幕間 その1

 『ミレイユの森』と呼ばれる森林地帯の最奥には、一つの集落が隠されている。

 かつては平原であり、一軒の邸宅がある以外、他には何もない場所だったが、今ではその姿を一変させている。

 かつての邸宅には、その背後に小さな林と小高い山があるぐらいで、見晴らしが良いという以外、とりわけ注目すべき物もないものだった。


 だが、約二百年前、その邸宅を中心として木を植え増やし、現在の森に成長させたのはエルフ達だ。木の成長は遅く、森にするには莫大な時間が必要となるが、魔術を得意とするエルフだからこそ、その時間を大幅に短縮するすべも心得ている。


 そうして境界を敷き、人間のみと言わず、誰しも簡単に侵入できない結界としての役割を築いて、その邸宅を覆い隠した。

 隠すだけでなく、守護する目的としてエルフもそこに住まい、それで自然と集落として形成される事になった。以降は邸宅を聖地として隔離し、護り拝め奉るようになる。


 一人のエルフが始め、そしてそこに多くのエルフが加わって来たが、何もエルフのみが住まう森という訳ではなかった。後から森への定住を求めてやって来て、他にも多種多様な種族が加わり共に暮らしている。


 その中には元より森の中で暮らしていた種族もいて、森の恵みを採取したり、樹木の無い平地に田畑を耕したりと、次々に順応を見せていった。


 森に獣が棲み着くようになれば、狩りに長けた獣人族がそれを助ける為に請け負い、外敵の侵入を拒むのにオーガ族が、森の外周付近の警戒に就いてくれた。そういう互助が成り立って、エルフのみならず多種多様の集落へと変貌していったのだった。


 森に住む種族の中でエルフは最も数が少ないが、最初に森を作って住み始めた事から、その中心に立っている。取り分けフロストエルフは戦争の功労者としてあった事もあり、他全ての代表として皆を取り纏めていた。


 フロストエルフは、その名が示すとおり氷結魔術を得意としていて、それが種族を冠する名前となっている。魔術を修学し体得し、そして行使するのはエルフの誇りだ。だが、数多ある魔術全てを体得するのは、エルフの寿命を持ってしても容易い事ではない。


 だから過去、得意とするものを選別し、その魔術を極めていく事を決めた時から、その系統に累する名前を付けた。そしてそれが、今は自らを誇りとなっている。

 フロストエルフに付いても同様だが、今となっては若干、意味が異なる様になった。


 フロストエルフは、オズロワーナ戦争で最も活躍した一族であり、そしてミレイユという助力者を得つつも、その勝利に貢献した一族でもある。


 勝利についてはともかく、このミレイユを頭上に戴いていたというのが、何よりの誇りとなっていた。というのも、実質的に勝利へ導いたのがミレイユで、その寛大な精神で種族の弾圧から解放し、種族同士の融和まで成し遂げた、と誰もが知っているからだ。


 フロストエルフは、ミレイユを信奉する者たちとして側面を持っていたし、森に集った者達は同じ気持ちを持つが故に、故郷よりも森を選んだ。

 そしてミレイユの邸宅であった屋敷を、聖地として今も護り通している。


 だが、その気高い精神も昔の事――。

 最近では種族間の争い、諍いも多く目立つようになった。


「所詮は夢物語、理想は理想でしかなかったか……」


 木材で作られた暗い一室で、一人の男が執務机に座りながら溜め息を吐いた。

 元より照明器具などなく、明かり取りとして開いている上部の窓からしか光は入って来ない。だから構造上、暗い部屋ではあった。

 だが、男が発する雰囲気から、より暗く陰鬱な印象を与えている。


 男の名はヴァレネオと言い、フロストエルフの長だった。

 女性優位の社会において、男性が里の長となるのは非常に珍しい。だがミレイユ第一主義であり、戦争での功労者、そして娘がそのミレイユの片腕として働いていた事から、その重役を担ったという経歴がある。


 それがそもそも間違いだった、と今更ながらヴァレネオは思う。

 華々しい活躍も、娘の存在も、森の中には存在しない。


 そして何よりミレイユという個が、この森には存在しないのが、綻びの原因だった。彼女は森に取っての光だった。種族の結束を強めたのも彼女であり、そしてだからこそオズロワーナ戦争において、勝利を掴み取る事が出来た。


 皆を纏められるとすれば彼女であり、ヴァレネオは所詮、エルフを取り纏めるので限界だったのだ。

 彼女自身、その卓越した制御技術と豊富な魔力量から強大な魔術を扱えたが、何もその絶大な力のみに心酔した訳ではない。


 その種族が抱く独自の問題を解決したり、そして力のみを至上とする種族には、正面からぶつかり圧倒する気概も持っていた。

 その姿、その為人に感じ入る者も多く、だから一つ所に他種族が集まっても何とかやって来れたのだ。


 だが、その彼女がいないとなれば、結束力が緩むのも仕方がない。

 エルフには彼女に対する恩がある。それは未だに現実感を持って語られるが、短命種にとっては既に過去の出来事で、無いものに等しい。


「聖地として嘘をつき続けて来た、その反動もあるか……」


 ヴァレネオは草の茎から作られた紙を、まるく巻いて机の端に置いた。

 問題は幾つもあり、それを取り纏め整理して解決策を模索するのも、長たるヴァレネオの役目だ。溜息を吐きながら、窓の先――ここからは見えない聖地を思う。


 聖地に入るには、長の屋敷を経由して行かねばならない。

 長の屋敷にも直接繋がった離れがあり、それが聖地と集落を分断する役目を負っている。だから誰にでも入れる場所ではなく、特別な事情なしでは許可なく近寄れるものでもなかった。


 聖地にあるのは、かつてミレイユが建てた邸宅で、誰もがそう認識している。それは間違いではない。

 彼女の私物が多く残され、そして貴重な物品も多く残されていた。彼女に取っては用済み、あるいは価値なしと見做した物が数多く残されていたが、しかしそれは誰にとっても無価値という物でもない。


 当時のヴァレネオには知る由もなかったが、そこにはあるが眠っていた。どこぞの盗人がそれを持ち出し、その力を利用して、再びのオズロワーナ奪還を許してしまった。


 後悔は、勿論ある。

 彼女の邸宅の事は知っていて、ふとした拍子に気に掛けてもいた。そしてもし、それより早く自分が見つけていたら……そう思わずにはいられない。


 ヴァレネオが敗退と同時に落ち延びた先で、偶然その邸宅の存在を思い出していなければ、ずっと気付かぬままだったろう。

 邸宅には金属の錠だけでなく、魔術的な錠が施されていた。

 それ自体は簡素なものだったが、鍵開けの技術があっても、魔術的制約を突破できる者は多くない。山賊、野盗程度が力任せに突破できるほど、易しい代物ではなかった。


 だから中は未だに手付かずだろうし、荒らされてもいないだろうと推測できた。ヴァレネオ自身、その屋敷に向かったのは、落ち延びた先で何か利用できる物がないか、と当てにしていた部分はあったのだ。

 

 だがそれは、決して疚しいものだけではなく、見つけたはしたものの、果たして入室して良いか最後まで躊躇った程だ。だが魔術錠の損壊を見て、不審に思って入室を決めた。そして中で見たのは、手付かずの調度品や高価な家具、それに反して奪われたと分かる装備品だった。


 邸宅とはいっても、貴族のような屋敷という訳ではない。

 部屋の数もリビングと主寝室を除けば四つだけだったし、その何れの部屋も簡単な小物や衣類など、生活感を感じるものばかりだった。装飾品も幾つか見つけられたが、そこに手を付けた様な痕跡は見当たらなかった。


 一階と二階は女性が住む家としては、特に言及するところなど無かったが、しかし地上部分が擬態と思われる程に広大な地下室があった。

 地下室には付与された武具や錬金術で作られた水薬、また触媒や素材の倉庫としても活用されていたらしく、奥の一室は展示室のような形になっていた。


 鎧や剣などが飾り立てられ、目を剥く一品ばかりであったのだが、その最奥には飾り立てから乱暴に取り外したと分かる、無惨な光景が広がっていた。


 最も目立つ、重要な位置と思しき場所には何も無く、そして他にもある強力な武具は手付かず。盗人はそこに何があるのか知っていて、そしてそれが如何に価値あるものか理解して奪っていたのだ、と悟った。


 ――あの時。

 オズロワーナを再び奪還されるのに割かれた戦力は、たったの一人だった。

 強力な武具を身に纏い、だがまるで統一性のないそれぞれの品。一から戦士として、あるいは冒険者として集めて来たものなら、決してそうはなるまい、という不自然さだった。


 だが、その強さは本物で、全てを圧倒され、為す術もないまま敗北を喫した。

 その時、失った仲間は多い。自分の妻さえも――。

 悪意と怨念が身の内側を掻き乱しそうになり、慌てて首を振って思考を元に戻す。


 あの時、相まみえる瞬間まで、デルンなどと言う名前は聞いた事もなかった。

 あまりに唐突に出現した者であり、それ程の強者というなら、その出自や職がどうであれ、少しは名が知れていても良さそうなものだ。


 彼女がそうであったように、人の常識では測れない強者というのは往々にして存在する。だが本当に生まれた瞬間から、強者である者は存在しない。彼女においても、振り返ってみれば、と思い当たる逸話が幾つも浮かぶ。


 強者が世に現れれば、その足跡というのはとにかく目立つ。

 あまりに急速に世へ名を知らしめる為、その行動や偉業が語られ易いのだ。

 だが、デルンにそのような逸話はなく、唐突としか言いようのない形で出現した。あれ程の武具をどのように手にしたのか、それすら定かではない。


 まるで空から落ちてきたか、地に落ちていた物を拾ったかのような不自然さだ。

 そして、彼女の邸宅から盗み出されたと思われる武具を思えば……、あるいは、と思えるものが浮き上がる。その場で何があったのか、確証あって言う事は出来ない。


 ――だが。

 疑念は尽きず、もしもを疑わずにはいられなかった。この屋敷にあった武具を用いたからこその快進撃だし、それ故の奪還劇だったのではないかと。


 更にそれだけでは飽き足らず、他の物品をも手中に収めようと考えたなら、執拗な森攻めにも納得がいくのだ。彼らが求めるのは残党退治ではなく、森の邸宅に眠る価値ある武具なのではないか……そう思わずにいられなかった。


 実際、デルン本人ではなく多くの派兵によって邸宅を囲まれた事もあった。だがその時は、彼女が残した武具を使って退散させる事ができたのだ。


 武具のみならず水薬も使用し、そのとき多くを消費してしまったが、それでも奪われる事なく追い返せたのは、一重に彼女の『遺産』によるところが大きい。

 デルンは数年と経たず、いつの間にやら姿を消したが、残した子が王位を継いで、現在まで険悪な仲が続いている。その後も武具を狙ってくる事は解っていたので、防備し易いように森を造り変え、魔術を施し、形を整えた。


 そして彼女の遺産を守る為、又いざという時、その武具を活用出来るようにと、聖地として守るようにしてきたのだ。

 だが同時に、それだけでこの屋敷を守るという、賛同を周囲から得られないとも解っていた。強力な武具や道具を奪われるのを防ぎたい、というのなら、持って逃げれば良いだけだ。


 だが、ヴァレネオは彼女に恩義ある身として、彼女が残した物を守りたかった。

 奴らは奪った後、あるいは奪える物が殆どないと分かった後、腹いせに燃やすくらいはするだろう。

 征服した暁には、今ある形ある物を壊そうとする。略奪とはそういうものだ。


 だから、この場を守り抜く方便として、聖地には彼女が眠っている、と伝えた。

 何れ来る時に備えて眠り、そして何れ起き上がる時に備えて、我々は守り抜かねばならない、と信じ込ませてきたのだ。

 だが時を経るに連れ、その信奉も思慕も無くなり、今では守護を任じたフロストエルフ以外、聖地に敬意を払う者も少なくなった。


 種族の間で起こる諍いの原因も、そこに言及したものも多い。デルンの目先にいるから襲われるのだ、いつでも攻め立てられるような距離にいるのではなく、もっと安全な場所に居を移した方が良い、という主張だ。


 現在はそれが主流であり、防衛、抗戦派は声が小さくなった。戦争の度に数を減らす、森で暮らす人々を見れば、この先に未来は無いと誰もが思う。

 ヴァレネオは重く溜息を吐き、先程、端にどけた紙を忌々しく見つめた。

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