御影会談 その7
つまらなそうに首を振り、そして自分自身を指差して続ける。
「我がここにいる事実を忘れてしまっては困る。……つまり、千年前から顕現しておる事実をな」
「そして狙いは
「うむ。我もまたその狙いの一人であったという事よ。だから孔は昔からあったし、その対策として結界も用意されていた。いずれ
最後に付け加えた意味深な物言いに引っ掛かるものはあるものの、ミレイユはとりあえず納得して頷く。
それについては良い。疑問は解消されたと言えるだろう。ミレイユの為に用意された結界、という言葉に偽りはなかった。
だがそれは、同時に別の疑問を呼び起こす。
「まぁ、それはいいさ……納得したよ。だが、分からない」
「ふむ……?」
「お前が私自身だという事については納得した。そこを蒸し返すつもりはない……しかし、過去へ飛んだと簡単に言ってるが、そんな事が可能なのか? 可能だとしてタイムパラドックスは? 私はオミカゲ様がいた事実なんて知らないし、この世には
矢継ぎ早に繰り出した質問に、オミカゲ様は大仰に手を振って顔を顰める。これみよがしに溜め息すら吐いて見せた。
「ややこしい問題を、ややこしく幾つも聞いてくるものよ。何も聞かずに受け入れろ、という答えでは納得すまいな?」
「当たり前だろ」
「我は全知全能でもなければ、真理を体現する神でもない。だから分からない事もある。そこを納得できるというなら、話してやるが」
「ああ、じゃあ是非ともその全知っぷりを発揮して聞かせてくれ」
オミカゲ様は渋い顔をして眉間を揉み、かといって何かを言い返して来る事もなく、しばらく思考に没頭し始めた。
何をどう話せば良いのか整理していると見え、そのまま暫く待ってやる。それから一分を過ぎ、五分を過ぎ、ようやく眉間から手を離して口を開いた。
「過去に渡った方法については簡単なこと。ドワーフ遺跡の『遺物』を使った。空間を飛び越え別世界から帰って来れるくらいなのでな、時間さえ飛び越えるのはそう難しい事ではない」
「しごく簡単そうに言うが……まぁ、そうだな。それで可能だったと言われれば、そうかもしれないという位には納得できる」
「次に時間的矛盾についてだが、これは時を飛び越える度、並行世界が作られる事で回避されているのだと思う」
ミレイユは少し首を傾け額に手を当てる。
「元いた世界と同じ、しかし細部が変わる世界という事か?」
「どの程度の差異があるにしろ、そういう事だと思う。そうでなければ、この世界には他にもミレイユがいなくてはならなくなる。最低でも、私を再びあちらに飛ばしたミレイユがな」
ミレイユは自分が聞いた事ながら、頭が痛くなる思いがした。渋面を作って額に当てた手を擦るように動かす。
「お前は……過去に戻ったんじゃなく、そもそも飛ばされたのか? また別のミレイユに、しかもあちらの世界へ? それで『遺物』を使って過去の日本へ戻ったと?」
「――いやはや、さっぱり目的が見えて来ないわ。一体なんの為にそんな事をしたの?」
堪りかねたようにユミルが口を挟んだ。
それについてはミレイユも同意するところで、話を聞く限り途中の動機がすっぱりと消えている。ここにいる事実からして過去に飛んだのは良しとして、ならば何故そのような事をしなければならなかったのか、という問題が噴出する。
元の世界へ再び帰るという話は良いとして、そもそも過去に飛ぼうなどという発想は生まれない。事故でそうなってしまったのなら仕方がない。しかし、そうでないなら強い動機があって行ったという事になる。
それこそ、何か余程の強い動機がなければ――。
「ちょっと待て、何で過去なんだ。戻って来たいというなら、現代へ帰還すれば良かったんじゃないのか。一度やった事だ、同じ事をすればいい」
「ああ、然様……。その部分が抜けておったか。世界の破滅を阻止するため、そういう事になろうか」
ミレイユは愕然として、オミカゲ様を見返す。
あまりに唐突な世界の破滅という単語は、驚愕して言葉を失うに十分だった。この場で突飛な嘘を吐く理由はないとはいえ、信じ難い話ではある。
現実味のない台詞を、八房の巨体を背に預けて言うものだから、それに拍車が掛かったという部分もあった。
「滅ぶのか、この世界が……? 何故?」
「幾らか予想がつくのではないか? あの孔が作られる目的は、そなたを連れ戻す事に違いないが、その副次的作用として何が出て来ている?」
「それは……魔物を吐き出しているが。……まさか、それで世界が滅ぶのか?」
魔物は弱く、ミレイユからすれば雑魚でしかない。オミカゲ様が自分と同程度の力量を持つなら、あれらに負けるなど考えられない。
だが、それでも滅びを止められないというのなら、単純な力量以外に問題がある、という事になる。
「例えば、数が問題だとか。……そう、一つではなく百なら、あるいは千なら……。対処が追いつかず、いずれキャパを超える。そういう事か……?」
「なかなか良い発想だ」
オミカゲ様は満足そうに頷き、そして一つ息を吐いた。
「……孔とは、そもそも何だと思う?」
「よく分からないが。魔物が出てくるくらいだ、あちらと繋がるトンネルみたいなものじゃないのか」
「繋がるという意味ではあながち間違いではないが、少し違う。あれは一方通行のものである。こちらから入って行く事は出来ない」
オミカゲ様の言い分に、ミレイユは眉を顰める。
連れ帰るのが目的だという言い分を信じるなら、それでは全く意味がない。孔の拡大が成功したところで、強大な魔物を送り込めるだけで本当の目的は達成できない事になる。
最初から意趣返しに世界を滅ぼすつもりだというなら、納得出来る話ではある。だが、そうではないとオミカゲ様は言ったばかりだ。
「こちらから行けないというなら、孔を開ける意味はなくないか? 連れ戻す為に開けたつもりじゃなかったのか」
「ああ、孔が最大化するまでは行けない、と言い直そうか。魔力を多く持つ者ほど、通行可能となる孔は大きくなる。そなたは自分がどれ程強大な力を持つか理解しておろうか? あちらから強力な魔物が出て来ていない以上、そなたもまた行けないという話である」
「つまり、それだけの孔を広げるまでは、ひたすら拡大に勤しむつもりだ、と?」
オミカゲ様は頷いて見せたものの、その表情はやや煮えきらない。理解しているつもりで、実はそうではないと思っているように見えた。
「そうさな……。今まではその拡大を防ぐ水際対策が成功しておった。弱い魔物――つまり小さな孔しか発生しておらなんだ故にな……」
「何故そんな事に……? いや、結界か」
「然様。昔はそれこそ、発生の感知と共に駆けつけて封じていたものよ。遠い場所だと馬では遅すぎてな、この八房の背に乗って走った事もあった」
そう言って、オミカゲ様は優しげに八房の毛皮を叩く。
それまで外へ顔を向けるか、それとも伏せの姿勢で顔を背けているかしていた八房が、頭を持ち上げて鼻面をオミカゲ様の頭に押し付ける。
くすぐったそうに身体を捩りながら、その口元あたりを優しく撫でた。
「オミカゲ様の鬼退治。……あぁ、そういう話があると聞いた事が……」
「我一人で戦っていた訳でもないがな。御由緒家とは、その鬼退治の為に組織した。我との混血が魔力を身に宿す人間を生み出すか、そういう実験の結果でもある」
「そして実際、魔力持ちの人間が誕生し、今では日本中に溢れるようになったと……」
必要な事だと思っての行動だったのかもしれないが、あまりにクレバー過ぎるとミレイユは顔を顰めた。そこまでする必要があるのか、とすら思う。
何をするつもりか、何のつもりでやっているんだと思っていたが、ここに来て感じるものがある。
――執念だ。
その強い想いがオミカゲ様を突き動かしている。
「御由緒家はオミカゲ様の矛であり盾であると聞いた。その言葉どおりだったという事か。戦う為に必要だったから、武器を鍛造するように子を作って増やしたと」
「なかなか辛辣な事を申すもの。……だが、告白しよう。最初の目的は確かにそうだった」
オミカゲ様は遠い目をして天井を見上げた。
その表情は懐かしむようなものであると同時、悔恨も多分に含んだ様なものにも見える。
何を思っているのかミレイユには想像もつかないが、楽しいものでなかった事だけは理解できる。
「一人では手が足りなくなるのは分かりきっていた。最初の孔が作られるペースは非常に緩やかで、ともすれば十年に一度という按配だった。しかし未来を知っておる故な……、緩やかなままでおらぬことは自明であった。我は百を救う横で千を失うと理解していた」
「だからこその御由緒家か……」
オミカゲ様は重々しく頷く。
「うむ……、必要だからと割り切ってな。だが、それだけではないぞ。この腕に子を抱いてからというもの、御由緒家は家族――愛しい我が子である。それは千年経た今でも変わらない。必要だからと子を生むような事は、それからしておらんしな」
「だが戦わせている事に変わりはない。子を戦地に送るというのはどういう気持ちなんだ」
「そこは家業として割り切っておるよ。戦えぬ者でも構わず武器を取れといった事はない。斯く在るべし、という気風はあるものだが」
オミカゲ様は悲しげに目を伏せた。
好き好んで戦わせている訳ではない、表情はそう物語っていたが、そうせざるを得ない事情があっての苦肉の策であったのだろう。
百を救う横で千を失う、と言った。
ミレイユも自分の力量を良く理解しているが、確かに一人で行える限界など百人には遠く及ばないものだ。特にもぐら叩きを例に出すなら、手の届かない範囲はどうにもならない。早く叩けたところで届かない部分は見逃すしかないのだ。
日本の国土は広いとは言えないが、しかし一人で全域をカバーできるものではない。
八房も気遣わしげに頬擦りしようとするが、その巨体だ。精々その頭を小突きまわるような体になってしまい、小さな笑い声を上げたオミカゲ様がタップするように口元を叩いた。
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