顔見せと夕食会 その8
あまり一つの所で長居していられないので、ミレイユは別のテーブルに移動しようとした。今回の集まりはそもそも、ミレイユの顔見せを兼ねている。とりあえず、それを終わらせてしまわなくてはならない。
しかし横から、アヴェリンの気遣う声が聞こえてくる。
「ミレイ様、ご気分が優れないようなら、今日はもう自室でお休みになっては……」
「左様です。機会はこれから幾らでもありましょうし、無理するような事ではありますまい」
京之介からも心配される声を貰ったが、実際ミレイユは体調が優れないという訳ではなかった。食欲もあるし、酒だって飲みたい気分だ。
ミレイユはそれに笑顔を返して、続行すると告げた。
去り際に、結希乃の肩を軽く叩く。
「次に会う時までには、前と同じような扱いが出来るように頼む」
「……鋭意、努力致します」
引き攣った苦笑いだったものの、結希乃は確かに頷いた。
ミレイユとしては前途多難に思えたが、努力するというなら期待して待とう。
軽く手を挙げて席から離れると、すぐ隣のテーブルに向かった。
ここよりは阿由葉と違って関わりも薄く、ミレイユとは直接かち合わなかった者たちが続く。見覚えのある顔もなく、簡単な挨拶だけで済ませていく。
大袈裟な礼儀、装飾された言葉を聞かされていると、慣れないミレイユからすれば辟易してしまう。あるいは慣れたところで、辟易する気持ちは収まらないかもしれない。
オミカゲ様が挨拶を交わす度に平坦な表情をするのも、もしかしたらそういう理由があるのかも、と思った。
由衛、比家由とテーブルを移っていき、ようやく最後の由井園までやって来ると、そこには熱心な視線を向けてくる女性がいた。
どこの誰もがミレイユに対して関心を向けるのは、ある意味当然と言えるが、この女性だけはそれとはまた違ったものが窺える。それが何かと言われても分からないが、悪意ではない。
何かを熱望するような、あるいは渇望するような、熱い視線を向けている。
テーブルには二人いて、年嵩の方が母親で当主だろう。
ミレイユが顔を向けると、おっとりとした表情で一礼した。
「お初にお目にかかります。由井園家当主、志満でございます。以後、お見知り頂きますよう、お願い致します」
「ご挨拶が遅れました事、大変申し訳ありません。由井園家次期当主、
熱心に見えたのは視線だけではなかった。
誰よりも長い口上と家の役割――由井園だけに任された警護をアピールした上で、丁寧な礼を見せた。見事な礼とは思うが、肩の力が入りすぎているようにも思う。
侑茉は一体、ミレイユに何を見ているのだろう。
顔を上げた志満はおっとりと笑い、侑茉は顔を上げた後、なおも熱心に言葉を掛けてくる。
「お過ごしの中で、何かご不満な点は御座いませんか? 即座に対処させて頂きます」
「奥宮の警護はともかく、部屋の中まで口を出せるのか? また管轄が違うんじゃないか?」
「左様でございますが、こちらから働きかける事で、叶うものもあるのではないかと愚行する次第です」
「ほぅ……?」
「――これ、侑茉。不躾ですし、僭越です。奥向の事まで口を出すものではありません」
志満に叱責され、侑茉は悔しそうに顔を背けた後、一礼した。
やる気はあるのだろうが、何故そこまでやる気なのか分からないし、そもそも空回っている気もする。他所の部署から勝手に口出しされて面白くないのは、どこでも同じだろう。
それが分からぬようで次期当主が務まる筈もない。どうにも侑茉には焦りのようなものが見えた。
外の警護の事で不満がないかと言われたら、そもそも働きぶりを知らないミレイユに何も言えない。騒がしく行進しながら警護しているというなら文句も言おうが、これまで部屋で過ごしていて、音に不満を覚えた事はなかった。
そもそも、どこへ行っても静かなもので、音を出す事が不敬に当たるのかと思った程だった。
部屋の中に不満があるかと言われても同様で、過ごす時間が短すぎて問題は頭に浮かばない。仮にあったとしても、そこまで長居するつもりがないミレイユからすれば、ちょっと旅館に泊まっている程度の感覚だ。
何か欲しくて声をかければすぐに持ってくるし、不満などない。初日のコーヒーのように、無い物は無いで我慢できるし、そこで不満を述べるつもりもなかった。
しかし、どれほど長くここで過ごすかは分からないが、オミカゲ様と話し合いの場を設けるまで長く掛かりそうではあった。それまであの部屋でただ漫然と過ごすというには、確かに娯楽がなさ過ぎる。
「そういえば一つ……、用意して貰いたいものがあるな」
「何なりと仰って下さいませ」
前のめりに身体を傾けそうになりながら、侑茉が聞いた。
「テレビが欲しい。あるいはスマホかタブレットか……。用意できるか?」
「それは……」
侑茉の顔色が明らかに曇って、ミレイユはおやと首を傾げた。
決して無茶な要求をしたつもりはない。テレビくらいどこの家庭にもあるものだし、スマホについても同様だ。訳なく了承されると思ったのに、予想外な反応はミレイユを困惑させた。
「出来ないのか……?」
「……何と申しましょうか」
無理だと口にするのは憚られるらしい。
何故だと重ねて聞こうとする前に、横から別の声がそれを遮った。
「我も欲しいと思っているが、これがなかなか叶えて貰えぬ」
「――オミカゲ様!」
突然の事で、志満と侑茉が慌てて頭を下げた。
それへ気にするな、とでも言うように肩の高さまで手を挙げ、そして平坦な表情のままミレイユへ顔を向けた。
「何で来るんだ。お守りが必要な年じゃないぞ」
「そう邪険にするでない。興味深い話題が耳に入った故、少し聞かせてやろうと思ったまで」
「テレビがない理由か?」
オミカゲ様が頷き、そして不満を見せる表情でミレイユを見る。
「神には相応しくないという理由でな。同じ理由で携帯電話も、ゲームすら禁止されておる」
「お前に教育ママでもいるのか? しかもその要求を呑んでいるというのが意外だ。その程度の苦言、幾らでも覆せるだろうが」
不満を見せれば誰であろうと、それを叶えようと走り出しそうなものだが、しかしオミカゲ様はやはり首を横に振った。
「今代の女官長は、中々融通が利かず厳しいという事もあるが、神の威厳を貶めるようなものには近づけさせない不文律がある」
「……昔からそうなのか?」
「うむ。神が娯楽に興じている姿など、誰も望んでおらんという理屈らしいな」
オミカゲ様は達観した表情で視線を上に向けた。
それはそれで仕方ない、と受け入れてしまっているらしい。外に漏らさねばいいだけで、自室の中ぐらい好きにさせればいいと思うのだが、それではいけないのだろうか。
ミレイユはそのように聞いてみたのだが、それにもやはり達観した否定が返ってきた。
「そういう訳には行くまいよ。布団の上で寝転びながらゲームする神か? 想像するだに愉快だが、これまで積み重ねてきたもの全てが崩れ去るであろう」
「黙っていろとか、忘れろとか言っておけばいいだろうが」
「外の人間より、むしろ近くにいる巫女たち女官たちの方が、我の威厳を正し維持しようとする。我より我の事を考えておるのよ。少々、行き過ぎに感じる時もあるがな」
そう言って、疲れたように小さく笑う。
何を言っても聞かないとでも、思っているような口振りだった。本当に嫌ならそう言うだろうから、別にミレイユから何を言う気もなかったが、神なればこそイメージが大切だと言う事かもしれない。
「まぁ確かに、神が課金してガチャ回していたり、動画投稿してたりする姿は見たくないな」
「極論、そういう事であろうな。神には神に相応しい事だけしていろ、という事らしい。過去、許された娯楽といえば、碁と将棋であった」
「やるのか……将棋を?」
「好みに合わなかったから、今は碁しかやっておらぬ。よもや知らぬとでも?」
「……何で知ってなきゃいけないんだ?」
ミレイユが鼻に皺を寄せて顔を背けると、その先には驚愕した顔でミレイユ達の遣り取りを見ていた二人がいた。歯に衣着せぬ物言いが衝撃的過ぎたらしい。
ミレイユは興味本位で二人に聞いてみた。
「どうも碁に対して並々ならぬ自信があるらしいが、……強いのか?」
「は、はい、勿論でございます。人の領域では届かぬ高みから繰り出される一手は、まさに碁神の名に相応しいものです」
「本当に? 勝てば打首に遭うとか、神の威厳を貶めるとか言う理由で、誰も勝てないだけじゃないのか?」
「まさか……!」
侑茉が口にした否定は、まるで悲鳴のようだった。
図星を指されたというのではなく、不敬に対する悲鳴だった。
意外としか思えない視線をオミカゲ様に戻すと、不敵な笑みを浮かべて待ち構えていた。
「本当に強いのか?」
「……長く生きているとな、見えるものも違ってくる。もしも人の寿命が千年であれば、我より強い碁打ちは幾らでも生まれていよう」
「なるほど、そういう理屈か。確かに摩耗する事なく考え続けられるのは、一種の強みだ。高齢者は思考力だけでなく体力も衰えるしな」
「始めたばかりの頃も、別に強い訳ではなかった。ただ、長いことやってるだけだ。我の強みは、そこにこそある」
そう言ったオミカゲ様の瞳に剣呑な光が宿った。
何か決意めいたものを感じる。それは決して囲碁に対する向き合い方を言っているのではなく、もっと広い視野で、もっと別の何かを表しているような気がした。
それへ曖昧に頷いてみせると、オミカゲ様もまた頷きを返す。それから左右に視線を向けた後、周囲にも聞こえるよう厳かに告げた。
「そろそろ良い頃合いである。我が御子もまた全員の顔を覚え、皆もまた我が御子と知己を得ただろう。本日の意義を達せる事が出来たように思う」
その言葉を聞いた者たちは、揃って頭を下げた。
あまりに唐突に始まった演説だと思えたが、彼ら彼女らに動揺したところは見られない。よくある事なのかもしれなかった。
ミレイユは正面でその演説を聞きながら、左右へ身体を向ける。
アヴェリンは勿論、ユミルたちも頭を下げてはいない。ユミルと目が合うと、彼女はグラスに残ったワインを悪戯っぽく掲げて飲み干した。
「本日は少しでも互いを知り、懇親できたなら喜ばしい事である。急な呼び出しに応え、真に大義。御子に対し接触を制限するものはない。御由緒家に限り、親睦を深めたいと思うのならば好きにさせよう」
そう言ってオミカゲ様は周囲を睥睨する。
信頼するから好きにさせるのだと、その下げた頭に告げるようだった。
「――以上である」
オミカゲ様がそう宣言すると共に、踵を返して歩き去ってしまった。
何もかもが突然、唐突で、そして終わる時でさえ唐突だった。言いたい事を言って去っていく姿には傍若無人とした感じを覚えたが、神のする事と周囲は慣れているのかもしれない。
ミレイユがそう思って顔を上げた面々の姿を確認したのだが、しかしそこにも困惑した表情が浮かんでいた。釈然としない気持ちが強まる。
今正に恭しく開けられた扉から去っていく後ろ姿を見送りながら、ミレイユは彼女の胸中を推し量っていた。
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