誘われるまま視線を向けると、そこにはアキラが立っていた。
身体中から血を流しているのは他の者と同じだが、しかし今もまた、見る間に傷が塞がっていく。
「ミレイユ様を、必ずや、お護りします……!」
「ぐぅぅぅぅ……!? ――アキラ……ッ、命を賭して止めろ!」
「はい!」
アヴェリンの叱咤が、アキラに飛ぶ。
彼女の口の端からは血が流れ、腕を引き千切ぎろうとでもするかのように――そして実際、そのつもりで――、身を捩りながらの発言だった。
それでも水槍は、アヴェリンを拘束して逃がしてくれない。
アキラはゆっくりとした足取りで近付きながら、眼光鋭く刀を構える。
その姿を見て、ミレイユはアキラの持つ刻印の事を思い出していた。
『追い風の祝福』の効果は、動く限りにおいて自己を回復してくれるものだった筈だ。
動けるだけの傷であるなら、根性さえあれば回復効果を受けられる。
しかしこれは、神相手に戦うには遅すぎる回復速度だった。
やはりというか、当然ラウアイクスは、アキラを全く脅威と思っていない。
アヴェリンやルチアの時には、しっかりと相手を見定め攻撃していたが、今は全くの無警戒だ。
一度攻撃を見たことで実力を悟り、相手にするまでもないと思ったようだ。
そしてそれは事実で、アキラに隠し玉などない。
何か強い技を持っているわけでもないし、刀に秘めた力など隠されていない。
まともに相手するような敵ではない、という判断は妥当だった。
だからラウアイクスは、おざなりに水弾を放って、それで終わりにした。
アキラも躱す事が出来ず吹き飛び、そして、またもあっさりと決着が付いた。
――付いたかに思われた。
「ハァァ……、――ダァッ!!」
しかし、床への激突と同時に受け身を取り、そして間髪入れずに踏み込んで、返す刀で斬りつける。
躱しきれずに腕を掠ったが、さしたる斬り傷にもなっていない。
手傷と言うにも烏滸がましい、ほんの小さな傷が付く。だが、ラウアイクスからすると酷い侮辱のようだ。
「一度ならず二度までも、か……。煩わしい小蝿が……!」
「そうとも、僕は虫同然だ! でも、僕が時間を稼げば! ミレイユ様が回復されれば! その時、必ずお前を倒す! それまで、一秒でも! 喰らい続けるのが僕の役目だ!」
ラウアイクスは鼻の頭に皺を寄せて、汚物を見るかのような目を向けた。
そしてやはり、ハエでも払うかの様な仕草で水弾を放つ。
アキラはそれを躱そうとしたものの、結局、数発避けた時点で他に着弾し、そして為す術なく吹き飛ばされた。
ラウアイクスは鼻で笑って、改めてミレイユに向き直る。
「一秒か、フン……! 一秒で満足なら、確かに役目は果たしたな」
アキラほどの実力しかなければ、それは間違いない致命傷だったろう。
ラウアイクスは見誤る事なく、致死の一撃を加えたつもりだ。
だが、アキラには刻印がある。
幾層にも重なった『年輪』は、全て打ち破るまでダメージを負わない。
その上――。
「ハァァァ!!」
「――なにぃぃ!?」
動くほどに回復する『祝福』は、その『年輪』を突破しない限り、回復し続けるという意味でもあるのだ。
傷だらけだったアキラの身体は、今や血すら洗い流されて綺麗なものだ。
ここに来て、ようやくラウアイクスもアキラの厄介さに気付いたらしい。
振り下ろして来る刀を手刀で止めると、一瞬停滞した隙に水槍を打ち込んだ。
ドリルの様に回転する槍は、アキラを容易に貫通する筈だったが、硬質な物を砕く音を響かせながらも留まり続ける。
「なんだと……!?」
そうしている隙に、アキラは身を捩って逃げ出した。
その間際、翳していたラウアイクスの手刀を、もう一度斬り付けてから距離を取る。
間違ってもミレイユを攻撃の射線上に乗せないよう、着地してからは脇の方へと移動した。
――まだ、やれる。
――まだ、いける。
アキラの瞳は、戦意と怒りに満ちていた。
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