御影会談 その4

 オミカゲ様は肯定も否定もしなかったが、大いに満足そうな顔を見せた。

 ミレイユは鼻を鳴らして不快感を顕にすると、ユミルも同様に呆れた声を出した。


「……まぁ、何かあるんだろうとは思ってたけどねぇ。まさか、お偉方を集めておいたあの場で、盛大な嘘をぶちまけていたの? 何の為に?」

「利のない事をする奴でもないだろう。ならば当然、何か理由がある事になるが……」


 ミレイユがねめつけると、オミカゲ様は眉を下げる。困惑とも哀れみとも違う、慮るような視線を向けてきた。


「流石に理由は分からぬか?」

「盛大な詐欺をしたかった理由など分かるものか。精々、私を自分の身内に取り込む為だとか、そしてそれを正当化させる為に周知させたとか、その程度の目的かと思ったが……」

「間違いではない。そなたを私の御子だと周知させる事には意味がある」

「そうとは思えない」


 ミレイユが吐き捨てると、オミカゲ様は語気を強めて言った。


「あるとも。――そなたの為だ」

「私の? ……あぁ、私の身柄が宙に浮いた状態だと困る訳か。どこか勝手に他の組織に取られても、あるいは勝手に興されても困るものな」

「そう拗ねた物言いをするでない。理由は至極単純、そなたらを護りたかったからよ」


 そう言われて、怪訝な視線を向けたのはミレイユだけではなかった。アヴェリン達もまた、同様に怪訝とも懐疑とも取れる視線を向けている。


「何から? 悪の秘密組織か? それとも海外の諜報機関か?」

「制度、あるいは常識からだ」


 ミレイユの懐疑の眼差しが強まるが、それを無視してオミカゲ様は続ける。


「実際、我が御子としての立場はこの国で暮らすに、実に有利に働く。なに不自由なく暮らせ、ある程度自由に振る舞える。国籍を持たないという身分も、これで解消されるし、必要なら個人を証明する何かを用意してやってもいい」

「不自由がないとは良く言ったものだ。今現在、私はあまり自由とは感じてないがな」

「何もかも自由に振る舞うという訳にはいかぬ。しかし働くに働けず、金銭を得るのに困窮していた時から考えれば、随分恵まれた環境であろう」

「大人しく飼われるくらいなら、地を這ってでも生きる方を選ぶさ」


 ミレイユが突き放すように言うと、それへ同意するようにアヴェリンが大きく頷く。アヴェリンがミレイユを見つめる眼差しには、尊崇の色が混じっていた。

 オミカゲ様はミレイユを悲しげに見つめ、それから小さく息を吐く。


「そうさな……。そなたならば、そう言うか……。良かれと思ったが、余計な事だったやもしれぬ。我は何も単に身分の保証、生活の保証を確保したと言いたい訳ではない。言語伝達の補佐とて同じこと」

「――言語の補佐?」


 聞き咎めて、ミレイユは咄嗟に割り込んだ。


「電線に魔力を流して、それが翻訳作用の働きをしていると思ったが、やっぱりお前がそれをしていたのか?」

「そう、言葉が通じぬでは不便であろう。気を利かせたつもりだったのよ」

「その為だけに、あんな大掛かりな真似をしたのか」


 呆れた声で呟くと、それには静かな否定として返ってきた。


「大掛かりという程の事ではない。一度システム化すると、そう面倒なものでもなくなる。あくまで余波を利用したものであるしな」


 そう言ってから、オミカゲ様は神妙な調子で首を左右に振る。


「また話が逸れた。――我が御子として定めた一番の理由とその恩恵は、我との対面が容易く叶うという事であろうな」

「なるほど、確かに簡単じゃない。チケットを買わなければ、お前は会えない相手だものな」


 ミレイユの軽口に、オミカゲ様は肩を震わせて笑う。


「正しくそのとおり。我としても、そなたと会って話さねばならないと思っておった。しかし、それには身分が邪魔をする。単に顔が同じ相手を通すほど、奥宮の壁は低くない」

「だが……たかが、そんな事の為に?」


 到底信じられない事を聞いた思いで、ミレイユは顔を突き出すようにして、オミカゲ様へと顔を向けた。


「ただ対面して話す機会を作る為に、あんな大袈裟な事をやったのか? 御由緒家や他の名家、神宮勢力を集めて、神明裁判なんてものを開廷させたのも?」

「そう、そなたと誰憚る事なく会う条件を作る為だった。そなたが会いたいと言う、あるいは我が話したいと言えば、女官が万事取り計らってくれよう。誰でもないそなたが押しかけたところで、神宮勢力が迎え撃つだけ」

「……密談という方法もあったんじゃないのか?」


 ミレイユは苦し紛れにそう言ったが、実際それは無難な解決方法に思われた。

 何も信頼する部下たちを騙してまでやる必要はない。何かしら密かに会う機会など、権力者にとっては珍しい事ではない。隠す手段とて、無数にあって然るべき筈だ。


「無論、あったとも。だが、それではいつまで経っても、そなたから懐疑の目は晴れぬであろう。懐に入れ、曇りなき眼で見定める機会を設ければ、いずれ晴れると確信しての事だった」

「……どうだろうな。私は今の台詞で、なお懐疑の目を強めたが」

「それならそれで構わぬ。見続ける事で見えてくるものもあろう。最終的に理解してくれれば、それでよい」


 悠長なことを、と馬鹿にしながら、オミカゲ様から向けられる慈愛の籠もった視線から目を逸らす。

 ――気に入らない。

 何もかもが気に食わなかった。それが子供の稚気のような癇癪めいた感情だと理解しつつも、眼の前の神を気取る存在を認める気にはなれなかった。


 オミカゲ様は視線が合わない事を気にもせず、そのまま続ける。


「現世で憂いなく過ごして欲しいと思ったまで。……それが例え、僅かな間でも」

「憂いなく、ね……」


 その憂いを生み出した元凶が良く言ったもの、そう口に出そうとしたが、オミカゲ様と目が合ってしまって、急遽口を閉じた。

 実際、嘘を言っていないのは確かだろう。発言自体が本音である事も理解できる。しかし、それでもミレイユにそれを受け入れる気概が持てなかった。


 彼女が本当にミレイユの母だったなら、それも考慮できただろう。

 ――しかし、違う。

 オミカゲ様が嘘を吐いたという不信感から言うのではなく、単に信じたくないという気持ちばかりが先行して、そのせいで素直になれないのだ。


 言葉に詰まったまま視線を逸したままにしていると、そこにユミルが口を挟んできた。


「保護目的だろうと、対面が簡単になるんだろうと、何だっていいけどね。……結局アンタは何なのよ。何がしたい――いいえ、何者なの?」

「ソレから聞いておらぬのか」


 オミカゲ様がミレイユに向かって顎をしゃくったが、ユミルは肩を竦めて両手を上げた。


「何か知っているようだったけど、話してはくれなかったのよね。この場で明らかになるんだろうからと、今日まで待っていたけれど……。流石に、いい加減教えてくれてもいいでしょ?」

「良いだろう」


 オミカゲ様は神妙な顔付きで頷くと、ユミルからミレイユへ視線を移す。


「私はミレイユの未来であり、過去であり、そして現在いまである」

「なんで神を名乗る輩っていうのは、物事をスッパリ言えないのかしらね……。謎掛けめいた問答は、もう十分間に合ってるのよ」


 ユミルは大仰に溜め息を吐いて、人差し指をオミカゲ様へ向けた。


「で、アンタは誰なワケ?」

「――私だ」


 ユミルの詰問に答えたのはミレイユだった。

 慚愧に堪えないといった表情で、オミカゲ様を見つめながら続ける。


「いまアレが言ったとおりだろう。この先の未来で私は過去へ渡り、そしてこの現代まで神を名乗って生きてきた。……そういう事なんだろう?」

「細部については大きな認識の隔たりはあろうが、正解だ。そのとおり、何故そのような答えに辿り着いたか、聞いても良いか?」

「白々しいぞ。幾つもヒントを置いておいて、今更分からない訳ないだろうが」


 吐き捨てるように言ったミレイユだったが、それに待ったをかけたのはアヴェリンだった。


「お待ちを。……本当に、本当にここにいるオミカゲ様と名乗る者がミレイ様だというのですか? ミレイ様の未来の姿だと? 何かの間違いではなく?」

「アタシも正直、嘘だと思いたいけどねぇ……。どうも本人同士は、それと認めちゃってる感じなのよねぇ」

「神宮に入ってからこちら、頭を悩ませている風だったのも……何かに気付いたように見えたのも分かっていました。それがこれだったと?」


 ミレイユが無言で頷くと、それぞれが唸って黙り込んでしまった。

 到底信じられない、とその表情が物語っている。

 それも当然だろう。似た顔だと前から知っていたとしても、それで実は同一人物だったなど、それが過去に渡ったミレイユだなどと、素直に受け入れられる訳がない。


 俯向けていた顔を上げて、難しい顔をしたままのアヴェリンが問う。


「……ヒントと言うのは? 私達の知らぬ間に接触があったという事でしょうか?」

「いいや、そういう意味じゃない。それとない誘導はあったのかもしれないが、明確に露わにしてきたのは神宮に入った時からだ」


 入った時、とアヴェリンは口の中で単語を転がして、考え込む仕草を見せる。それから幾らもせずに顔を上げ、眉根を寄せながら言った。


「鳥居を潜った時の事ですか? マナの生成地であると判明したあの時……」

「材料の一つにはなったかもしれないが、それだけで判るものじゃない。――思えば、今日の会談の為、この話に誘導する為、予め用意してあったんだろう」

「一つも見つけられないとは思っておらなんだが、一つでも多く見てもらう為、複数用意し導線を引いておいた。自分自身にのみ気付く形であったから、他の者には分かるまい」


 オミカゲ様がアヴェリンを取り成すように言っても、彼女の表情が晴れる事はない。一つでも分からなければ、まるで自分の忠誠を疑われるとでも言うように、その眉間に皺が寄っている。

 そうして捻り出した考えを、僅かに上気させた顔で発した。


「……では、あの八房と呼ばれる精霊は? ミレイ様へと馴れ馴れしく鼻面を押し付けて来たアレは!」

「あぁ、あれはまさしく決定的だったな。八割、あるいは九割の懐疑が、それで確信へと変わった」


 アヴェリンは明らかにホッとした顔付きで問いを重ねる。


「では、あのとき自己紹介されたと申されていたのは……」

「うん、あれは八房自身の自己紹介だ。自分が何者か、という内容の」

「神狼を名乗る精霊? そんな存在、アンタの身近にいた?」

「千年を経て、そう名乗るようになったというだけだろう。だから、それとは別に考えるとして――私が召喚できる精霊で、犬の形を取る奴がいたろう?」

「フラットロ……?」


 アヴェリンが呆然と見える口調で言うと、ミレイユは頷く。

 精霊は時として長い年月の間でその姿を変える事がある。小精霊から大精霊へと成長した場合が顕著で、それ以降は大きな変化はないとされる。


 例えば角を持つ姿なら、その角が立派に成長していくという変化はあるものの、姿を大幅に変える事はない。見違える、と言える変化があるのは、大精霊へと成長した時だけだ。あとは精々、マナを身の内に取り込むにつれ身体が大きくなるくらいだった。


 尾が八つある事については分からないが、その尾の先に炎を灯らせて見せたのも、自分の正体を察知させる為だったのだろう。二人といない筈のミレイユがいて、それで威嚇したというのも事実かもしれないが、すぐに気付いて甘えるように鼻面を当ててきた。


「そう、鍛治の手伝いをよく頼む、あのフラットロだ。そして自分が何者かを伝えてくれた。……あれもお前がよこしたのか?」

「それは少し違う」


 オミカゲ様がする否定の返事へと視線を移した時、部屋が唐突に影に覆われる。巨大な雨雲が日を遮ったとも思えず、そちらへ顔を向けると、狼園で見たあの神狼が縁側に足をかけているところだった。


「――来たか、八房」

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