別世界からの住人 その9
何一つ進展はしてないが、一つ問題が解決したかのような心持ちで、ミレイユは東区画へ戻ろうとしていた。
この区画も人通りは多いが、南区と違って高級店が多く連なる場所だから、歩く人より馬車で移動する人の方が多い。
だから歩道は狭いものの、先程とは違ってゆったりと歩く事が出来た。
時間が昼時であるのも、それに一役買っているのかもしれない。
そこにユミルが隣へ並んで、いつもの嫌らしい笑みを浮かべながら言ってくる。
「……それにしても、随分お喋りでしたコト」
「そうだな、少し調子に乗った」
「ヒント出しすぎでしょ。……でもまぁ、店主は冗談の類としか思っていなかったし、後になって思い至るコトもないでしょうけど」
「……あぁ、聞く人が聞けば、何か思い付いた可能性はある。今後、自重しよう」
とはいえ、それで仮にミレイユの正体が
だが、それが特別困る事かと言えば、そういう訳でもない。
だが、正体が知られているより、単に可笑しな格好をしている変人程度に思われている方が都合はいい。街の中でもスリや暴漢など、注意を払うのは当然だが、それに命の危険まで加味して警戒するのは面倒くさい。
それを考えれば、自分からヒントを与えるような発言は、確かに控えた方が良かった。
「そうなさいな。今なら馬鹿なコスプレイヤーが出た、というだけで済むんだから」
「そのコスプレっていう概念が、こちらには無いだろうが……とにかく、分かった。私が迂闊だった。それで良いだろう?」
帽子のつばを上げて簡単に謝意を示すと、ユミルは満足気に頷いてルチアの隣に戻る。
流れ行く店先を指差しながら、あれこれと雑談し始めて、それでミレイユとのやり取りをずっと見ていたスメラータが、それと入れ替わるように前へ出て来る。
だが、そこは流石にアヴェリンが、必要以上に近寄る事を許さない。
そもそも、スメラータが馴れ馴れしい口調で話し掛けるのも、ずっと我慢ならない様子だった。ほんの少し、昼食を奢ったら終わりの関係、それでもう偶然以外で会わないと分かっているから、必要以上に騒がなかっただけだ。
アヴェリンから圧を感じて近寄るのを止め、それでアヴェリンの後ろを歩いていたアキラの横に並び、無言の威圧から隠れるようにしながら声を掛けてくる。
「……あのさ、良く考えたら、あんた達って凄い不思議だよね。上手く言えないけど……、でも何か変だ。ねぇ、アタイ達って、まだ自己紹介してなかったじゃん。名前、聞かせてよ」
「おぉっと……!」
顔は立ち並ぶ店舗に向けつつも、話はしっかり聞いていたらしいユミルが、面白がるような声を上げた。一つの懸念が早速、形になって現れた事になり、ミレイユはユミルへ非難するような視線を向ける。
その視線から逃れる為に、わざとらしく軒先の商品に目を逸らしたりして、ミレイユの視線から逃げた。
いつまでも恨みがましい視線を向けていられないので、顔を戻してスメラータへと視線だけ向ける。
「……必要か?」
「そりゃ、知らなかったら不便だし。何より、知り合ったら名乗り合うのが礼儀でしょ」
「それを言われると、確かにそうだが……」
ミレイユは素直に名乗るべきか、それとも懸念を警戒してはぐらかすべきか考え、結局素直に教えない方へ舵を切った。
「まぁ……、好きに呼べ」
「それ自己紹介、放棄してるじゃん。……あ、それとも、アタイなんかに名乗る名は無いって言いたいの?」
「どう捉えて貰っても結構だ。いいからお前は素直に飯を奢られて、それで何処へなりと行くといい」
「えー……、まだ強さの秘密教えて貰ってないのに……」
「教えると言ってないし、隠してもいない。伝えるべき事なら伝えた。後は自分でどうにかしろ」
「冷たいなぁ……」
スメラータが唇を突き出して不貞腐れる様に言ったが、そんなものミレイユには何の意味もない。むしろ、その態度にアヴェリンが機嫌を悪くし、今にも掴みかからんばかりの威圧を放つようになっただけだ。
それで更にアキラの影へ隠れるように身を潜め、それきり何も話さなくなった。
これ幸いと足を早め、時刻も頃合いである事から、昼食を取ろうと店を探す。
昼食といっても、便利なファストフードや軽食を出すレストランなどない。露店か市場で果物やパン、あるいは干し肉に似たものを買うか、あるいは屋台に似た軽食を出す店を利用するかだ。
更に足を伸ばせば飯屋というのはあるのだが、大抵の昼飯は固いパンとクズ野菜のスープというのが定番だ。昼は簡素なもので、夜にがっつり食べるという文化があるので、よりマシな物を食べたいとなったら屋台を選ぶ方が賢い。
酵母がないからパンは固いし、そもそもパンとは保存食としての側面も強い。だからそれは良いのだが、せっかく街に着いたのだから、久しぶりに良い物を食べたいという欲もある。
現世の食事に比べれば、どれも味気ないものだが、この場で文句を言っても始まらない。
南区へ戻れば、書き入れ時に呼び込みをしている屋台も良く目に付いてくる。
定番でハズレの少ないパンと果物を人数分買い、後は肉の串焼きに良く似た物を買おうと、屋台の前に立つ。
塩もタレもない、ただ焼いただけの肉で、その塩もまた別売りとなっている。塩は高価だから、何も付けずに食べる人の方が多い為、このような形になっていた。
「ほら、新鮮な肉だ! 食ってけ食ってけ!」
「シンセン……」
アキラの視線が肉に釘付けになって、パンと交互に見つめている。
新鮮な肉なら森の中でアヴェリンが獲ってくれていたものだが、多くは干し肉へと加工され、そういった焼肉とは少々ご無沙汰だった。
獲ったばかりの、正しく処理した肉は実際美味い。森の中で食べた肉鍋を思い出しているのだろうが、しかしこの世の現実というものをアキラに教えてやらねばならない。
「新鮮というのは、つまり死後一週間ほど経った肉という事だ。昨日獲れた、あるいは今朝獲れたばかりの肉というのは、もっとお高い場所に卸される。つまり買い手の付かなかった肉、粗悪な肉がこれと言う訳だな」
「うっ……!」
「腐り始め、その食肉可能ギリギリの肉が、こう言った場所で売られる肉だ。だから安いし、美味くもないが腹は膨れる」
ミレイユの解説で、アキラはすっかり食べる気を失くしたようだった。
実際、ここで肉を買うくらいなら、もっと安心できる食肉店で買う。街で買い足しが出来るので、今は先に作った干し肉をそのまま消費するつもりでいたので、最初から買うつもりがなかった。
露店同様、屋台もまた同じ店が毎日並ぶものではなく、その内容も様々なので、良い物がないか一応覗いて見ただけだ。
買ってしまえば、後は食べるだけだった。
フードコートなどという洒落た、あるいは気の利いた物など無いので、そのまま邪魔にならない場所で立ち食いするのが定番だ。
飯屋に行けば座れるが、代わりに味気ないクズ野菜スープが付いてくる。どちらが良いかは、非常に悩ましい問題だった。
ミレイユ達は例の東区画入り口の、空き箱捨て置き場へと再び帰ってきた。誰の邪魔にもならず、この手の食事を取りながら落ち着ける場所は、他に思い付かないというのが理由だ。
誰かに先を越されていれば、歩きながら食べるつもりでいたが、しかし他に利用している者もおらず、その場で空き箱を椅子代わりに昼食を始める。
雑談に興じながらの食事だが、やはりというか、スメラータの口数は少ない。その中でも会話へ積極的に参加しないアキラを何度となく見つめていたが、食事中何度か話し掛けても困ったように笑うだけのアキラに、とうとう話し掛ける事すら止めてしまった。
そして食事も取り終われば、スメラータともお別れとなる。
誰もが知ってる筈の情報で、一食分が浮いたと思えば悪い話ではないだろう。そのまま別れを告げて立ち去ろうとしたのだが、スメラータはその背に声を掛けてきた。
「……まだ、何かあるのか?」
「あるっていうか……。やっぱり、このままサイナラじゃ味気ないしさ……冒険者ギルド行くんでしょ? アタイもそこ行くつもりだから、どうせなら一緒に行こうよ」
「それぐらいなら……別に良いが」
よっしゃ、と握り拳を胸の前で固めて、スメラータは喜色を浮かべる。
どういうつもりだ、と訝しんでいると、彼女は更に続けた。
「あのさ、それより前に、考えた方が良いよ。……そっちの、アキラが登録しに行くんでしょ? だったら刻印つけた方がいいって。絶対だよ」
「……付けてる奴は軟弱者、みたいな風潮もあるみたいだが」
「そんなの未だに頭の固い、頑固オヤジが言ってるだけじゃん! 普通は皆刻んでるし、無いやつは舐められるんだってば! アタシなら色々アドバイス出来るしさ!」
意気揚々とアピールするスメラータには、打算が見え隠れしている。それを悪く思うつもりはない。恐らくは、その見返りとして、隠していると信じ込んでいる、強さの秘密を聞き出そうと言うのだろう。
付き纏うのを止めてくれるなら、もっと実際的な指導をしてやっても良い。
だが――。
ミレイユはそこで思考を断ち切り、何か言葉を返すでもなく、視線を外に逸した。
そこに、それまで特に口出しする事なく雑談に興じていたユミルが、ミレイユに向かって口を開いた。
「アンタさ、敢えて考えないようにしてる? 可能性を見出すのが嫌なんでしょ?」
「……唐突に、何の話だ」
「はぐらかすのは、お止めなさいな。それぐらい分からない程、浅い付き合いじゃないじゃないの。アヴェリンはアンタの心情を慮って何も言わないけどさ、とっくに一つの可能性には思い至ってるわよ」
ミレイユがアヴェリンの方へ顔を向けると、表情を変えないまま首肯する。分かっていて当然だろう。あるいは、という可能性を頭の中で算盤を弾く位の事はする。
ミレイユとて、そうだ。だが、その実数が未知数だったから、そしてより知ろうという意識が希薄だったから、その上で敢えて考えようとしなかっただけだ。
「刻印魔術か……。実際どれほど便利なものだか。刻むだけで強化を計れるというが、それとて限界はあるだろう。自身の魔力を糧にする、という前提である以上、鍛え抜いた内向魔術を越えられるものではない筈だ」
「同意するわ。推測でしかないけど……魔術を外付けで使えるようにする、そして自身の魔力を動力源にしている、という特性である以上、自身の持つ限界以上の力は発揮できない」
「それが出来てしまうようなら、魔力と魔術という関係性と理論が破綻します。その推論は正しいでしょう」
ルチアから推論の後押しがあって、ユミルも満足そうに頷き、それからミレイユへ挑発的な笑みを向けてきた。ご満悦でいるのは結構だが、だとすれば、結局のところ努力を続けるだけで良いという話になる。現状を越えられないのなら、敢えて刻む意味もない。
「まぁ、正直……内向術士は恩恵が少ないと思うわよ。自身の成長の機会を奪っているだけだし、結局限界の前借りでしかないでしょ? 鍛えればその限界値だって上限はあっても伸びるのに、刻印に頼ってたら、それさえ失くすんだから」
「えぇっ!? そうなの!?」
素っ頓狂な声がスメラータから上がり、呆れた視線が四者から向けられた。
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