別世界からの住人 その10

「そうなの、ってアンタね……。そんなコト、当然分かれって話でしょ」


 スメラータは自身が馬鹿にされるような視線に、我慢ならないようだった。

 そもそも刻印の事など、さっきまで知らなかった人達に、さも全て知ってます、という顔をして講釈を垂れる事に納得できないようだ。


「それって違うよ! 刻む術によって強化度合いが違ってくるんだし、強くなればそれだけ強い魔術を刻めるんだから。だから……別に成長の機会を失ってなんかないんだ!」

「それって単に魔力総量が増えたから、その分を利用できるようになっただけでしょ? 自分の魔力を使うのが刻印なら、その消耗と回復を繰り返して総量が上がるのは道理だもの」

「でもさ、それも強さだし成長じゃん! 別に機会を失ってたりなんか……」


 ユミルが理解し難いものを見るような視線を送り、ルチアが心底呆れた表情で言葉を零した。


「内向の意味、理解してますか? 制御速度や制御練度、それに強度。どれも総量とは別物ですよ。骨格が総量なら、他は筋力、体力みたいなものです。骨だけ大きく頑丈になっても、それは成長としては不健全でしょう? 骨格に付く筋肉は変わらないままで、どうして成長って言えるんです」

「背が伸びたから、それを成長と勘違いしてるんでしょうね。ちょっと見下ろしてやれば、ガリガリの身体だって分かりそうなものだけど」

「でも、でも……、皆そう言ってるし……」


 最初は威勢のあったスメラータも、具体的な例を持ち出されて的確な言い返しが出来なくなってきた。誰もが便利だと言っているから、誰もがそれを頼りにしているから、だから刻む事は正しい、と思いこんだ。


 それは時代の流れと共に正常で、正道で、常識だとされたのなら、それを一個人が反意を得るのは難しい。むしろ学が無ければ、流されて当然だ。


 それが間違いかどうか、世界の常識となってしまっている現状で疑う事は難しい。

 魔術に対する深い見識と理解、そして実践なければ分からない事だ。それも正しい師がいなくては、触れる事すら難しいというのが魔術というものだ。

 知らない――知る機会を得られなかったスメラータを、責めるのは筋違いだ。


「実際、強さを実感できるのが、問題を直視させない原因にもなってるんでしょう。最初は弱い刻印、でも使っている内に余裕が出来て、より強い刻印を。あるいは別の刻印で、また別の強化をされていたら、それは……気づくのは無理というものでしょうね」

「……お、おぅ……。それ……そう、アタイがそれ……」


 スメラータは自分の手を、そして腕を見下ろして、ワナワナと震える。

 自身の実情、それから実態を悟り始めるにつれ、後悔するような表情で刻印を見つめた。

 流石に不憫に思えたのか、ルチアからフォローするような言葉が飛び出す。


「まぁ……、勘違いも無理はないって気がしますけどね。というより、無理でしょう。特に誰もが恩恵を受けているように見えて、そして誰もが無理解で使っているというのなら」


 これにはアヴェリンも首肯して、同じくフォローするように続けた。


「それに……、内向を鍛える事は、実は辛い。強化の度合いは牛歩の歩みだ。辛さに比例していないと感じるものだし、それを一足飛びに与えてくれる刻印は、実に素晴らしいものと映ったのではないか?」

「へぇ……、アンタの口から辛いなんて言葉が出るなんてね?」

「事実は事実だ」

「なるほど? ……で、だから誰もが縋りついて、そして結局……最終的には、アンタの指先にすら及ばない力量差が生まれるってワケ? 本末転倒すぎて笑えるわ」


 ユミルが小馬鹿にするように言えば、流石にミレイユも不憫に思えて言葉を添える。


「アヴェリンを引き合いに出すのはどうかと思うが。それが誰であれ、比較される方が可哀想だろう」

「それは……そうかもね?」


 ユミルが茶目っ気たっぷりにウィンクしてから、アキラとスメラータの間を交互に視線を動かす。同じようにミレイユも見てみれば、同じ内向術士としての戦士、という括りであっても、その力量差は歴然としている。


 あるいは伏せ札と言っていたものを使えば、瞬発的にはスメラータが上なのかもしれないが、その基礎力には莫大な差が生まれていると見抜けた。

 本来は多くない魔力総量で持って、その内向を鍛える事によって生まれる強み、というのを放棄してしまっているのだ。ひたすら外向魔術による支援術で、自身を強化させ続けているようなものだ。


 それなら最初から内向を鍛えている方が、遥かに効率的で魔力のロスも少ない。

 魔力総量を増やす事だけに傾倒し、それで自身が強化されていれば、確かにそれは内向魔術のように思えるものだろう。だが、それは所詮見せかけに過ぎず、本当に鍛え抜かれた戦士との力量差は、まざまざとアヴェリンが見せつけてくれた。


 アヴェリンと比較するのは可哀想と言った手前、ではアキラではどうだったかと想像してみると……。恐らく、両手で白刃取りぐらいはやれただろう。そしてやはり、相手はその剣を取り戻すのに酷い苦労をしていた筈だ。


 ユミルは小馬鹿にしていた態度から一変、スメラータへ労るような声を掛けつつ、視線をミレイユに向けながら言う。


「誰だって、便利で楽になるものは好きなものよ。デメリットも大きいけど、メリットもあった。でも本来、刻印魔術の本質って、そこじゃないと思うのよね」

「聞かせろ」


 ミレイユが簡潔に言うと、ユミルは演技掛かった恭しい礼をしながら言う。


「内向術士と、外向術士との垣根を取り払った事よ。外向魔術を使うに当たって、最大の壁ってその習得の難しさでしょ? そして覚えたところで、行使できるかのセンスも問われる。更に、失敗すれば被害も出る。こんなのね、普通誰もが使いたいとは思わないのよね」

「それ、魔術に対する冒涜ですよ。習得が難しいのは当然です。無理解で使って良いものじゃないですし、魔術を紐解き世界の在り方を理解する。学問として前提にあるんですから、そこを無視して貰っては困るんですよ」


 思った以上に熱の入った反論が帰って来て、ユミルも分かるという風に頷きながら続けた。


「まぁね、それはそうなんだけど……。でも、同時に誰もが憧れるものでもあった筈なのよ。だから刻印という発明が、その前提をすっ飛ばしたんでしょうし、刻印魔術が世界を席巻するコトになったんでしょうよ。そうして、適正のない奴にも魔術が広く使われるようになった。どんなにセンスがなくても、魔術が使えるっていうのは、凄まじい強みよ」

「……まぁ、魅力的だな」


 ルチアは苦虫を噛み潰すような顔をしているが、結局それが真理という事だろう。

 魔術の習得に対して誇りを持つエルフが、それに嫌悪を向けてしまう気持ちも良く分かる。しかし、習得に十年は長すぎる。短い人の人生で、それを身に着けたいと熱意を燃やし続けれるだけの人間が、一体どれ程いるだろう。


 魔力総量を増やす事も、言うほど簡単な事でないとはいえ、しかし入り口にすら立てなかった人からすれば、朗報以外の何物でもなかったに違いない。

 スメラータもまた、そういった習得に対して向いているようには見えず、そして恐らく、百年以上の時の中で、現在の様な気軽に刻める形へ進化もして来たのだろう。


「――で、話は最初に戻るんだけど、これをアキラに刻んだらどうなるんだろうって思うワケ。内向との下位互換である常時発動は無視するとして、他の外向魔術を刻んでやったら……少しマシになるんじゃない?」

「……なるかもな。だが、そうまでして連れて行きたいのか?」

「別に。アキラがどこで死のうが知ったコトじゃないけど、アタシはアンタを生かす為に、打てる手なら何でも打ちたいの。本人が盾になって死ぬのが本望って言うなら、じゃあ盾になって死ね、と蹴り出すつもりで傍に置きたいだけ」

「とんでもないこと言うな……」


 あまりに過激な発言に、ミレイユも思わず目を剥く。

 アキラ本人は何を言っているのか理解できていないが、自分の名前を呼ばれた事だけは気付いている。それで恐ろしそうに視線を彷徨わせているのだが、誰も翻訳して伝えるような事はしなかった。


 それが優しさかどうかは……、議論の余地があるだろう。

 ユミルの主張には、アヴェリンもまた賛成のようだ。アキラを視界の端で見ながら頷く。


「あまりに弱すぎて盾にもならないからと、手放す事に賛成しましたが……。もし、それでアキラが使い物になるのなら、傍に置き続けるのもよろしかろうと思います。己の命を預けたいと言った相手に、それを拒否されるのは辛いものがありますから」

「お前らしい台詞だが……」

「アキラも覚悟あって付いて来た筈です。一度は拒否されて、それでも尚、後を追って来ました。ミレイ様はその優しさで持って、命を喪う事を憂いてくれていますが、命を預けたい者からすると、その優しさは酷です」

「そんな風に思っていたのか……」

「申し訳ありません。差し出がましい事を申しました」


 アヴェリンが深々と頭を下げると、ミレイユは緩やかに首を振る。

 きつく目を瞑り、腕組しながら上空へと顔を向け、重たい息を吐いた。


「アヴェリンは正に、その命を預けたらんと欲するに相応しい戦士だが……」

「本人の命、本人の人生よ。甘ったれたコトを言うようなら、今度こそ放り出してしまえばいいじゃない。自分の命の使い時、好きなようにさせてやれば?」

「だが……、アキラは未成年だ。まだ子供で、守られるべき立場の人間だ」

「あぁ、何か頑なだと思ったら、それが根底にあったのね……」


 納得の中に呆れも含んだ声音で頷き、それから手首をくるりと返す動きでアキラを指差す。


「でもそれって、現世における基準でしょ? こっちじゃ十五で立派な成人なんだから、その理屈で言うと、本人の好きに決めて良い筈じゃない」

「……そうかもしれないが」

「アタシはね、アンタを生かす為に……そして馬鹿げたオミカゲサマなんかにさせない為に、ここにいるの。使える物は何でも使うし、どんな手でも使えって言うわよ」


 ミレイユは上空へ向けていた顔を、今度は地面へ向けて、やはり思い息を吐く。

 幾度となく失敗してきただろう、ミレイユのループだ。それを打開するつもりなら、確かに手段を選べるような贅沢はないのだろう。

 それは理解できる。

 ――だからと言って……。


 ミレイユは顔を上げて、アキラの顔を見た。

 やはり話の内容を理解できておらず、不安げな視線を向けている。本人もまた、その口から命も惜しまないという言葉を口にしていた。口にする以上の覚悟も、そこにはあったのかもしれない。


 次に、ミレイユはアヴェリンの顔を見る。

 命を預けたいと言った相手に、拒否される気持ち――。

 一度は拒否しておいたのだから、その上で付いて来た事については自業自得、断られるのも同じ事。そう思わないでもないが、ここまで付いて来るのなら、やはり覚悟は本物だろう。


 難しく考えすぎているだけなのかもしれない、とミレイユは思い直す。

 子供だと言うなら、守られるべき存在というなら、そもそも戦い方を教えるべきでも、戦場へ連れ出すような真似もするべきでもなかった。


 覚悟というなら、下手な大人より上等な覚悟を持っている。

 アキラへと視線を転じると、隣に居心地悪く座っていたスメラータが恐恐とした表情で言った。


「……あの、アタイ……席、外してようか……?」

「素直に今すぐいなくなれ、と言いたいが……。別にいい、話は終わった」

「では……?」


 アヴェリンが控えめに尋ねると、ミレイユは素っ気ない仕草でアキラに立つよう指示した。


「今から魔術士ギルドに行く。一つ、刻印魔術とやらを試してみよう」

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