御影会談 その2

 遣いの女官は、昼食が済んだタイミングでやって来た。

 先導する彼女の後をついて行きながら、ミレイユはようやく来たか、と胸中でごちていた。オミカゲ様が忙しいのは話の端々から理解していたし、それとなく聞いた女官からも忙しい身だとは聞いていた。


 それでも待たされ続けてきた不満はある。

 この時間は結界への対処も他人任せで動いていなかったし、アキラは一応近所の見回り程度の動きはしていたようだが、実際遭遇する事はなかったそうだ。


 お陰で随分暇を持て余していたし、バカンス気分というには緊張が常に付き纏うような状況だった。さっさと終わらせてしまいたい、という気持ちを常に袖にされていたようなもので、だからミレイユの胸中は不満の気持ちが渦巻いていた。


 ミレイユの後ろにはアヴェリンは当然として、ルチアとユミルも着いて来ている。のんびりとした歩調で進みながら、やはりのんびりとした口調で問いかけてきた。


「一応聞くけど、アタシたち着いて来て良かったの?」

「駄目だとは書いていなかったのだから問題ないだろう。私一人で来るように伝えるなら、そのように禁止する旨を書くはずだしな」

「……ま、そうかもね」


 ユミルは気のない返事をしながら、小さく息を吐いた。

 それがどうにも気になって、後ろを振り返りながら聞いてみる。


「……何だ、どうしたんだ」

「んー……。何だって事はないんだけど、どうにも苦手なのよね、アタシ」

「苦手? オミカゲ様の事が?」

「そう、そのミカゲ某」


 ユミルがそう言った事を言うのは珍しい。

 ミレイユが善悪で、アヴェリンが強弱で他者の認否を定めるように、好悪で決める傾向が強いのはルチアで、ユミルは損得でそれを決める。単純な好悪だけで、他者を否定も肯定もしない。


 そしてオミカゲ様が損害を与えるような真似をしたかというと、状況的にマイナスへ傾いている訳ではない、というのがミレイユの判断だった。

 直接話した事もない相手を、最初から否定するような物言いをするユミルを意外に思った。――それとも、それが神を名乗る者となれば話も変わってくるのだろうか。


「何でまた、そのような事を……?」

「何でと言われてもねぇ……。あの目、かしらね」

「変な目で見られたという事か?」

「ならば間違っておりますまい。変に見える奴を変な目で見た、というだけの話でしょう」


 ミレイユとの話に割り込んで、アヴェリンがそう言っては鼻で笑った。

 ユミルもまた鼻で笑って、いつもの応酬が始まるかと思いきや、アヴェリンの方へ見向きもしない。思い返すように視線を外へ向けては、時折考え込むように唸る。

 らしくない様子に、ミレイユは思わず声を掛けた。


「……どうしたんだ、ユミル」

「口に出してみて、やっぱり思ったのよね。何であんな目を向けたのか……」

「具体的にはどんな目だったんだ?」

「何と言ったら良いのかしらね……」


 ユミルは再び考え込んで眉を寄せる。


「哀れみ……とは、違うわね。……もしかしたら謝罪、かしらね」

「謝罪? お前にか?」


 不可解な顔をしながら言ったユミルだったが、それはアヴェリンにとっても同様で、不可解な事を聞いたと顔に貼りつかせ問い返した。

 ユミルは口にした言葉を咀嚼するように何度も頷く。


「……そう、やっぱりそれが一番近いみたい。理由も意味も不明だから本気にしなくていいけど、アタシはそう感じたとだけ言っておくわ」

「ふむ……」


 確かにそれは、意味不明で理解不能な態度だったろう。

 ユミルとオミカゲ様との間に接点はない。それは常に行動を共にしていた、この場全員が証明する。

 そこへアヴェリンが何気ない口調で割り込んだ。


「そういう意味合いの視線なら、私もされたな」

「謝罪めいた視線を、という事か?」

「左様です。まったく意味不明だったので流しておりましたが、ユミルも同様にされていたというなら……ルチアもそうだったのか?」

「いえ、私にそういった視線は向けられませんでしたね。ただ、お二人には意味ありげな目を向ける事には気付いていましたけど」


 他の二人には向けるのに、ルチアにだけはそれがない。

 奇妙な事に思えるが、オミカゲ様の正体に当たりをつけているミレイユからすると、その発言は相当に意味が異なる。幾つも推論を重ねてきた事実に、また一つ嫌なものが重なって顔を顰めた。


 不都合な事実が重なる事は誰だって嫌な気持ちになるものだ。

 そして、その回答を得る機会が、今まさに目の前までやって来ている。夕食会で気が付いた一つの事実、そしてユミルの言葉の意味を理解すれば、聞きたくないという気持ちも湧いてきた。


 ミレイユは前へ振り返り、無言で先導を続ける女官の背中を見つめた。胃がずっしりと重くなった気がする。

 今更ながら、踵を返して帰りたい、という思いが湧く。

 ――不都合な真実が、正にあと一歩のところまで近付いていた。




 辿り着いた先は、やはりと言うべきか、豪華でありつつそうと感じさせない瀟洒な一室だった。畳張りの間で純和風の造りである事は意外でも何でもなかったが、天井があまりに高かった。

 二階部分を取り払っているのではないかと思える程に天井が高い。明かり採りとなる窓も多くあるので暗くは感じないが、しかしここまで高い天井にする必要があったのかは疑問に思った。


 鉤型になっている部屋の中央には縦長のテーブルがあって、それが部屋を二つに割っていた。片方の壁際にはさぞ価値のあるだろう壺や、華が生けられた皿などが飾ってある。


 もう片方の、反対となる壁は中庭に面していて、縁側部分にあった障子も全て開け放たれている。天井が高い分、障子もまた異常に縦長だが、開け放たれてしまえばその遠大な中庭を一望する事ができた。

 この部屋は、もしかするとこの中庭の景観を楽しんでもらう為にあるのかもしれない。


 障子が完全に取り払われ、遮るものが何もないので、室内に明かりをさんさんと取り込んでいる。

 室内が広いお陰で、その明かりが直接席にかかる訳でもなかった。しかし時間によっては、直接背に当たって辛い思いをしそうではある。


 室内にはまだ誰もいない。

 権威の高さ、爵位の高さなどで入室する順番は変わってくると聞いているので、ミレイユ達が先に来ているのはおかしい事ではない。

 待つ相手はオミカゲ様、この国において誰も彼女を待たせる事は出来ない。


 どの席に座るべきかと迷っていると、上座に一番近い席へと誘導され、女官が恭しく座布団を指し示す。ミレイユはその指示に従って、非常に分厚い柔らかなそれに尻を置いた。

 アヴェリンやユミルなども同じ扱いで、最後にルチアも座らされると、奥から盆を持った女官が四人やってくる。


 そうしてミレイユ達へ、順次お茶と茶菓子を配っていった。

 待っている間、ある程度快適に過ごせるように、という配慮なのだろうが、それなら遅れずやって来いという気持ちになる。

 ミレイユの不満顔が明らかだったせいか、ユミルが苦笑して言った。


「……気持ちは分かるけどね。もしアタシが知ってるマナーが、この世界でも共通する認識の元で成り立っているなら、待たせるのもまたマナーだと思うわよ」

「……そうなのか?」


 ええ、とユミルは頷いてお茶に口を着けた。


「権威付けに箔付け……。くだらないと思うけど、権威ある世界に住む者にとっては、それが武器にも盾にもなるものだから。色々形式を変えつつ無くならないのも、そのせいでしょうよ」

「そういうものかね?」

「特に時間に関してはね……」


 ミレイユは困ったように額を親指で掻いた。


「昔は明確に分かったのが、日の昇り具合傾き具合しかなかったじゃない? だから目算で現在時間を計るワケだけど、個人の見方でズレが出るのよね」

「まぁ……、そういう事もあるだろうな」

「けれど、自分より明確に目上な相手を待たせても不都合が出るワケでしょ?」

「そうだな」

「じゃあ予定より早く待ってようと思っても、目上の人間が早めに来たら、それはそれで破綻するワケよ」


 ユミルが何を言いたいか分かって、ミレイユもようやく得心がいって頷いた。


「つまり、そういう行き違いを防ぐ為に生まれたのが、そもそも目上の者は明確に遅れてやって来る事だと、そう言いたいのか?」

「あくまでアタシが知るマナーの話ではね。権威付けにも丁度いいから、お互いに分かった上で待ち合わせるのよ。時間ってのは誰にとっても平等だしね、それを目上は一方的に奪えるってワケねぇ」

「なるほど……。それがつまり、箔にも繋がる訳か」


 多分ね、とユミルは笑って茶菓子を口の中へ放り込んだ。

 ここまで博識ぶりを発揮しておきながら、しかし作法など知らないとばかりに、ユミルは庶民的な身振り手振りで菓子を食べる。


 楽しそうに菓子を頬張る姿は、作法を知っていればまずやらない事で、作法に対して侮辱しているようですらあった。

 そして事実、ユミルはそういった作法をくだらない、蔑ろにしてやりたいと思っている。それは彼女が家名を捨てた事にも関係するのだが、今となってはどうでも良い話だった。


 それよりは眼前に迫ったオミカゲ様との会談に集中したい。

 そう思った矢先の事だった。


 ミレイユ達が入ってきた扉が開かれる。

 待たされたといっても絶妙な待機時間で、遅いと感じるよりも前の事だった。実際には十分と待たされていない。長くやっていれば、その待たせる時間もまた計算されているのかもしれなかった。


 オミカゲ様の姿はいつだったかの神御衣とは違い、随分と軽装に感じてしまう和服姿だった。

 旅館の女将というのとは違い、襟元も開かれ幾らか着崩してある。下品な程という訳でもないが、舞台上で映えるような姿だった。

 宝冠もなく、本日がプライベートな場だと窺う事が出来る。


 そのオミカゲ様が自らその手で持って、誰かの手を引いて入室して来た。

 まだその姿は見えない。手だけを見れば痩せて枯れ木のようで、そして何より皺だらけだった。こちらも白い和服の前袖と袂、そこから伸びる手だけが見えている。

 オミカゲ様はミレイユと目が合うなり悲しげに目を伏せた。


 それが何を意味するかも分からず、我知らず息を呑み込んで続く姿を待った。

 和服と思ったのは間違いなかった。しかしそれを正確に言うなら巫女服というのが正解で、そして本来なら朱色である筈の袴や掛襟の内側などが、紫色を使った意匠に変わっている。


 皺だらけの手がそうであったように、続いて見せた顔にも深い皺が刻まれていた。髪は総白髪で伏せた目からは何の感情も伺えない。

 オミカゲ様の手を引くに任せ、背筋を伸ばして慎重に足を進めている。


 老女の席は上座に最も近く、ミレイユの対面となる場所だった。

 この時すらオミカゲ様御自ら手を貸して座らせる。明らかに異常な厚遇に、ミレイユは眉を寄せる。単に高齢者であれば、誰でも同じ扱いをするという訳ではないだろう。


 オミカゲ様がそれだけの敬意を見せる相手で、しかもそれが巫女装束を身に着けているとなれば、思いつく名は大宮司という者しかいない。


 ――まさか、この老女が。

 ミレイユは目を細めて、大宮司と思しき女性の動向を窺った。

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