御影会談 その5

 オミカゲ様が顔を向けるのと同時、縁側にかけた足が前に出て、遂にはその巨体が部屋の中へと入って来てしまう。

 元より天井の高い部屋でもあるので、八房が入ることに問題はないだろうが、それで一気に部屋の中が狭くなった。見守るしか出来ずに黙ったままでいると、丁度空いているオミカゲ様の後ろのスペースで丸くなり、その場で寛ぎ始めてしまった。


 オミカゲ様が咎めないので、誰一人それに文句を付けられない。それをいい事に、尻尾の一つをオミカゲ様へと向け、その身を包み込むようにして持ち上げ攫ってしまった。

 そのまま腹の辺りへ置くと尻尾から解放する。オミカゲ様も慣れたものなのか、そのまま腹を背にして巨大クッション代わりにするようだ。

 置き去りにされた座布団を魔力を制御して取り寄せると、自身もまた寛ぎ始めた。


 この様子を見れば、この部屋自体が八房を迎える為にあったのだと判る。

 あまりに高い天井も、広く開けられた縁側も、八房が来ることがあればいつでも招けるようにという配慮なのだろう。


 八房はひた、とミレイユへ双眸を向ける。

 しばしの間、その視線が交差して、何を思ったのかミレイユまでも尻尾で攫おうとした。しかし、それをやんわりと止めたのはオミカゲ様だった。

 手を挙げるだけの動作で尻尾が止まり、左へちょいちょいと動かすと、そのまま大人しく下げてしまう。

 その様子を見て、すっかり毒気を抜かれたミレイユは、疲れた溜め息を零しながら問うた。


「いずれ、あの小さなフラットロがこうなるのか」

「そうなる」


 オミカゲ様がその毛皮を撫でているのを見て、次いで畳へ目を向ける。部屋に入ってきた時にも思ったものだが、どこにも焼け跡が残っていなかった。


「何か防護でもしているのか? 触れれば立ち所に燃えてしまう筈だが」

「それは小精霊だった時の話。大精霊になれば、その辺の制御が上手くなる」

「……そうなのか。それにしても大きいな、今は私の腕の中に収まる大きさなのだが」

「これでも小さくしている方である。体積を尾の方へ回しているのでな、だから八つも増やす事になってしまった」


 ミレイユは眉を顰める。

 大きく姿を変える事のない精霊が、わざわざそのような面倒事をするとは思えない。部屋の中に入る事は出来なくなるだろうが、そもそも住処は精霊界だ。大きいことが不利にはならない筈。

 その考えが顔に出ていたのか、オミカゲ様は先読みするかのように言った。


「八房はもう、我と契約している召喚精霊ではない。この地と契約する精霊である。霊脈をマナに変換する役割を持ち、またそのマナで現界する精霊故な。だが、それで取り込むマナが殊の外大きく、不便な大きさを解消する為、尾の数を増やしていった」

「随分と義理堅いんだな、契約が切れても傍に寄って来るのか」

「友である故にな。そうであろう、八房?」


 オミカゲ様は顔を上げ、八房の頭に向けて手も挙げたが、フシッと鼻から息を出すだけで見向きもしない。オミカゲ様は苦笑して、挙げた手を程々に降ろして腹を撫でる。


「照れておるのよ」

「どうでもいいが、そんな事は。じゃあ、あの時……お前が八房を仕向けた訳ではないのか?」

「うむ……、それはこの八房が勝手に動いた。我と同質の存在を察知して、その確認に動いたようだ。だから次いでと思って、止める事なくそのまま行ってもらった」


 ミレイユは溜め息を吐いて腕を組む。

 精霊は気紛れな存在だが、時として絆を育み、召還主へ異常な執着を見せる事もある。そういった場合は大抵、召還主と切っても切れない関係になるもので、契約を切るような事はしない筈。


 説得の結果かもしれないが、それも互いの絆が深ければ出来ない事だろう。

 感心とも呆れとも取れない感情を持て余していると、そこにユミルが顔を向けてくる。


「じゃあ他に気付いた点ってどれ? やっぱり刀かしら」

「……ああ。そうだな、それだ」

「実に分かり易かったであろう。興味本位で入れば、まずそれと気付くと確信しておった」


 そうだな、とミレイユは忌々しく思いながら同意する。


「あれは私の付与術とよく似ていた。現世に来てから外で見せた事がない以上、真似した誰かも存在しない。ならばそれは誰の作だ、と考えればピースがまた一つ埋まる」

「また一つっていう事は、まだ他にもあるの?」


 ユミルの疑問に首肯して、指を一本立ててはオミカゲ様を示す。


「こいつの名前があったろう」

「ああ、はいはい。ミカゲなんたら……」

「アレに私の本名が隠れている。いや、隠れているというのは適当ではないな。漢字と呼び名が違うから音だけ聞くと分からないが、見る者が見れば直ぐに分かる。つまり、あの名前――御名と呼べばいいのか? あれは箔付けのでっち上げだな?」

「然様である。過去……遥か昔の事だが、名を聞かれて……考えた末に自分で着けた名だ。まさかミレイユと名乗る訳にもいかぬ故にな」

「――ちょっと待って」


 ユミルが手を挙げて二人の会話に割り込んだ。

 その表情には若干の苛立ちが見える。その矛先はオミカゲ様ではなく、ミレイユの方だった。


「本名って何よ? ミレイユが本名じゃないって意味じゃないでしょうね?」

「そうなのですか、ミレイ様?」

「ミレイさん……?」


 ユミルばかりではなく、他の二人も参戦してミレイユへ詰め寄ろうとする勢いだった。

 拙い事になったな、とミレイユは内心で冷や汗を流す。言う機会がなかったのと、そもそも訂正する必要もなかったので流して来たが、確かにミレイユは本名ではない。


 特にこの三人は信頼する仲間であり、家族同然の存在でもある。

 相手もそのように思っていただろうに、名を預かっていなかったという事実は相当に堪える筈だ。名前を告げるというのは、簡単な事ではない。多くの種族は、名前には力が宿ると考えているから、本名を相手に教える事は同時に信頼を現す事に繋がる。


 アキラと始めて会った時、誰もフルネームを教えなかったのがその証拠だ。

 それぞれ理由は異なるものの、名乗らないという選択だけは同じだった。


 しかし、ここに来て本当は名を預けてもらってなかったと判明するのは、実は信頼していなかったと告げるに等しい行為だ。裏切りだと思われても仕方がない。


 ミレイユはどうにか乗り切る方法はないかと冷や汗を搔きながら、必死に頭を働かせた。


「嘘は言っていない。この身体に付けられた名前は、間違いなくミレイユだ」

「じゃあ、あの長ったらしい名前の、どこにミレイユがあったのか言ってご覧なさいな」

「いや……」


 思わず口籠ったミレイユに、ユミルの瞳が鋭くなる。アヴェリンやルチアなどは、すっかり失意の表情を見せていた。

 ルチアに――エルフにとって、名を預ける相手は対等の相手と認めた証でもある。自分が伝えたから相手からも預けられて当然、とはならないものの、大抵は認め合った仲だから預けるのだ。

 それをここに来て嘘だと分かれば、悲しむのも当然だった。


 ミレイユが言葉に窮していると、助けは意外なところからやってきた。

 それまで何一つ会話に参加してこなかった一千華が、その袂に手を入れて、中から一枚の札を取り出す。十センチほどの長さで厚みを持つ札で、そこにはオミカゲ様のご尊名が書かれていた。


 御影豊布都大己貴神みかげとよふつおおなむちのかみ――。


 その太めの筆書きで記された名に、骨と皮しかないような指を動かして示す。


「その名は漢字の中に隠れておりますよ」


 そう言うと、影の漢字に指を当てる。


「この右側、部首のさんづくり、ここから逆に見ていくのです。そうすると、これがミに見えますでしょう?」

「……そうね」

「次に景のした部分、京の真中にれいが見えます」

「……ちょっと苦しくない?」

「そして御。この右側にふしづくり、逆から見て傾ければユのように見えます」

「……相当苦しいわよね?」

「これにて、オミカゲ様の御名にの文言が含まれている証明が出来ました」


 ユミルが札に書かれた名前を何度も見返し、それにつられるようにルチアも御影の文字を矯めつ眇めつする。

 十秒以上そうした後に、お互いに目を合わせた。そして渋い顔で顔を横に振った。


「いや、ないです。駄目です。ちょっと認められません」

「特に最後の傾けるっていうのは意味不明よ。あからさまにこじ付けじゃない。それがなければ考えても良かったけど……」


 ユミルの指摘はごく真っ当なものだったが、それを無視して、ミレイユは身を乗り出しては一千華の手を取った。

 相手にどういう意図があろうとも、この機会を逃せば、他に気の利いた弁明など出てこないだろう。この嘘に全力で乗っからなければならない。


 ミレイユは乱暴にならないよう、十分に加減して握った両手を上下に振る。


「よく見てくれた。あらぬ疑いを晴らしてくれて礼を言う」

「とんでも御座いません。お役に立てたなら望外の喜びです」


 そう言って柔らかく笑む一千華を見て、ミレイユもまた相好を崩した。

 だが同時に、今更ながら疑問に思う。


 大宮司という身分が、どれほどの高みにあるものなのか、ミレイユは知らない。結希乃に取調室で聞いた話から考えると、相当高い身分であるとは予想がつくが、かといって、このような機密性の高い場に残れるとも思えない。


 謝罪が目的だというなら、それは既に叶った筈だ。

 ミレイユからも許しを得て、それで話は終わった。本来なら、その場で退席して然るべきだった。しかしオミカゲ様はそれを無視するかのような扱いで、話を進めてしまった。


 まさかこれを見越して残していたとも思えないので、残したからには別の理由があるのだろう。

 ミレイユは一千華から手を離し、乗り出していた身体も戻す。その際ちらりとオミカゲ様へ視線を向けてみても、彼女の退席を促すような姿勢は見せない。


 彼女の身分と謝罪以外に、この場に留まる理由があるのだ。

 それを頭の片隅に残しておきながら、横から刺すように向けられた視線を努めて無視する。三対の視線がミレイユの頬を刺しては戻り、戻っては刺してきて、我慢出来ずに顔を向けた。


「信じていいのですよね?」


 懇願するかのように言ったのはアヴェリンだ。

 ユミルは拗ねるような目線、ルチアは哀しむような表情をしている。ミレイユは断腸の思いで頷き返した。


「私は誓う。この身に刻まれた名前は、間違いなくミレイユだと。決して違わず、真実を述べていると誓う」


 断言して見せると、アヴェリンは安心しきった表情で息を吐く。

 ユミルは未だ納得するような表情を見せてはいないが、それでも懐疑の目だけは向けなくなった。ルチアもまたアヴェリン同様、ホッと胸を撫で下ろしていた。


 実際、嘘は言っていない。

 ミレイユはこの身体の名前である事に偽りはない。ただ、魂の名前が御影豊だと言うだけで、決して嘘を言った訳でも、誤魔化しを言った訳でもないのだ。


 そもそもこのミレイユという名前も、初めて名乗る時に本名たる御影豊みえいゆたかと言い切れなかった事に端を発する。

 あまりに日本人的名前を、この姿で名乗る事に違和感を感じ、途中で名乗りを不自然に止めた結果、「みえい、ゆ……」となってしまった。


 それで『ミレイユ』という名前だと誤解されたのだが、怪我の功名とでも言うのか、むしろこの身に良く合う名前だと思って、訂正する事なく今に至る。

 だからこの身体の名前がミレイユというのは、決して間違いではないのだ。


 ――乗り切った。

 多少居たたまれなさを感じつつも、そうと分からぬように胸を撫で下ろす。いらぬ失言で、とんでもない事になるところだったが、一千華の助力でどうにか大事に至らず済んだ。


 ミレイユは視線を感じて、ちらりとそちらへ顔を向ける。

 その時のオミカゲ様の表情と来たら、まるで面白い見世物でも見せられたかのようだった。殴りつけようとする己の拳を、必死の自制心で止めなければならなかった。


 そうして、含み笑いを隠そうともせず、オミカゲ様は話を戻そうとする。


「ともかくも、我が名を見て、確信に至るピースがまた一つ埋まった訳か」

「……あぁ。あぁ、そうだ。お前の正体は、それら様々な要因から推測する事ができた。――だが、ちょっと待て。お前が私なのはいいとして、その妙な話し方は何なんだ?」

「聞く意味ある質問ではなかろう」

「確かに、好奇心以上のものではないが……」


 オミカゲ様は小さく笑う。己に対する諦観するかのような笑みだった。


「知れた事よ。神が軽薄な話し方をすると威厳を失う。現世で神をやるには、相応の苦労がある」

「それは……本当か? ふざけて言ってるんじゃないよな?」

「無論の事。娯楽にしても同じ事よ。観劇も推奨されぬ、昔は歌舞伎も見るべきものではなかった。今では逆に観て欲しいもののようだな。歴史ないもの、浅いものには触れさせて貰えぬのよ」

「……神なのに?」


 オミカゲ様はミレイユへ、儚いものを見るような視線を向けた。


「人の理屈も分かるでな……。神へ近づけるものは、それ相応の格が必要だと」


 ミレイユは何と言って良いか分からず声に詰まる。

 慰めの言葉を言うのも違う気がして、沈黙のまま、ただじっと視線を見返す。そうすると、オミカゲ様は表情を平坦なものに戻して話を戻した。


「ともかくも、そなたは我がミレイユであるという確信を得るに至ったわけか」

「そうだ。だが同時に、何故という疑問は解消できなかった。何故そのような事態に陥ったのか。何故そうする必要があったのか。――ここに来て、もう隠す意味はないだろう。教えてくれるんだよな?」


 オミカゲ様は疲れを滲ませる溜め息を吐いて、神妙に頷いた。


「……そう。それこそが本題。千年待つに至った話を、これから聞かせよう」

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