御影会談 その1

 あれは果たして夕食会なのか、それとも懇親会だったのか。詳しい名称すら知らない顔見せから、既に二週間が経った。


 それまでの間に、アヴェリンに与えられた自室の一角と箱庭を繋げた。

 最初はミレイユの部屋と考えていたのだが、これにはアヴェリンが猛反対して頓挫する事になった。アキラにその気はなかろうが、ミレイユの寝室へ直通できてしまう事が問題らしい。


 そのような甲斐性はない、というのがミレイユの弁だったが、それは完全に黙殺された。

 アヴェリンは与えられた自室で寝泊まりせず、護衛の為、寝起きはミレイユの寝室で行う。自室に執着しないのは、必要としていないというのが一番の理由だろうが、ミレイユの護衛以上に大事なものなどないからだろう。


 むしろ箱庭への直通部屋として活用されて、満足している節すらある。

 箱庭にさえ通えれば、そして、そこまで遠くなければ後はどうでも良いのだろう。

 弟子として認めたからには、アキラの鍛練は継続して行う意思があるので、自室と繋がったのは渡りに船だったかもしれない。


 今はアキラの様子を見に行くような事をしていないが、どうやら相当揉まれているらしい、というのはアヴェリンの報告から伺う事が出来た。

 例の骨休めに骨を痛めつける行為も、ルチア主導のもとで行われているようだ。泣き言だけは一丁前だと、アヴェリンが苛立たしげに溜め息を吐いていたのを覚えている。


 ミレイユも暇潰しに顔を出したいと思っているのだが、そうもいかない事情が出来た。

 ある日、いつものように箱庭へ行っている間に、気を利かせて御用聞きに来た女官が、無人の部屋を見てパニックになった。


 確かに部屋へ入ったのを見た筈なのに、誰もいない。

 どこへ行ったのか、誘拐か、失踪か、と奥宮を上下に振ったような大騒ぎになった。護衛と身辺警護を勤める由井園への責任問題にも波及しそうになったところで、遂にそれがオミカゲ様の耳にも入る事態となった。


 そんな大事になっているとは知らないミレイユが、空腹を覚えて帰ってくると、オミカゲ様が直々に部屋の中で待ち構えていた。

 事情を聞き、懇切丁寧な説明と共にミレイユのやった事を理解させられると、それっきり箱庭には行かなくなった。行くこと事態を止められた訳ではないが、手続きを踏む必要がある。


 それが一々面倒で、そしてオミカゲ様の作戦は実に成功の目を見た事になる。アレは面倒な手続きを踏むくらいなら、暇だろうと部屋に居続けると理解していたのだ。


 ミレイユは椅子に座って、今も非常に不満を滲ませた顔で窓の外を見つめている。

 アヴェリンは鍛錬に行っているので、部屋の中にはルチアとユミルもいるのだが、さりとて会話に花が咲く訳でもない。


 彼女ら二人は何か学術的、あるいは好奇に任せた推論を挙げ連ねており、ミレイユがその隙間に入る余裕はない。

 というより、その話に巻き込まれるのが嫌で、敢えて無視するような形で窓の外へ目を向けている、というのが正解だった。


 ――二週間。

 オミカゲ様が話し合いの場を設ける、と言ってから経った時間だ。あまりしつこく尋ねるのも野暮な気がして今日まで我慢して来たが、流石に催促するべきだと思えてきた。


 組んだ足の先が苛立ちで揺れている。

 我慢強いという自覚のあるミレイユにしても、我慢の限界というものがある。直談判という単語が脳裏をよぎった時、咲桜が部屋の外から声を掛けてきた。


「失礼いたします。朝食の用意が整いました、こちらへお運び致しますか?」

「……そうしてくれ」


 食事は自室で取っても、あるいは食堂で取っても、どちらでも良かった。食堂といっても贅を凝らした貴賓室のような場所で、そこへ行くには少々歩かねばならない。とにかく広く、また複雑な道になっているせいで、どこへ行くにも億劫に感じてしまう。

 別に長くいるつもりはない、という思いがあるせいで、道を覚える意欲も薄い。待っている話し合いが終わればこの生活も終わり、という思いがそれに拍車をかけていた。


 それにまだ、アヴェリンが帰ってきていない。

 いつもと変わりない時間に帰ってくるなら、そろそろ姿を見せても良い筈だが、帰ってきてミレイユが食堂に行っているようでは寂しいだろう。


 ミレイユは咲桜の給仕に任せるまま、テーブルに朝食を用意させる。

 そうして全ての準備を終えた時、汗を流して来たと見えるアヴェリンが帰ってきた。


「ただいま戻りました、ミレイ様」

「ああ、丁度いいタイミングだったな。朝食にしよう」


 アヴェリンは恭しく礼をしたが、続いてユミル達二人へ目を向けて顔を険しくする。まるで護衛の任を全うしていると見えないのが、アヴェリンを苛立たせた原因だろう。


 実際二人はミレイユそっちのけにして、ベッドの上で腹這いになっては互いの意見をぶつけていたので、護衛の事など初めから意識にない。

 そもそも護衛の必要ある相手と認識していないので、意識は向けても気はそぞろだった。


「貴様ら、何だその体たらくは。そんな事でいざという時、ミレイ様を守れると思っているのか」

「だって必要ないじゃない。その時になれば、アタシよりよっぽど上手く対処するわよ。そんな相手に護衛なんて必要ある?」

「弛んでるぞ。そんな事で――」

「まぁ、いいじゃないか。まずはメシだ」


 アヴェリンの語気が上がり始めたところで、ミレイユが止める。

 これ幸いとユミルは席に座ってパンを手に取る。朝食は皆の希望でパン食と決めていた。朝からガッツリ食べないのがこれまでの慣習だったので、用意される朝食も質素なものだ。


 アヴェリンは渋い顔でユミルを見送った後、溜め息を吐いて席へ着いた。

 全員が着席したところでミレイユが一口パンに齧り付き、それを合図に全員が思い思いの物に手を付け始める。

 ミレイユはパンをしっかりと咀嚼し飲み込んでから、アヴェリンに問う。


「それで……、最近のアキラはどうなんだ? 少しはマシになったか」

「相変わらずです。魔力総量のノビは良いですが、それ以外の技術向上については予想通りといったところで……」

「使い物にはならないか」

「左様でございますね」


 アヴェリンが想定するレベルでは、現世の誰であろうと使い物になる戦士とはならないだろう。あまりに想定している基準が高すぎる。

 しかし、一人でも戦い続けるというアキラの理想を考えれば、採点も厳しくなるのは仕方ないところだった。


 そもそも一人で戦うというのは強者の理論だ。

 あらゆる困難、あらゆる強敵を一人で乗り越えるのは格好良く見えるが、実際には複数人で当たらねば、生き延びる事が出来ない事態というのが殆どだ。

 ミレイユでさえそれを自覚しているし、だからこそアヴェリン達と共にいる。


 そこまで考え、ふと現状と昔は勝手が随分違って来た事に思い至った。

 アキラが自分一人でも戦うと奮起したのは、そもそも身を護るにはそうするしかなかったからだ。魔物に対して無力であり、そして襲われる人が出るなら、それを護れる実力を身に着けたいと思っていた。


 魔物討伐組織なんてものも、あるかどうか不確かだったあの時は、そうするのが最善だった。だからといって今更武器を捨てる気もないだろうが、方針を変える事はできる。


「アヴェリンのお眼鏡に叶う水準に達する事はない、それは分かる。だが、この世界の戦士と比べた場合はどうだ? あの夕食会にいた者たちを基準として考えた場合は?」

「あの場にいたのは、この世界では高水準に当たる者たちなのですよね?」

「そう聞いている。まだ未熟な者もいたろうが、それでも平均を遥かに上回る実力を持っていた筈だ。結希乃ぐらいだと、他に類を見ないと称せるレベルのようだな」


 アヴェリンは暫く考え込む仕草を見せ、それから頷いた。


「そういう事ならば、届く可能性は十分にあるかと。最終的な成長までは分かりませんが、並び立つ可能性は残っています」

「……なるほど。全くの才能なしでもない訳か」


 ミレイユが考え込むような仕草を見せるにつけ、アヴェリンは不安にかられたような顔をする。まさか、という表情を隠しもせずに、ミレイユへ詰め寄ろうとした。

 だがその前に、ミレイユは笑って顔の前で手を振った。


「別にアレに対してどうこう、というつもりはない。……今のところはだが」

「ミレイ様……!」


 アヴェリンが非難するような声を上げるのとは反対に、愉快そうな声を上げたのはユミルだった。


「そう心配する必要ないでしょ。この子が認める実力を得る程に成長するとは思えないし。それならせめて、想定の半分程度の実力は身に着けて貰わないとねぇ……?」

「まぁ、そうだな。高いにしろ低いにしろ、レベルが違い過ぎる者を他と同じように扱う事はできない。それは必ず軋轢を生む。共にする理由がない」


 そうよね、とユミルが肩を竦めた。

 心配しなくても、アキラがミレイユ達と行動を共にすることはないだろう。今は状況が特殊だから別として、後は一人で鍛錬しろとアヴェリンが認めたとしても、だからミレイユ達のパーティに入るとはならない。


 その程度では、ユミルが言ったような半分の実力にすら届かないからだ。

 仮に数年の自己鍛錬を挟んだとしても、やはり無理だろう。才能の格差というのは続けた年数程度で届くものではない。ミレイユ達との間にある壁は、それほどまでに高いものだ。


 だからミレイユが匂わせた台詞は完全な遊び心でしかなかったのだが、アヴェリンには本気で考えているように見えてしまったようだ。


「何故そんな勘違いをしたんだ」

「いえ、それは……。アキラに対して余りに待遇が良すぎると思ったからでして……」

「ああ、それはアタシも思ったわねぇ。将来的に囲うつもりなのかと思ったわ」


 可愛い顔してるし、とユミルが笑って付け加えると、アヴェリンは顔を顰めて鼻を鳴らした。


「その程度でお側に置こうなどとは考えられん。ミレイ様を侮辱するな」

「そんなつもりはなかったけど……でも、不思議には思うワケよ」


 ユミルが顔を向けてきて、ミレイユ自身も不思議に思って首を傾けた。しばらく考えてみたが、それらしい答えは見つからず、傾けた状態で軽い調子で頷いて見せる。


「敢えて言うなら巡り合せだろう。気が向いただけと言い換えても良い。特別な理由は本当になかった。……いや違うか、同情かもな。若くして天涯孤独、だから少しは力を貸しても良い、という気持ちはあった」

「ふぅん……? それだけ?」

「そうだな。それ以上の意味はない」


 ミレイユの答えには、それぞれから納得したような雰囲気が伝わってくる。

 実際、何か一つ出会い方が違っていたら、今のようになっていなかったという気がする。だから本当にただの運だとしか答えようがなかった。


 そうして朝食が済んだ後の時間。

 今日もどうやって時間を潰すかを考えていたところで、ようやく待ちに待った手紙が来た。

 オミカゲ様と会談する日時に対する返答だった。


 ――準備が整った。今日の昼に遣いを出す。

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