御影会談 その3
彼女がそうなのか、という思いと、今にも倒れそうな細い身体は、本当にそうなのかいう思いとで揺れ動く。オミカゲ様がそれだけの誠意を見せる様子は、単なる友人知人に向けるものとは一線を画すように思えた。
いつか結希乃が大宮司に対して、単なる宮司と一緒くたに出来ないと言っていた姿と重なる。
オミカゲ様は女官に促されるまま上座へ座った。
全員の姿を確認できる、長机の先端の席だ。彼女らにもミレイユたち同様に茶器が置かれていく。僅かな硬質な音だけが響く中、ミレイユは目の前の老女の顔が伺えないかと見つめていた。
見覚えがある、という気がする。
非常に身近な存在に。
それを知りたいという思いと、知るべきではないという警告が身の内から生じた。脳裏に何かが思い浮かびそうになり、それを形にしようとしたところで、オミカゲ様から声がかかる。
ミレイユはハッとして思考を中断し、オミカゲ様の方へ顔を向けた。
「……では、始めようと思うが……良いか? 心の準備は済ませていた筈であろう」
「勿論だ、既に済んでいる。だというのに、待たせたのはお前の方だ」
「それも然り。ではまず、遅れた言い訳をさせてもらうか」
そう言って、オミカゲ様は傍らの老女へ顔を向け、手の平を向けた。
老女は沈黙を続けたまま、丁寧な仕草で静かに頭を下げる。
「彼女が大宮司だ。御影日昇大社の宮司であり、また全御影神社の宮司を束ねる存在でもある」
「ご紹介に預かりました、大宮司の大職を預かっております、
一千華と名乗った老女は頭を下げたまま、そう言った。
何と返して良いものか迷っていると、きっちり五秒経ってから頭を上げる。その時、彼女と初めて目が合った。
その瞳には様々な感情が揺れ動いているようであり、それは同時によく知った目と似ているようで困惑する。
思わずルチアの方へ顔を向けると、彼女もまた食い入るように老いた宮司を見つめていた。
一千華はルチアへ目を向けない。ミレイユをひたと見つめたまま謝罪の続きを述べた。老年の見た目に違わず、嗄れた細い声だった。
「此度発したわたくしの勅により、度重なるご迷惑お掛けした事、深くお詫び申し上げます。いかなる処分も受け入れる覚悟は出来ております、何なりとお申し付け下さいませ」
そう言って、再び一千華は頭を下げたが、ミレイユは手を振って首も振る。
あれはもうミレイユの中では終わった話だ。謝罪も処分も必要ない。ただ、どういう意図を持って行われたのか、それだけが気がかりだった。
「謝罪なんて不要だ。だが何故、強引にも思える手段で作戦へ介入したのか、教えられるならそれを持って詫びとしたいんだが、どうだろうか」
「それは我を思っての事であろうが……そうだな、説明は任せようか」
オミカゲ様が堪りかねたように口を挟んできたが、一千華から無言の抗議めいた視線を受けて、素直に手を向けて譲る。
「オミカゲ様はああ仰って下さいましたが、全てはわたくしの思慮の浅さが招いた事でございます。貴女様の存在を知ったわたくしが、これ以上は捨て置けぬと判断し動いたまで。それが全てでございます」
「……フン」
ミレイユは少し考える振りをして、それから鼻を鳴らして否定した。
「それは嘘だな。私の存在を知り、そして脅威と判断したなら、あの程度の戦力でどうにか出来ると思わない筈だ。それでも敢えて強行したというなら、別の理由がある筈じゃないのか?」
「まぁ……」
一千華は虚を突かれたかのように目を丸くし、それから苦笑としか取れない顔を見せる。
「いいえ、浅慮だったと申し上げましたとおり、あれで十分だと考えたのでございます。貴女様はあの程度と仰りますが、当時投入された戦力は用意できる最大級のもの。決して侮って用意された戦力ではございません」
「では、それはいいとして、その真意はどこにあったんだ? 私達の実力の底まで見られなかったのは良いとして、捕らえてどうするつもりだった?」
一千華はやはり苦い顔のまま、そこへ申し訳無さが交じる声で言う。
「本当はもっと穏便に済むと考えていたのです。戦力を見せつける事で、意図を掴んで投降すると考えておりました」
「よく知りもしない相手を、よく穏便に済ませられると考えたものだ」
「結界への出入りで、貴女様がたの存在は察知しておりました。そこから結界内の様子もまた、見る機会は多かったのです。そこから考えた結果、お互いの置かれた状況から最善を選んで頂けると、そのように想定したのでございます」
一千華はそう言って、また頭を下げた。
嘘は言っていない気がする。だが本当の、心の奥底に眠るものまでは曝け出していない気がした。
今も熱心に一千華を見つめるルチアは、その眼に込める力が徐々に強まっている。信じがたいものを直視するようでもあり、また見たくないものを見せられているようでもある。
ミレイユはそれを奇妙に思いながら、一千華が頭を上げたのを期に、続けて問うた。
「捕らえた場合の話を聞いていないぞ。そちらは?」
「そちらは単純です。オミカゲ様へお引渡しするつもりでした。貴女様は私のよく知る御方。そうするのが最善だと思ったのです」
「御子神だから、か……?」
ミレイユが胡乱な視線を向ければ、一千華が事も無げに頷く。
「左様で御座いますね。……実を申しますと、貴女様の存在は現界された直後から気付いておりました。オミカゲ様にも報告しましたが、それと知りつつ放置するよう指示していたのもまた、オミカゲ様なのです」
意外な事を言われた気がして、ミレイユは眉を上げて顔を向ける。そこには常にあるような平坦な表情で、話し続ける一千華を見ていた。
「ですが貴女様の行動は目に見えて活動を増やして来ましたので、何も知らせず、何も教えず隠匿を続けるのが難しくなってまいりました。今回の件に便乗して捕縛してでも話を聞いてもらおうと、そういうつもりでいました」
「力任せに言いたい事だけ言い、そして聞かせようと?」
一千華は苦笑しようとした表情を、袂を上げて上品に隠す。
「そう言われると非常に暴力的な事態に聞こえてしまいますが、武力を見せれば対話の席に着くと思ったのです。何しろ、とにかく我の強い性格をしていらっしゃいましょう? 文を届けて日時を指定するようなやり方では、話すら出来ないと思ったのです」
「だが、結果としては逆効果で、私達は強行突破する事態となった」
「はい、ですから浅慮と申しました。全てはわたくしの浅慮蒙昧から生じた事態です。何卒、お許しを……」
一千華が頭を下げようとするのを、ミレイユは鋭い声で止めた。
「そう何度も頭を下げようとする必要はない。見ている方も疲れてしまう」
「かしこまりました」
そう言って一千華はおっとりと頷き、それを見たミレイユもまた頷いて、次いでオミカゲ様へ顔を向けた。
「勅が二つあったのは、お前も出したせいだと思っていいのか?」
「そなたが部隊を全滅させるような暴挙に及ぶ前に、それを止めるように指示を出したのだが……混乱は大層なもので、正確な意図が伝わらなかったようであるな。我が怒り狂っているように思ったらしい」
「それはまた……、何故?」
オミカゲ様はミレイユへ顔を向けると、面白そうに笑みを浮かべた。
「御由緒家が総出で掛かって止められぬというのは、それだけの大事だと言う事よ。それで意思の齟齬が生まれた。何としても捕らえなければ面子が立たぬと思ったらしい」
「あの実力でか?」
「残念ながら、その実力でだ」
オミカゲ様は苦々しい顔と共に息を吐く。
ミレイユ達の実力を正確に把握しているのなら、その差は正に雲泥と言って良く、そして同時に忸怩たる思いがした事だろう。
ミレイユ達との実力差は天と地だが、同時に疑問にも思う。
オミカゲ様の私兵としては余りに頼りなく、そしてそれで満足しているというのも有り得ない。
無論、個々の戦力というのは、磨けば際限なく上昇するものではない。だが、それを加味した上でも弱すぎる、というのがミレイユの感想だった。
それとも、そこに何か理由でもあるのだろうか。
「ともあれ、今回の騒動の発端については、既に説明されたとおりである。そなたの傍若不遜な振る舞いから始まったとも言えるが、枷なく世を闊歩させた我にも全く責がないとは言えぬ。しばらくは好きにさせていようと思ったのが、そもそも間違いであったやもしれぬ」
「私達の存在を最初から認識していたのにか?」
「然様である。そもそも、それがそなたの望みであろうが」
その指摘に、ミレイユは虚を突かれた気がして動きが止まる。
強く意思を込めてその顔を窺うと、オミカゲ様は挑むような目つきで見つめ返していた。
――何を、どこまで知っているのか。
そんなものは考えるまでもない。彼女は全てを知っている。ミレイユの予想が正しければ、むしろ知らない方がおかしい。
間違いであってくれと思いながら、オミカゲ様の顔を睨み返す。
彼女にとって、これは挑戦に違いない。
先程の言葉を合図として、それを知らせる時が来たと告げている。
ではまず、何から言うべきかを考えている間に、オミカゲ様は視線を切ってしまった。肩透かしのような気持ちでいると、一千華へ顔と手の平を向けた。
「此度の会談の話を聞いた時、彼女が是非参加したいと申して来た。理由も良く分かる故、その調整をしていたら殊の外遅くなった。……許せよ」
「ああ、そうか。……まぁ、いいさ。それについては理解した」
そもそも会話の始まりは遅れた事の詫びと、その理由からと話されていた。
やや強引な幕引きだったとも言えるが、しかし始めた話を、ここで終わらせたと明確に示した。
一千華も頷く程度の角度で、小さく頭を下げて謝意を示す。謝罪の叩頭としては余りに小さいが、ミレイユに言われた事を反映した結果、ああいう形になったのだろう。
ミレイユもまた頷く程度に頭を下げ、それで謝意を受け取ったという形に落ち着ける。
これで最初の挨拶とも言えるジャブが終わった。
本題はミレイユに対して振る舞われた暴挙ではない。法的観点からは、むしろミレイユは加害者なので、改まった謝罪は最初から必要としてなかった。
本題からずれた話を持ってきたのは、そもそも最初にしなければ、もうどこにも差し込めむ余地がなかったからだろう。
それは理解するが、しかし苛立ちが募る振る舞いであるのも確かだった。
オミカゲ様の手中で転がされている気がする。
本題があると見せかけ、しかしさらりと躱し、そしてまた匂わせた上で意識を逸らす。
苛立たせ、冷静な態度を取らせないつもりでいるなら、それは間違いなく成功だ。相手の術中に嵌っているという自覚がある。しかし、その自覚がある内は、まだ大丈夫だ。
それを冷静に見返し、対処する意思がある限り、完全な術中に嵌ったとは言えない。真の術中とは、その事を相手に気づかせない事だ。気づいた時には全てが終わっている。
ミレイユは一度大きく深呼吸をして、それから改めてオミカゲ様に顔を向けた。
そこには平坦な表情ではない、何かを期待する、そして挑むような視線が見える。
ミレイユはこうして対話する場が設けられたら、まず最初に何を言うかずっと考えていた。聞きたい事は沢山ある。魔物の存在、結界の理由、オミカゲ様として日本に君臨する是非。
色々あるが、まずその大きな間違いを正す事から始めるべきだと思った。
「オミカゲ様、お前の正体について聞きたい」
「知っている筈であろうが」
「そうだな。まずお前は母神でもないし、そもそも私を生んでいない。裁判で言った事は全て嘘だ。――そうだろう?」
黙って控えていたアヴェリン達から、動揺する気配が伝わった。
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