御影会談 その6

 オミカゲ様は無聊を慰めるように手を動かし、八房の見事な毛並みを撫で始めた。目を閉じ、その手が何度となく往復した後、ようやくその目を開く。


「前から話す内容は決めておったつもりであったが、いざ話そうと思うと難しいものよ……。まず、何から話したものか……」


 そう言って視線を天井に向け、また黙ってしまった。

 ミレイユはそれを辛抱強く待つ。事ここに至って、急かした所で仕方ない。


「そうさな……、最初は魔物について話そうか」

「魔物……あちらの世界の生物だ。それがこちら側に流れてきている、という認識で良いのか?」

「それで間違いない。ただ、こちらではあれを『渡鬼わたりおに』と呼称しておる故、他の誰かと話す際には留意せよ」

「魔力を理力と呼ばせているように? もしかしてだが、魔術も理術と呼ばせているのか? ……何のために?」


 ミレイユは一応聞いてみたが、その内容は凡そ理解していた。

 オミカゲ様と呼ばれ神を演じているように、ハッタリを利かせるには有効だったからだろう。神の扱う力が魔力という名前では都合が悪い。だから呼称を変更する事にした、という具合に。


「単に耳馴染みが良く、当時としてはそちらの方が分かり易かった。ただ、それだけの事だった。魔物や魔力と言っても分かりづらい。魔物というより鬼と言う方が理解も速かった」

「理力もか? 神術の方が分かり易そうなものだが」

「それだと人が使える道理がない。神と人が同列に置かれる事にもなってしまう。……まぁ、言葉遊びよ。時代によって変わって行くものでもある」


 ふぅん、と気のない返事をして、ミレイユは頷く。

 そこは別にどうでも良かった。そもそも最初は魔物からという話だったのだ、余計な事を聞いて横道に逸らしてしまった。


 ――どうにも余計な事ばかり聞いてしまう。

 これ以上話が逸れるような事は聞かないようにしよう、と思いながら、ミレイユは話の続きを促せば、一つ頷いてオミカゲ様は言う。


「さて、魔物が何故こちらの世界に現れたと思う?」

「お前が呼んだせいじゃないのか」


 ミレイユが鼻を鳴らし、視線を逸らす。

 実際のところ、ミレイユはその説を既に間違いだと切り捨てているが、しかし予想に反してオミカゲ様は頷いて見せた。


「間違いではない。だがより正確に言うならば、呼び込んだのはそなたである」

「……どういう事だ?」


 ミレイユは鋭くオミカゲ様へと視線を戻す。

 アヴェリン達もまた、謂れのない中傷に剣呑な気配を見せた。ミレイユ達が魔物を呼び込んだ、などという事実はない。だが、ここで嘘を言う理由も、下手に貶す理由も、オミカゲ様にはないだろう。


 そう考えると、もしかして、と思える予想が頭をよぎった。

 一番最初、魔物に遭遇した時、あるいはと思った事がある。それは――。


「私が世界を渡ったからか? そのせいで、何か不都合な事態が生まれた……?」

「――然様」

「ちょっと待ちなさいよ」


 オミカゲ様の首肯を見て、即座に反対したのはユミルだった。


「あの孔だって、ここ数ヶ月で初めて生まれたものじゃないでしょう? 私達が初日、あのゴブリンを倒した時には、それを調査しに来た何者かがいた。結界だってそうよ、初めてのものに対処するには出来すぎた代物だった」

「ミレイさんが発端とするには、ちょっと無理がありますよね」


 ルチアもまた同意すると、全員がオミカゲ様へ懐疑の視線を向ける。

 だが、そこには平坦な表情で見返す視線だけがあった。


「事態はそう単純な事ではない。――というより、過去に渡った事が、事態を複雑化させた。そして、が現世へ帰還した事が原因で、魔物が現れるようになったというのも、また間違いではないのだ」

「それだけではサッパリ分からん。詳しく説明してくれるんだろうな?」


 無論、と短く返事をして、オミカゲ様は続ける。


「そもそも何故、孔が生まれると思う? ――あの世界から逃げ出した、ミレイユを連れ戻す為だ。その為に幾度も、幾度でも孔を開けては虎視眈々と狙っている。だが孔は小さく、また一度に開けられる数も少ない。だから、これまでは水際対策が保たれていた」

「私を……連れ戻す? あの『遺物』を使ったせいか? そんな馬鹿な……!」

「受け容れよ。それが事実である。そこを認めてこそ、話が始められる」

「そんな事……! そうですか、なんて頷けるものか」


 ミレイユは強く睨んでオミカゲ様の言葉を否定した。

 大体、それだと分からない話が幾つもある。辻褄が合わない事が、頭の中で幾つでも思い浮かんだ。


「連れ戻す? そもそも誰がそんな事を? それに使う魔物がゴブリンだの、トロールだの、まるで意味がない。そんなものを出して私を捕獲できるか? 孔は何故すぐ閉じる? 大体、孔は私が来るより前からあるだろう!」

「随分と聞きたい事が多い。……だが答えよう。連れ戻そうとするのは十二の大神、魔物が弱いのは今だけで、孔を拡大する為に小さいものから送り込んでいるに過ぎない。孔がすぐ閉じるのは結界で覆って座標を誤認させているせいだが、向こうからすれば開ける事自体に意味があるからだ」


 矢継ぎ早に言われてミレイユは混乱する。

 情報が氾濫していて整理しきれない。意味があっても理解できず、そのまま全て右から左へ流れてしまった。

 そこへ非難するようにユミルが咎める声を上げた。


「もっと分かるように言いなさいな。そんな次々と言われたんじゃ、到底理解できないわ」

「次々と質問してきたのはミレイユであろうが……しかし、少々意地悪であったな。……うむ、順に答えよう」


 オミカゲ様がそう言うと、ユミルも頷き素直に引き下がる。

 ミレイユは既に、疲れがどっと肩に乗し掛かっているように感じた。このような話になるとは思っておらず、最初は精々その正体みたり、と指を突きつけるぐらいのつもりでいた。


 こんな事になると知っていたら、きっとミレイユは早々に逃げ出していただろう。

 そんなミレイユの気持ちを知ってか知らずか、オミカゲ様は続ける。


「まず、そなたを逃したと歯噛みした――かどうかは知らぬが、連れ戻そうと考えたのは十二の大神である。それ故、そなたが現世に現れると共に孔が生まれ、そこから魔物が出るようになった」

「孔が生まれた原因については、とりあえず納得しよう。しかし、何故十二の大神がそれを望むんだ」


 この質問には素直に答えなかった。

 ただ、意味が深そうな視線をユミルに向け、受けたユミルは知らぬ振りをして顔を逸らした。オミカゲ様は何事かに納得するように頷き、そして続ける。


「それについては後で話そう」

「後だと? 説明する為に話してる筈じゃないのか」

「物事には順序というものがある。そちらの方が理解も早かろう。今は捨て置け」


 そのように言われてはミレイユも強く言えない。

 ユミルの方へ顔を向けても正面を向いたまま、こちらに視線も向けてこない。何かを知っていたとしても、言わなかったのはお互い様。追求するような事は出来なかった。


「……まぁ、いいさ。では、魔物は? 連れ戻したいと考えてるなら、もっと強いものを選ぶだろう。あれではあまりに弱すぎる。とても本気とは思えない」

「そうであろうな。本気ではないのだから」

「どうしてそうなる? 言ってる事がおかしいだろう。連れ戻す為に兵を送り込んでいるんじゃないのか?」


 オミカゲ様はゆるく首を横に振った。


「まず孔が小さいというのが問題でな。強いものを送りたくとも、小さくては通れぬのよ。だから弱いものから送って、その孔の拡大を図っておる。いずれ送る本命の為にな。……最近、その魔物の強さが増しているのを感じた事はないか?」

「それは……確かに」


 最初はアキラも魔力なしで戦えるような敵がいた。

 それがついにはトロールが出るようになり、アキラには戦力外通告を出した程だ。そして今ではインプ程度の魔物はすっかり見なくなり、そしてトロールが最低基準になりつつある。


 それを考えれば、孔の拡大が進むにつれて、強い魔物が出やすい状況になっていると考える事はできる。


「つまり、最終的にドラゴンのような強大な魔物を送り込み、打倒した私を連れ去るのが大神の目的という事か? それとも神が乗り込んでくるつもりでいるのか?」

「乗り込むつもりはないであろうな。そもそも神は世界を越えられぬ。これは摂理の問題で、やる気や能力とは別の問題だ」

「そう……なのか?」

「神は信仰を得る事で力を得るが、同時に信仰に縛られるものでもあるのよ。世界に根を下ろすと言い換えも良い。だからもっとも手っ取り早い、神の手に寄る奪還は出来ない。――だから、こんなまどろっこしい事をしておるのだろう」


 最後の台詞は、まるで吐き捨てるかのように強い語調だった。

 実際、忸怩たる思いもあるのだろう。オミカゲ様の表情には強い嫌悪が浮かんでいる。


 しかし、そんな事より気になる事は幾らでもあった。


「私が現世へ帰還してから孔が出来たと言った。だが実際は、それより前から孔はあるんじゃないのか。だから結界なんてものも用意してあった。これでは言ってる事と矛盾する、そうだろう?」

「いいや、そうでもない」


 オミカゲ様はキッパリと否定し、そして八房により強く背を預けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る