顔見せと夕食会 その6
「何か思い当たる事があるのか?」
「ミレイユ様……はい、もしかしたらと思い当たるものが。国から助成金が出てるので、それで生活費や学費を工面しているんですけど、やけに多めだと思ったんです」
「そうなのか?」
「子供が施設に入るのは、何も自分ひとりで生活できないからという理由だけじゃなくて、そもそもそういった資金を用意する事が出来ないからです。一人一人を支援するより一箇所に集めた方が管理もしやすく費用も抑えられるから、という切実な理由もあるので……」
「それを考えると、一人に配る費用としては多すぎる?」
アキラは神妙な顔をして頷く。
金さえ出せば子供が一人で生きていけるか、と言われれば難しい。誰もが浪費する訳でもないだろうが、節度ある使用が出来る者は少ないし、使った分だけ補填される訳でもない。
政府にしても金だけ払えば義務を果たしているという事にはならない。親代わりに子を導く存在は不可欠だ。結果として浮浪児を増やすだけになるだろうし、それでは援助とは言えない。
だが、それなら何故アキラは一人で暮らす事が許可されたのか、という疑問が浮かんでくる。
「僕が施設に入らずに済んだのは、一重に一人で生きる為の資金があるせいだと思ってました。最初は施設に入る選択を迫られたんです。お金があっても一人で生活するのは困難だから、と」
「もっともな話だ」
日本の治安が良い事は確かだが、だからといって未成年の子供が一人暮らしする事を保証するものではない。
学費と一口に言っても大きな金額が動くし、修学旅行の費用積立など、子供が管理するには難しい問題は幾らでもある。幸いアキラは上手くやっていたようだが、それとて恵まれた環境にあればこそだ。全ての人間に当て嵌められるものではない。
「やけに積極的に勧められるから、逆に不安がってしまって……。殆ど逃げ出すような形で一人暮らしを始めたんですけど、でも実は違ったんですか? ずっと助けられていたんでしょうか?」
藤十郎は静かに頷く。
「あのアパートは良い物件ではないかもしれないが、しかし保証人もなく子供一人を住まわせてくれる程に、恵まれた物件という訳でもない。両親と共に住んでいたとはいえ、その両親が亡くなったとなれば、普通は追い出されてしまう」
藤十郎は一度言葉を切り、そして小さく息を吐いてから続けた。
「由喜門家が後ろで手を回した。助成金の増額についても同様、こちらで支援したものだ」
アキラが言葉もなく溜め息を吐いた。信じられない気持ちと、信じたい気持ちが合わさり、どう対応して良いのか分からないでいるようだ。
「人をつける程ではないが、金の流れを追い、生活に困窮していないかは確認していた。残額が大きく減るような事があればチェックし、その度に補填するような形でね。……幸い、そういうような事態はなかったが」
「でも……、何故そんな回りくどい方法を? 別に家へ招いてくれとは言いませんし、今更となれば尚の事言えませんけど……でも、どうしてそこまでしてくれるんですか?」
藤十郎は寂し気に笑い、そして再びアキラへ視線を合わせる。
「それは君が私の甥であり、兄の忘れ形見であるからだ」
「でも……一度も会った事ありませんよね? 僕は一度も親から自分があの御由緒家だとは教わりませんでした。関わりがないとさえ言われました。なのに何故……?」
「それは……、兄は由喜門家から離縁したからだ」
藤十郎は苦渋に満ちた顔付きで、絞り出すように言った。
りえん、とアキラは口の中で言葉を転がす。
「兄は自分を絶縁した上で勘当という扱いにしてくれ、と言っていたが、私はあくまで穏当に行きたかった。兄とは書類上絶縁という形にしたが、困った時に頼れるよう、家中では離縁という扱いにすると言ってあった」
「そうか、だから……」
役所でも親類の話が出なかったのは、そういう理由か。
アキラが納得と同時に悲しげに目を伏せるのを、ミレイユは後ろから見ていた。
藤十郎の言う話は筋が通っていて、また嘘を言っている様子もない。ここまでの話を聞く限り、今更アキラの存在を知って擦り寄って来たとは、もはや考えられない。
むしろ、このような場にあって姿を見せたからこそ、その話をする為に声を掛けたのだろう。
「でも、何故父は絶縁などと言ったんですか? 何か悪い事でも……」
「悪事を為した訳ではないが……、敢えていうなら弱い自分が悪だからと思ったからだろう。それが許せなかった」
「弱い……?」
アキラが困惑して聞き返すと、藤十郎は悲しげに目を伏せて頷く。
「御由緒家にあって、弱さとは罪と考える者は多い。オミカゲ様の矛となり盾となるのが、我ら御由緒家の使命。その為の力も備わっている。それを伸ばし、最も適正の高い理術をオミカゲ様より授かる。その後は鬼を退治する為、戦い続ける人生を送る」
そればかりじゃないがね、と付け加え、藤十郎は口の端を小さく上げた。
「他の家に生まれていたらと思うよ……。兄は戦う事に向かない性格だった。能力そのものは平均より上だったが、鬼を見ると戦えなくなる。恐怖に負けてしまったんだな。死にかける事なんて、鬼退治などしてれば日常茶飯事だが、兄は一度で心が折れてしまった」
「それは……分かる気がします。誰だって怖いし、逃げ出したいと思うのは普通です」
藤十郎は首を静かに横に振って否定した。
「だが、御由緒家にあってその理屈は通じない。戦う為の御由緒家だ。我々が先頭に立たねば、誰がそれに付いて来る? 肝心な時に逃げ出すような者に、誰が信頼を預ける。――我ら御由緒家は、戦う者たち全ての規範となり模範とならねばならない。泣き言は許されない。だから御由緒家でいられる」
アキラは押し黙って俯いてしまった。
「無論、御由緒家の歴史にあって戦えぬ者も皆無ではなかった。兄同様、戦えぬ者はいたのだ。御由緒家は単なる武闘集団という訳ではなく、今では日本経済を支える会社を受け持つ家でもある。そこで働けば良いと言いもした」
「でも、父は拒絶したんですね……」
「恥の上塗りは出来ぬと言ってね。長子であったのも理由の一つだろう。兄は努力の人だった。男性として生まれたからには、最初から理力について女性より劣って見られる。それは事実だ。だから努力を重ねて、女性と渡り合えるだけの力を身に着けもした」
藤十郎は再び首を左右に振り、溜め息を吐いた。
「戦えない身になって一番に嘆いたのは兄だ。幾度も恐怖に負けまいと刀を振るい、より理力を高める努力もした。しかし戦場に立てば、一歩も動けなかった。そして兄は失意のまま、逃げ出す事を選んだ……」
アキラは溜め息をつくだけで顔を上げない。
藤十郎はその頭へ落とすように言葉を放った。
「絶縁してくれと言い出したのは兄の方だ。当主だった母は、兄が戦えぬと知って床に伏せてしまい、話が出来る状態ではなかった。母は庇ったろうが、父は腹を切れと喚いていた。兄が逃げるように去ろうとした日、私は兄を見送り、いつでも帰ってこいと言って別れた」
当時の事を思い出しているのだろう、その声はあまりに重く寂しい。
藤十郎もまた重い溜息を吐いた。
「書類上とはいえ、一度絶縁した身内を懐に入れたとなれば、それ即ち醜聞となる。私は御家の為に君を切り捨て、そして良心の呵責を埋める為に出来る範囲の事をした。それに感謝する必要はない。都合の良い事を、と恨み言を言っていい。君にはその権利がある」
「いえ、そんなの……ある訳ないですよ。何も知らなかったのに、裏で助けてくれていたのに、知りもしないで感謝もしないで……」
アキラは顔を俯向けたまま、上げようともしない。声音から泣いている訳ではないと分かるが、合わせる顔がないとでも思っていそうな雰囲気だった。
しばらくの沈黙が続く。
アキラが口を開こうとしたところで、横合いから口を挟んだのはミレイユだった。
「そこで謝罪合戦を始めようというなら、全くの不毛だからやめておけ。意味もなければ価値もない。……お前はどうしたい?」
「どう、と言われても……」
「特に思う事はないんだな?」
「ないと言うより、むしろ感謝の気持ちはありますけど……」
「じゃあ、それで話は終わりだな。感謝しろ。頭を下げて礼を言え」
ミレイユが一方的に命令口調で指示を出し、つまらなそうに手を振った。
困惑しつつもミレイユに一礼してから藤十郎に向き直り、改めて深く頭を下げた。
「あの……、今まで……ありがとうございました。こういう時の作法とか全然知らないし、どう伝えたらいいのかも分からないんですけど……。でも、ありがとうございます」
「いや、何よりその気持ちが嬉しい。作法などと気にする必要はない。私の方こそ、ありがとう」
アキラの言葉を飾らない感謝に、藤十郎も笑顔を浮かべた。
そしてミレイユの方へも振り返り、深く深く頭を下げる。
「御子神様へも感謝申し上げます。このような機会を頂き、また背中を押して頂いたこと、どれほどの言葉を重ねても伝える術を持ちません。誠に、ありがとうございました……!」
「ミレイユ様、僕からも……! 間を持って頂いて、ありがとうございました!」
ミレイユは頭を下げる二人へ、面倒そうに手を振って顔をしかめた。
「いいから、そういうの。単に不毛な遣り取りを身近で見せられたくなかっただけだ。放置して行けば後々まで煩いこと言われそうだったしな。復縁させるのは難しいだろうが、金銭的援助が心の拠り所になるというなら、送ってやれば良い」
「ハ……、そのように」
「アキラも受け取れ。助けると思ってな」
「はい、そうします……」
ミレイユは小さく息を吐いてから、二人に顔を上げるように命じた。
素直に応じて頭を上げた二人へ、チラリと笑みを見せる。
「ま、良かったじゃないか。お互いにとって救いになると言うならな。まだ謝罪や感謝を言い合いたいというなら好きにしろ。私は次のテーブルに行かねばならない」
「え、はい……。着いて行った方がいいですか?」
「いいや、必要ない。護衛として見ると、お前は頼りがいがなさ過ぎる」
そう言って、アヴェリンに顔を向けてニヤリと笑った。
アヴェリンもまた笑みを返して、アキラの方へつまらなそうに鼻を鳴らす。
「せっかくだから話して行けばいいだろう。ろくに食べていなかったろうし、これでさよならは寂しいんじゃないか?」
「いえ、でも……」
「ああ、それはいい。良ければ兄の話を聞かせて欲しい。私からも、かつての兄の話など聞かせようじゃないか。どうだね?」
「そうですね……」
アキラは一度ミレイユへ、どうしたらいいのか乞うような視線を向けてきたが、無視して隣のテーブルへ顔を向けた。あちらからも、ここの話は聞こえていたろう。
醜聞が広まってしまったようなものだが、本当に広まるのが嫌ならば時と場所を改めて話していた筈だ。最低限、身内だと明かした上で、詳しい話は自宅で、という流れで終えても良かった。
それでも続けたというのだから、始めから覚悟の上か、あるいは御由緒家の間では知られた話だったかの、どちらかだろう。
アキラの意は決したらしく、この場に残る事を選んだ。
「申し訳ありません、ミレイユ様。少しこの場で話してみます」
「ああ、好きにしろ」
ミレイユが踵を返すとアキラが一礼し、藤十郎も同じくして一礼した。その背後でも同様に、紫都も礼をしてミレイユの背中を見送っている。
アヴェリンを伴って隣のテーブルに着く頃には、背後から娘を紹介する藤十郎の声が聞こえた。
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