不安と不穏 その7
「それじゃあ、服については近々買いに行くとしよう。――次はアキラの方だな」
「……僕の?」
思わず自らを指差したアキラに、ミレイユは頷く。
「お前に色々教えてやるにしろ、いつでも良いという訳にもいかないだろう。そもそも、大抵の場合夕方まで学校だしな」
「夕方も、曜日によっては道場行ってますから……」
「道場だと? そちらの方が優先なのか?」
アヴェリンが不満を混ぜた口調で言うと、アキラは恐縮して頷いた。どちらも大事とは思うが、やはり長く続けている道場を蔑ろに出来ない。これを機に辞めるという手段もあるが、今までの努力を泡にするようで気が引ける。
「許されるなら続けたいと思っているんですが……」
「それは好きにしろ」ミレイユが言った。「初めから強制するものではないんだからな。やめたいと思ったら言え。命を懸けて戦うなんてことは、口にするより遥かに厳しく、遥かに重圧を感じるものだ。投げ出したいと思うのは、その年頃ならむしろ当然だ」
ミレイユが声を滲ませて言う。含蓄が見て取れるというか、苦労も感じられる台詞だった。
アキラは素直に頷く。PTSDなど戦場では珍しくないと聞く。戦場帰りの兵士の何割かは確実に掛かるという話だし、戦うという事は特に華々しく綺麗なものでもない。
「武器の扱い、戦い方はアヴェリンから。これは前にも言ったな、魔物の知識はルチアから。……アヴェリンも知っている事は教えれば良いが、これは視点の違いの問題だ。知っておく知識は多い方がいい」
「はい、了解です」
アキラが返事を返せば、アヴェリンとルチアから順に了承の意が返ってくる。
ミレイユはそれを聞いて、次いで考え込むような仕草を見せる。
「使う武器は刀がいいんだろうが……。刀はあまり種類も数もないのだが……」
「え、そっちにも刀ってあるんですか?」
「そうだな、刀という名前ではないが。どう見ても刀にしか見えないから、私はそう呼んでいる」
「へぇ……!」
「今ある武器では価値も威力も高すぎて、お前には向かない。武器の威力が自分の実力だと勘違いされても困るからな」
ミレイユの視線にアキラは押し黙る。
確かに身に余る武器とは往々にして、そういう逸話があるものだ。剣を使うのではなく、剣に使われ振り回された上に、自分の実力を過信して命を落とす。どこにでもある、ありふれた話だ。
「因みに、その武器の価値ってどれ程のものなんですか? いえ、勿論こちらの相場と照らし合わせて完全に合致するものでもないんでしょうけど」
興味本位で訊いてみれば、ミレイユからも困ったような表情で返ってきた。
「同じ武器でも造り手によって、威力も切れ味も変わってくるから一概には言えないが……、大体金貨三百枚か?」
「妥当かと」
ミレイユが視線を向けて問うと、アヴェリンが首肯して同意した。
とはいえ、それだけ聞いてもアキラには価値が正確に伝わらない。身近な何かで例えてもらえると助かるのだが。
そのような表情を見て取られたのか、ミレイユが困った顔に笑みを張り付かせて言う。
「……分かり辛いか。そうだな、家を一件購入する時に掛かる費用は五千枚だった」
「といっても、建てる場所によって――地価によっても随分変わりますけど」
「地方都市の一等地で、そのくらいだ」
地方都市と一つとっても様々だろうが、その一等地ともなれば決して安い値段にはならないだろう。アキラにとって土地の値段も家の値段も、馴染み深いものではないから深くは知らないが、普通にン千万はするものだと予想できる。
そうすると単純に考えて金貨一枚一万円に相当と考えてもいい気がする。
じゃあ刀一本三百枚なら――。
「え、二百から三百万ぐらい!? そんな武器ポンポン持ってるんですか!?」
「平均的な質の武器で、それになる。他にとなれば、家を複数買える値段の武具は多くある」
「滅茶苦茶お金持ちじゃないですか……」
それ程の財産があるなら、ユミルもワインを水のように飲む筈だ。ヴィンテージ物でもなければ、それこそダース単位で飲んでも痛手にならないに違いない。
「そんな物ですら、ミレイ様のコレクションの前には塵芥の類だ。多くはあちらに残して来たのが悔やまれる」
アヴェリンの慚愧に堪えない、という表情からは、さぞ価値のある武具があったのだろうと窺える。しかし、それより驚く言葉がミレイユより放たれた。
「何なれば作った方が早いかな。お前向きに、初心者用という様な感じの」
「え、作れるんですか、刀を!?」
「大抵の武具なら、その制作の技術を修めている。何しろ、鍛冶の師匠はアヴェリンだしな」
「とうに追い抜かれて、立つ瀬もありませんが」
アヴェリンが苦笑するに、ミレイユもまた苦笑を返した。
そこにユミルが呆れた顔と声を隠そうともせずに言う。
「鍛冶だけなら可愛いものよ。そっちの才能があったというだけの話でしょう? この子ったら装飾品なり、その細工なり、あまつさえ魔術だって師匠超えしてるっていうんだから堪らないわ」
「……錬金術も」
「そっちはまだ超えられてないわよ!」
ルチアの指摘には声を荒らげて否定したが、それが真実だったとして既に射程範囲に修められているような気配はする。
何にしても、余りに多くの技術を修めているらしい。多すぎる、というべきかもしれない。
「凄い多芸なんですね……!」
「多芸の一言で済ませられる内容じゃないけどね……」
更に呆れた顔でユミルが見れば、ミレイユは鬱陶しそうに手を振った。
「今はそんな事はどうでもいいんだ。適した武器がないなら作る――ああ、そうだな。新たに作って質に入れるか」
「武器を!?」
「いや、リングとかの装飾品だ」
思わず声を荒らげてしまったアキラは、ミレイユの現実的な返答に納得した。それはそうだ。武器を丸裸で持ち歩く訳ではないにしろ、そんなものを持って売りに来れば通報沙汰も考えられる。
わざわざ目立たない方策をあれこれ考えている彼女が、そんな危険を犯す筈もなかった。
「宝石類もあるから、そちらを使って加工すれば値がつくかな。それとも単品の方が金に換えやすいか……。どう思う?」
「いや、そんな。こっち見られても分かりませんよ、貴金属なんて持ってないし、売り買いした事もないんですから……!」
「それもそうか……」
「ていうか、装飾品があるなら、それ売ってしまえば早いんじゃないですか? 僕から安い金額を受け取るよりも、そっちの方がいいような」
ミレイユは複雑な表情で頷く。考えるような躊躇するような、何とも言えない表情だった。
「即金で直ぐに欲したのは、服を買う金が欲しかったからだ。それさえあれば、好きに外へ出れるし質屋にも行ける」
「あー……、でも、そちらお得意の幻で覆い隠すとか……」
アキラが非難を浴びせる視線をユミルに向けるが、当の本人はどこ吹く風でワインに口をつける。そして、チラリと視線を向けながら言った。
「幻を違和感なく維持するのは、そう簡単な事じゃないのよ。違和感っていうのは、気づけばあっという間に認識されて意味がなくなるの。一度外に出れば、どれ程時間の掛かる事か分からないのに……。とても現実的じゃないわね」
「……そういう事だ。無理してやらせる事も出来るが、少々の金で解決できるなら、それが一番手っ取り早い」
ですか、と力なく頷くと、ミレイユは続けて言う。
「それに、所持している装飾品は例外なく魔術秘具だ。こっちで売れば貴金属としては妥当でも、本来の価値からすれば二束三文にしかならないと予想できた」
「……つまり、家が建つような値段の物が、数万とかで買い取られる訳ですか……」
ミレイユが頷いて見せれば、それは確かに躊躇うだろう、とアキラは思った。いざとなれば、それを売るしかなかったのだろうが、アキラとて物の価値が分からない相手に、自分の手持ちを切り崩して売りたいとは思わない。
「今から考えれば、何故自分で作って売ろうと考えつかなかったのか疑問なくらいだ。……いや、本当に買い取って貰えるのか、そこも考えないといけないかもしれないが」
「ですね。ブランド品とは全く違うんでしょうし。日本はブランド至上主義みたいなところありますからね……」
やはりそうか、とミレイユは暗い顔をして溜め息を吐いた。
「そこは細工技術でカバーするしかないな。良い品なら、良い値で売れる事を期待しよう。――ルチア、任せていいか」
「んー、それなら講義の方をユミルさんにやらせて下さいよ。少なくとも、こっちの作業が終わるまでは」
「そうだな、いいだろう。――そういう訳だ、ユミル。頼むぞ」
ユミルは明らかに嫌そうに顔を歪ませて、不承不承に頷いた。
「まぁ、仕方ないわね。そこでアタシだけ遊んでると肩身も狭いし」
「まるで今まで、肩身が狭かった事がなかったとでも言いたげな台詞だな」
アヴェリンがねめつけると、ユミルは肩をヒョイと竦める。
「実際なかったでしょう?」
「少しは感じろと言いたかったんだが?」
「あら、そう? でも、ごめんなさいね。根が正直なものだから」
二人の間に剣呑な雰囲気が立ち込め始めた時、ルチアが小さく挙手してミレイユに伺う。
「それって、すぐ始めた方がいいですか?」
「そうだな。早ければ早いほど嬉しい」
「じゃあ、今から始めます。お先に失礼しても?」
「ああ、よろしくな」
「お任せあれ」
ミレイユに頷き返して、ルチアは席を立つ。アキラにも一応の礼だけして、小箱の中へと入って行った。
言い合いを横から中断された二人は不完全燃焼のような感じだったが、再び燃え上がらせようというつもりはないらしい。アヴェリンは相変わらず鋭い視線を向けているが、ユミルはどこ吹く風でワインを注いでいる。
ミレイユはアキラに顔を向けて、視線を一度合わせ後、次いでアヴェリンに向きを変える。
「鍛錬を始めるのは明日からでいいのか? ――アヴェリン、お前の朝の鍛錬にコイツを混ぜてやるのはどうだ」
「それは構いませんが、箱庭に招待すると?」
アヴェリンが微かな苛立ちを表に出すと、ミレイユは手を横に振る。
「いいや、中には入れない。まず筋力や体力など基礎を鍛えるのが先決だろうし、それなら外で十分だ。そこそこ鍛えているようだが、お前も実力の程を知らねば鍛えようがないだろう」
「そうですね。ハッキリ言って何もかも足りないと予想しておりますが、かといって鍛え上がるまで、何年も付きっきりで教えるつもりもありませんので」
「当然だな」
アキラは今日何度目かの、息が詰まる感じで喉の奥を鳴した。
何の疑問もなく、何となく長く付き合いが続くのだろうと思っていた。それこそ道場の門下に入る時のように。だが、違うのだ。彼女たちからすれば、アキラは門下に入った訳でも、一家に入った訳でもない。
形としては依頼主と受注者の関係に近い。
だから教える期日は明確にあるのだろう。出来ないのなら、出来るまで教えるなどという事はしない。鍛える意欲が薄いというなら、料金分――あるいは義理分は教える。
そう言う事だろうか、とアキラは思った。
ならば明日から始めるというのなら、ちょっと待ってと言った瞬間切り捨てられるだろう。とはいえ、元よりアキラは言われた全てをこなすつもりだったし、拒否するつもりもなかった。
「分かりました。明日からお願いします。時間は何時頃がいいでしょう?」
「学校もあるだろう? 早すぎれば体調を崩す。朝飯より二時間前からが妥当かな」
「じゃあ、五時ですね。分かりました。――よろしくお願いします、アヴェリン師匠」
ああ、とアヴェリンは頷いて、ミレイユに視線を戻す。
「武器はどうします」
「勿論、コイツ用に作る。手間だが、貸し出せる物もないのはさっき言ったとおりだ。……うん、それも明日から始めよう」
「承知しました」
ミレイユがアキラに向き直る。少しばかり憐憫を感じさせる表情だった。
「それじゃあ、明日から大変だろうが、頑張れよ」
「わざわざ自分から、危険に首を突っ込もうっていうんです。頑張るくらい当然です」
「……そうか。こちらも作業を進めておく。ルチアが物を用意したら、さっそく売りに出るつもりだが、数日は掛かるだろう。だからその前に服を買いに行く。そのつもりで金を用意しておいてくれ」
「分かりました」
頷き返すとミレイユが立ち上がり、それに続くようにアヴェリンも立ち上がる。ミレイユが手を振ってテーブルや椅子を片付け、元々あったソファやテーブルを元に戻す。
ミレイユは、そのまま目礼をするような小さな動きでアキラに後を告げると、小箱の中へ消えていく。アヴェリンもそれに続こうとしたが、その前に一度立ち止まった。
「明日は別に急激な運動をさせるつもりはないが、今日はよく休んでおけ」
「はい、ありがとうございます。お休みなさい」
アヴェリンはそれには反応を返さず、小さく手を挙げるだけで箱の中へ消えていった。
残ったユミルも、空いたワインのボトルとジョッキを手に去ろうとした。
「それじゃあね、可愛子ちゃん。今日一日で大分仲良くなれた気がするわねぇ」
「僕は今日一日でアナタへの好感度が、地の底まで落ちましたけどね」
「あらまぁ、それはそれは。じゃあきっと、大好きって言わせてあげる」
にたにたと嫌らしい笑みを見せ、楽しそうな声音と共に箱の中へと帰っていく。それを見送ってから大きく溜め息を吐いた。
あの人のせいで、無駄に疲れさせられた気がする。
アキラは溜め息をつこうとしたが、大きく息を止め背筋を伸ばす。腹に力を入れて、静かに息を吐き出した。
「明日から頑張るんだから……!」
余計な事に囚われている訳にはいかない。
気分を切り替えて、アキラは寝る準備を始める。明日の時間割を確認して教科書を選び、鞄に詰めていく。大変だろうと分かっているが、アキラは自分が高揚感に包まれていくのを感じていた。
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