別世界からの住人 その8

 自分の防具を買って貰えると知らずに付いて来ていたアキラは、その事実を知って非常に恐縮していたが、ミレイユとしても別に高額な商品を買い与えるつもりはなかった。

 現世の鬼が弱卒だったと言う訳ではないが、こちらで壊れたままの防具で戦う事は、決して楽な道ではない。せめて壊れた胸鎧の部分を、他の何かで代用しない事には、まともな戦闘もさせられないだろう。


 かといって、あまり防具に頼って戦うような戦闘法を身に着けられても困る。

 便利や有利は、時に人の努力を妨げる要因にもなってしまう。アキラは基本的には勤勉で努力できる人間だが、頼りになると分かって尚、それを頼らず戒めて行けるほど、意志強固ではないだろう。


 だから過度な性能を求める事なく、耐性を持っていても小さな、頼りにするには心許ないものを注文する事にした。


「それだと魔獣の合皮で作った革鎧がお勧めだ。マキィオと裏当てにイッシュの皮を使う。それなら既に店頭に並んでるし、体格的にもちょいと修正するだけで問題なく着用できると思うぜ」

「じゃあ、それに頼もう」

「……あの、本当に良いんですか、ミレイユ様?」


 恐縮しきって頭を下げながら言う、アキラの言葉は日本語だった。

 それを咎めていては話にならないので、気にするな、と手を振って頷く。


「そんな防具じゃ、落ち着いて戦う事すら出来ないだろう。高い物を買い与える訳でもないし、餞別と思って受け取っておけ」

「……はい、ありがとうございます」


 アキラが改めて頭を下げて感謝を示すと、それを入口付近で見守るように立っていたスメラータが、訝しげな声を上げながら首を傾げた。


「あんた達、変な声を口から出すね。それ、何て言ってたの?」

「気にするな、ちょっとした癖みたいなものだ」


 スメラータは納得したように見えなかったが、ミレイユが詳しく言うつもりがない事も理解したらしい。それ以上何も言わず、入口付近から動かないまま店内を見回す。

 何故そんな所で、と思わないでもないが、こういった店に入る事には余り縁がなかったのかもしれない。


 ミレイユが視線を戻すと、店主は早速革鎧の調節を始めた。

 手を入れると言っても、肩から下げる部分であったり留め金の調節だったりするので、そう時間の掛かる物でもない。

 気を張る作業でもないので、手を動かしながらミレイユに向けて聞いてきた。


「なぁ、お客さん。それ……良いモン使ってるな、最初は馬鹿な格好してると思ったが……。見りゃ、あんただけじゃねぇ、最後のヒヨッコ以外、みぃんな目を剥くようなモン使ってやがる」

「……分かるのか」

「そりゃ、どっちの意味だ? 幻術を見抜いた事か、それとも装備の方か?」


 店主は手元を見たまま、動かす手を止めずに鼻で笑った。


「そんぐらい目利きが出来なきゃ、この業界で生きていけねぇ。験担ぎのつもりだか、馬鹿な噂を鵜呑みにしたお登りかと思ったら、いやはやどうして……」


 魔王という蔑称で呼ばれ、忌み嫌われる人間。

 この国での評価は、ミレイユという名前は人間支配の終焉を招いた厄災のような存在であり、同時に凄まじいまでの実力を持った旅人、その様に見られている様でもある。

 恐ろしく思われているが、同時にその実力が本物で、肖りたいとも思っている。田舎に住む人ほど、恐れよりも憧れを抱く傾向が強いようだ。


「一流の冒険者にしか、一流の装備は身に着けられないもんだ。単に金に物を言わせて買う奴もいるが、そういう奴は装備に着られてるのが一目で分かる。……けど、あんたらはそうじゃねぇ。なのに、なんだってわざわざ、魔王に肖るような格好してるのかねぇ」

「……これが私達の装備だから、だろうな。しっくり来るんだ、戦闘スタイルにあった付与もしているしな。今更、同等の装備は揃えられない」

「へぇ……! ま、そうだろうな。同じ重さのきんを用意したって、そんだけのもんは揃わんだろうよ。とんでもねぇ装備モン、拵えたもんだ」


 ミレイユは肩を竦めるに留めて、それ以上の返答を止めた。

 装備を作るに当たって、最もお金が掛かる部分は、一般に付与だと言う。専門性が強く、そして付与に掛かる触媒の用意など、より効果的、より効率的な付与をさせれば、それだけ金額が嵩む事になる。


 次が素材の値段で、より強く、より固く、より柔らかく軽い素材などと、追い求めていたら家を購入できるような金額にまでなってしまう。

 そして最後に掛かるのが加工費だが、これも名のある名工にやってもらおうとなれば、当然高額になるが、上記の二つよりは遥かに安い。


 そしてミレイユ達の場合、ほとんど自分達でやれてしまうので、掛かる費用はそこまででもなかった。ただ、勿論例外はある。それがミレイユが身に着けているものの一つ、魔術士のローブだった。


 流石のミレイユも布までは自作出来ない。

 素材を持ち込んで作って貰ったのだが、それが正にこの店だった。

 ミレイユは悪戯心に自分のローブを撫で付けて、また分かり易いように姫袖を差し出してやる。


「この布は、この店で買ったものだが……」

「馬鹿言うな」


 店主はちらりと一瞥しただけで、自分の作業に目を戻した。


「そんな素材、うちで扱った事なんてありゃしねぇ。そもそも手に入らねぇし、あったところで買い手も付かねぇ。あんたみたいに一級の魔術士なら、その素材も存分に活かせるんだろうが、そんな気概のある奴ぁ、この国にゃもういねぇよ」

「確かに、これは単に魔力を補強してくれるだけの布じゃないが……」

「制御が滑らかになり過ぎるんだ。氷の上を歩くようなもんさ。上手く利用できりゃ、走るより早く進めるんだろうが、大抵の奴はすっ転ぶ。転んで怪我して文句を垂れる。刻印魔術士に使えるもんかね」

「……店主は刻印が、お嫌いらしいな」


 その特性を聞く限り、非常に便利な代物という気がしていた。

 誰もが制御に躓くから、大抵は魔術を身に着けようとしない。そのハードルが高すぎるせいで、誰にも魔力があるのに、誰もが欲しいと思えないのが魔術というものだ。


 それが刻印を刻むだけで――恐らく金銭は掛かるのだろうが――使えるというなら、多くの人の肌に刻印が見えるのも頷ける。

 だが店主の肌には、刻印らしきものは確認できない。肌の露出は手首から先と首から上だけとはいえ、大抵の人はその部分にこそ刻印を持っていた。


「別に刻印そのものを否定する訳じゃないがね。それに頼り切ってる奴が鼻持ちならねぇのさ。ありゃ努力の段階をすっ飛ばして、結果だけ与えてくれるもんだ。あんたらみたいに、基礎から全て自分で固めてる奴らとは、そこからが違う。だから魔術の使い方も下手くそなんだよ」

「おやおや、散々な言い草だ」

「だから俺ぁ、あんたの事が気に入った。手直しなんて、普通自分でやれって買わせて終わりなんだがな……? けど、努力を怠らない奴は信用できる。刻印に頼らず、そんだけの装備を掻き集められて、使いこなせるだけの実力者は特にさ。信用には誠意を見せねぇとな」

「それはまた……嬉しい言葉だ」


 ミレイユは曖昧に頷いて、小さく笑みを浮かべた。

 アヴェリンやユミルなども、店主の言葉には感銘を受けたようだった。アキラは言葉の意味を半分も分かっていないので、周囲の空気の変化に曖昧な表情を浮かべていたが、スメラータは完全に針の筵のようで、表情も固くなっている。


 ただ、と店主は調整の終わった胸当てを引っくり返して、確認しながらミレイユを見る。


「だが、その布を買った、って嘘をついた理由が分からん。からかっただけか?」

「さて……、そこは何とも説明し辛い。嘘ではないんだが……」

「爺さんの代には、それだけの素材はもう取り扱わなくなってた筈だ。そこから更に爺さんの代に……ははっ!」


 記憶を掘り起こすように視線を上に上げて口に出していた店主は、唐突に吹き出して、それこそからかうような視線を向けた。


「爺さんから聞いた話だ。その爺さんが、自分の子供の頃、そのまた爺さんから聞いた話によると、この店は魔王御用達の店だったんだとさ」

「……なに?」

「魔王ミレイユが贔屓にしてたって話さ。勿論ホラ吹かれたんだろうが、あんたの格好見てたら、どうにも思い出しちまった……!」

「あぁ……」

「その時代なら、もしかしたら本当に、店に来た事があったかもしれねぇな。贔屓と呼ばれるほど足げく通う魔王なんて、笑い話にすらならんと思うがね」

「……そうだな」


 ミレイユが曖昧に笑うと、店主は調整の終わった胸当てを差し出し、アキラの方へ目を向けた。アキラに元から付けていた胸当てを外させ、代わりに身に付けるように言うと、その前に、と店主が口出ししてくる。


「胸当ての下も、穴空いたりほつれてたりするじゃねぇか。そっちも手直ししておくか?」

「……そうだな、そうして貰うか。アキラ、脱げ」

「ん? はい? ……聞いた、間違え、です?」

「いいから脱げ、直して貰えるから」


 身振り手振りで何をして欲しいか説明して、それからどうやら聞き間違えじゃなかったと悟り、観念した顔で脱ぎだす。誰も男の裸になど興味がないし、そもそも下着まで脱げと言っている訳でもない。タンクトップにボクサーパンツ一丁の姿となって、脱いだ服をミレイユに手渡して来た。


 渡す先は自分じゃない、と指先で払って店主の方へ指差し、そちらへ渡せと指示すると、すごすごと申し訳なさそうに手渡しに行く。


「……へぇ、やっぱりお前ぇも刻印なしかい。鍛えてもいるみたいだし、こりゃ師匠の教えがいいのかね」

「こいつの師匠は、あっちの方だ」


 ミレイユが顎を向けて教えると、店主の機嫌は更に良くなる。


「いいねぇ、やっぱり刻印に頼らん戦士ってのは貫禄が違ぇよ。今じゃ内向なんて呼ぶ奴、全然見ねぇもんなぁ」

「そうなのか……、その辺までも刻印頼りか」

「まぁ、誰だって楽してぇってのは分かるし、鍛えた上で刻む奴もいるから、一概には言えんがね。だが、まっさらな肌で戦士やってるってんなら、縫うぐらいはタダでやってやらにゃならんか!」

「そこまで気を回さなくてもいいんだが……」

「いいんだ、今日は気分が良い! 良いもん見せてもらった礼だ」


 最初は素っ気ない態度だったが、今となっては随分気の良い中年の笑顔を見せるようになっている。職人気質というのは、気に入った客にはとことん親切なものだから、これには有り難く申し出を受け取ってやってもらう事にした。


「これまた見た事ねぇ布だが、でも良い布だな。縫い目も綺麗だし、それに知らねぇ様式で作られてる。おまけに付与までされてんのか……どこで手に入れた?」

「……どこだったかは忘れてしまった、すまないな」

「あぁ、いや、それなら良いんだが……。もし思い出したら教えてくれねぇか。ちょいと意欲を掻き立てられる造りだ」

「……あぁ、思い出したら」


 店主は手早く修繕して、アキラに足軽めいた衣服を返すと、着替え終わるのを待って胸当てまで装着させてやる。手甲、足甲までセットで付いてきて、こちらは単にベルトの調節だけで済むので手直しは必要なかった。


 全て身に着けたアキラは、その和風な下地に洋風の鎧を身に付けるという、一種アンバランスな雰囲気を醸していたが、店主の目には良いように映ったらしい。

 腕を組んで二度ほど頷くと、その胸当て部分をバンバンと叩く。


 音は大きいが衝撃はそうでもないらしく、アキラも痛がる様子も咳き込むような真似もしない。

 それに納得して元のカウンターに戻り、店主は上機嫌に笑った。


「まぁ、なかなか良いもんじゃないか。さ、お代は金三十だ」

「……随分と安いな」

「いいや、相応さ。こっちが損するような値段は、職人としても提示しねぇ。これで良いんだ」

「そういう事なら」


 ミレイユは懐から――より正確には、懐に手を入れるようにして個人空間から金貨を取り出し、それを三十枚、カウンターに置く。

 それを一枚手に取って、店主は物珍し気にしげしげと見つめた。

 何か悪かったかと思いながら待っていると、その視線に気付いた店主は慌てて手を振る。


「いや、別に問題ねぇよ。だが、こいつはラメル金貨じゃねぇか。両面無事なモンも珍しいが……また随分古いもん持ち出したな。二百年前に流通していた金貨だろ、これ?」

「……古いものが好きなんでね」

「そんな格好してるぐらいだもんな。こいつは筋金いりだ。まぁ、いいさ。まいどあり!」


 両面無事、とはどういう意味か気になったが、これ以上ボロが出るのは拙い。アキラにも礼を言わせ、そしてミレイユもまた礼を言いながら店を出る時、一度振り返って帽子のつばに手を掛ける。


「もし墓参りに行く事があれば、ジェレットに宜しく言っておいてくれ」

「ジェレット……? そいつぁ、一体……?」


 先祖とはいえ遠い血縁、流石に五代遡って名前を覚えているものではないらしい。

 ミレイユとしても、本気で墓参りの時に伝えてくれるとは思っていなかった。ほんの悪戯心のつもりで言って、そしてやはり困惑した顔つきで見返す店主に帽子を下げて店を出た。


 切なくも物悲しい、複雑な気持ちのまま空を見上げ、何故だか無性に笑い出したくなった。

 大きく息を吸い、空に向かって息を吐く。

 行き交う雑踏、音を立てて走り去る馬車に掻き消されて、ミレイユが上げた溜息の中に混じったうめき声は、誰の耳にも届かなかった。

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