顔見せと夕食会 その7

 ミレイユと由喜門家の遣り取りを見ていたのだろう、テーブルへ近づくのと同時に、その場にいた二人が身体を向けて一礼してきた。


 阿由葉京之介と結希乃の二人だった。

 頭を上げた結希乃の顔には緊張の色が窺える。京之介に緊張が見えないという意味ではなかったが、結希乃の緊張は度を越しているようではある。


「ご尊顔拝謁致しまして、恐悦至極に存じます。阿由葉家当主、京之介でございます。お見知り頂きますよう、お願いいたします」

「阿由葉家次期当主、結希乃でございます。ご尊顔拝謁賜る栄誉を噛み締めております」


 二人が再び頭を下げ、きっちり五秒経ってから頭を上げる。ミレイユもまた、なるべく友好的に見えるよう、手を挙げて挨拶した。


「元気そうだな、結希乃。大事ないか」

「ハッ、御子神様におかれましても、ご機嫌麗しゅう。その節は、大変なご迷惑を……!」


 言い刺した結希乃の言葉を、手を振って強制的に切った。

 不興を買ったかと顔を青ざめさせた結希乃に、ミレイユは困ったような笑みを向けた。


「結希乃、お前が謝る必要はない。此度は私の方から謝罪に来たのだ。お前の仕事と権利を蔑ろにした、その事に対してな。――許せよ」

「滅相もございません……! 此度の事は私の不遜と致すところで――」

「いいから、やめろ。必要ないんだ……分かるか?」


 ミレイユの口調が僅かに棘を帯びたのを感じて、やはり結希乃は失態を悟り青褪めた。

 困った顔のまま京之介の方へ顔を向け、小さく首を傾ける。


「いつもこうなのか、結希乃は?」

「決してそのような事は……。自分が仕出かした事の重大性を認識するにあたり、重責を感じてあのようになってしまったようです。普段はもっと凛々しい……」

「ああ、まぁ、分かった」


 親馬鹿の子供自慢が始まりそうな雰囲気を察して、ミレイユは早々に会話を打ち切る。

 ミレイユは不躾とも取れる距離まで自ら近づき、今も臍の辺りで両手を重ねている結希乃の手を取った。少しでも安心させてやりたくて取ったその指先が、あまりに冷え切ってしまっている。


「緊張していたのか、そこまで……?」

「お許し頂けなくとも、謝罪はせねばならないと心に決めていました。御子神様に対する不敬不遜を考えれば、命を持って償うべきだとも……」


 結希乃は手ずから握られた自身の手を、恐ろしいものを見るような視線を向けている。

 その反応を考えれば、ミレイユが軽率にやってみせた手を取る行為そのものが拙かったのだろう。僭越だとか恐れ多いだとか、考えているのかもしれない。


 ミレイユは安心させるように自らの手を上に重ね、手の甲を優しく擦るように動かす。


「ここまでの時点で、もう何度も言っている事ではあるんだが。……私は別に偉い訳じゃない。そのように緊張されると、私もどうして良いか分からなくなる」言ってちらりと笑みを見せる。「そういう訳で、私を助けると思って普段どおりに過ごしてみないか?」

「は、はい……」


 結希乃は喘ぐようにして頷く。

 言われるままに頷いたというだけで、意味を深く理解して頷いた訳ではない。どうしたものかと京之介へと顔を向ければ、やはり困ったように笑っていた。


「御子神様の言うとおりだ。そのように緊張して、ろくに返事も出来ないのは不敬だろう。助けると思って、と言って下さっているんだ。お前ももっと歩み寄る努力をしなさい」


 結希乃は目だけ向けて、こくこくと頷くと、改めてミレイユに膝を軽く折るだけの礼をした。近くで手を握っているせいで、頭を下げられなかった故の苦肉の策なのかもしれない。


「お許しを。余りに……その、恐れ多く感じまして」

「二人の出会いのせいか?」

「そう……かもしれません」


 ミレイユは擦る手を止め、優しく離した。

 結希乃は感極まったように、その手を胸の前で抱く。


「あれは完全に私が悪かったんだし、気に病む必要はないと思うんだがな。私も丁度イライラしていたから、とにかく暴れたい心境だったしな」

「あのヤクザ者のせいでしょうか?」

「それとは別件だ。だが、スイッチを押したのは間違いなくアイツらだな。……お前には迷惑をかけた。それだけだ、今回立ち寄った理由はな」

「はい、真に恐れ多くも……」


 なおも謝罪を重ねようとする結希乃に、ミレイユは素早く手を上げ言葉を止めた。


「いいから……、いいんだ。大体、私のやる事に一々謝罪していたら身が持たないだろう。こういう遣り取りに辟易してるんだ、分からないか?」

「ハ……」


 もはや癖になりつつあるのか、また謝罪しそうになったところで、結希乃は慌てて動きを止める。

 ミレイユの中では結希乃はデキる女の代名詞のように見えていたのだが、ここら辺で少し見直す必要があるかもしれない。

 京之介に眉を顰めて目を向けて見れば、済まなそうな顔で小さく頭を下げていた。


「娘が失礼いたしました。結希乃も、御子神様のご気質は壇上にいらした時から見えていただろう。そのような態度こそが最も疎まれるのだと理解なさい。同年代の上司のように見てみたらどうだ」

「その辺りが落とし所か?」

「ハ……。友人のように気安い付き合いというのは絶望的かと。オミカゲ様への信仰心にも関わる事ですので、気安すぎる態度というのは躊躇われます」


 ふぅん、と当のオミカゲ様へと視線を向ければ、先程とは別のテーブルで何か話をしているようだ。やはり平坦な表情で、声までは分からないが、やはり平坦な声で対応しているように見えた。


 それへ威嚇するように鼻へ皺を寄せて、喉の奥で唸る。

 その様子を見ていた京之介は、しみじみとした表情でミレイユに頭を下げる。

 今度は何だと思いながら、重い溜息を漏らした。


「だからそういう態度を――」

「申し訳ございません、どうしても謝意を表明したかったのです」


 そう言って、京之介はミレイユの言葉を待たずに頭を上げた。


「壇上でのお二柱の遣り取りを見させて頂きました。気安く軽口を叩き合い、口さがなく物を言い合う。オミカゲ様は実に楽しそうにしていらした」

「いう程の事じゃないだろ。単なる馬鹿な遣り取りだ」

「それこそがオミカゲ様にとって、遥か彼方、手の届かなくなったものでございましょう。仮に同じ振る舞いをせよ、と命じられても出来る事では御座いません。魂がそれを拒むのです」

「そこまで大袈裟な話か?」


 ミレイユは胡乱げな目を向けたが、京之介は大いに頷いた。


「オミカゲ様が千年の間に、我が日本国に、日本国民に、どれほどの事をして頂いて来たか、ご存知ですか」

「色々聞いたし、調べもした。多くのことを為して来たようだ。国の礎を築いたとも言えるし、またその庇護についても、他国からすれば嫉妬で狂うレベルだろう」

「まさに仰るとおり。オミカゲ様から受けたご恩は数知れず、怪我と病気から救われた者など正に数えられますまい。千年もずっと、そうして国を護って頂いておるのです。不要と言われようと、先祖代々の教えと誇りが、それを許しません」

「難儀な事だな……」


 オミカゲ様が友を求めたとしても、長い年月して来た事を思えば、感謝や敬意の方が先に来て、それを拒んでしまうのか。

 願うものは些細であるのに、しかし決して手に入らない。

 自身の行ってきた千年が、それを拒絶するのだ。


「ですから、オミカゲ様のあのような笑顔を見られて、我ら臣下一同感謝しております。高天ヶ原より参られた御子神様、どうか末永くオミカゲ様と共にして頂きますよう。もしも叶うなら、これに勝る喜びはありません」

「さて、どうかな……。そんな事言うより前に、オミカゲ様に気軽な挨拶でもする練習をすればいいだろうに」


 無理な事を言っている自覚はあるが、京之介の顔色を伺う限り、やはり無理であるようだ。ミレイユが言った事を想像しただけで額に脂汗を浮かべるようでは、決して叶わぬ願いだろう。


 ミレイユは改めてオミカゲ様を見る。

 気安い相手と、気安い関係。そういう者が一人もいないとは思いたくない。オミカゲ様の正体がミレイユの考えるとおりなら、一人もいないという事はあり得ない筈なのだ。


 だが、ここのところ奥御殿で過ごすに辺り、ミレイユが考えるような人物は目に掛かっていない。その事実に思い至って、思わずミレイユは強い視線をオミカゲ様に向けた。


 視線が交叉し、見つめ合う。お互い以外に見えるものがなくなっていく。

 話し声や食器に何かが当たる音、耳に入る音全てが遠くなった。


 見つめている間、お互いに何も言わないし、何も匂わせない。その視線から汲み取れる意思はなく、ただ時間だけが過ぎた。

 意味があるかも分からない行動、それを先にやめたのはミレイユだった。


 気づけばアヴェリンに肩を叩かれている。

 心配そうな表情で横からミレイユを伺っており、それを認識するのと同時に雑音が戻ってくる。喧騒という程大きいものではなかったが、視界に映るものが増えるに連れて、その音も大きくなっていった。


「ミレイ様、ご気分でも悪いのですか……?」

「いや、違う。……いいんだ、大丈夫」


 肩に触れていたアヴェリンの手をそっと引き剥がす。

 それでも視線はオミカゲ様に向いたままだった。あちらはもう、ミレイユを見ていない。先程とは別の人物と会話しており、やはり平坦な表情で相手を見つめている。


 ミレイユの杞憂であればいい。

 そうであって欲しい、という気持ちと、ある可能性を示唆する気持ちがぶつかり会う。それは胸の奥で澱のように溜まり、ミレイユの心にシコリを残した。


 ミレイユの表情が歪む。

 気づかねば良かった、という気持ちがドッと胸に去来した。

 視界を左右へ廻らし、壁際四面それぞれを見ていく。そこには護衛や見張りをしているような者が、控えめに直立していた。給仕の格好をしているが、体付きからそれと分かる。

 そしてミレイユの知った顔は一人もいない。


 それを確認して溜め息を吐いた。

 重い重い溜め息だった。

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